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錦上の花束をあなたに  作者: 保科朱里
【播種】
2/21

1-1

(本当に幸せだった。食べるものも着るものも何一つ不自由しなくてすんで……優しいみんなに囲まれて)


 慣れない紺色の傘を差して、道を歩きながらカジュは今までのことを思い返す。とめどない思い出を一つ一つ思い出す度に、もうあの場所へは戻れないのだという悲しさが身を貫いた。

 カジュは今にも足を止めて泣き出してしまいたかったが、その歩みを止めない。


(今は、泣けない。泣くよりも先に前に進まなきゃ)


 カジュは今夜の宿を求めて、隣国のカルミア国の町を目指していた。

 家族と別れたのはクロッカス国とカルミア国の国境の辺りであったため、すでにカルミア国に入っている。カジュの目指している町はそう遠くはないはずだ。

 しばらく歩くと、カジュの予想通り町あかりが見えてくる。どうやら無事に町へ辿りつけたようだ。


(よかった……本当に私一人でも町まで来れたのね)


 カジュは安堵の表情を浮かべた。国境付近から一本道だったので道に迷うことはなかったが、この先に本当に町があるのかずっと不安だったのだ。


(誰かに宿の場所を聞ければよいのだけど……)


 大通りには人がほとんどおらず、町人に宿の案内所を聞くことはできない。


(自分で歩いて探すしかなさそうね)


 始めての町に戸惑いはあるが、こんなところでくじけていては一人で生きていけない。カジュは疲れている体を鼓舞しながら前に進んでいった。


(晴れていたらきっと素敵な町なのでしょうね)


 町はレンガ造りの建物がずらりと並んでいる。日にあたればレンガの赤茶色が一段と輝くのだろうが、大雨の今は暗くひそやかな雰囲気を纏っていた。

 カジュは町を見渡しながら、頭上にかかった看板を目で追っていく。数件分歩くと、すぐに宿の案内所の文字が目に飛び込んだ。


(宿の案内所……! ここなら宿を紹介してもらえるはず)


 カジュは傘を閉じてゆっくりと重厚な金属のドアを引く。今まで一人で店に入ったことがない彼女は自分でドアを引いて店に入ることにも勇気がいった。


 カラン、と軽やかな音を立てて店の中に入ると、橙色の光に照らされた少し小さな店内が広がっていた。濃い色の木々の家具で統一された店内は、温もりを感じる造りになっており、外の重苦しい雰囲気が嘘のようである。


「わあ……素敵……!」


 カジュが思わずつぶやくと、椅子に座っていた女性が顔を上げる。


「おっ嬉しいことを言ってくれるわね! ようこそサンビタリアの町へ!」


 出迎えた初老の女性はふっくらとした顔に微笑みを浮かべた。女性は短くそろえられた黒髪に三角巾を被っており、濃い朱色のスカートを履いている。スカートの色は彼女の溌剌とした声と笑顔によく似合っていた。


「はじめまして、今夜の宿……できれば一週間ほど滞在できる宿を探しているのですが紹介していただけますでしょうか」


 カジュが背筋を伸ばし、そう口にすると女性は驚いた様子で目を丸くした。


「お嬢ちゃん、ずいぶんと大人びた話し方をするねえ」

(しまった……! もう少し砕けたように言えばよかったわ…何か詮索されるかしら)


 カジュは顔をこわばらせる。訳あって実家から追放されたカジュはチューリ家の元男爵令嬢だ。慣れ親しんだ口調で話すとどうしてもかしこまった言い方になってしまう。


「もしかしていいとこのお嬢さんかい?」


 女性はカジュをまじまじとつま先から頭まで観察しながら尋ねた。

 カジュは白襟に紺色無地のワンピースを着ている。ここに来る前に執事に頼んで用意してもらったもので、オーダーメイドで誂えたものだった。肩の下まで伸びた薄紫色の髪は邪魔にならないように後ろで結ばれている。


「ええと……」


 困ったようにカジュは少し眉毛を寄せると言い訳を必死で考える。


「……ああ! もしかしてプリムラ学園の入試を受けに来たのかい? 

 合格したら寮生活だもんねえ、色々一人でできなくちゃ苦労するだろうしね」


 女性はパンと手を叩くとカジュに微笑みかける。カジュにとっては助け舟だ。


「そ、そうなんです。練習も兼ねて一人で受けにきた所存です」


(たすかったわ……学校があることは知っていたけれど入試の時期と重なっていたのね)


 内心はらはらしながらもカジュは話を合わせた。女性もカジュの嘘に気づく様子はなく、宿を探そうと眼鏡をかける。


「それじゃあ立派な宿がいいかね……」


 そう言いながら女性は宿の一覧表をめくっていく。木でできたファイルの中には何十もの宿の概要が載った紙が丁寧にファイリングされていた。


「いえ、普通のお宿でお願いいたします。できれば朝食と夕食が付いている宿がいいのですが……あと、少しお安いとさらに嬉しくて」


 カジュは半年ほど上級宿に泊まれるお金を父から受け取ってきたが、両親の想いの詰まったお金を無駄に使いたくなかった。


「となると、ここなんかどうだい? 朝夕付きで一泊5000Gだよ! さらに連泊だとお安くなる。ちょっと学園からは離れちまうけどさ、勉強するにはいい環境だよ。どうだい?」


 それを聞いて店主は一枚のページを開いてカジュに見せてきた。ページには一間の小さな部屋にベッドや箪笥、椅子や机といった家具が置かれている。

 晴れた日に写真を撮ったのだろう。窓から差し込む光に照らされた部屋は明るく、木漏れ日が机にやさしく影を落としていた。


「素敵なお部屋ですね……ここでお願いします」


 カジュが目を細めて答えると、店主はにやっと笑って眼鏡の隙間からカジュを上目遣いで見上げた。


「決まりだね! ようこそ、うちの宿へ」

「えっ」


 驚いて目を丸くしたカジュに女性はふふんと鼻を鳴らして言った。


「ここは宿紹介所だけじゃなくて民宿もやってるのさ、ここの二階が部屋なんだよ。

まあ民宿って言ったって個室に鍵はかかるし、私は隣のうちに住んでるから、普通の宿と変わんないんだけどね。紹介手数料がかからない分、安くできるからうちの目玉なのさ」


「そうだったのですね……ありがたいのですが、長い間部屋を借りてしまってはご迷惑ではありませんか?」


 目玉商品と聞いてカジュは少し肩をこわばらせた。自分が目玉商品の恩恵にあずかっていいのだろうか。


「あっはっは! いいのさ! この店を素敵な雰囲気って言ってくれたしねえ。お嬢ちゃんが気に入ったのよ。それにお金は払ってもらうんだからこっちだってありがたいのさ」


 変なことを気にする子だねと言いながら、女性は声を出して朗らかに笑った。人間関係で気を遣いっぱなしだったカジュにとって、その笑顔は久しぶりに見た満面の笑みである。


 カジュは女性を泣き笑いのような顔で見つめた。

 先ほどまで寒いところにいたのに一気に太陽の下に出されたような、戸惑いと葛藤がカジュの心を揺さぶる。


「それじゃあ、私は店主のロメリアだよ、よろしく」

「はい、私はカジュと申します。ロメリアさん、短い間ですがよろしくお願いします」


 カジュは差し出された手を握り、まっすぐにロメリアを見て微笑んだ。


 ふと窓の外に目をやると、いつの間にか雨は上がり夕陽が水たまりに反射している。


 日の落ちる直前の夕日はカジュの銀色の瞳を朱色に染めた。


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