21ページ/難題
八神麗緒は謎ビールを飲み干した。
「麗緒ぉ、初めての店ではやめなよー。あのネズミ顔の店員さん、目かっぴらいて見てたよ?」
「いーじゃんか。ビール一杯飲むのに、もれなくジュースも頼んでるんだぞ? それにしても串揚げにはやっぱビールよねぇ。あっ、お兄さん、リンゴジュースと中生追加で。あと、すいませんけど空のグラス、一つお願いします。伊織は?」
呆れ顔の友人は「んじゃ私はレモンサワー」と片手を上げた。ネズミ顔の青年が「かしこまりましたー」と空のジョッキを下げていく。厨房に立つおやっさんに瓜二つだ。家族経営なのだろう。
伊織から連絡があったのは、もみじと出かけた晩。戦利品のスイーツを並べ、さてどれから食べようかと目を輝かせていた最中だった。明日会えない? と早口で問われ、こりゃまた何かあったのだろうと察する。途端、受話口からナースコールが響いたので了解とだけ告げると通話が切れた。
どこで何時に待ち合わせかは任せる、とだけメッセージで送り、賞味期限の短いものから頬張っていると、数時間後に『こないだうまい串揚げ屋見つけたよ! 十九時でよい?』と来たのでオッケースタンプをぺたり。
待ち合わせたのは初めて降りた駅の初めて入った『くし友』という串揚げ屋。気取らない店構えがやけに落ち着く。おっちゃんズと外国人労働者らしき客ばかりで二十代の教員とナースが浮きまくっているが、麗緒はむしろ若者だらけのこじゃれた店より気に入った。
「んで? 急に呼び出すなんて、元彼と何かあったわけ?」
「ちっがーうわよ! あんなクソキモジジイ、別れてから何回も連絡よこしてきたけど、ぜーんぶ無視してやった」
チーズ串に雑にかぶりつき、ワイルドに串を引っこ抜く伊織。その姿はまるで骨付き巨大肉にかぶりつく原始人のようだ。もしゃもしゃごくんと嚥下し、串入れにカランと放り込む。
「クソキモジジイの話しじゃないの。実はさ、先週入院してきた患者さんなんだけどさぁ……」
色白ポッチャリでマシュマロのような伊織が、にたーっと頬を緩ました。さっきまでの原始人とは思えないノロケ顔だ。麗緒はその表情でなんとなく察する。
「イケメンでも入って来たわけ? あんたねぇ、先月別れたばっかなのに、よくそんな早く次の男に……」
「イケメンどころの騒ぎじゃないのよ! モデルよ、モ・デ・ル。それがさぁ、私が病室に行く度にさぁ、にっこり笑ってさぁ、めっちゃ嬉しそうにしてくれるのよぉ」
言って両手を頬に当てる。ザルもいいとこで酒じゃ顔色一つ変えない伊織だが、今は耳まで真っ赤っかだ。いちごマシュマロだ。すっかり恋する乙女ちゃんである。
いくら友人といえど、患者の個人情報は口外してはならない。興味もないので、麗緒はモデルの名前すら聞く気はないし、聞いたところで男性モデルなど一人も知らない。
「後輩に言われちゃったのよ。私が欠勤の日は『今日は秋里さんは?』って聞いてくるんだってぇ。これってさぁ、もしかしてさぁ、私にさぁ……」
くねくねと身体を捩らせるいちごマシュマロの話をぶった切るように「おまたせしましたー」とサワーグラスが置かれる。続いて麗緒の前にもジョッキとグラスが並べられた。
初恋少女のような友人の仕草に恥ずかしさを覚えた麗緒だったが、ネズミ顔の店員はさっさと厨房へ戻っていった。客の話が耳に入るほど暇ではないのだろう。
「でねでね、私が昨日点滴交換に行った時ね、誘われちゃったのーぉ!」
間延びがキモいぞ、とツッコミたいのをぐっと答え「どこへ?」と尋ねる。それが伊織の求める返しだからだ。
「退院したらデートしてくれませんかってー! 連絡先も聞かれちゃってさぁ! ねぇ麗緒、どう思うー?」
「どうって……」
ぶっちゃけどうもこうもない。誰がどう聞いても軽い男に間違いないではないか。
先週入院してきたということは、出会ってまだ一週間も経っていないということだ。ひいき目に見て並み中の並みな伊織に一目惚れしたとしても、そんな短期間でデートに誘うなどチャラすぎる。
「まぁ退院はまだまだなんだけどさ、モデルとデートなんてどういうとこ行ったらいいのかなぁ? 普通に遊園地だの水族館だの居酒屋だのは行かれないっしょー?」
「知らんけど、とりあえずそのモデルって有名な人なわけ?」
「うーん、私も後輩に言われるまで知らなかったんだけどね。でも、その界隈ではわりと人気みたいよ?」
「へぇ、その人気モデルさんに見初められちゃって、伊織も隅におけないねぇ」
今度はおちょぼ口でかじりつき、「んふっ」と清楚ぶる伊織。分かりやすすぎる。麗緒はその変わりようがおかしくて、ついいじりたくなってしまう。
芸能人に疎い麗緒にとっては、星花在学中のアイドルも女優もただの生徒だ。先輩教員に知らされて、ようやく「へー、有名なんだ?」程度である。
