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19ページ/思い出の映画

 

 糸崎もみじが選んだのは、『みなこちゃんちの戦うキャッツ』という邦画。

 もみじが小学生の時にハマったマンガの実写版で、三匹の飼い猫たちが力を合わせて奮闘し、そうとはバレずに大好きな飼い主の危機を救うという、コミカルかつハンカチ必須の映画である。

 実はもみじはこのマンガがきっかけでにゃんこ好きになった。共働きな両親も一人っ子のもみじの願いとあって、にゃんこを飼いたいというおねだりに快く承諾してくれた。

 初めに迎えたのは、もみじが小学三年生の時。四ヶ月のメス、マンチカンの『かえで』だった。マンチカンという種類の特徴で足が短く、その愛らしいフォルムから一目惚れしたのだ。

 かえでとの毎日はとても楽しかった。真っ直ぐ下校しては、ランドセルを放り投げてかえでと遊んだ。だが、戦うキャッツを愛読していたもみじは物足りず、もう一匹迎えたいと両親に懇願した。同じくマンチカンのオスで『ひのき』と名付けた。

 翌年、かえでとひのきとの間に五匹のベビーが産まれた。さすがに両親は七匹も面倒見れないともみじを説得し、ベビーのうち三匹は里子に出した。

 別れと出会いを繰り返し、現在はかえでたちの曽孫に当たる『あけび』『きり』『あんず』という名のにゃんこ三匹と暮らしている。

 リメイク作品が多い昨今、十数年越しに実写化した愛読作『みなこちゃんちの戦うキャッツ』。にゃんこ好き同盟の麗緒もきっと気に入ってくれるはずだ。もみじはわくわくが止まらなかった。

 映画が終わったらあれこれ話したい。原作との相違、にゃんこたちの愛らしさ、一番よかったシーン……。物珍しそうに巨大ポスターを見上げる麗緒の横顔を眺めながら、上映後の妄想を楽しむもみじだった。

「意外とすっかすかですねぇ……」

 客席に入り、もみじは驚愕を隠せなかった。大好きな作品なのに、空席のほうが多かったのだ。まだ公開から二週間しか経っていないというのに、土曜日でこの有様なのだ。麗緒に駄作に連れてきたのかと思われたかもしれない……。

「ち、違うんです麗緒先生! この原作はすっごいおもしろかったんですよ! タイトルは子供だましでセンスないかもしれませんが、内容はすっごく笑えるしかわいいし、最後には泣けるし……」

 もみじの尻窄みな弁明に、麗緒はぽかんと口を開けたまま振り返った。

「にゃんこたちが喋るんでしょ? めっちゃおもしろそうじゃないですか。あたしが好きそうな映画って、こういうことだったんですね。あたし、パンフも買うつもりですけど?」

「ほ、ほんとですか? よかったぁ、自分が見たいだけだと思われたらどうしようかと……。じゃあ私が買ってきます!」

 しょんぼりモードから一転、るんるんモードになったもみじは物販コーナーへ向かった。もちろん誰も並んではいない。店員も「あー、買うの?」という表情だ。パンフレットを二冊購入し、麗緒の待つ席へと急ぐ。

 しかし、先程まで席にいたはずの麗緒の姿がなかった。化粧室にでも行ったのだろうか? もみじはパンフレットを大事に抱え、原作の懐かしさに思いを巡らす。

「もみじさーん」

 背後で呼ぶ声がした。身体をよじって振り向くと、最後列の隅っこで手招きする麗緒と目が合った。

 シアターは全席指定だ。チケットを購入する時点で座席を選ぶ。もみじは無難に、中央列の中央通路側を購入していた。座ってみた感じやはり見やすそうだしせっかくガラガラなのに、最後列に来いとはどういうことだろうか……。

 階段を上りきると、麗緒は最後列の端から二番目の席に座っていた。一番奥の座面をぽんぽん叩いている。

「どうしたんですか? 私が買った席はさっきの……」

「ここのほうが食べやすいでしょ? おいしそうだったんでチュロス買っちゃいました。オレンジジュースとコーラ、どっちがいいですか?」

 見るとドリンクホルダーには棒状のチュロスと、ドリンクカップが収まっていた。もみじは一瞬だけ、ガラガラでよかった、と嬉しくなる。

「一番前のほうがよかったですかね? ここだと、振り変えられたら顔見えちゃうかなぁ」

「ううん、上映中に振り返る人はいないでしょうし、始まってからいただきます。ありがとうございます、麗緒先生。二十五点ゲットです」

「ははっ、どんどん雑になってきましたね」

 心遣いが有り難い。甘い物に目がない麗緒といえど、きっと一人だけ食べるわけにはいかず気遣ってくれたのだろう。しばらくぶりの外食だ。パンフレットを手渡すと、麗緒も「おー、かわいい!」と目を輝かせた。

 上映中、そっとマスクを外してみた。やはり人目が気になりはしたが、同列には誰もいなかったし、麗緒が壁になってくれていた。安心して映画とチュロスを楽しめた。

 クライマックス、にゃんこたちが傷だらけで『宇宙ハリネズミ』からみなこちゃんを守るシーンに涙が止まらなかった。原作でも何度泣いたことか。特に、にゃんこたちが自分を守って戦ってくれていたことを知ったみなこちゃんが放つ台詞がたまらない。お気に入りのハンカチがべちょべちょになった。

