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女子校保健医さんの百合カルテ  作者: 芝井流歌


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29ページ/訪問者

 



 八神麗緒は親馬鹿を自覚していた。

 マロ眉にゃんこを引き取って一ヶ月が過ぎた。順調にすくすく育っている。

 ダイアナのおちび時代も相当かわいかったが、やはりおちびは無邪気でかわいい。手をやくことがあっても、その愛くるしさで帳消しにしてしまう。すっかりお姉さん役が板についたダイアナと二人並んでいると、もだえてしまうほどの破壊力だ。

 毎日終業が待ち遠しかった。暇さえあれば、自ら撮影した動画や写真を眺めて「うちの子、サイコー!」とにんまり。

 保健室に来た生徒には「特別だぞ?」と頼まれてもいないのに動画を見せ、職員室では「どうですか? うちの子ー」と見せびらかし、かわいいの奇声をもらっては、ふふふーんとご満悦する麗緒だった。

 名付けるのに二日間悩んだ。まず、マロ眉が平安情緒を連想させるので、和風な名前がいいと決めていた。次に、ダイアナが長女だとすると弟に当たるので『次郎』は付けたかった。そして、常に元気いっぱい駆けずり回ってご飯ももりもり食べるので、将来を見越し『虎』を入れることにした。

 ということで『コジロー』と名付けた。

 ちなみに麗緒はカタカナで書くと『レオ』。にゃんこもライオンも虎も、みんな仲間ということでぴったりだなと自画自賛している。

 さっそくもみじに報告したところ、彼女も大賛成してくれた。拾い主である謎のバイク青年もとい、獅子倉茉莉花も『獅子』と入っているのでお仲間ですね、ともみじに感心されたが、正直麗緒はそこまで考えてはいなかった。

 今夜はもみじがコジローに会いに来る約束をしている。元々片付けはマメでない麗緒も、さすがに最近はコジローが駆け回るので、なるべく片付けるようにしている。なんせまだちびすけなので、誤飲や骨折しないか心配なのだ。もみじが来るというのもあり、麗緒は朝から掃除機までかけてきた。

 約束は十九時。猛ダッシュで帰宅し「ただいまー」と玄関を開ければ、ダイアナとコジローは仲良くお出迎えしてくれた。初日こそ『誰っ!』という顔をしていたダイアナも、二日目からはすっかり仲良し姉弟だ。

 二人と遊びたいのをぐっと堪え、先に夕食の支度をする。そうは言っても、手っ取り早く簡単なパスタだ。麗緒の好物のシーザーサラダとミネストローネも急いで用意する。

 パスタはお湯だけ沸かしておいて、もみじが来てからゆでようかなーと時計を見上げたところでインターホンが鳴った。五分前だった。「はーい」と陽気にモニターを覗いた。

『助けてっ! 麗緒!』

 麗緒の全身に鳥肌が立った。もみじではなかった。エントランス前のモニターに映っていたのは、麗緒の気分を180度変える存在、姉の麗美だった。

『麗緒! いるんでしょ? 助けてっ! 早く開けてっ!』

「な、なに……? なんで……」

『いいから早くっ! わけは後で話すからっ! あいつが来ちゃう!』

 オートロックゆえに叩いても開くはずのないエントランスの扉を、姉の麗美はドンドンとものすごい音を立て叩いている。髪を振り乱し目も血走っているので、さながら昔話に出てくる鬼ババアのようだ。

 招かざる訪問者に、麗緒の指がロック解除ボタンから離れた。モニターには相変わらず繰り返し『開けて!』という悲痛な叫びを上げる鬼ババアの姿。

 あいつとは誰だ? どうせまた男ともめて逃げて来たのだろう。見え見えだ。いつものことだ。自業自得だ。誰が開けてやるものか、と諦めてくれるのを黙って待った。

 しかし、鬼ババアに諦める様子はない。これでは近所迷惑だ。自分も心を鬼にしてモニターを切ろうとしたのだが、指がなかなかいうことを効かない。自分を呼ぶ姉の声が、麗緒の優しさが、甘さが、弱さが、モニターを切ることを躊躇っている。

