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37ページ/鉛色の日

 


 八神麗緒は保健室で一人、ぼぅっと窓の外を眺めていた。

 グラウンドには生徒の姿はなく、昨日の星空が嘘のような鉛色。今にも降り出しそうなどんよりと低い雲に覆われている。まるで麗緒の心中のようだ。

 クリスマスイブの約束は、もみじの音信不通により叶わなかった。眠れない夜を過ごした麗緒は、出勤前にニアマートを覗いた。外から見る限り、深夜にいたニキビ面の地味目くんしと、パートの丸々したおばちゃんしかいなかった。

 再び「もみじさんは?」と聞きに入りたいところだったが、それこそ何らかの疑惑をかけられてもいけないので店内には入らず、もやもやが晴れぬまま出勤したのだ。

 何もないといいのだが……。

 いや、何もないのにもみじがドタキャンするとは考えられない。未だ既読にならないメッセージを何度も開き直してしまう。

 やっぱり、嫌われた……?

「おっとー! やがみんも赤目の金目鯛ちゃんじゃないですかーぁ。うふふふふ、どなたとどんな夜をお過ごしだったんですかーぁ?」

 突然の訪問者に、麗緒の肩がびくっと跳ねる。ジト目で振り返れば、情報屋柚原七世がにやにやと近寄ってきた。

「ノックをしろノックを……。金目鯛の目玉は、その名の通り金だろ。赤いのはボディだけだ。そんでもって、金目鯛には良質なタンパク質が含まれていてだな、体内で合成されない必須アミノ酸をバランス良く含んでいて……」

「どうせまた『バナナばっか食べてないでー』とか言うんでしょー? んもー、話を逸らさないでくださいよー。それでそれで、激しめの夜だったんですかぁ? それともそれとも、ひーひー泣いちゃうほどの……う、うわぁ、やだぁ! さすが大人ですね!」

 七世は首から下げているカメラを向けようとしていたが、両手で頬を覆い、くねくねと身体をくねらせ始めた。赤面しているので、お前のほうがよっぽど金目鯛だろ……とツッコみたくなった。

「……頭ん中、消毒してやろうか?」

「ふふふ、やがみんがコンタクトレンズなのは調査済みです。そしてイブ明けにお目々が赤いということは、コンタクトを付けたまま、世を明かしたということです。ズバリ、そうでしょう!」

 寝不足で思考回路が低下気味の麗緒とは裏腹で、相変わらず推理という名の妄想力が冴え渡っている七世。得意気にドヤ顔を近付けてくる。

「……調べんでも、ディファインだから、よく見れば分かるだろーが。寝不足なだけだよ。学期末だから色々と家で仕事しててだな……」

「嘘を言ってもダメです! やがみんが昨日とっとと帰ったのは知ってるんですからね? 仕事が貯まっているのならば、さっさと帰らないでしょー? やがみんはイブに予定があったんです。すなわち一緒に過ごす相手がいるということです。さぁ、白状してもらいますよ? お相手はどなたなんですかー!」

 ずずいっと覗き込まれ、麗緒は思わずギクッと仰け反る。さっさと退勤したのは事実だ。嘘が苦手なのは自覚している。のらりくらりと交わす器用さが欲しい……と次の手を考える麗緒。

「そ、そうだ! 柚原に頼みたいことがある!」

 急に話を逸らされ、七世は怪訝な顔でじぃっと上目使いしてくる。

「バナナ……バナナフィナンシェなんてどうだ? 高級洋菓子店のだぞ? 『ボナペティ』のだぞ?」

「ボ、ボナペティーっ!」

 七世のお目々がぱぁっと見開いた。どうやら金持ちの多い星花の生徒たちは、ボナペティをご存じらしい。昨日並んでいる間、店内の焼き菓子コーナーに目を配っておいてよかった……と胸を撫で下ろす。そして、七世の単純さに感謝だ。

「いいでしょう! それで、どんな案件ですか?」

 ※

 特に忙しくもない一日だったが、念のためちょっとだけ残業をしてタイムカードを切った。「お先に失礼します」と残り少ない教職員に挨拶をし廊下に出ると、昨日同様静まり帰っていた。

 朝早く駅前に迎えに行った愛チャリを推し、夜には眩しいニアマートへと足を進める。まるでストーカーだな……と自虐しながら店内を覗いた。金髪の青年が一人、レジであくびをしていた。

 ……やはりもみじの姿はない。いっそもう一度自宅まで行ってみようか……。いやいや、それこそストーカーじゃないか、と首を振る。

「こーんばんはっ、八神先生」

 踵を返そうとハンドルを捻ったところで、アニメ声に声をかけられた。私服だったのですぐには気付かなかったが、ニアマートのアルバイト店員だった。

「こんばんは。えっと……これからバイト?」

 二文字の名前なのは覚えていたのだが、思考回路がいよいよペースダウンしてきたので出て来ない。いつもほがらかで元気いっぱいの女子大生だ。心なしか、今日はちょっとだけおとなしめな気がする。

「亜矢です。いえ、今日はちょっと用事で……。八神先生は今お帰りですか?」

「うん。……じゃあ、バイト頑張ってね」

「あ、だから今日はバイトじゃないですってば」

 ツッコまれた……。もみじのことを聞こうかと悩んでいたので、話し半分だったのだ。亜矢はそんな麗緒に「やだぁ先生、お疲れですか?」と肩をもみもみ。

「バイトじゃなくて、もみじさんと待ち合わせしてるだけですよ。先生は? お買い物しないで帰っちゃうんですか?」

 麗緒は固まった。亜矢は麗緒の顔と、何も入っていないカゴの中を見比べている。

「もみじさんと……? ここで?」

 なぜ驚く? といった表情の亜矢が「そうですけど……?」と首を傾げた。

 ここで待っていればもみじに会える……。麗緒の心臓がどくんと跳ねた。

 責めるつもりはない。約束を破ったのは、もみじなりの理由があったはずだ。

 だけど、聞きたい。どうして来なかったんですか、と……。

「私、昨日色々やらかしちゃって……もみじさんに土下座しに来たんです。ダメですね、イブだからって浮かれちゃってて……あっ、噂をすればもみじさん!」

 八の字眉毛にしていた亜矢が、麗緒の肩越しに手を振った。覚悟の決まっていない麗緒もゆっくり振り向く。駐輪場にその姿があった。亜矢はもみじの元へばたばたと駆寄って行った。

「もみじさーん、昨日はほんっとすいませんでしたー! これ、持ってきましたよー」

 亜矢を挟み、もみじと目が合う。懸命に謝罪する亜矢をよそに、もみじは怯えるような表情でこちらを見つめてくる。マスクをしていても、もみじの動揺が伝わってきてしまう……。

 先に目を逸らしたのはもみじだった。「怒ってますよね? そりゃそうですよね……」としょんぼりする亜矢から「ううん、私も不注意だったし……」と紙袋を受け取っている。

 事件に巻き込まれたのかと心配したこともあったので、無事な姿を見れてホッとしている反面、亜矢との約束には来て、自分との約束には現れなかったことにショックを受けた。

 よくは聞き取れないのだが、何やら弁明と謝罪を並べているうち、どんどん涙声になっていく亜矢。麗緒は二人の姿をしばらく呆然と見ていた。もみじは亜矢を宥めながら、そんな麗緒のほうをちらちらと気にしている。

 察してください、ということだろうか……。麗緒はくるりと背中を向け、愛チャリをこぎ出した。

 風に乗って「待って、麗緒さん!」と聞こえたのは、都合のいい空耳だろう……。



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