 ふと、麗緒を一瞥する。真剣な横顔がりりしかった。前列からも鼻をすする音が聞こえているが、麗緒は潤んでもいない。集中しているらしく、もみじの視線には気付いてもいないようだ。

 幕が降り、明るくなる前に軽く鼻をかんでマスクを付け直した。客席を出て行くカップルが「くそつまんなかったねー!」と罵倒する。麗緒も退屈だっただろうか……。もみじはそっと尋ねた。

「麗緒先生……? つ、つまらなかったですか……?」

 恐る恐る覗き込むと、麗緒はくるっと首だけ回し、「いや、おもしろかったです」と真顔で返してきた。決しておもしろかったという感想をいだいた表情ではない。一人で感激していたもみじは恥ずかしさと寂しさでしょんぼり俯く。

「子供だましでしたよね……。いくら猫好きでも、しゃべる猫とか宇宙動物とか……」

「いや? 人間が知らない間にこんなことが繰り広げられてんのかなーって思ったら、めちゃめちゃおもしろかったですよ? ほんとににゃんこが喋ったり戦ったりしてるように見えたし、細かい演出が上手くできてるなぁって感心しました。いやぁ、よくできた映画だったなぁ。うちのダイアナも、あたしの知らないとこであたしの危機を回避してくれてたりして」

「ほ、ほんとですか? 気に入ってもらえましたか?」

 麗緒は伸びをしたまま「はい!」と微笑む。

「もみじさんは感激やさんなんですね。あたしが枯れてるだけか、あははっ」

麗緒はもみじの頭を撫で回した。もみじはほっと胸を撫で下ろす。

 エスカレーターで移動しながら、あのシーンがどうだ、このシーンはあれだ、とわいわい盛り上がった。原作を知らない麗緒のために、映画版で削られているエピソードも付け足す。麗緒は笑ったり感心したり、もみじが欲しいリアクションを逐一返してくれるので解説しがいがあった。

 次の目的地は、五階のアパレルフロア。当時と店舗の入れ替わりが多少あるが、女子高生時代のもみじが憧れていたショップは変わらず残っていた。

「……このショップ、もみじさんが着るには、ちょっと派手過ぎやしませんか?」

 入り口で麗緒がぴたりと足を止めた。店内を覗き、きょろきょろしている。ずっと憧れていたショップだ。聞き捨てならない。もみじはフグのように膨れ、麗緒をじろりと睨んだ。

「どういう意味ですか? 私には地味なのが似合うってことですか?」

「あっ、いや……そっちじゃなくて。イメージ的に、もみじさんにはちょっと違うかなって思うんですけど。なんかこう、都会のギャルっぽいっていうか、チャラそうっていうか、幼いっていうか……」

 麗緒はうーんと首を捻る。手前のラックからトップスを一枚取り、当時のように自分に宛がってみた。鏡に映る自分が目を見開いた。麗緒の言う通り、今の自分には全くと言っていいほど似合わなかったのだ。

「えぇー、ショックぅ……。あの頃は、大人はこういう服着るもんだと思ってたのにぃ……」

「あははっ、そんなもんですよ。もみじさんが純粋だから、派手な人が眩しく見えてただけじゃないですか?」

「うーん、これじゃ、原宿系の若作りおばちゃんになっちゃいますね……」

 がっくりと肩を落とす。笑いながら麗緒がラックに戻した。原宿系を着こなす年齢などとっくに過ぎている。とはいえ、当時のもみじにも似合わなかったので、きっと年齢の問題ではなかったらしい。

「もみじさん、こっちのショップはどうです?」

 思い出のショップに後ろ髪引かれながらも、麗緒の指指すショップへと近付いてみる。高校時代にはなかったショップだが、見たことのあるロゴが目に付いた。確かに先程の原宿系とは違い、清楚で落ち着いた雰囲気の服がずらりと並んでいる。

「もみじさんにはこっちのほうが絶対似合いますよ?」

「んー、でもちょっと高そう……」

「今日は誕プレですから値段なんか気にしないでください。えーっと、トップスとかカーデとかワンピとか、アイテムでいうと何が欲しいですか? おっ、あっちのブラウスかわいいなぁ」

 麗緒の視線はすでに店内を物色している。品定めに真剣だ。尋ねておきながらもみじの返答も待たず「こっちも似合いそうだなぁ」と次々宛がってくる。センスは確かなので、もみじは黙ってマネキン化することにした。麗緒はほぼ一人の世界である。

 ラックの森にずんずん入っていく麗緒の後を追いながら、もみじはまんざらでもない気分になった。友達とショッピングに来ることはあっても、こうして年上の存在に大人コーデを選んでもらえることが新鮮だったからだ。

 一人っ子のもみじは、ずっと姉妹が欲しかった。にゃんこたちは寂しさを埋めてはくれたが、こうして一緒にショッピングはしてくれない。あれこれと宛てがい続ける麗緒の横顔を見つめ、思わず口にした。

「麗緒先生、お姉さんいらっしゃるって言ってましたよね? 麗緒先生もこうやってお姉さんとショッピングしてたんですか? いいなぁ、お姉さんいるって」

 ぴたりと麗緒の動きが止まる。一瞬だけ表情が曇ったように見えたのは気のせいだろうか……。


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