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45ページ/眼下に広がる光景

 


 糸崎もみじは、頬を滑るざらりとした感触で目を覚ました。

「ん……あけびぃ……? あんずぅ……?」

 瞼が重たい。にゃんこの舌で嘗められたのは分かるのだが、さすがにどの子の舌かまでは判別がつかない。目を開けないもみじにじれったくなってきたのか、ふわふわの毛並みにごんっと頭突きされた。

「痛ーいっ。誰ぇ? おイタする子はぁ……。あれ?」

 うっすらぼやける視界にどアップで映ったのは、マンチカンではなかった。白いマロ眉が特徴的な子ネコが覗き込んでいる。目が合うと「ぅなーん!」と鳴いた。

「コジロー? あれ……なんでコジローがいるの?」

 のそのそ身を起こす。コジローが嬉しそうにごろごろ喉を鳴らした。何度見てもコジローだ。もみじは不思議に思い、部屋の中を見渡した。

 見慣れた、だが寝起きには見慣れない風景だった。麗緒の寝室だ。普段はずっとリビングにいるのであまり入らない部屋だが、週に何度もお邪魔しているので見間違えるわけがない。

 掛け布団がするりと滑っていった。これも見覚えがある。麗緒のものだ。じゃあ麗緒のベッドか? いや、ベッドは左側にある。自分はウレタンの匂いの残る布団に横たわっていたようだ。

 足元にはグレーのにゃんこがいた。ダイアナだ。もみじを見守っていたようにも見える。もみじが起きたのを確認すると、とてとて寝室を出て行った。

「もみじさん、起きた?」

 麗緒がひょっこり顔を出した。ダイアナが呼びに行ったらしい。麗緒の寝室で寝ていたのだということまでは理解できたのだが、なぜという疑問が寝起きの脳では思い出せない。

「ぐっすり寝てたみたいだけど、頭痛くなったりしてない? お水持ってきますね」

 足元のダイアナを残し、麗緒はキッチンへ消えた。なにがなんだか……のもみじも立ち上がりキッチンへ向かった。コジローも突いてくる。

「どうせ覚えてないでしょ? もみじさん、カヌレで酔っ払って寝てたんですよ?」

「……カヌレ?」

 まだ頭がぽわーっとしているもみじを見て、麗緒がからかうように笑う。

「あははっ、やっぱね。ほいほい、お水ですよー。あっちで飲みましょうねー」

 まるで幼児か高齢者の介護かのような口調だ。背を押し、リビングへと促される。状況に追いつけていないもみじはされるがままソファに座らされた。

「麗緒さん?」

「はい、なんでしょう?」

「私……酔っ払ってたんですか?」

 おそらくそうなんであろうと思いつつ、失態はなかったという返答を願うもみじ。恐る恐る見上げると、麗緒はあっさりばっさりきっぱり言い放った。

「はい。そりゃもう、駄々はこねるしわがままは言うし、そうかと思えばこてっと寝ちゃうんだから参りました」

「えぇー! ほんとですかー!」

 がっくり項垂れる。なみなみと水の入ったジョッキを「はい」と渡され、多いな……と思いつつ一口含む。ようやく頭が冴えてきた。

「すみません! 私、酔っ払って迷惑かけちゃってたんですね……あぁ、もうやだぁ……」

「あははっ、冗談冗談。ちょっとからまれたくらいで、迷惑なんかかけてませんよ」

「からまれたって……あーんもう、ごめんなさぁい……」

 汐音の差し入れのカヌレを食べたことまでは思い出せた。生菓子なモンブランはともかく、焼き菓子であるカヌレですら酔ってしまう自分が情けないし恥ずかしい。アルコール探知機な両親の元に生れた自分は、相当のサラブレッドなのだと知る。

 そしてもう一つ気になっていたことを尋ねた。

「あの、お布団は……」

 もみじが寝室のほうに顔を向けると、麗緒は「あー」と言ってぽりぽりこめかみをかいた。

「あたしからのクリスマスプレゼントです。サプライズにしようと思ってたんですけど、早速役に立ってくれちゃいました」

 照れ笑いする麗緒を見て、もみじは胸の奥が熱くなるのを感じた。まだなみなみ入ったままのジョッキをテーブルに置き、こみ上げてくる歓喜のままに抱きついた。

「嬉しいっ! ありがとうございます! お泊まりしていいってことですよねっ? 寂しい思いしながら帰らなくてもいいってことですよね?」

 麗緒は尻もちをつきながらも抱き留めてくれた。にゃんこらが見ている横で子供のようにはしゃぐもみじの背を照れ笑いしながらぽんぽんと叩き続ける。

「、だからまた酔っ払っても寝るとこありますよ?」

「もー! 今後は絶対酔っ払いませんっ」

「あははっ、でもお泊まりする時は絶対親御さんに連絡入れてくださいね? かわいい一人娘が帰ってこなかったら、心配で捜索願出されちゃいますから」

 もみじは身体を離すとうんうん頷き、小指を絡ませる。現実感が湧いてくると共に顔が火照っていくのを感じ、ジョッキの水をほとんど飲み干した。

「今日は塩レモン鍋にしようと思って。でも、肝心な白菜が足りなそうなのでちょっと買ってきます。他に何か入れたいものあります?」

 麗緒がキッチンを指指した。もみじが寝ている間に切っていたのであろう、材料がずらりと並んでいる。もみじは「お任せします」と首を振った。

「んじゃ行ってきますね。まだ早いけど、ホットプレート出しといてください」

「はーい」

 ご機嫌に返事をし、もみじはテーブル上を片付け出す。グレーのスタンドカラーのコートを羽織った麗緒は、財布とスマホをポケットに出て行った。

 キッチン下の開きから、いそいそとホットプレートを取り出す。麗緒愛用の、ホットケーキやクレープを焼ける浅めのプレートの他、たこ焼き用・焼き肉用・蒸し物用・鍋物用と取り替え可能な万能調理器だ。もみじはその中から鍋物用のプレートに付け替える。

 以前、塩レモン鍋を食べてみたいと言っていたのを覚えていてくれたのが嬉しかった。年末も間近な今日に持ってこいの料理だ。プレゼントの布団と塩レモン鍋で、もみじのわくわくは最高潮だった。

 時刻は六時を過ぎたところ。真冬の六時は真っ暗だ。カーテンを少しだけ開き、マンションから出てくる麗緒の姿を待った。

 エントランスを抜けた麗緒の姿が見えた。寒さに首を縮め、自転車置き場へ向かっている。もみじはなんとなくじっと見つめていた。

 愛チャリのチェーンを外したところで、ミニスカートの女性が近付いていく。麗緒がハッと顔を上げた。もみじの背が泡だった。

 姉の麗美だった。麗緒を突き飛ばし、馬乗りになった。並んでいた自転車がドミノ倒しになるガシャガシャという音が響いた。

 もみじは震えていた。薄暗い駐輪場で馬乗りになり光る物を振り回している姉と、必死に抵抗する妹の姿が眼下にあるにも関わらず、恐怖で足が動かなかった。五階なので言葉までは聞き取れないが、二人の女のかん高い叫び声だけが轟く。鼓動がどんどん加速する。

 その時、マンション内から住民が二人飛び出してきた。男性が「何してるんだ!」と麗美を羽交い締めにした。麗美はなおもわめき、暴れ続けている。女性のほうが麗緒に声をかけつつ、スマホで電話をかけ始めた。

 麗緒が顔を上げた。目が合った気がした。もみじの足がようやく動いた。上着もマスクも忘れ、もみじは真冬の空の下へ飛び出して行った。







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