33ページ/楽しみがゆえに
八神麗緒は、マフラーを鼻までたくし上げた。
師走の十六時。すっかり冬の星座が並んで見える。とっぷりと暮れた校外は北風が厳しく麗緒を迎えた。
「さっぶ!」
思わずぶるっと身震い。コートのポケットに突っ込んでおいた手袋を急いではめた。
教職員用駐輪場に止めた赤い愛チャリを推し、こんな時、自動車通勤の先生はいいな……と、駐車場を羨ましく横目で一瞥する。軽自動車から高級車までずらりと並び、こっちを向いている。期末テストの採点で残っている教員のものだろう。
校門を目指し推し歩いていると「やがみん、さよならー!」と生徒たちが追い越して行った。
「こらこら、やがみんじゃないだろー? 気を付けてなー」
生徒たちはプリーツスカートを翻し「はーい」と手を振りながら駆けていく。お決まりのツッコミを笑顔で返し、そういえば自分も高校生の時はあのくらい短いスカートを穿いていたのに、いつからか寒さと羞恥心で穿けなくなってしまったなぁ……なんて思いに深ける。
今夜はバイトくんのシフトの関係で、もみじは二十二時まで仕事だ。夕飯はチャーシュー肉まんをつまみにするか、もしくは独りキムチ鍋でもするか悩む。悩みながらも、自然と足はニアマートへ向かっていた。
「いらっしゃいま……あっ、麗緒さ……先生! お疲れ様です。『とびきりチャーシュー肉まん』、今蒸し立てですよー」
なぜ分かった? と一瞬固まった麗緒。もみじは品出しの手を止め、立ち上がった。
「お、お疲れ様です。じゃあせっかくだからそれもらおうかな?」
「せっかくだから、って……麗緒先生? バレバレですよ?」
うふふっ、と得意気に目を細めるもみじ。記憶力&観察力抜群のもみじvs鈍感&分かりやすさ抜群の麗緒の戦いは、常にもみじの勝利である。
「明後日発売ですよーって教えた時の麗緒先生、『絶対明後日食べる!』って言わんばかりのお目々キラキラでしたもん。絶対買いに来てくれると思ってました」
「や、やめてくださいっ。そうやってあたしのこと見透かすのー!」
「見透かしてるわけじゃありませんよ? 麗緒先生が分かりやすすぎるんです。あっ、こちらへどうぞー」
たじたじな麗緒をさておき、もみじはそそくさとレジへ戻って行った。「あと、ニアチキ一つね」と小銭をじゃらつかせるおっちゃん客に「かしこまりましたー」と笑顔で接している。後ろにもう一人おっちゃんが並んだ。
その間に麗緒は店内をぐるりとし、コジローの好物の鳥ササミと、ダイアナの好物のカニカマを手に取った。こたつで食べると最高に贅沢な気持ちになるアイスコーナーも覗き、期間限定と書かれた『星見だいふく』のプリン味に心踊らす。
「うふふ、これも買うと思ってました」
商品をカウンターへ並べるや否や、もみじはまたも嬉しそうに笑う。そこまで単純か? と麗緒は恥ずかしささえ覚えた。
「勘弁してくださいよぉ。まるであたしが脳みそだだ漏れで歩いてるみたいじゃないですかぁ」
麗緒がぽりぽりとこめかみをかくと、もみじはふふっと一つ笑った。これ以上からかったら可愛そうかな、と思ったのだろう。
ふと、レジ横のポップが目に入った。
クリスマスケーキの予約についてのポップだった。全国的チェーン展開している洋菓子店『不三屋』とニアマートがコラボしているケーキらしい。コンビニスイーツも馬鹿に出来ない昨今だし、不三屋とのコラボなら絶品間違いなしだ。めちゃめちゃおいしそうだ。
「麗緒さん?」
もみじがカウンター越しに顔を近付け、囁いてきた。ハッとして振り返る。
「お、おいしそうなんて思ってないですよ!」
「えー、失礼ですね。ニアマートのスイーツがおいしくないって言うんですかー?」
ぐぅっと喉の奥で変な音がした。わざとらしいツッコミをしたもみじは嬉しそうだ。またも見抜かれてしまった。そして返す言葉がない。
