34ページ/暖かさの誘惑
八神麗緒は退勤後、学園前駅へと真っ直ぐチャリを飛ばした。
今夜はクリスマスイブ。麗緒だけでなく、生徒も教員もそそくさと学園を後にした。みんな今か今かと放課後を待っていたに違いない。
電車に揺られること数駅、目指したのは、ケーキを予約中の高級スイーツ店『ボナペティ』。
今までクリスマスを寂しいと思ったことのない麗緒も、この雰囲気は嫌いじゃなかった。むしろ無表情でせかせか歩いているだけの日常よりも、幸せのお裾分けをいただけているようで穏やかな気持ちになれる。
ボナペティの最寄り駅改札を過ぎたところで、スマホがピロンと鳴った。メッセージ通知音だ。もみじだろうか、とかじかむ手でスマホを取り出した。
『伊織:れおー! 例のモデルくん、退院した途端に連絡くれなくなったなって思ってたら、やっぱり彼女できたってよー! ちくしょー! やってらんねーよー!』
勤務中の伊織からのメッセージ。結局イケメンに弄ばれてただけという残酷な結末だったが、文面からするに伊織自身はそこまでへこんでいないと思われる。
しかし、伊織にイブを過ごす相手がいないということは、呼び出されるか押しかけられるかの可能性がある。しれっと『今日は夜勤?』と返したが、未だ既読になっていない。
二つの可能性のどちらかが現実となると……。麗緒はそれだけが気になってしまい、既読のつかないメッセージ画面をちょこちょこ確認した。七時を回った時点でまだ既読になっていない……。
もみじはそろそろ上がるはずだ。先にマンションへ行ってていいと伝えてある。人混みの先に目当てのスイーツ店が見えてきた。店の外までずらりと並んでいる。麗緒同様、退勤後にケーキを購入しに来た客たちだろう。予約しておいてよかった、と足を速める。
「あれ? 麗緒先生じゃん」
ハスキーボイスに顔を向ければ、コジローの拾い主である獅子倉茉莉花が最後尾で大きなお目々を見開いていた。麗緒は「おー、マリッカ!」と後ろに並んだ。
「偶然ッスね。先生もここ予約したんだ?」
さわやか系のメンズ香水の香りが漂う茉莉花は、ハイネックのセーターにボア付きのライダースジャケットを羽織り、耳元ではシルバーのリングピアスを輝かせている。ちらっと手元を見れば、シャープなリングが三つ。たかが十九歳なのに大人びて見えるな、とまじまじ観察してしまった。
もみじの話しによれば、茉莉花の父はアミューズメント系の事業やホテル経営をしているとのこと。金持ちばかりのお嬢様学園なのでさほど驚きはしないが、耳にしたことのあるテーマパークやホテル名を挙げられると、そのスケールに驚愕させられる。中性的なこんなチャラいやつでもかなりのご令嬢なのだと……。
当の本人は星花の服飾科卒業で、現在は大学でデザインと経営を学んでいるらしい。チャラいので王子様かというと首を捻りたいところだが、整ったルックスだけでいえば『女子校の王子様』の名はまあまあ頷ける。
「まあね。君のおかげですっかりここのとりこだよ」
「あぁ、モンブランか。もみじさんに聞きましたよ、洋酒効き過ぎたって。麗緒先生はお酒好きなんスね」
「そ! お酒もスイーツも大好きだから、あたしはここのケーキツボなんだ」
今日は洋酒抜きだけど……と内心物足りなさを感じてはいるが、今日のところはガマンガマン、と言い聞かせる。
「君は? 調べたらここ、『お酒に弱い人と未成年にはオススメ致しません』って書いてあったけど」
「兄ちゃんが好きで、ここのケーキは小さい頃から食べてたんで全然平気ッスよ。彼女の誕生日ケーキもここで買ったんスけど、彼女も気に入ってくれて」
「へぇ、最近の若いもんは……」
言いかけて飲み込む。アラサーの域に達してしまった今、この言葉は自分に重くのしかかるからだ。
人なつっこい茉莉花は、星花現役時代の話しや、聞いてもいないのに彼女のノロケ話などをぺらぺらと喋りだした。独りで並んでいてもスマホをいじるくらいなので、暇つぶしにはちょうどいい。
北風にさらされる中十五分、暖かい店内に入ってからも五分少々並び、やっと茉莉花に順番が回ってきた。店員がケーキボックスの中を見せ、商品の確認をしている。小ぶりなチョコレートケーキがホールで一つ入っていた。笑顔で頷いた茉莉花はカードで支払った。
「外で待ってますよ、先生」
茉莉花は小さなケーキボックスを片手に、ひらひらと手を振ってきた。駅まで一緒に帰るつもりなのだろうと察した麗緒は「あー、うん」と生返事。
「はい、八神様ですね。こちらでよろしかったですかぁ?」
