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1、谷間の小さな村

1、谷間の小さな村


谷間の奥深くに隠れるように小さな村があった。松の木が立ち並び、よそから訪れる者もなく孤立していた。

その村である晴れた日、赤児が誕生した。

教会の鐘が、その子、ジミー・ブラウンの誕生を祝って鳴り響いた。

村人たちはその子のために祈った。


「我らを誘惑に陥れないでください

この瞑想の時を祝福してください

彼を永遠の愛で導いてください」


年月は何の混濁もなく山の清流のようにサラサラ流れ、ジムは15歳になった。

ジムは聡明で器量も良く、好奇心と野心も持ち合わせていた。しかし名もないこの村では、それらは特別の意味を持たなかった。なぜなら、ここが世界のすべてで名前を付けて他の地と区別する必要もない村では、その平穏さを破る針のようにとがった好奇心や野心といったものは無用とみなされていたからだった。


こんもりと木が生い茂った山に囲まれた村は気候温暖で、果樹園や畑には作物が天候の被害を受けることなくよく育ち、自然の恵みに溢れた村の景観は絵葉書のようだった。

ジムは生まれてこの方、台風や洪水などの災害を経験したことがなかった。災害だけではない、村には殺人などの犯罪が起きたことは絶えてなく、警察すら存在しなかった。

人口わずか350人程度のこの谷間の村は、世界と隔絶しているがゆえに幸せばかりを純粋培養して満ち足りていた。

しかし、そんな濁りを知らない村の清浄な空気に、ジムの心は百パーセント溶け込めきれなかった。彼の心から事あるごとに棘が突き出て、さらさらした絹のような村の空気や時間にひっかかってほころびを作った。

たとえば学校で先生はこう言う。

「この村の外にも世界はあります。広大な世界です。けれどもそこへ行く手段がないので、行くことは不可能です。本に書いてある世界と同じく、想像の中に存在すると考えるとよいでしょう」

ジムは村の図書館で、何冊か外の世界を舞台にした本を読んだ。この村より大きな町や都市で人々は生活していた。自分たちと同じような人々だが、より広い世界に住んでいるというだけで、彼らの感情、行動範囲、能力、それに人生そのものがより有意義な広がりを持っているように思えた。

村には本屋がなく、図書館にあるのは検閲されたような古い本ばかりだった。大人の何人かは新しい本を外から手に入れているという噂だった。

ジムは外の世界の本を読むごとに広い世界への憧憬が膨らみ、もはや想像力の中だけでは収まりきらなくなっていた。村にはない活気、文化、喧騒、雑踏、それらが増幅して胸の鼓動を高めた。そして、激しい動悸をともなう憧憬は、必然的にひとつの疑問を生み出した。

「なぜ外の世界へ行ってはいけないのか?」

そう、行く手段がないといっても、外の世界は現実に存在するのだ。好奇心と憧れで未知の地を切り開く冒険家たちのように、困難を乗り越えて行けばいい。


しかし大人たちは断固たる口調で反対した。

「冒険家というとヒーローみたいなイメージがあるが、成功した者はごくわずかで、大半は無謀なチャレンジで命を落とす愚か者なんだよ。お前は頭がいいんだから、そんな愚か者になってはいけないよ、ジミー」

現に過去に何人か村から外の世界へ出て行った者がいたが、いずれも戻ってくることなく杳として行方が知れなかった。

最近では、10年前にリンゼイという女性が村からの脱出を試みたという。ジムは5歳だったが、その時の村をあげての大騒ぎは幼な心にも記憶していた。確かその女性は今のジムくらいの年頃だった。

彼女の身に何が起こったのだろうと想像して、ジムの胸にはつむじ風のような興奮が湧き起こった。


村に一つだけある学校では、読み書き、計算といった生活に必要な基本的な事柄だけを学び、あとは道徳や読書の他、歌を歌ったり楽器を演奏したり踊りを踊ったりと、ほとんど遊びに近いことをして過ごした。

村の主な生業は農業や牧畜で、それに従事する者が多かったが、医者、床屋、仕立て屋、靴屋、雑貨屋、食堂、郵便局に銀行などもあった。

それらの職業は世襲制で、技術やノウハウは親から子へ直接教えた。だから学校の役割は、もっぱら犯罪のない村の住人になるための道徳を学ぶことと、楽しく幸福に生きるを最上のモットーとする人格形成だといえた。

