3、スリーベル村
3、スリーベル村
目覚めた時、ジムは自分が夢の中にいると錯覚した。ベッドの上に横になっていたが、天井にはめ込まれた照明が見慣れたそれと違っていた。村の黄ばんだ灯りと比べて、この明かりは白く清潔感があって、洗練されていた。
白い壁がかすかに輝いているその部屋は、さほど広くないがジムにとっては夢の中と見まがうような見慣れない場所だった。
隅に事務用の机があり、その前に淡い光沢のある藤色のスーツを着た女性が座っていた。村では麻や木綿など天然素材の服をみんな着ていたが、その女性の服は別世界の光沢を帯びているかのように異質だった。
ジムは助けを求めるように声を上げた。
「あの、すみません!」
女性は待っていたようにジムの声にすぐに反応し、デスクの上のスイッチを押して「少年が目覚めました」と言ってから立ち上がった。
「気が付いたのね」
と女性はベッドに横になっているジムに目をやり、「ちょっと待っててね」と言って部屋を出て、手に洋服を持って戻ってきた。
それはジムが着ていた服だった、ハッとして見ると、ジムが今着ているのはパジャマのような服で、やはり異世界の光のような光沢があった。
「乾燥機でもうすっかり乾いたわよ」と差し出された自分の服に、ジムは素早く着替えた。
光沢のある服は機能性が良いのか快適だったが、やはり着慣れた服のほうが居心地がよかった。
「それで、ここはどこなんですか」とジムが女性に尋ねた時、白髪で小太りの中年の男がバタバタと部屋に駆け込んできた。
「目が覚めたんだね、ジミー」
と男は息せき切ってジムに近付き、異常がないか目視で検査するように、ジムをジロジロ眺め回した。
突然の男の登場に面食らったジムだったが、男が自分の名前を呼んだことにさらに当惑した。
「なぜ僕の名前を?」
「いや、ごめんごめん、君のことをしょっちゅう見ているもんで、つい名前で呼んでしまったよ。そうそう、まずは自己紹介といこうか。私はここの所長のバーグマンだ。こちらがオニール女史」
僕をしょっちゅう見ている?所長? ジムは疑問の渦巻にクラクラした。そんな途方に暮れた様子のジムを見て、オニール女史は微笑みながら言った。
「よろしくね、ジミー」
自分に向けられたその顔を見た時、ジムの脳裏にはフラッシュバックが起きた。
見たことがある!?
「さて、何から説明したらいいでしょう、所長」
「そうだね、まずここは……」と言いかけた所長の言葉を、ジムは遮った。
「僕は未来にタイムスリップしたんですか?」
村の図書館で、タイムトラベルやタイムスリップが出てくるSF小説を、ジムは読んだことがあった。一刻も早く手短でわかりやすい解答を得たいというジムの欲求を見て取って、所長は落ち着かせようと話を続けた。
「いやいや、そうではないよ。でも君たちの村は1950年代をずっと保っているが、この世界は現在2140年代、22世紀だよ」
ジムの疑問がますます増えてもつれないよう、普段はおっとりした話し方の所長は、精一杯早口で言った。
「つまりね、君の住んでいる村は、我々歴史保全センターによって、約90年前にシールドされ保護されたんだよ。わかるかな?」
ジムは驚きに目を見開いた表情で、首を横に振った。
「君たちの村は、世界から隔絶された深い谷間にある。時間の流れから切り離されて、ずっと中世の面影を保っているような村はいくつも存在する。我々は、その中の数例をモデルとして完璧な形で保存することにした。我々、と言っても、90年前の先祖だがね。こうした孤立した村は、外の世界の影響を受けずに古き良き時代の佇まいを保っている。例えば戦争、それに、21世紀に全世界に猛威を振るった感染症など、村には全く寄り付かなかったよ」
バーグマン所長は慣れない早口で苦しくなったのか、一息ついた。ジムはそんな所長を表情を変えずに熱心に見つめて、話の続きを待った。