「えぇ、大丈夫です」
先程小ぶりなホールケーキを目にしたばかりだからか、自分が注文したイチゴのデコレーションケーキにやたら迫力を感じた。大食いでも少食でもないもみじは、ケーキならどれだけ消化できるだろうか……。まぁ自分はいくらでも入るので、多少デカくても問題ないか、とクレジットカードを差し出した。
「お待たせー」
重厚感のある手動扉を押し開けると、北風がスカートの裾を揺らした。店内がとても暖かかった分、余計に寒さを感じる。
「おー、先生はデカいの注文したんスね!」
「あはは……。思ったよりデカかったよ。これじゃカゴには入らないや」
「えっ、まさか先生、ホールケーキをチャリのカゴに入れて持って帰るつもりだったんスか?」
「全然考えてなかった。学園前駅にチャリ止めてるんだ」
麗緒が苦笑すると茉莉花は一瞬後ろを振り向き、クイッと親指を駐車場へ向けた。
「よかったら送りましょうか? 今日は車なんで」
「え……」
麗緒は一瞬躊躇した。電車とチャリで帰るよりケーキが壊れる心配は少ないので有り難い。なにより暖かい。だが卒業生といえど、元星花の生徒だ。教員と生徒が二人きり、プライベートで同乗しているのはどうなのだろうか……。
この場合の正解が分からず悩んでいると、「ほらほら、遠慮せず」と背を押された。気持ちが楽なほうへ傾いてしまう。ケーキの安全と暖かさに負け、麗緒は茉莉花の真っ赤な愛車へ吸い込まれた。
「先生さ、恋人いるんスか?」
茉莉花がエンジンをかけながら、唐突に問うてきた。麗緒は助手席のシートベルトをかけようとして固まった。
「は?」
「だからさ、恋人。デカいホールケーキ買ってるくらいだから、友達とかと五・六人で食べんのかなーって思って」
これは生徒たちにもよく聞かれる話題だ。嘘の下手な麗緒はこんな時、お決まり文句でこう返す。
「内緒内緒! 女はちょっとミステリアスなくらいがちょうどいいのよ」
「えー、そうッスかぁ? うちの彼女なんか、分かりやすくてかわいいけどなぁ」
ひとまずスルー成功。車はゆるゆると駐車場を出た。
目の前はすぐに大通り。街のネオンに反射して、茉莉花のピアスがキラキラと光っている。日付が日付だけに車が多く、繁華街は道が混んでいる。のろのろ運転にも関わらず、茉莉花はご機嫌で鼻歌を歌い出した。きゃらいあ・まりーのクリスマスソングだ。
何気なく言われた言葉に引っかかった。分かりやすくてかわいい……? だとすると、もみじからしたら自分はかわいいもの扱いなのだろうか……? そっと、膝に乗せたケーキボックスに視線を落とす。
大通りを左折すると、徐々に道が空いてきた。以外と丁寧な運転をしながら、茉莉花は相変わらずぺらぺらとよく喋る。時に同調し時にツッコミ盛り上がっていると、いつの間にか学園前駅近くまで来ていた。
「先生んち、こっちで会ってますよね? 三ヶ月くらい前の記憶だから大体しか覚えてないッスけど」
「会ってるよ。ミニスキップの次の十字路を右ね」
「りょうかーい。あ、そうだ。今度コジローに会いに行っていいですか?」
「えー、ダメダメ。お子ちゃまの来るとこじゃないよ」
「あははっ、なんスかそれー! いいじゃないッスか。うちの彼女もずっと気になってたんで、今度一緒にお邪魔させてくださいよ」
つくづく人なつっこいやつだな、と苦笑する。だが、そのおかげでコジローとも出会えたのだ。そのコミュニケーション能力と彼女さん思いに免じて、いつか招待してやってもいいかな……と愛ネコたちの愛らしい顔を思い浮かべる。
「んー、まぁ考えておくよ。送ってもらった借りができちゃったからな」
「やった! 彼女、絶対喜びますんで約束ッスよ?」
「はいはい」
ゆっくりと車が止まる。びったり門の前だ。紳士的な計らいに感謝しつつ、「ありがとう」とドアを推し開けた。
「あっ、先生」
片足を地面に付けたところで茉莉花が呼び止めた。麗緒はケーキ片手に振り返る。
「メリークリスマス! 素敵な夜を過ごしてくださいね」
ウィンクをよこしてきた。生まれて初めてだ。そんなことをするのは、映画の中の人種だけだと思っていた。麗緒はさらっと受け流すことにし、軽く手を上げた。
「メリークリスマス。君もね。今日はほんとにありがとう。気を付けて」
「いえいえ、足が必要だったらいつでも呼んでくださいね」
バタンとドアを閉め、窓越しに手を振る。真っ赤な車のテールランプが小さくなっていった。明日はちょっと早起きしてチャリを迎えに行かなきゃな、ともみじの待つエントランスを抜けた。




