表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

2、冒険

2、冒険


春の夜風はすぐにジムのほてりを鎮めたが、同時にその心地よさがジムの探検心に弾みを付けた。彼の足はひとりでに教会の方へ向かっていた。

教会は、彼の家から10分ほど行った小高い丘の上にあった。幼いころから日曜日には欠かさず教会に通っているので、月明かりのほかほとんど灯りのない夜でも、迷わずに行くことができた。

素朴な石造りの教会は、古いが村で一番立派な建物だった。十字架を頂いた鐘楼には、鐘が3つついていた。

昼間は見慣れた教会だが、夜の闇に浮かぶその建物を目にすると、ジムの心臓は早鐘を打ち始めた。真夜中に黒ミサなんて馬鹿らしいと一笑に付していたのが、外の闇の抗いがたい力で本当のような予感がしてきた。

教会の窓から明かりが漏れているのを見て、ジムは体が凍り付いた。まさか……!

一瞬足が止まったが、勇を鼓して再び教会に近付いていった。さらにジムを驚かせたことに、教会の扉が半開きになって中から光と音が漏れてきた。

これは悪魔の罠ではないのかとジムは警戒したが、中から聞こえてくるのが讃美歌に似た美しいコーラスの曲だったので、警戒心は一気に退いて好奇心に道を譲った。

ジムは半ば無意識に扉から礼拝堂の中へ入っていった。内部は燭台の灯りに照らされ、高い天井の建物には荘重な気配が充満していた。

正面の祭壇に真っ先に目をやったジムは、そこにさかさまの十字架がないことにほっとした。(黒ミサでは十字架をさかさまにする)

燭台の灯りに特別の配慮をもって照らされた祭壇には聖書が置かれ、いつもと変わらぬ敬虔さがそこにあった。

祭壇の左手には十字架にかけられたキリストの像、右手にはオルガンがあり、人のいない会衆席はその空間自体が神の言葉に聞き入っていた。幼いころからの習慣で、ジムは祈りを捧げたい気持ちになった。しかし今彼の意識を支配しているのは、初めて聴く曲だった。

男声と女声のハーモニーが絶妙で、この礼拝堂に歓迎されるように溶け込んでいく。歌詞の中に祈祷の文があり、そのため一層礼拝堂との親和性を保っていた。

「我らを誘惑に陥らせないでください」


我を忘れて歌に聞き入っていたジムだったが、やがて歌詞を隅々まで把握すると、急につまずいたように叫んだ。

「何だ、この歌は! ジミー・ブラウンって誰なんだ、僕のことなのか!?」

その歌は、小さな谷間の村に、一番ではジミー・ブラウンが誕生し、教会の鐘が鳴り響き、人々はジミーのために祈る。2番では20年後、ジミー・ブラウンは妻と出会って結婚し、二人を祝福する鐘が鳴る。3番はジミー・ブラウンが亡くなり、教会の鐘が淋しく鳴る。人々は天に召されるジミーの魂の救済を祈る。

ジミー(ジム)ブラウンというのはごくありふれた名前だ。けれどもこの村には一人しかいなかった。そして、松の木が立ち並ぶ谷間の小さな村、それだけの歌詞でもジムはそれがこの村のことに違いないという天啓のような閃きがあった。

曲は終わり、その後に続く静寂がまるで屹立するようにジムを取り囲んだ。祭壇に向かって立ち尽くしていたジムは、不意に背後から「ジミー」と呼ばれてビクッとした。

反射的に振り向くと、彼のすぐ後ろに黒服を着た牧師が立っていた。半開きの入り口の扉から、滑るように入ってきたらしい。

「やはり来たんだね」と牧師は説教の時と同じ厳かな声音で言った。

「ど、どうして……?」

ジムは訳が分からず訊いた。

「天のお告げがあったんだ、君が夜にここへくるだろうっていうね」

牧師は40代後半、きちんとした身なりで、まじめで穏やかな人柄のため、村人の信望を集めていた。教会の隣にある牧師館で、妻と二人の子供と暮らしていた。

普段村で見かけるときは詰襟のシャツにスーツという格好だったが、今は礼拝の時と同じ黒いコートのようなガウンを羽織っていた。

そのガウンは彼が聖職者だというしるしのようで、それを着た牧師は普段より神に近い存在のオーラを発していた。そのため、「天のお告げ」という牧師の言葉にジムは説得力を感じ、それについて追及しなかった。

