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糸崎もみじは話を逸らされたことに気付いた。
「んー、やっぱもみじさんは暗い色より明るい色のほうが似合うかな……」
ぶつぶつと独り言をつぶやき、麗緒は再び服を宛てがい始めた。数秒の間が空いたことから、どう返答しようか考えていたようだったが、麗緒が明らかに姉の話題をぶった切ったことに間違いはない。
地雷を踏んでしまっただろうか? 察せないもみじではない。いや、今のリアクションなら、どんなKYでも察するだろう。ごまかしがとんでもなく下手な不器用か、もしくはあえてわざと触れてくれるなとアピールされたか……。
麗緒が黙々と服選びに没頭し続けるので、もみじもそれ以上考えないことにした。せっかくの好意だ。自分だって新鮮な買い物を楽しみたい。純粋な疑問は奥底に押し込み、本日限定の『麗緒姉ちゃん』を、自分の中だけで味わうことにした。
フィッティングルームにて着せ替え人形のようにあれこれ厳選されること数十分。最終的に麗緒姉ちゃんチョイスのブラウスとカーディガンが決定した。「ここで待っていてください」とレジから離れたところで待たされたのだが、微かに聞こえてきた金額は一万を優に超えていた。恐縮してしまう。
「ありがとうございます。でも、本当にいいんですか? こんな素敵な物を……」
「もちろん。考えたら唐揚げもクレープもパフェも焼きそばもゴチになってたんで、こちらこそありがとうですよ」
「いえいえ、あんなの……」
二千円でお釣りがきます、とまでは言わずにおく。そして今回の紳士ポイントも黙っておく。恐縮しつつも「ありがとうございます」と深々頭を下げ受け取った。麗緒も満足げに頷いた。
「もみじさん、これ」
エレベーターホールに辿り着いたところで、麗緒が唐突にぴょこんと人差し指を立てた。なんだろう、と思い見上げてみるも、天井には特に何も変わったことはない。
「違う違う、アナウンスですよ。八階に戻りませんか?」
言われて耳を澄ます。八階の特設会場で、世界の猫グッズを集めたイベントが開催されているというアナウンスだった。もみじは元気よく「はい!」と答える。麗緒はエレベーターの上ボタンを押し直した。
八階特設会場は、九階とは雲泥の差だった。どちらもにゃんこ好きでごった返していいはずなのだが、なぜ映画のほうはガラガラだったのか……。切なくなったが、自分だけはブルーレイも買うもん、と唇を尖らせる。
ものすごいにゃんこ好きの熱気が満ちている。あちこちで「きゃわいーっ!」と奇声が上がる間をかき分けて進み、展示物や販売物を見て回った。
その中で二人の目に止まったのは、ダイアナと同じロイヤルブルーのお目々にグレーの毛並みのにゃんこ貯金箱。デフォルメされた丸っこいフォルムがブサかわである。
「かわいい! 麗緒先生、ダイアナちゃんに買っていってあげますか?」
「あははっ、うちの子にはお小遣いあげてないから、入れるものないですよ」
「ふふっ、それこそ猫に小判ですもんね」
麗緒はブサかわ貯金箱を一撫でし、「連れて帰れなくてごめんな」と眉尻を下げた。まるで捨て猫に謝罪する通行人のようだ。麗緒がダイアナを見つめていた時の優しい笑みが蘇る。
「あっ、うちの子たちがいるー! 麗緒先生、うちの子たちはこんな感じです」
後ろ髪引かれながら雑貨コーナーを物色していると、あけびたちと同じマンチカンの手首枕が並んでいた。ちょうど三匹整列しているので、まるで糸崎家の三姉妹のようだ。彼女らの生後間もない頃を思い出す。
「おーっ、めっちゃかわいい! もみじさんちの子はマンチカンなんですね」
「はい! うわぁ、これ三つとも買っちゃおうかなぁ!」
「えー、手首は二つしかないのに?」
「いえ、飾るんですよ。かわいくて使えないですもーん」
