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5ページ/情報収集

 

 八神麗緒にとっての夏休みが明けた。

 帰省もしなければ取り立てて日付をまたぐ予定もなかったが、マンションでダイアナとゴロついたり、川辺へ散歩に行ったり、ふらっと映画を観に行ったり。友達と呑みにも行った。

 クリニック勤務の同級生と食事に行くことはたまにあったが、こういった連休の時にでさえ病棟勤務の友人とは休みが会わず、あぁ自分もやるせない気持ちだったなぁと現在の勤務体系を改めて有り難く思った。

 盆休みが終わったとはいえ、生徒たちはまだ夏休み。授業こそないものの、麗緒の仕事といえば、部活動で登校している生徒の対応がある。

 ただ授業を受けるためだけに登校する前年までの学校とは違い、さすが私立のお嬢さんたちは明確な目標を持って部活動に取り組んでいる。

 運動部は特に秋の大会に向けて気合いが入っているし、文化系でも演劇部などは九月の二週目にある文化祭にかけての稽古のラストスパートだ。

 そんな大事な時期だからこそ、麗緒の要塞である保健室に用事がないことが一番なのだが……。

 訪問者がない時には、前任が代々エクセルにまとめてくれている生徒たちのカルテを更新していく。

 生徒会やらクラス委員やら部長なんかを任されている生徒はメンタル的なケアに注意しておかなければならないので、誰が役職持ちなのか記憶しておく必要がある。

 運動部についてはキャプテンや主将はもちろん、誰がどのポジションでどういう役目をするのかまで把握しておく。各スポーツのルールを把握した上で、どの筋肉、どの骨を痛めやすいのかを予測しておく必要があるからだ。

「新キャプテンは二年の、えっと……」

 高等部だけでも七百六十名在籍しているので網羅するのは不可能に近い。しかし、麗緒は一人でも多く頭に入れておけるよう努めている。それに拍車をかけたのがもみじだ。

 元々記憶力は悪いほうではない麗緒だったが、先日もみじとの帰り道に生徒の話をしていた際、ただのご近所のコンビニ店員とは思えないもみじのあまりの記憶力に刺激されたのだ。

 もみじは麗緒の知らない情報をたくさん知っていた。好みのおやつや講読している雑誌はもちろん、友人関係から親の職業まで、話した内容も全て記憶しているのだから驚かないわけがない。

 思春期の彼女たちはデリケートだ。些細な変化も、時に大事件に発展することがある。どんな細かいことでもヒントになるのだ。その時に聞いたことをひとつひとつ思い起こしカルテに付け足しながら、心の中でもみじに感謝の言葉を述べた。

「くーっ! こんなもんかな?」

 デスクチェアにもたれて伸びをする。パソコン作業でしょぼついたので目薬を一滴。角膜とコンタクトの隙間に染み渡って気持ちがいい。

 麗緒のデスクはカーテンを開けているとグラウンドから丸見えだ。立ち上がったところでちょうどカポーンという音が響いた。ソフトボール部の練習風景が目に入った。

「せーんせー! 入りますよー」

 同時にガラガラと扉が開く。ノックもなければ、まだ入室許可もしてないというのに。麗緒は呆れ顔で振り返った。

「こーら! 勝手に入って来るなと何度注意した?」

「んー、その統計は取ってませんが、四回目くらいですか?」

「いや、六回目だ。どうせいつもの用事だろ? ネタならやらんよ。帰った帰った」

 しっしっと冷たく手を振ろうが、生徒はおかまいなしに入ってきた。それどころか、「どうせ暇でしょー?」とにこにこする始末だ。

 彼女は柚原七世ゆずはらななせ、高等部一年でありながら、校内の情報を誰より握っており、時にこうして校内の情報収集に訪れるジャーナリストジュニアである。

「失敬だな、君みたいに暇じゃない。いい加減言うことをきかないと、購買にバナナジュースおかないでくださいって保健医権限で言うからな?」

「えー、ひどーい! 鬼ぃ、悪魔ぁ」

 柚原七世がバナナをこよなく愛する少女だというのは有名な話しなのだが、もみじからの情報によると、ニアマートで売っているバナナジュースは薄いから購買のほうがおいしいと言っていたとのこと。