 姉の肩越しにもみじの姿が見えた。マスクの上の大きなアーモンドアイを更に大きくして驚いている。麗緒の名を呼ぶ鬼ババアの姿を見て固まった。

 最悪だ。姉は男に追われているはずだ。あれだけ騒いでいれば、ここにいると知らせているようなものではないか。頭のおかしい姉を追いかけてくる頭のおかしい男が来てしまったら……。

「もみじさん、悪いけど帰ってっ!」

 麗緒は叫んだ。姉越しに見えるもみじの肩がびくんと跳ねた。なにがなんだか理解できないもみじがおろおろしているうち、背後に気付いた姉がぎろりと振り返った。

『麗緒のお友達?』

『は、はい……』

『麗緒の姉なの! 麗緒が入れてくれないの! あなたからも頼んで! 怖い人に追われているのよ!』

『え……!』

 もみじの視線が、インターホンのカメラに向く。姉妹の関係も姉の男癖も知らない視線が『助けてあげて!』と訴えてくる。

 当然だ。もみじはここで麗緒に助けられている。自分を助けて姉を助けない理由など、もみじが知るよしもないのだ。

 仕方ない……と麗緒はロック解除ボタンを押した。「早く」とだけ告げてモニターを切った。

 タイミングが悪すぎる……。麗緒の手は怒りで震えていた。

 どこまで妹の邪魔をすれば気が済むのだろう。自分はただ、誰とも比べられず、平穏に生きていきたいだけなのに……。

 麗緒はぐしゃぐしゃと頭をかき、玄関へ向かった。長い髪が数本、指の隙間からはらりと落ちて行った。何も知らないコジローが、背後で無邪気に駆けずり回っていた。

 モニターを切って数十秒、急ぎ足の二人の足音が近付いてきた。いつもより重く感じる扉を開け、招いた客と招かざる客を部屋へ通した。

「ありがとう、麗緒ぉ! 怖かったぁ!」

 ピンヒールを脱ぎ捨てるや否や、麗美が抱きついてきた。妹の鳥肌になど気付かない姉が、耳元でわんわん泣きだした。甘ったるい香水のニオイが鼻につく。

「あの、大丈夫ですか? お姉さん……。怖かったですよね。もう大丈夫ですよ……?」

 心から心配するもみじも泣きそうだ。自分と重なったのだろう。セミのようにくっついたままの麗美の背をさすってやっている。姉の涙を見ても動じない麗緒は、自分こそ鬼ババアなのではないかと錯覚してしまいそうだった。

 自業自得なのだから、痛い目をみればよかったのに……などと思ってしまう自分のほうが鬼なのではないかと……。

「麗緒先生、お水をいただいていいですか? お姉さんに……」

 顔を強ばらせたままの麗緒が動かないので、もみじは二人の横を抜け、キッチンの水切りカゴからコップを取り出した。ストックされたミネラルウォーターをとくとくと注ぎ「お姉さん、どうぞ?」と差し出す。

「あ、あり……ありがと……」

 麗美はやっと離れ、ぐすぐすと鼻をすすってからコップに口を付けた。アイラインが少し崩れている。実際に泣いてはいるようだ。だが、麗緒にはどうしても偽りの涙にしか見えなかった。

 麗緒が以前したように、もみじが麗美をソファへと促した。もみじが泣きながら訪れた夜のように……。

 違うんだよ、もみじさん……。そいつは……。

 ここにはいてほしくない人なんだ……。

 玄関で一歩も動かず突っ立ったままの麗緒を一瞥したもみじが怪訝な表情をした。『お姉さんが危ない目にあっていたのに……』と、ロックを解除しなかったことに対する不信感を向ける目だ。

 麗緒は慰め続けるもみじの声に背を向け、スカートの裾をぎゅっと握った。ダイアナが足元に来た。この子だけが知っている。この子だけは分かっている。姉と妹の確執を……。








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