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35ページ/いらない実感

 


「ただーい……」

 八神麗緒が扉を開けると、玄関は真っ暗だった。夜目の効くにゃんこらが駆寄ってきた。一歩入ると、センサーでパッと灯りが点いた。

「あれ? もみじさんまだ来てない?」

 にゃんこらはそんな問いかけには無視で、それはなんだそれはなんだとケーキボックスに鼻を近付けてくる。

「レジが込んでて、上がるタイミングを失ったんかな……。まぁクリスマスだし、しゃーないしゃーない」

 口にしても、誰の返答もない。時間的に、当然先に帰っているものだと思っていた。リビングや寝室も一応覗いてみたが、もみじの姿はどこにもなかった。

 なーんなーんと鳴きながらついてくるにゃんこらを「分かった分かった」と撫でてやり、ケーキはひとまずボックスごと冷蔵庫へしまった。

 もみじが『下ごしらえだけして、あとは明日先に帰って作っておきますね』と言っていた鶏肉は、昨日の姿のまま冷蔵庫で冷えている。ということは一度も帰ってきていない。

 あれだけクリスマスを楽しみにしていたもみじのことだ、約束を忘れたわけではないだろうが……。

「よしっ。ダイアナ、コジロー、おいでー」

 暖房と電気カーペットをマックスにし、干物スタイルに着替えた。遅くなるとはいえ、もみじが作ると張り切っていた食材をいじるわけにもいかないので、にゃんこらとぬくぬく帰りを待つことにした。

 だが、二十一時を過ぎても、もみじは現れるどころか連絡一つよこさない。不安とイライラが交錯する。気を紛らわせるために点けたテレビの音声が、全く頭に入らない。

 テレビを乱暴に消した。ため息をつく。にゃんこたちが騒いでいる。

「あー……ご飯ならちょっと待っててな……」

 にゃんこらの分のクリスマスメニューも、もみじが作るとにこにこしていた。マスクを外した奇麗な顔立ちを思い出しながら瞼を閉じる。電気カーペットの温もりと静けさが、眠りを誘う……。

 夕食をすっぽかされたままのコジローが、麗緒の腹部にぴょんと飛び乗って抗議してきた。生後三ヶ月を過ぎ、やっと一キロを超えたばかりの子ネコといえど、急に飛び乗られては凶器である。「ぐふっ」と声が漏れ、麗緒は目を覚ました。

 喉の渇きで、電気カーペットで寝こけていたのだと気付く。灯りは点けっぱなし。もぞもぞ起き上がると、ダイアナも大きく伸びをした。

 ローテーブルに置いておいたスマホを手に取る。十二月二十五日、一時四十分と記されていた。日付が変わる直前で記憶が途絶えている。二時間ほど寝こけていたらしい。

 メッセージアプリを開いた。わざとおどけた風に『おりこうに待ってますんで、焦らず気を付けて来てくださいねー』と送ったメッセージも既読になっていなかった。

 どうしたのだろう……と窓のほうを向く。カーテンを締め切っているので、外は見えるわけがない。

 多分一緒に寝こけていたであろうコジローが、飯だ飯だと騒いでいる。ダイアナたちの分ももみじが作ると言っていたので、にゃんこらにひもじい思いをさせてしまった。自分も喉がからからなので、キッチンへ向かった。

 ひとまずにゃんこらのクリスマスメニューはおあずけにし、いつものドライフードを皿に盛ってやった。刻みよいカリカリという咀嚼音を背に、自分は冷えた水を飲み干した。

 火照った身体が内側から冷まされていく。同時に頭も冴えてきた。

 また変なやつにつきまとわれて襲われてないだろうか……。嫌な妄想ばかりが脳裏を過ぎる。

 だってマメなもみじが連絡もなしにドタキャンするなんて有り得ないのだ。考えたくもないが、予期せぬ出来事が起こってしまったという以外、何が考えられるだろうか……。

 電話してみようか……。普通なら非常識な時間だが、麗緒は失礼を承知でもみじの連絡先をタップした。

 コールが鳴り続く。だがもみじは出ない。留守電にもならない。固い表情の麗緒を心配しているのか、ダイアナが足元で見上げてきた。

 ニアマートの従業員用ロッカーは電波が入らない。コールが鳴っているということは、退勤はしているはず。だとすると……。

 職場じゃなければ自宅だろうか……。深夜にピンポンするわけにはいかないので、もみじの自転車があるかどうかだけでも確かめに行こう。自宅に着いているのなら、大きな心配は一つ減る。