 抗議の声をあげるかわいい生徒に「ネタはあげられんが」と手招きをする。デスクの引き出しでひしめき合っているお菓子の中から黄色い箱を一箱取り出した。

「個人情報はやれんが、代わりにこれをやろう。友人から土産でもらったもんだが、結構うまかったぞ?」

「うわーぁ、バナナキャラメルーぅ! いいんですか? やったー!」

 一粒取り出そうとしていた麗緒の手から目にも止まらぬ速さで箱ごと奪い取った柚原七世は、まるでそれが希少価値のある物かのようにお目々をキラキラさせ崇めている。

 一粒のつもりだったが……まぁいいか、と苦笑する麗緒もまた、かわいい生徒が嬉しがる顔を見れて嬉しかった。

 文句を言われようが悪態をつかれようが、なんだかんだ生徒はかわいい。どうしたって憎める存在ではないのだ。

「しょうがないですね。今日のところはバナナキャラメルに免じて手ぶらで帰ってあげます。でも次こそネタ、もらいますからね!」

 印籠のごとくビシッと突きつけられた物が、バナナキャラメルでなければもう少しジャーナリスト精神に威厳を感じただろう。だが残念なことに、麗緒はそのこっけいな一コマに腹を抱えて笑った。

 柚原七世が「なんで笑うんですかー」とぷりぷりし始めたと同時に、ちょうど昼休みを告げるチャイムが谺した。麗緒は宥め追い出しついでに自分も廊下に出る。扉に『離席中。御用の方は職員室まで』の札を引っかけた。

「バナナは確かに栄養価は高いがイチゴの三倍もカロリーがある。それに、バナナに含まれる果糖は過剰に摂取すると中性脂肪の元になるし、シュウ酸を多く含むから尿管結石症になるリスクも高まる。何でもそうだが大人になってだな……」

「もー、分かってますよー! その話し、三回目です」

「ははっ、それは統計取ってるんだな。よしよし」

 医者だろうが保健医だろうが、健康管理は相手次第なのだ。忠告通りにする人はするし、しない人はしない。

 あえて矯正は求めないが、職務上指導しないわけにいかない。麗緒は最後に「バランスよく食べろよ?」と柚原七世のほっぺたを摘まみ、職員室へと向かった。






 麗緒の今日の昼食は新発売のカップラーメン。お気に入りはとんこつラーメンなのだが、さすがに勤務中の職員室で食べるわけにはいかない。栄養指導したばかりの養護教諭もまた人間だからと自分にいいわけをし、旨塩ラーメンの上蓋を開けた。

 給湯スペースにお湯を沸かしに行くと、音楽科教員のみゆきまりあが紅茶を入れていた。

 まりあは年齢的には麗緒の一つ下だが、麗緒同様公立高校勤務の後、昨年度から赴任しているので、星花でいえば一年先輩の教員である。

「お疲れ様です。いい香りですね、幸先生」

「あ、八神先生お疲れ様です。すぐどきますから、ちょっと待ってくださいね」

「いえいえ、お気になさらずごゆっくり」

 透明なティーポットの中で茶葉が広がっていく。アールグレイだろうか? 紅茶には詳しくない麗緒なのでそれくらいしか分からない。

 名前も容姿も穏やかなまりあの慣れた手つきを見ながら、自分にはやっぱりビールのほうがお似合いだな、としみじみ思う。

「そういえば幸先生、先生のクラスの柚原七世ですが、さっきまた保健室に来たんですよ」

「あら、またですか? すみません、私からも注意しておきますね」

「いやいや、聞き分けの悪い子ではないので、迷惑してるわけではないんですよ。ただ、ある意味真面目でかわいいやつだなと思って」

「そうですね、悪い子ではないですし、彼女の情報の多さには私も助けられる時があります。担任とはいえ、教員の目の届かないところなんていくらでもありますからね」

 麗緒はなるほど、と顎に手を当てる。もみじ以外にも生徒の情報入手ルートがあった。今までは情報を譲渡する側だと思ってあしらっていたが、何かの時には提供してもらおう。バナナ菓子を常備しておかなきゃな、と麗緒はにやり笑う。

 なにせ保健室からあまり離れられない麗緒には、教員からの情報収集の場がこの昼休みの職員室しかない。あとは教員たちが気付いたことを保健室に報告しに来てくれる場合もあるが、それはほぼ報告というより相談である。