しゃべってもしゃべらなくても見抜かれてしまう……。唇を尖らす。黙って決済アプリを開いた。もみじはしばらく麗緒を観察していたようだったが、そのうち黙ってスキャンした。
「私、クリスマス楽しみにしてますから……」
ショッピングバッグに商品を詰めながら、もみじは小さく呟いた。改まって何を……と顔を上げたが、もみじはチャーシュー肉まんに視線を落としていた。
「あたしも楽しみにしてますよ? 心配しなくても、例のケーキは注文済みですし」
「ありがとうございます、麗緒さん……」
ぽんっと温かい袋を手渡された。冷えた指先に心地よい。急に切なげな表情になったもみじがなんだか心配になった。
「もみじさん、何かありました?」
麗緒が覗き込んでも、もみじは小さく首を振るだけ。最近は喜怒哀楽をはっきり見せるもみじだが、こんな時自分の鈍感さが本当に歯がゆい……。
「約束、破ったりしませんよ。ちゃんとケーキとチキン用意して待ってますから心配しないで? ダイアナもコジローも楽しみにしてます」
言いながらショッピングバッグを肩にかけ、ほかほかの肉まんは通勤用バッグに入れた。
「ごめんなさい……。私すっごく楽しみにしてるのに、麗緒さんをからかって怒らせるようなことして……」
しゅんと肩を落とすもみじを見て、麗緒は一瞬きょとんとなる。そして吹き出した。誤解もいいとこな原因だったので、いくらなんでも分かるわけがない。
「怒ってなんかいないですよぉ! あたしこそ、そういう風に見えたんならごめんなさい。怒ってないし絶交もしないし、クリスマス一緒に過ごしましょ?」
優しく語りかけると、もみじはぱぁっと笑顔を取り戻した。今日一番の笑顔だ。小さな子供のようにクリスマスを楽しみにしているもみじがかわいくて、麗緒もうんうんと笑顔になる。
「あー、やがみん見ーっけ。いけないんだぁ、かわいいお姉さんとこそこそ内緒話ししてー」
「お? まさか、保健医が校外で保健の授業かー? やらしいなぁ」
ニヤついた声に振り返ると、仲良くお手々を繋いだ生徒が近寄ってきた。ソフトボール部のダブルエース、忍と麗だ。部活の帰りなのだろうが、校内外構わず一緒らしい。
小声だったので二人に内容まで聞こえているはずはない。こそこそ話していれば怪しまれるのは仕方ないが……。
「おいおい、やらしい発想してるのはどっちだ? お前らのそういう回転はテストに活かしなさい」
「残念ながらやがみん、俺らは成績も特に問題ないぜ」
忍が勝ち誇った顔をする。麗緒はやれやれとため息をついた。青春真っ盛りの女子たちは、すぐに恋愛に結びつける。もみじがおおっぴらに『麗緒さん』と呼ばないのはそのせいだ。
「そーかそーか、文武両道でよろしい! んじゃ先生はお先に失礼するよ」
「えー、おごってくれないのかよー」
「あははっ、バカタレ。あたしが二人におごったら、生徒全員におごらなきゃいけなくなるだろーが」
おやつは分け与えても、切りがないのでおごるわけにはいかない。麗緒はしつこくせがまれる前にすたこらと退散することにした。
「ちぇー。ところでやがみんは何買ったわけ?」
「ふふん、今日発売のチャーシュー肉まんだ! 今なら蒸かし立てだぞ?」
得意気に宣伝する麗緒に、忍と麗は若干呆れ顔で興味なさそうに「へー」とハモった。
すっかり店員モードに切り替わったもみじが「ありがとうございましたー」と麗緒に手を振った。麗緒も小さく片手を上げる。
自動扉を抜けると、再び北風が麗緒を包む。どこかで暖を取っているのか、いつものにゃんこらの姿はない。うちの子たちにも早く暖房を点けてやらねば、と愛チャリに跨がった。
ペダルをこぎながら思う。もみじの意外な変貌は、クリスマスを楽しみにしすぎるがゆえの不安なのだろう。
時に年上のように、時に妹のように感情をさらけ出すもみじのしゅんとした顔が忘れられず、「任せなさいって」と張り切る麗緒だった。