「あれ?」

 玄関の定位置に置いてあるはずの、愛チャリの鍵がない。

「そうだったぁ……」

 髪をぐしゃぐしゃし、舌打ちをする。茉莉花の車で送ってもらったので鍵こそバッグに入ってはいるものの、肝心の愛チャリは駅前に置きっぱなしだ。仕方なく歩いて向かうことにした。じっとしていられなかったのだ。

 入れ違いになってはいけないので、念のため書き置きを残した。スマホが普及している昨今、書き置きなど無意味であるかもしれないが、なんらかの事情でスマホが使えないのだとしたら、連絡手段としてこれが一番確実だ。麗緒は時刻と『すぐ帰るから待っててください』と書き記した。

 寒がりの麗緒にとって、深夜の師走は肺まで凍り付きそうだった。綿飴のように息が白い。マフラーに鼻を埋め、早足で糸崎家へ向かった。

 運動不足が祟り、早足で五分歩いただけで息が上がってきた。愛チャリに頼ってばかりいたが、今以上に恋しく思ったことはない。寒すぎて耳が痛い。

 急ぐこと十五分、ようやく糸崎家が見えてきた。三ヶ月前にお邪魔して以来だ。二階の部屋の灯りはどれも消えている。麗緒は門の中を覗いた。

「ない……」

 自転車は一台もなかった。嫌な予感が的中しませんように……と祈りながら、今度はニアマートへと踵を返す。

「あの、糸崎さん……オーナーのお嬢さんのもみじさんは……」

 深夜のニアマートは、大学生であろう地味目でニキビ面のお兄ちゃんがレジに立っていた。息を切らしている麗緒の気迫にちょっと驚いたのか、「えっと、えっと……」と目を泳がせている。

「えっと、もみじさんでしたら、僕と交代で七時に上がってますけど……」

「何時頃? 何時頃帰りました?」

「えっと、えっと、しばらく事務所にいたっぽいですけど、確か、えっと……九時くらいに帰ったと思います。慌てて出ていきました」

 緊張した面持ちのバイトくんは、「ところでどちらさまですか?」という表情。

「九時っ? ほんとに九時?」

「え、えっと、はい……。血相変えて自転車で」

 血の気が引いていくのを感じた。もみじは四時間も前に退勤していたのだ。しかも、自転車で帰った……。

「あのっ、どこかへ行くとか、予定が変わったとか言ってませんでした?」

 麗緒は上半身をカウンターに乗り出さんばかりの勢いで問い詰めた。バイトくんは完全にたじたじだ。見た目からするにコミュニケーション能力薄めながらもなんとか返答する。

「く、詳しくは知らないですけど……もみじさんと同じシフトだった女の子に『これから急いで帰ってチキン作るんだー』って話してたのは聞こえました……。相手とかどこへ行くとか、それ以上は知りません……。急いで帰って、って言ってたわりにはなかなか事務所から出てこないなぁって思ってましたけど……」

「オーナーは? 事務所に今います?」

「いえ、オーナーと奥様は、今日は近隣店舗で夜勤のはずですけど……」

 良からぬ妄想が脳裏を過ぎる。事故? 誘拐? 拉致監禁……?

「あり……がとうございました……」

 麗緒はさっきまでの気迫はどこへやらの顔面蒼白で麗を言った。なにがなんだかのバイトくんは「い、いえ……」とおろおろするばかり。何も買わずに退店していく麗緒の背中を見送った。

 麗緒は放心状態だった。もう、どこをどう探していいのか分からない。立ち止まって夜空を見上げた。澄んだ空には、お月様と冬の星座がいくつも輝いていた。

 仕方なくとぼとぼ家路につく。どうか帰っていて……という願いも虚しく、部屋は麗緒が飛び出したままだった。

 リビングでは、お腹いっぱいになったコジローが満足げに寝ていた。丸くなっていたダイアナが「どこ行ってたの?」と顔を上げた。額の三日月が、さっきの夜空を思い出させる。麗緒はダイアナを抱き上げ、その柔らかいグレーの毛並みに顔を埋めた。

「もみじさん……。早く来てよ……」

 麗緒は生まれて初めて、イブに独りでは寂しいのだと実感した……。

 いや、イブだからではないかもしれない。ダイアナがいても、コジローがいても、麗緒の心は寂しさと不安ではち切れそうだった……。




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