「そうだ、同じ写真部の三年生に華視屋流々(かしやるる)がいるでしょう? 二人とも中等部から上がって来た子だけど仲はいいんですかねぇ? ネタの奪い合いなんてしてないといいですけど」

「あぁ、華視屋さんは恋愛の噂が立つと誰でも付け回すとかで何度も注意されてるんです。職員室にもカメラ向けてたことがあって……。でも柚原さんは恋愛以外の情報も集めてるし、マスコミみたいなネタの奪い合いというより上手くお互いを利用してるかもしれませんね。女の子はみんな噂好きですし」

「はぁ、噂ねぇ……」

「知らないほうがいいこともあるんですけどね……」

 まりあはぽぽぽぽ心地よい音を立てながら、独り言のように吐露した。

 自分のことだろうか? 麗緒は少し反応に困り、わざと的外れを装った。

「あぁ、誰だって掘り起こして欲しくないことの一つや二つありますから、そういうのを嗅ぎ回れるのはいい気はしないですよね」

「確かにそうですね。その辺は柚原さんも華視屋さんもわきまえていてくれると良いのですが。うちのクラスにも色んな事情を抱えてる子がいますし」

「んー、柚原に関してはまだ一年生ですし、もう少し様子を見たいところですね」

「そうですね。……ちなみに八神先生、私のことは何か言っていましたか?」

 麗緒より少し背の高いまりあが、おずおずと上目使いをする。

「いや、幸先生のことは特に何も。あたしのほうから情報を買うことはないですから」

「そうですか……。いえ、なければいいんです。お待たせしました、どうぞ」

 まりあは軽く会釈をし、カップを片手に優雅に席へ戻っていった。アールグレイの香りだけが残る。

 赴任二年目のまりあは星花OGでもある。教員にもなると学生時代のちょっとしたことでも自分にとっての黒歴史だ。OGなら特に知られる確率が高いので、他校出身の麗緒よりも不安は大きいだろう。

 隠されると興味が沸かないわけではないが、自分だって隠したい過去だらけだ。過去どころか干物状態の自分も知られたくない。

 昼休憩を取りに次々と職員室に戻って来る大人たち。麗緒は旨塩ラーメンをずるずるすすりながら、その一人一人の表情を伺う。

 生徒ともめたのか険しい表情の人、好成績が出たのかご機嫌な人、辛辣なことがあったのか複雑な表情の人……。分かりやすければクール過ぎて分からない人もいる。

 分からない……人……。

 麺を掬う手が止まった。もみじの顔が浮かぶ。正確には、マスクから上の目元だけ。

 彼女はどうしていつもマスクをしているのだろう……?

 初めに会った時は季節的に花粉症だと思い込んでいたが、真夏になっても一度も取った姿を見たことがない。

 けらけらとよく笑うし常に明るく感情豊かなのは伝わるのだが、あのマスクを付けている以上は完全な表情を読み取ることはできない。

 何らかの病気か……?

 呼吸器疾患……と推測して一番に脳裏を過ぎるのは、病棟で亡くなった十四歳の少女の顔……。

 いや、呼吸器疾患の可能性は低い。軽傷だとしても咳くらいはする。だがもみじが湿性や乾性の咳をしているのは見たことがない。

 となると……。

 免疫不全で感染症を畏れている……?

 大きなアーモンドアイを細めて笑う、もみじの笑顔が急に儚く思えてしまい、麗緒は無性に保健医の血が騒いだ。

『知らないほうがいいこともあるんですけどね……』

 先程のまりあの言葉が一瞬頭の中で再生されたが、壁に憚れて見えるはずのないニアマートのほうへ顔を向け、夕飯はニアマートのチキンにするかな、と使命感に燃える麗緒だった。



◆今回のゲスト

黒鹿月木綿稀様作「七夜の星エトワールに願いを込めて」より 柚原七世さん

星月小夜歌様作「みゆきの森に聖母と祈りを」より 幸まりあさん

藤田大腸様作「女軍曹と孤高の情報屋~星花スパイ大作戦!」より 華視屋流々さん(お名前のみ)


こちらの作品もよろしくお願いいたします。


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