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31ページ/妹

 

 糸崎もみじは、むにっと頭を推されたような感覚で目が覚めた。

 摩ってみた。特に何も乗っていない。何だったのだろう……と、ゆっくり瞼を押し上げる。

 お尻が痛い。前腕にはすべすべのシーツの感触。床に座ったまま、ベッドに突っ伏して寝てしまっていたようだ。重い頭をのっそり持ち上げた。

「こーら、ダメでしょーが」

 背後からぼそぼそと声がする。麗緒の声だ。低血圧で立ち上がりの悪い脳みそをフル回転させ、昨晩の出来事を思い出した。

 麗美が去った後、麗緒が泣き止むまでずっとそばにいた。落ち着いたかなと思えばすぐにべそべそしだし、今度こそ泣き止んだかと思えばすぐにぽろぽろ涙を流す……。

 それを何度繰り返しただろう……? 気付けば四時間が経っていた。もみじは寄り添う覚悟を決め、『今日は麗緒先生のおうちにお泊まりします』と母に連絡を入れ、軟体動物のようにぐにゃぐにゃと足腰の立たない麗緒を浴室へ引きずった。

 二人とも服を着たままで、麗緒の頭からシャワーを豪快にかけた。メイク落としも洗顔もシャンプーも全てもみじが介助してやった

 。この人は頑張りすぎなのだ。いつも人目を気にしてばかりで、気合いだけで塗り固めた鎧を解いた時だけしか心安まらないのだ。早く自然態に戻してやりたかった。解放してやりたかった。もみじは黙々と洗い流してやった。

 浴槽にもたれ、ぐったりとしていた麗緒だったが、四時間越しに呟いた言葉は「もみじさんもびしょびしょじゃない……」だった。この人はやっぱり自分のことより他人を気遣ってしまうのだな……ともみじは切なくなった。

 麗緒のブラウスはびしょびしょで肌に貼り付いていた。さすがに服までひん剥いて身体を洗ってやるわけにもいかないので、「身体は自分で洗ってくださいね」と浴室を出た。

 もみじもびしょ濡れになってしまった服を脱ぎ、ダイアナが見守る中クローゼットを物色し、二人分のバスタオルとパジャマ代わりになりそうな服を勝手に拝借した。

 自我の戻りつつある麗緒が「自分で乾かします」と断ってきたが、もみじは容赦なくわしゃわしゃとドライヤーをかけてやった。途中諦めたのか泣き疲れたからか、麗緒がうとうとしだしたのでベッドへ促した。

 その後、もみじは急いでシャワーから出てきたが、麗緒はベッドですっかり寝息を立てていた。一安心したもみじを空腹が襲ってきたので、ニアマートで購入してきたプリンアラモードを一つ食し、もう一つはコンロのミネストローネとシーザーサラダと共に冷蔵庫へ締まった。

 リビングのソファで寝ようかな、とも思ったのだが、麗緒が目を覚ました時に側にいてやりたかった気持ちのほうが上回り、もみじはベッドサイドで見守ることにした。

 そしていつの間にか眠ってしまっていたようだ。身体を起こすと肩からはらりと毛布が落ちた。麗緒がかけてくれたのだろう。キッチンへと続く扉が少し開いている。コジローがお目々をキラキラさせて駆寄ってきた。

「おはよう、コジロー」

 膝にジャンプしてきた。さっき頭を押された気がしたのは、多分走り回っていたコジローに踏まれたのだ。ご主人でもないのにとても懐いてくれるのでかわいくて仕方ない。「めっ!」と言いながらも、ついなでなでしてしまう。

「もみじさん、起きた?」

 寝室の扉の隙間から麗緒が覗いた。髪をバレッタで巻き上げ、黒縁メガネに上下お揃いのジャージというラフバージョンだった。声が若干枯れている気がする。

「ごめんなさい。私ったら、今度は麗緒先生のお宅で寝ちゃいましたね」

「謝るのはこっちですよ。できれば忘れてほしいけど……」

 片手におたまを持ったまま、麗緒はばつが悪そうにぽりぽりとこめかみをかいた。忘れてあげたいのは山々なのだが、あいにくもみじの記憶力のよさではリセットするのが難しい……。