「この曲、何なんですか」ジムの関心の対象はそれだった。

牧師は、予期した通りの反応だと満足したように微笑を浮かべた。

「いい曲だろう?もう一回聴くかい?」

そう言って牧師はゆっくり祭壇の方へ歩いて、祭壇に隠れるようにしゃがみこんだ。牧師の姿が見えなくなったので、ジムは慌てて祭壇の裏側に回りこんだ。

すると牧師は床に置かれた四角い物体の上にかがんで、何かを操作していた。それは幅40センチくらいの板に透明のおおいがついていて、板の上に丸い物が載っており、牧師が端についているアーム状の物を持ち上げるとクルクル回り始めた。

そしてアームを回る丸い物の上にそっと載せると、さっきの曲が聞えてきた。


「There's a village, hidden deep in the valley

Among the pine trees, half forlorn」


不思議な物体の上にかがんで操作している牧師は、黒いガウンの裾が床に広がって魔術師のようだった。

ジムが息を殺してクルクル回って音を出す謎の物体をのぞき込んでいるのに気付いて、牧師は振り向いて、まるで自分の発明品のように得意げに言った。

「これはレコードっていう物なんだ。初めて見るかい?」

ジムはごくりと唾を飲み込んで「はい」と答えた。

この村にはレコードもレコードプレーヤーもなく、今後もそれが普及する見通しはなかった。

それでは、なぜここに? やはり、外の世界からこっそり大きな怪鳥が物質を運んでくるという噂は本当なのだろうか。

ジムは、疑問でもやもやする気持ちをすっきりさせるべく尋ねた。

「その、レコードはどこで手に入れたんですか」

牧師はいささか芝居がかった態で困惑の表情を浮かべた。

「うーん、それは秘密にされているんで、言えないんだよ。」

牧師の口からでた「秘密」という言葉は、先ほどの「天のお告げ」同様、みだりに詮索したりして踏み込んではいけない神聖な領域に属すると、ジムは感じた。

この村で生まれ育ったジムは、神の領域を侵してはならないことを本能に刻み込まれていた。それに、レコードそのものよりそこから生まれる曲の歌詞への疑惑が、ジムの中では優先的な問題だった。

「ジミー・ブラウンって、僕のことですか」

牧師は、再び自分の読みが当たったという風な微笑を浮かべた。

「そう思うかい?」

「名前は確かに僕と同じなんです。でもそれ以外、僕だという特徴はないですね。この曲のジミー・ブラウンに関しては、生まれて、結婚して、死んだ、それだけです。あと、ずっと同じ村にいたということ」

「そうだね、だけどこの男は個性がない一種のステロタイプだけど、信心深く、誠実で幸福だったというのが伝わってくるね」

「ありふれた、どこにでもいる人間ということですか?だったら他の人でもいいわけで、そんな他人と置き換えのできる人生ではつまらないと思います」

牧師はジムの言うことを、もっともだと同意するように頷きながら聞いていた。

「君の言いたいことはわかったよ、ジミー、君はまだ若くて賢くて才能に溢れている。だから、平穏で月並みな生き方は嫌なんだろう?」

「そうです。当たり前じゃないですか? 誕生、結婚、葬式、一生のうち大きな出来事がそれだけなんて嫌です」

「いや、それは教会の見地からの出来事であってね、あくまで教会の鐘がテーマだから、その鐘を鳴らすような出来事と言ったらその3つということなんだよ」

理屈の通った牧師の言葉も、ジムの心の波立ちを鎮めることはできなかった。

牧師はレコードを何回も繰り返してプレイできるようにして、説教するときのように居ずまいを正して祭壇の前に立っていた。そこにいる時が、自分が最も高潔な人間になれるというように。