言ってさっさと三つを手に取る。掌より小さなそれの中にはシリコンビーズが詰められているようだ。短毛で触り心地も柔らかい。思わず頬が緩んでしまう。
「ぷっ! もみじさん、めっちゃ幸せそう」
「えー、だってすっごいかわいいじゃないですかぁ。麗緒先生こそ、さっき貯金箱撫でてデレデレしてたくせにぃ。ダイアナちゃんを思い出して恋しくなってたんじゃないですか?」
「えー? もみじさんほどデレデレしてないですよ? おっ、あたしはダイアナにこっちを買ってってあげよーっと」
「ほらほらぁ、麗緒先生のほうがぁ……」
そっちこそそっちこそ、としばらくベストオブ親馬鹿をなすりつけあっていた二人。内心はお互いに『うちの子が一番』なのは言うまでもない。
にゃんこが相手なら誰しも親馬鹿にはなる。家族愛を求める麗緒も、姉妹を求めるもみじも、にゃんこ様の崇拝者だ。みなこも二人も、自分たちが思っている以上ににゃんこたちに救われているのだ。
もみじは手首枕を、麗緒は丸くなって寝ているにゃんこ、すなわち『アンモにゃイト』状態をモチーフにしたにゃんこ用もふもふクッションを一つ抱え、大行列のレジに並んだ。
ふと、レジ前のショーケースが目に入った。ちょっぴりお高そうなにゃんこアクセサリーがいくつか収まっている。もみじはその中の一つの指輪に釘付けになった。
指の背ににゃんこの顔と尻尾が来るようになっており、にょろりと細長い胴体が指をぐるり一周するデザインになっている。本体はシルバーで、お目々の部分にはサファイアのイミテーションらしき青い石が埋め込まれていた。
もみじは列の隙間から見え隠れするそれを指指し、「麗緒先生、あれ見て見て!」と肘で突っつく。壁画のように隙間なく飾られたにゃんこ絵画を見上げていた麗緒も、もみじが示すそれを見て目を見開いた。
「おー、おしゃれー! めっちゃかわいいですね!」
「ねーっ! ここからじゃ値段見えないなぁ……。麗緒先生、見えますか?」
「いや、あたしも見えないですね……。もみじさん、買うんですか?」
「はいっ! 一目惚れしちゃいました」
かわいさのあまり大興奮で即決を決意したもみじは、会計の順番が近付くに連れ見えてきた値札にテンションが上がった。五千円でお釣りがくる。高級そうに見えて実は素材は安物な値段だ。
だがデザインに一目惚れしてしまったもみじには、素材が子供だましだろうがプラチナだろうが関係ない。むしろ思ったより低価格だったので、るんるんで財布を開いた。
それぞれの会計を終え、今度はデパ地下スイーツを買いに行きませんかと麗緒が提案した。二人は戦利品片手にご機嫌でエレベーターホールへ向かう。同じくエレベーターを待つ女性たちの声もワントーン高くなっており、にゃんこ柄の手下げ袋も各自ぱんぱんだ。企画側の完全勝利である。
地下一階のスイーツコーナーも、これまた女性だらけでにぎわっていた。エレベーターの扉が開くや否や、甘い焼き菓子の香りが食欲をそそる。
目移りだらけであれもこれも購入していく麗緒の隣で、もみじは父の好物の焼きプリンを四つ購入した。一つは麗緒にあげるつもりだ。
ただでさえもふもふクッションがかさばっているというのに、麗緒の両手はケーキボックスでいっぱいだ。あげく「これに一緒に入れて貰えませんか?」と、他店のスイーツを一つのボックスに詰めてもらっている。極度の甘党はちゃっかりしているなぁともみじは苦笑していた。
「それ、一人で食べるんですか? よく太りませんね、羨ましいです」
「当たり前じゃないですか。ダイアナにはフィルムに付いたクリームくらいはあげますけど、にゃんこには毒ですからねぇ。あたしがダイアナの分も食べてあげるんです。言われるほど痩せてはいないので、年と共に気を付けようとは思ってるんですよ?」