「我々の歴史保全センターが設立されたのは、約90年前だ。設立に携わった人々はどこを保護するか協議した。有名な世界遺産はすでに保護されていたので、無名の村を中心に10か所選択された。その一つが君たちの村だよ。すごいだろう」
本当にすごい、夢のような話だと、ジムは感心した。
「でもどうして僕の村が選ばれたんですか? なんの変哲もない普通の村なのに」
「どうしてだと思うかね、ジミー」と逆に所長は問い返した。ジムにはその理由が何も思い浮かばなかった。
「ヒントは歌、歌だよ」
所長はクイズを楽しんでいるかのように、指を一本立てておどけた顔をして見せた。
「歌……」
ジムの頭に、教会で聞いた曲が閃いた。
「あ、もしかして、あの曲」
「あの曲とは?」
所長が解答に近づけようと、ジムを促した。
「谷間の奥深くにある村に、ジミー・ブラウンが生まれたっていう歌です」
所長は、「正解!」といわんばかりにパチパチと手を叩いた。
「そう、それそれ、オニール君、ちょっと出だしのところ、歌ってみてくれる?」
オニール女史は、心得たといった調子で歌った。
「There's a village, hidden deep in the valley
Among the pine trees, half forlorn」
「この歌で間違いないね」と所長はジムに確認をとった。
「この歌です」とジムはきっぱり返答した。
「つまりだね、君たちの村はこの「Three Bells」という曲に、イメージがぴったり当てはまるんだよ」
「それは……、この歌に歌われているような村なら、他にもあるのではないですか」
「そりゃそうだがね、この曲は別名「The Jimmy Brown Song」といって、ジミー・ブラウンの歌なんだよ」
ジムはまた異議を唱えたかったが、思い直して所長の説明を待った。
「君の村のジミー・ブラウンは、いわば神の子のような存在なのだ。種明かしをすると、一代目のジミー・ブラウンは、歴史保全センターから送り込まれた人間だ。当時45歳で65歳で亡くなった。それで村にいたもう一人のジミー・ブラウンが二代目になった。5歳だった。その人物が59歳で他界すると、村にはジミー・ブラウンが不在となった。その一年後に君が生まれ、当時の牧師の勧めでジミーと名付けられた。待望のジミー・ブラウンだったわけだ」
「牧師さんが僕の……」
「いわば名付け親だね」
ジムの心に、驚きと納得が交互に折り重なっていった。そこへ、所長がもう一つ、威力のある事実を投げ込んだ。
「もう一個種明かしをすると、シールドされた時、新たに歴史保全センターのメンバーを牧師として送り込んだ。今の牧師の曽祖父に当たる。それから代々息子が後を継ぎ、今の牧師は数えて4代目になる。
村では牧師として神に仕え教会を守っていたが、歴史保全センターの一員として、外の世界と交信していた。牧師館が通信基地で、毎日村で起きた出来事などを報告するのが役目だ」
ジムの中では、牧師に騙されていたという思いより、これまで神に帰属する者の特質として解き明かせないと決めつけていた、牧師に関する謎が解明できたという気持ちのほうが大きかった。
それから所長は、それがジムに対する最良のもてなしだというように、村や歴史保全センターに関することを懇切丁寧に説明した。
村を蔽うシールドは、山脈ごと広範囲にすっぽり覆っている。透明で目に見えないが、太陽の光を透過する。
雨は、センターの管理室でレーダーが雨雲を感知すると、シールドの天井部分が開いて、その下のメッシュ構造の蔽いを通して雨を地上に降らせる仕組みになっている。
風は、空調装置によって人工的に作り出すが、単調にならないよう風向きや風の強さは随時変更される。
シールドには人の体温を感知するセンサーがついていて、ジムが触れた時に反応した。これらはコンピューターが主体となって管理されていて、人間はそれを点検、監視するのが役割だった。