ジムはまるで牧師の説教を聞くように、会衆席の一番前の長椅子に座っていた。彼はふと思いついて牧師に質問した。

「牧師さんは僕みたいに、外の世界に行ってみたいと思ったことはないんですか?」

言ってからジムは後悔した。牧師という神職につくべく生まれついた者が、たとえ子供の頃であれ、教会を見捨て神に背くようなことを考えるわけがない。

自分の不適切な問いに恥じ入ってうつむいたジムに、牧師は優しく声をかけた。

「私だって人間だからね。立場が違っていたら、君みたいに外の世界へ憧れたかもしれないよ。でも私は生まれた時から聖職者になることを定められていたんだ。だからそれ以外のことは、邪念として切り捨てた」

ジムがまだうつむいて黙っているので、牧師は話を続けた。

「私には、君の行動を止めたりする権限はない。君に自分の願望を抑えて生きていくことを勧める気はないんだよ。君の人生は君の物だ。君の運命は、君自身で切り開け。私が言えるのはそれだけだ」


村の信仰心と良心の拠り所である牧師の言葉は、ジムの心に反響し続けた。学校にいる時も家にいる時も寝ている時もジムは半ば上の空で、牧師の言葉を糧に自問自答していた。

そして、数日後に決断した。外の世界へ行くことを。

ジムが生まれた日のように、太陽の光が惜しみなく降り注ぐ好天の朝だった。ジムは学校へ行くと言って、ひそかに以前から目を付けていた、村から脱出する道へと進んだ。数メートルも行くと道は消滅し、けものみちともいえない空間を盲滅法に前進するしかなかった。

どんな困難や障害に遭遇しても決して後悔しないこと、それが真の冒険家の心得だと、ジムは自分に言い聞かせた。外の世界に行ってどうするか、村には戻るのかといった先のことは考えず、ただ冒険家の血を沸き立たせて、今この時を信じて行くのだ。


切り立った崖を体を横にして恐るおそる通り抜け、膝まで水に浸って川を渡り、垂れこめた木の枝を潜り抜け、一秒一秒が危機一髪の真剣勝負だった。

川岸の岩に座って、ジムは母が作ったお弁当のおにぎりを食べた。陽光が川面に達して光を散乱させている。陽の光の来訪に応えるように、川の底から魚が水面にはねて飛沫をまき散らす。

村を流れる川でよくある光景だったが、山脈のようにそそり立つ危険に取り囲まれた冒険のさなかでは、その光景がいつもの何倍も美しくいとおしく感じられた。

この川は、外の世界に通じているのだろうか。魚は、村と外の世界をこの川を泳いで行き来できるのだろうか。

川はこの先水かさが増し、急流になっていて、人間が歩いて川をたどっていくことは不可能だった。ジムはおにぎりを食べ水筒の水を飲むと、岩から腰を上げ、川から離れて急峻な山道を登っていった。


しばらくすると、天気が急変して驟雨に見舞われた。激しい雨と険しい道のWの苦難に、ジムの心は折れそうになった。木々も雨を遮るどころか、葉が雨粒を跳ね返して攻撃してくるので、ジムは全身びしょ濡れになった。

弁当を食べた後で良かったと、彼は思った。カバンの中には邪魔になるので後は何も入れていなかった。

こんな雨ぐらい冒険では当たり前だと、ジムは歯を食いしばって、弱気が顔を出すのを食い止めた。彼は前進するのをやめなかった。視界がほとんどきかず意識も朦朧としてきたが、ここで倒れたら本望だ、勇者として死ねると思うと、かえって力が湧いてきた。

艱難辛苦に満ちた時が濃密に続き、彼には世界の果てと感じられる場所で、ジムの体は限界に達した。痛む足はもう気力をもってしても一歩たりとも動こうとしなかった。彼は全身がくず折れて行くのを感じ、両手を何かを掴もうとさし伸ばした。

その時、何もないと思えた空間で、手が何かに触れた。ツルツルしたビニールのような感触。「何だろう、これは」と呟きながら、ジムは意識を失った。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