「あははっ、気を付けている人の買う量じゃありませんよ? ところでいくつなんですか?」
「それは内緒です」
お決まりの下りを交わし、二人はよいこらしょとベンチに腰かけた。人混みで疲れたあげく、麗緒は大量のスイーツで腕がちぎれそうだと言う。赤く線の入った両手をぶらぶらさせている。
「少し持ってあげますよ。おうち近いんだし」
「いやいや、自分で蒔いた種ですから、そんなわけには」
「全然平気ですよ? 商品の搬入で重い物持ったりしてますから」
もみじは自分と麗緒の間に置いてあるケーキボックスを一つ持ち上げてみた。確かにずっしり重たい。一体何をどれだけ買えばこの重量になるのやら。そしてケーキボックスはあと二つある。その他に焼き菓子が詰め込まれている紙袋が二袋。そりゃ腕もちぎれる。
「ここのプリン、うちの父が大好きなのでよく買うんです。すごくおいしいので麗緒先生にも食べてほしくて」
言いながら、もみじはプリンを一つ麗緒のボックスにそっと加えた。麗緒は「そんなぁ、悪いですよぉ」と日本人の決まり文句を言いつつも、ぱあっと満面の笑顔である。年上だが甘い物を前にした麗緒は、少女のようにかわいらしいな、ともみじの頬が緩む。
「それとですね、これは誕生日プレゼントの御礼です」
プリンで喜んでもらえた上機嫌ついでに、先程八階で購入した小さな箱を差し出した。麗緒はぱちぱちと瞬きをする。
「えっ、なんですか? プレゼントの御礼なんてされたら、プレゼントの意味がないのに……」
「いいんです。すっごくかわいかったから、麗緒先生とお揃いにしたいなーって思って!」
なかなか手を延ばしてこない麗緒の膝にぽんっとそれを乗せる。にこにこと反応を待っていれば、麗緒はぴたりと動きを止め、真顔で問いかけてきた。
「ペアリング……ですか?」
言われ、もみじの時も止まる。『ペアリング』という言葉の意味を脳内で反復すればするほど、頬が紅潮していった。
「そ、そういう意味じゃなくてっ! だ、だって麗緒先生だってかわいいって言ってたから……」
思わず顔を逸らした。自分は何を慌てているのだ。隣の麗緒も何も発さない。どう思われただろうか……。
「ありがとうございます。大事にしますね、もみじさんとのペアリング」
驚き振り返ると、麗緒が小箱をバッグにしまっているところだった。もみじは煙でも追い払うかのように両手をばたばたさせる。
「えっ、だからその……深い意味はなくてですね?」
「リングとプリンをプレゼントされちゃったので、あたしからは百点あげます。おめでとうございます。これであたしよりもみじさんのほうが紳士決定ですね。よっ! ニアマートのイケメン看板娘!」
ヒューヒューと茶化してくる。いつの年代のひやかしだ。即座に対抗しようと麗緒のポイントを計算すれば、口にしたのは六十一点しかない。
「その上、あたしの大量の荷物を手伝ってくれるとかめちゃ紳士じゃないですか? あたしなんかよりよっぽど紳士ですよ? 百二十点ですよ?」
「だ、だって当たり前じゃないですか! 麗緒先生が逆の立場でも持ってくれるでしょう?」
にやつかれて、ついムキになってしまう。
「からかうならマイナスにしますよ! いいんですか?」
「えー、あたしがマイナスされても、もみじさんの勝ちには変わりないですけどー?」
「あっ……。もう!」
言い返せなくなって「行きますよ!」と勢いよく立ち上がる。だがケーキボックスの重みでよたついてしまった。背後で老婆のようなかけ声とともに麗緒も腰を上げる。
こうして、紳士ポイント作戦は思わぬもみじの逆転勝利によりあえなく失敗に終わった。だが、全てが失敗だとは思っていない。もみじをからかう麗緒が楽しそうだからだ。
しかし、こんなことでは根本的な改革には至らない。もみじは新たな計画を胸に、リベンジを企てるのだった。
 