「お腹空きませんか? 朝からパスタは重いでしょうから、カルボナーラ用に買っといたタマゴとベーコンでベーコンエッグでも作りますよ。今スープ温め直しますんで」

 くるりとキッチンへ戻ろうとした麗緒からおたまを奪い、もみじはふふんと鼻を鳴らした。

「ベーコンエッグは得意です。私に任せて、麗緒さんは座っててください」

「えっ、でも……」

「いいからいいからぁ」

 もみじはにこにこしながらおたまで「しっしっ」と麗緒をキッチンから追い出す。しぶしぶ引き下がった麗緒だったが、「んじゃ、トーストだけ」と言って、トースターに食パンを二枚入れ、ソファに座った。だが、やはり落ち着かないらしく、何度もそわそわとキッチンを覗いていた。

「麗緒さんは、目玉焼きならお醤油派? 塩こしょう派?」

「うーん、ベーコンエッグなら塩こしょうだけど、目玉焼きなら醤油かなぁ。もみじさんは?」

「私もです。気が合いますね、麗緒さん」

 振り返ると、麗緒はようやく気付いたようで「……さん?」と呟いた。

「『もみじ』でいいですよ。麗緒さん」

「あ、いやぁ……別にあたしはさん付けでも呼び捨てでもなんでもいいんですけど、もみじさんを急に呼び捨てにするのはちょっと……」

 照れたように笑うので、この人は本当に不器用なんだな……とくすぐったくなった。

 香ばしいベーコンの香りで胃が刺激される。温めたミネストローネとベーコンエッグをお盆に乗せ、麗緒の待つリビングへと運んだ。

「あの……昨日はほんとごめんなさい……」

 箸を手渡したところで、麗緒は徐に頭を下げだした。

「昨日? 何の話しでしたっけ? よく分からないこと言ってないでいただきましょうよ」

 ついさっき、忘れろと言ったのは自分じゃないか……と、もみじは内心苦笑していた。だが一向に頭を上げようとしないので、さすがにもみじも箸を置き向き直った。

「それと、ありがとうございました……。おかげで目が覚めた。もみじさんがいてくれなかったら、あたし本当にあの女を……」

「麗緒さん」

 もみじは麗緒の頬に両手を添え、頭を上げさせた。

「謝るのは私もです。あの方が麗緒さんに対してあんな酷いことを言う人とは知らずに、一時は麗緒さんを悪者扱いしちゃいましたもん」

「そんなことはいいんです。もみじさんは何も悪くない。醜い姉妹喧嘩に巻き込んだあげく、シャワーまで入れてもらっちゃって……。みっともないったらありゃしないですよ……」

 麗緒の表情が、また曇りだした。

「妹ですから。麗緒さんのお世話して当然じゃないですか」

 けろっと言い流すと、麗緒は一瞬間を置き目を丸くした。背後でトースターがチーンと鳴った。

「……妹?」

「はい! 私、麗緒さんの妹になることにしました。だから『麗緒さん』でもいいですよね?」

 本当は『お姉ちゃん』と呼びたかった。だが、麗緒にとってブロークンワードにもなりかねないその代名詞は使わないことにした。

「……あの、もみじさん? 妹はさん付けもしないし、敬語も使わないと思うんですけど……」

 ごもっともなツッコミだ。もみじもその違和感には気付いている。だが言い出したものの、さすがに急にタメ語にするには抵抗があるので、開き直って押し通すことにした。

「いいんですーぅ! 麗緒さんの妹になったんで、今度からちょくちょくお邪魔するし、麗緒さんがダメダメな時は私が支えるんですーぅ! 何か文句ありますかー?」

 もみじは唇を尖らせ、ずずいっと詰め寄る。

「……文句はないけど、ツッコミたいとこはいっぱいありますねぇ……?」

 初めはたじろいでいた麗緒も、満更でもない笑顔になった。それを見て、もみじもにっこりと微笑む。

「食べましょ? 冷めちゃいます。デザートには、ニアマート新作のプリンアラモードもありますよ?」

「ありがとう、もみじさ……もみじ」

 おー? と言いながらもみじが覗き込むと、麗緒はすかさず目を逸らし「いっただっきまーす!」と合掌した。ダイアナは麗緒の膝に、コジローはもみじの膝にそれぞれ丸くなる。

 午前七時。今日は二人ともオフだ。マスクを外した自分と、ラフなスタイルを恥じなくなった麗緒。気の抜ける関係が心地よい。

 今日はこのまま二人と二匹でごろごろする休日もいいな……と、トーストにかじりつく麗緒の横顔を眺めるもみじだった。

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