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1ページ/八神麗緒という女

 

 八神麗緒やがみれおは保健医である。

 S県空の宮市にある、私立星花女子学園。伝統深き中高一貫の、いわゆるお嬢様学校。麗緒はその高等部に今年度採用された養護教諭である。

 顔面偏差値は可も無く不可も無く。スタイルも人並み。取り立てて誇れるものはないと自覚しているので、メイクやヘアケアなど清潔感だけは人一倍気を遣っている。

 養護教諭としては至極当然のことだが、純白のドクターコートはぱりっとのりを効かせて清潔感を保っている。だが、病院勤務時には白衣を見ただけで緊張したり血圧が上がる患者もいたので、それ以外の身なりで柔らかさを演出できるよう工夫していた。

 堅苦しさを軽減するためにメガネではなくコンタクトレンズを、特に黒目を大きく見せるディファインタイプを愛用。胸元まで伸びた髪は焦げ茶色に染め、サイドでまとめて毛先に緩くウェーブをかけた。

 努力のおかげか、着任から麗緒を慕う生徒が徐々に増えていった。中には仮病もいるが、麗緒は騙されてやることにしている。堂々とサボりに着たと宣言する生徒はともかく、仮病を使うからにはそれなりの理由があるからだと理解しているからだ。

 愛称は『やがみん』。もちろん無難に八神先生や麗緒先生と呼ぶ生徒も多いが、麗緒自体は親しみが感じられるので愛称で呼ばれるのも嫌いではない。

 麗緒自身はこの星花のOGではなく、同県のお嬢様学校出身である。学生時代は愛称で呼び合うことのないようなお堅いお嬢様しかいなかったせいか、社会人になってから付けられた愛称にくすぐったさを感じつつも、嬉しさのほうが数倍勝っているのが本音だ。

 授業中はほとんど保健室に一人きりだ。とはいえ、ケガや体調不良の生徒がいないのは大いに結構なこと。麗緒の出番のないことがすなわち星花の平穏を意味する。

 麗緒は静かな保健室からグラウンドを眺めるのが好きだった。体育の授業や運動部の練習に励む姿を見守りつつ、前任から受け継がれているカルテと照合し、この四ヶ月間生徒一人一人の顔と名前を頭に詰め込んだ。

「やーがみーん!」

 窓越しに微かに届いた声は、麗緒の視線に気付いた陸上部の部員。先週、ランニング中に転倒して手の平をすりむいたと言ってきた生徒だ。麗緒は軽く手を上げて挨拶に答える。生徒も笑顔で大きく手を振った。だがこちらに気を取られているせいで、他が整列したことに気付いていない。麗緒は指と口パクで「早よ行け」と示した。

 袖を通してまだ四ヶ月しか経っていない真っ白なドクターコートの襟を正し、ほころんだ口元を悟られないうちに窓に背を向ける。正直、嬉しい以外に言葉はない。新任の、しかも毎日顔を合わすわけでもない養護教諭に手を振ってくれる生徒たちがかわいくて仕方ないのだ。

 頼られている、その実感が麗緒の生き甲斐となっていた。

 もちろん立場的に頼られない養護教諭などいないだろうというのは百も承知なのだが、自尊心の欠片もなかった学生時代からは想像できないな、と自ら苦笑する。

 麗緒には四つ上の姉がいる。優秀な姉は何をやらせてもそつなくこなし、医学部にも現役で合格している。学部内でも成績は上位だったらしく、医師である両親も鼻高々だった。

 天才肌の姉に比べ、麗緒は地道にこつこつ頑張るカメさんタイプの少女だった。同じ両親から生まれたとはいえ、姉と同じようなウサギさんにはなれなかった。期待に応えたくて必死に頑張った医学部受験も二度失敗してしまったため、自ら看護師になることを選択した。

 看護師として働いていた国立病院で、麗緒は一人の中学生と出会った。その出会いと別れが、のちに転職を決意させる。自分は看護師には向いていない、そう悟った麗緒は養護教諭を志したのだった。

 麗緒はこの仕事が大好きだった。保健室から出て行く生徒の笑顔を見送る度、必要とされている実感に陶酔した。自分なんてと否定し続けてきた自分でも、今はここにいていいんだ、そう思えると、これまでの人生の毛羽立ちが少しずつなだらかになっていくようだった。窮屈な殻を破り、やっと今世に顔を出せた気分だった。

 そしてもう一つ、麗緒の人生を変えた出会いと別れがある……。

「いらっしゃいませー。あ、麗緒先生。このチョコレート、夏限定の新商品なんですよ。食べたら今度ぜひ感想聞かせてくださいね?」

 星花の近所にあるコンビニ、ニアマート星花学園東店の店員、糸崎いとざきもみじ、その人である。



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