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39ページ/チキンはおあずけ

 

「誰と過ごしてたんですか……? 麗緒さん……」

 糸崎もみじは胸が張り裂けそうだった。

 驚いた麗緒が一瞬振り返りかけたが、もみじがぴったりくっついているのでそれは敵わなかった。

「独りですよ……。もみじさんがあたしを独りにしたんでしょ?」

 ぽつりと寂しげにつぶやく麗緒。だが、言葉ほど声にトゲは感じられない。

「連絡できなかったことは謝ります。スマホが手元になかったんです。だから私、ずっと麗緒さんのこと待ってたんですよ……? 駅でずっと、一緒に過ごしたくてずっと……。でも、麗緒さん帰ってこなくて……」

 もみじは目頭が熱くなってきた。腕に力を込めた。首筋に顔を埋める。緩いウェーブが鼻をくすぐった。緊張が伝わってくる。麗緒を抱きしめるのは、麗美の事件以来だ……。

 自分のミスは棚に上げ麗緒を責めるのはお門違いも甚だしいなど、百も承知だった。それでも言わずにはいられなかった。

「駅で……?」

 麗緒が手を重ねてきた。ほんのり温かかった。もみじは黙ってこくんと頷く。

「怒ってますよね……?」

 自分でも当たり前の問いとは分かっている。それに麗緒が頷くわけがないことも分かっている。案の定「……いや?」と首を傾げた。

「ものすごい剣幕だったからびっくりしたけど、来てくれて嬉しかったし……。怒ってなんかないですよ?」

 けろりと言われ、今度驚くのはもみじの番だった。嘘の下手な麗緒だが、今は嘘は見受けられない。

「なんでですか? だって、だって私、麗緒さんを待たせて怒らせて、おまけに呆れさせたから他の人と……」

「そんなことより食べませんか? ケーキ」

 もみじの訴えを遮り、麗緒がするりと腕から抜けた。「待ってください」とがっしり手首を掴んだ。いつもは分かりやすい麗緒なのに、なぜかきょとん顔だ。なぜきょとん顔なのか、こちらのほうがきょとんだ。

「食べないんですか? ケーキ」

「た、食べます! 食べますけど……そうじゃなくて、先に私の話を……」

「じゃ、持ってきますね。ケーキ」

 麗緒が初めてにこりと笑った。呆気にとられ、つい手首を握っていた力を緩めてしまった。するりとほどけていく。キッチンへ消えた麗緒の後を、コジローがタッタカついて行った。

