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どうやら佳純は、由紀の性質をうっかり忘れる程度には動揺していたらしい。自分を落ち着けるように、テーブルの上のオレンジジュースを一気飲みしている。
「でね、その人ホントにカッコよくて。名刺に書いてある住所まで、お礼言いに行こうと思ってるんだ〜」
「――ブフッ」
絶妙なタイミングである。佳純の口にジュースがまだ残っているときに、由紀の爆弾発言がかまされた。哀れにも口内のジュースは噴き出され、テーブルに橙色の水たまりを作る。
「へっ? なんか面白いこと言った?」
「ゲホッ……面白いじゃなくておかしい、でしょ! いくら助けてくれたとはいえ知らない人なんでしょ⁉︎ しかもその怪しい名刺! 普通行く? 普通行かないよね⁉︎」
「落ち着いて、落ち着いて佳純! とりあえず机拭くから!」
「由紀の方が冷静みたいになってんのがなんかムカつくんだけど!」
「そう言われても!」
由紀は何の悪気もなく放った言葉だったが――だからこそ尚更タチが悪いとも言えるが――佳純には相当混乱を与えたらしく、平静を失い早口で捲し立てている。
布巾片手にどうにか佳純をなだめた由紀は、佳純が混乱した理由をおずおずと尋ねる。
「えっと……私、なんか悪いこと言った?」
「いや、ね? もらった名刺よ。どう考えても怪しいでしょ? 龍なんとか協会って。怪しいでしょ?」
「ま、まあ……変わった所だなとは思ったよ」
「うん。知らない人に怪しい名刺をもらったらね、まず警察に届けに行かなきゃいけないんだよ」
「でも、知らない人は知らない人でも私のこと助けてくれたし、いい知らない人だよ」
「不審者ってのは最初は優しくて、後から本性見せるモンなのよ。その人だって本当に優しい人かはわからないでしょ」
「でも…………」
改めて淡々と諭されると、さすがの由紀もだんだん萎れてくる。あからさまにしょんぼりしてしまった由紀に気がついたのか、佳純は困ったように笑って由紀の肩に右手を置く。
「……由紀。ごめんね、責めてるわけじゃないの。あたしは由紀が心配で」
「わかってる、わかってるよ佳純。……でも、あの人、絶対そんな悪い人じゃないと思う」
落ち込んだ声の割には、妙に確信のある言い方だった。下がっていた顔が上がって、佳純とかち合ったその双眸は、誰にも曲げられない強い意志を宿していた。
「悪い人なら、命がけで助けたりしないと思うんだ。あの人を引き留めたのは私の方だし。私が引き留めてなかったら、あの人は名乗りもしないで、もちろん名刺なんて渡さないで帰っちゃってたと思う。私をどうかするために助けたんじゃないことは間違いないよ。……それにね、私の勘が言ってるの。あの人は大丈夫だって」
「…………由紀」
由紀は本気だ。本気だから、親友である佳純に言われても聞き入れようとしないのだ。
そして何より、佳純にとって一番納得せざるを得ないのは、由紀の"勘"だった。彼女の勘は外れない。外れたことがない。もはや勘なんて曖昧なものではなく、予知の類なのではないかと思うほど、彼女の"勘"は的確なのである。
「……由紀の勘って言われたら、なんにも言えないな」
「ごめん、佳純。佳純が心配で言ってくれてること、わかってるよ。でも」