第5話
「それでは行ってくる。利家の叔父貴に後のことを頼んでいるから、何かあったら叔父貴を頼れ」
「はい」
もうすぐ10歳の嫡男になる正虎を始めとする5人の子ども達の小気味の良い返事を聞きつつ、モスクワを目指すエジプト軍の一員として前田慶次は、カイロにあるエジプトの自宅を出立していた。
正虎の姿が見えなくなると、慶次はぼやきながら、小声で呟いた。
「利家の叔父貴を頼るのは業腹だが仕方ない。しかし、叔父貴も似たことを言っているだろうな」
慶次と利家は、慶次の養父の前田利久の実弟に利家になるという関係から、義理の叔父甥という間柄ではある。
更に言えば、先日、亡くなった慶次の妻の実父は利久の弟にして、利家の兄になる前田安勝であり、そういった重縁のある間柄に慶次と利家はあった。
だが、その一方で慶次と利家は微妙に馬が合わないというか、仲がよろしくなかった。
この辺りはお互いの気質の違い等から生じたものとしか、言いようがない。
(とはいえ、周囲の者に言わせれば、お互いに似た者同士だから、却って仲がよろしくないのでは、という声が高いのだが、お互いにそんなことはない、と声を揃えて言い、ほら、やっぱり似た者同士なのではないか、と周囲に言われている間柄であった)
慶次にしてみれば、そんな叔父貴に後を頼んで、モスクワを目指すエジプト軍の一員として出征するの等は、妻が最近亡くなったことも相まって、気が乗らないことおびただしい話ではあったが、主の浅井長政の命とあっては、流石の慶次も断りかねる話である。
更に、その主の命の裏には、かつてのエジプト独立戦争の際に、文字通りに轡を並べて戦った戦友の磯野員昌からの希望があったと聞かされては、尚更、慶次は断る訳には行かない仕儀ではあった。
そんな屈託もあり、慶次は最近になって、エジプトで広まったパイプ煙草を馬上でくゆらせながら、ゆるゆるとモスクワを目指すエジプト軍が集結しているアレクサンドリア郊外の駐屯地へ向かった。
(尚、慶次クラスの指揮官となると、自らの愛馬に乗っての従軍が当然に認められている。
普通の騎兵が、お仕着せと言ってよい馬を宛がわれるのとは全く違う話になる)
もっとも実際に駐屯地に到着すると、慶次とて武人の血が流石に騒いだ。
何しろ、磯野員昌を総指揮官として1万の純騎兵が集っているのだ。
これだけの騎兵が集っているのを見ること等、滅多にない話である。
更に装備も懸絶していると言って良かった。
「放て」
エジプトの騎兵が装備しているのは、歩兵銃と弾薬を共用する一方で、銃身を馬上での取り扱いが容易なように短くした騎兵銃である。
とはいえ、言うまでもなく後装式ライフル銃であり、マスケット銃等と射撃戦を行った場合、射程距離の差等から圧倒することができる。
更にその射撃戦の指導をしているのが。
「これは佐々成政殿」
さしもの慶次も敬語で、佐々成政には話しかけた。
日本(本国)陸軍士官として、対スペイン戦において実戦経験を積んだ後、柴田勝家や自らの義理の叔父である前田利家と共にエジプトに赴き、エジプト独立戦争においては、オスマン帝国主力軍を相手に銃火力等の優位を生かして奮戦し、オスマン帝国軍の猛攻を跳ね返した武人が、佐々成政だった。
そういった経歴から、火力戦においてはエジプト軍きっての名将と佐々成政は見られている。
「よく来た。宮部継潤殿も既に来られているぞ」
「本当ですか」
佐々成政の言葉に、慶次は顔を綻ばせることになった。
宮部継潤も、またエジプト独立戦争で勇名を馳せた名将である。
慶次は予めそういった面々が集うのを教えられていたとはいえ、改めて武人の血が大いに騒ぎ出すのを感じていた。
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