 ダイアナと目が合った。昨夜のお月様を思い出した。物言いたげにじっと見上げてくる。

「ダイアナちゃんもごめんね? おいしいチキン料理、作ってあげるって約束したのに……」

 ごろごろと喉を鳴らし出した。この子は本当に人間の言葉を理解しているな……と優しく撫でる。ダイアナは気持ちよさそうに目を細めた。

「こら、コジロー。危ないからどかんかー」

 大きなケーキボックスを抱えた麗緒が戻って来た。足元をぐるぐる回っているコジローに行く手を阻まれている。もみじは「おいで」とコジローを抱き上げた。

「れ、麗緒さん……? それは……」

「ケーキです」

「えっと、ケーキなのは分かるんですけど……」

 ボックスのサイズだけでも圧倒されたのだが「ほら」と中身を見せられ、巨大なのはボックスだけではなかったのだと驚愕するもみじ。

「ちゃんとノンアルにしてもらいました。ご希望のイチゴケーキです」

「そ、そうみたいですね……」

 これを二人で食べるつもり……? と目を疑う。推定七インチのホールケーキ。どう見ても八人から十人分の大きさなのだが……。

「知らなくて適当に頼んだら予想外にちょっとデカかったんで、二日に分けて食べようと思ってたんですけど……」

 高級デコレーションケーキがテーブルに乗せられた。やはり存在感がすごい……。

「じゃあ今日中に食べましょ? おいしいうちに食べましょ!」

 もみじはマスクを取り急いで洗面所へ行き、うがいと手洗いを済ませる。さっぱりしたところで「よし!」と気合いを入れた。その間に麗緒が皿と包丁を持ってきていた。

「麗緒さん、グラスもお願いします」

「グラス? ティーカップじゃなくて?」

「グラスです。ティーカップでもビールジョッキでもなくてワイングラスです」

「ワイングラス……」

 麗緒は一度キッチンを向き、それから「ないです」ときっぱり。

「んもー、せっかく買ってきたのにぃ……。まぁそうですよね、麗緒さんですもんねー……」

 ぶつぶつ言いながら、もみじは紙袋の中から「じゃーん」とシャンメリーを取り出す。麗緒の目がキラッと輝いた。

「おー! シャンパン!」

「ごめんなさい。残念ながらアルコールは入ってません。でも、これで乾杯したら、いつもの謎ビール飲んでいいですからね?」

「……なんで許可制なんですか?」

 ぷっと吹き出す麗緒。

「飲み会だってお祝い事の席だって、とりあえずビールで乾杯するじゃないですかー。それと同じで、クリスマスはひとまずシャンメリーで乾杯して……」

「はいはい、分かりましたよ。じゃあジョッキでいいですか? どっこらしょっと」

 外気温でしか冷えていないシャンメリーが、ムードもへったくりもないジョッキに注がれていく。

 せっかくのシャンメリーなのにな……とぼやきたいところだが、このほうが自分たちらしいかもしれないと妥協する。

 もみじが奇麗に八等分し、麗緒がそれを慎重に取り分ける。にゃんこらは首を伸ばし、ローテーブルの作業をしげしげと覗いていた。

「もみじさん」

 ジョッキを掲げ、いざ乾杯というところで麗緒は急に真面目な顔になった。もみじは脇を閉め「はい!」と身構える。

「罰ゲームではありませんよ? 『ノルマ』です。チキンは冷凍したので、チキンのことは気にせずケーキを堪能してください」

「も、もちろんです! 寒い中、麗緒さんが買ってきてくれたケーキを無駄にするわけないじゃないですか! チキンは今度、改めて作ります」

 もみじは最後に「うん!」と大きく頷く。約四人分のケーキを平らげるという覚悟の頷きだ。麗緒も満足げに頷いた。

 一日延期になってしまった乾杯をし、もみじは改めて昨夜の出来事の説明と謝罪をした。麗緒は真剣に聞いている顔を取り繕ってはいるが、ぱくぱくとケーキを運ぶ手を休めることはない。

「ちょっと麗緒さん? 聞いてますか?」

 相槌しか打たないことにしびれを切らし、もみじは涙目になりながらもぶーっと口を尖ららせた。

「だって……もういいじゃないですか。スマホは戻ってきたし、お互い誤解だってのが分かったんだし」

「そうですけど……でも……」

 ごにょごにょと不満そうにしているのを察した麗緒が、お互いの誤解が全て解けているわけではないことに気付いたらしい。フォークを置き、代わりにジョッキを手にした。

「もみじさんがうちに来た時間は多分、あたしももみじさんを探しに行ってた時間です。疑うなら地味目のバイトくんに聞いてもいいですよ? 書き置きは残してたんですけど、いつもの癖で、無意識に電気消してっちゃったんですよね……。もみじさんちとニアマート回って、帰ってきてからはずっとここにいましたよ。……もちろん独りで」

「え……じゃ、じゃあ自転車は? 駅に置いてあったじゃないですか」

「あー、それはですねぇ……」

 今度は麗緒が説明する。「なーんだぁ」と安堵の笑みを浮かべるもみじ。勘違いさせたことに「めんぼくない」と頭を下げ、麗緒はシャンメリーを一気に飲み干した。

「あたしが楽せずチャリで帰ってきてりゃ、もみじさんを待ちぼうけさせることもなかったろうに……」

「いえっ、元はと言えば私がスマホを紙袋なんかに入れなければ音信不通にはならなかったんですし……」

 はー……と、お互い反省タイム。

「まぁ誤解も解けたことですし、飲み直しましょうか……つっても、もみじさんは何飲みます?」

「じゃあ紅茶入れてもらっていいですか? 麗緒さんはもうビール?」

「ふふっ、ケーキにはビールでしょう!」

 おそらくなかなか共感を得られないであろう好みに「そうなんですね」と苦笑いするもみじ。気付けばあっという間に二人前を平らげたケーキをテーブルに残し、麗緒はいそいそとキッチンへ。

 もみじは持参した紙袋をチラッと一瞥する。プレゼントを渡すタイミングを逃してしまった……。

 本当は、謝罪の後に渡したかった。『これを渡したかったから、亜矢ちゃんを探して遅くなっちゃったんです』と差し出したかったのだが、麗緒があまりにも平然とケーキをぱくついているので、いつもの調子でついツッコんでしまったのだ。

 謎ビールと紅茶で乾杯し直したら渡そう……。

 プレゼントを見て喜ぶ麗緒の姿を想像し、もみじはふふっと口元を緩ませた。




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