「コンピューター?」
ジムにはよく把握できなかったが、未来の高度な技術なのだろうと見当を付けた。ただ、コンピューターがデータを分析してジムの行動を予想したということは、どうにも理解に苦しんだ。ジムには、お告げのほうがまだしっくりくるのだった。
また、村の映像は鳥に偽装した数台のドローンで撮影している。その映像は管理室に送られ、コンピューターとスタッフによってチェックされ、編集されて、センターに併設された歴史博物館の展示室のスクリーンに映し出される。その映像は1週間ごとに更新される。
「ここまでで何か質問はあるかね」
ジムにとって目新しくなじみのない物事が目白押しで、何をどう質問してよいのかわからなかった。
「オニール君から何かありますか」
所長は、そばでどこかから持ってきたこの村に関する記録ファイルをパラパラとめくっているオニール女史に訊いた。
「ええ、ジミー・ブラウンが3代目で牧師が4代目ということ、合っています。あと、鳥に偽装したドローンは撮影以外、荷物を村に運ぶのにも利用しています」
噂は本当だったんだ、とジムは心の中で叫んだ。
ドローンとやらいう訳の分からないものが運び込むっていうことか。
「ドローンっていっても、ピンとこないよね」と所長がおおらかな笑顔で言った。
「リモコンで遠隔操縦する飛行物体といえばわかるかな」
「あ、ラジコンのようなもの?」
「そうそう、ドローンも初期と比べて格段の進歩を遂げて、今ではプロペラ音が全くしないし、鳥に偽装することもできるんだ」
ジムは自分の経験外の技術の進歩の話に、大きく溜息をついた。知識と感性が追い付かず、何も言葉にできなかった。
オニール女史が所長に何か耳打ちし、所長は「それがいいね」と合槌を打った。そしてジムの方に向き直った。
「ドローンで撮影した君の村の映像、見たくないかね」
「見られるんですか?」
「もちろん。善は急げだ。今連れて行ってあげよう」
所長はどこか楽しい場所へ行くような浮き浮きした足取りで、ジムを導いた。ジムは不安と期待が交錯する表情で所長の後に続き、その背後にオニール女史が従った。
歴史保全センターと博物館の連絡通路の壁は一面ガラス張りになっていて、外を眺めることができた。衣服と同じ淡い光沢を帯びた白っぽい石造の建物がいくつか形を変えて並び、着色されたタイルを敷き詰めた道の脇には、作り物めいた木々が無表情に立っていた。
山と川と畑と土と家々からなるジムの村の光景との、時間と空間の差が一目で感じられた。白い建物に接する空の青さも、画家が夢を題材に描く絵のように、不自然で偽物めいていた。
博物館の中は保全センターより天井が高く、洒落たつくりになっていた。照明はやや暗く、展示物をスポットライトで照らして際立たせていた。
所長は速足で大展示ルームを横切って、小部屋が並ぶ廊下に出た。小部屋は10ほどあり、その数からしてそれらは保護された村ではないかと、ジムは推測した。
所長は一つの部屋の前で足を止め、「ここだよ」と言ってジムを招じ入れた。部屋に入る前、入り口のドアに「Three Bell村」というプレートが付いていることにジムは気付いた。
中はさほど広くなく、大きなスクリーンが部屋に入った者の視線を独占した。そこに映っていたのは紛れもなく、ジムの住む村だった。
生まれてこの方、毎日毎日飽きるほど見てきた村の景色が、いまジムにとって10年ぶりと思えるほど懐かしかった。
彼は生まれて初めて、胸を締め付けるような郷愁を感じた。
スクリーンの前には、ゆっくり観賞するための椅子が10列設けてあり、今数名の人が椅子に座っていた。三人は最後列に並んで座りスクリーンを眺めたが、所長とオニール女史は画面よりジムの様子のほうに意識を向けていた。
ふと気付くと、BGMにふさわしい控えめな音量で「Three Bells」の曲が聞えていた。