「自分で言うのもなんだけどさ、別れたクソキモジジイにカワイイカワイイされてたから、トキメキなんてここ何年も味わってなかったのよ。それが、『秋里さん、また後で来てくれる?』なーんて手ぇ握られてごらんよー!」
言って、伊織は「八神さん、また後で来てくれる?」と、ジョッキに延ばした麗緒の右手を両手で包む。似てるんだか似てないんだか判定不能だが、イケボのものまねつきだ。
「ぶはっ! なにそのベタなシチュ。ドラマの見過ぎじゃないのー?」
「言ったな! 実際やられてごらんよ。トキメかない女なんていないっつーの。いくらガードの堅そうな麗緒でも……あれ?」
伊織の視線が麗緒の右手の薬指で止まった。
「かわいい! 麗緒が指輪なんかしてんの、珍しいじゃん」
「あ、あぁこれは……うん。まぁたまにはね」
なんとなく目が泳いでしまった。案の定「へーぇ?」と伊織が片方だけ口角を上げる。色恋沙汰に敏感な友人だけに、すぐ結びつけようとするところが面倒くさい。麗緒はサッと右手を引き、リンゴジュース割りビールを呷った。
「麗緒もついに色気づいたかぁ? それとも何? いい人できたわけー? 水くさいじゃん、私に報告もなしー?」
「違うっつーの。これはその……友達ってゆーか知り合いってゆーか、とにかく貰ったのは女性。『かわいいからお揃いで』ってくれただけよ」
「お揃いー? ふーん、かわいいってだけでお揃い、ねぇ……」
自分の話より麗緒の指輪事情にスイッチが切り替わってしまった伊織が、しげしげと覗き込んでくる。
「な、何? 意味深なにたにたやめてよねー。あの子はそういうんじゃないわよ」
「あの子? 年下なんだ? うんうん、麗緒は面倒見いいから年下がお似合いかもねぇ。そういえば大学の時にいたよね、レズカップル。学部的に女子が多かったし。採血の実習で気絶しちゃった子と、介抱してあげた子がくっついたとかなんとか」
言われて記憶をほじくり返す。必死に勉強して今度こそ勝ち取った主席。麗緒が完全に勉強以外見えなかった側で、まぁそういう噂があったようななかったような……。
「珍しい話しじゃないよ。あたしが高校ん時もいたし、今の職場でもそういう生徒はいる。でも、あたしはそーゆーんじゃなくて……」
「いーよいーよ! 麗緒にはむしろ、男性より女性のパートナーのほうがいーよ! 麗緒って自立心が強いしさ、そういう女って男からはかわいくみえないわけよ。でも気が利くし優しいしさっぱりしてるし、そういう紳士な女性は女性と結ばれるべきなの。言ってる意味分かるー?」
「な、なんで指輪もらっただけでそうなるのよ。あたしは別に恋愛感情とかないからね?」
麗緒はただ、ペアリングが嬉しかっただけだ。友人たちがアクセサリーだのバッグだのを恋人からもらって嬉しがっていたように、ただ純粋にお揃いの指輪をもらったことが嬉しかっただけなのだ。
青春時代に寄り道もオシャレもしたことがない。昨日○○ちゃんとどこに行った、一緒に何を買った、と同級生たちの話をいつも羨ましく聞いてた麗緒にとって、友人とお揃いの物を身につけることは高校時代からの憧れだったのだ。
お互い敬語だし、もみじとはまだ友人とすら位置づけていいのか分からない。まだまだ腹を割って話せる間ではないし、お互い知らないことが多すぎる。
それでも、また昨日のように一緒に出かけたいな、と思っているのは本音だ。
「はぁー……。麗緒って相変わらず鈍感なのね。小児科のモヤシっこ先生があんたに気があったの気付いてなかったし。中高生患者たちからも結構人気あったのにさぁ」
モヤシっ子先生とは、麗緒が小児科勤務の際に研修医だったドクターである。本名は『林』だが、色白で細身なことから陰で『モヤシ』と呼ばれている。傍らからすればどう見ても麗緒に好意を寄せていたのだが、知らぬはウルトラ鈍感な麗緒本人だけだった。
「モヤシ先生と患者を一緒にすんなっつーの」
「そりゃそうだけどさ、もっと相手の気持ちと向き合いなよって言いたいの。その年下ちゃんが、どういう気持ちで指輪をくれたか考えたわけ?」
「そりゃぁ……」
全く、考えてない。
「ほらっ、考えてないっしょ? ちゃんと意識してあげなきゃダメだよ、年下ちゃんのこと。思わせぶりな態度で、知らない間に傷付けたくなかったらね」
呼び出した本題はどこへやらのお説教タイム突入だ。伊織は妄想力豊かだなぁ、なんて呑気にジョッキを握る。指輪がカチンと鳴った。昨日、プレゼントしてくれた時のもみじの顔を思い出す。確かに頬は赤らめていたが……。
あたしに気がある? 全くそう感じられないのは、自分が恐ろしく鈍感だからなのか……?
しかし万が一そうだったとして、気付かぬうちにもみじを傷付けてしまうのはイヤだ。
麗緒は唸る。意識するべきか、せぬべきか……。
肉厚な串カツにかぶりつき、難題に眉を寄せる麗緒だった。