「この村をThree Bellsと名付けたんですね」
とジムが感慨深げに言うと、所長が「うん、ぴったりの名前だろう」と自慢するように返した。
目を凝らしてスクリーンに映し出された自分の村を見ていたジムが、突然はっと息をのんだ。
それは、果樹園の木のベンチに座った少年二人が、山の陰に消えてゆく夕陽を眺めている場面だった。そうした里山の風景をとうに失った人々の心の深層から、魂の故郷としての原風景を呼び起こすような、印象的な場面だった。
ジムは、我知らず涙が頬を伝うのを感じた。
「あれは……僕とダニーだ」と小声で呟いた。
スクリーンに映っているのが、見失った自分の分身のように思えた。
「美しい情景だろ、この場面は特に好評でね、来週以降もずっと残してほしいとリクエストする人が多いんだよ」
「永久保存にしましょうか」
横からオニール女史が提案した。
「いいね、それ。ナイス、リンゼイ!」所長がおどけた調子で言った。
その時、ジムの頭の中で何かが炸裂し、火花で浮かび上がったリンゼイという名前が、記憶の中をまさぐった。そしてジムは気付いた。リンゼイという名前が意味するものを。
スクリーンから目を離して所長とその隣のオニール女史の方へ向けたジムの眼差しから、オニール女史はすぐにジムが言わんとするところを察した。
「やっと気付いたようね、ジミー」オニール女史は親しみを込めた笑みを浮かべていった。
「私はリンゼイ・オニール。Three Bells村の出身よ」
所長が後を引き継いだ。
「オニール君、リンゼイは、君と同じくらいの年齢の時、村を脱出して外の世界へ行こうとした。そして君と同じくシールドに触れセンサーが作動し、我々が確保してセンターに連れてきた。彼女は村に戻りたくないと言ったので、我々が保護して、18歳になった時ここの職員に採用した」
「今では管理部門のThree Bells村担当のチーフよ」と誇らしげにオニール女史が言った。
ジムはオニール女史の自ら人生を切り開いていく気概に感服しつつ、心に浮かんだことを尋ねた。「村に帰りたいと思わないんですか」
「そう思っていたら今ここにいないでしょ」と冗談ぽく答えたあと、オニール女史は真顔で付け加えた。
「まったく思ったことがないと言えば嘘になるけれど……でも、結局私自身で決めたの、ここが私の居場所だって」
ジムは今度は隣の所長に質問した。
「僕は村に戻れるんですか」
「もちろん戻れるよ。戻りたいかね」
ジムは迷いなく「はい」と即答した。
「それなら少し急いだほうがいいね。もうじき日が暮れる。村を蔽うシールドに何か所か出入り口があるが、村に1番近い入り口までエアカーで送ってあげよう。そこからなら15分くらいで村に着くよ」
「ありがとうございます。お願いします!」
エアカーのある駐車スペースへ行く途中のジムの心には、村への愛があふれていた。外の世界への憧れと執着が、村への愛に還元されたような気分だった。
展示室のスクリーンから村の教会の鐘の音が聞こえた時、不意にダニーの言葉がよみがえった。
「メアリーはいつも君を見ている」
その言葉はいま、ジムの心臓を高鳴らせた。メアリーとの将来を夢想することが、かつてない幸福感をもたらした。
「家に着くのは少し遅くなるだろうが、牧師の所に行っていたことにすればいいさ。うまく話を合わせてくれるだろう」
今度はジムの頭の中に、黒いコートに十字架を付け、聖書を手にした牧師の姿がクローズアップされた。
僕は牧師さんと秘密を共有するんだ。一緒に「Three Bells」のレコードを聴きながら、村や教会や外の世界の話をしよう。
そう思い巡らせるジムの顔つきは、自然にほころんできた。
ヒーローへの称賛の視線を全身に心地よく受け止めたジムは、すっかり「Three Bells」のジミー・ブラウンになっていた。
(了)