村人の気風は生来争いとは無縁と思われたが、それでも子供の頃は小さな喧嘩が起こりがちだった。そんな時、先生や親たちはあくまでも柔和な態度で、言葉だけは厳しく叱責した。

「汝の隣人を愛せよ」と大人は口を酸っぱくして繰り返した。


村にはラジオやテレビもあったが、それらは一言で言って、古臭かった。ラジオは雑音が入ってよく聞き取れず、テレビは白黒でこれも映りが悪かった。

番組はホームコメディや音楽が中心だったが、何度も同じものを放映するので見飽きてしまった。外の世界の中でも最も大きな国で制作された番組らしかったが、ホームドラマに出てくる二人の息子のうち、下のリッキーは声変わりしてギターを弾くようになり、ドラマの中でも歌を披露するようになったが、それから先がなく時の障壁にぶつかったようで、次の回はまた声変わり前の幼いリッキーに戻っているという具合だった。

「現在」を知るためにはニュース番組が最も確実だったが、ただでさえ映りの悪いテレビが、ニュースの時間になると映像と音声が視聴できないほど乱れた。


「それはこの村が、外の世界から見てすごい僻地にあるからなんだろう?」

ニュースの内容を全く知ることができないことに苛立ち、そこに何かの意図を感じるというジムに対して、友人のダニーはもっともらしい解釈をした。

二人は学校が終わった後、よく学校のそばにある果樹園に行った。そこは日当たりが良く、果樹園の向こうには畑が広がり、その先には雄大な山が村の守り神のように頼もしくそびえていた。

春にはリンゴの白い花がリンゴの精が現れ出たように咲き、馥郁たる香りで人々を魅了した。

二人は木のベンチに座り、山の陰に吸い込まれていく夕陽を眺めながら話した。いつ見ても尽きることのない感動を与えてくれる眺めだった。

ジムはこんな素晴らしい景色を眺めることができるのなら、僻地も悪くないと思った。しかし、次の瞬間には、一生この村で生きるのだという事実への反発が苦々しく喉にこみあげてきた。

「君の家はニワトリを飼育しているんだろ、ダニー」

ジムは思いを将来の方に向けて尋ねた。

「うん、それと畑も持ってる」

「じゃあ、君はその畑とニワトリ小屋を受け継ぐわけだ」

「そういうことだね。で、君は? 君の父さんは郵便局で仕事してるんだよね」

ジムの父親は郵便局員だった。外の世界とは交流がないので、村人同士で手紙やハガキを出し合っていた。きれいな切手や絵葉書などを郵便局で売っていて、通信目的というより、切手や絵葉書そのものを贈ることに意味があった。それは、村に一件ある花屋同様、夢のある職業に思えた。

クリスマスには村中の人たちがクリスマスカードを交換し合ったが、そのカードを売ったり配達したりするのも郵便局の仕事だった。

招来の不安はないと言えばなかったが、ジムの心の中には今からパステルカラーの未来の絵図を眺めて過ごすより、暗く不吉な色彩がそこに混ざる余地があってもいいから、未来は白紙のほうがいいという願望が芽生えていた。


複雑な表情で夕陽を見ているジムに、突然ダニーが水を向けた。

「ところでさ、メアリーって最近きれいになったと思わない?」

「えっ、な、何だよ、急に」

ジムは当然のことながら狼狽した。メアリーは彼らが通う学校の生徒だった。生徒数が少ないので学年ごとにクラスを作らず、2~3年ごとにまとめて授業を行っていた。そのクラスでも女子は10名ほどしかいないが、中でも男子に人気を集めているのがメアリーだった。ジムはメアリーのことを悪くないとは思ったが、格別意識していなかった。

少し気持ちが落ち着くと、突然水鉄砲のように発射されたこの問いの裏にある意味が見えてきた。

「さては、好きなんだな、メアリーのことが」

図星とばかり、ダニーは顔を赤くした。

「そ、そりゃ嫌いじゃないけどさ、でも」

ダニーはいわくありげに間を置いた。もったいぶるというより、言うのを渋っているという風だった。

「あいつ、君のことが気になってるみたいなんだ」

ジムは内心驚いたが、あえて平静を装った。

「嘘だろ、何の根拠があって……」

「僕にはわかるんだ、メアリーはいつも君を見てるもの」

それは君がメアリーばかり見ているからだろうと、ジムは心の中で呟いた。

二人はしばらく沈黙した。

夕陽はほとんど山の陰に没し、その残照が木々や畑に名残のヴェールをかぶせるように赤く染めていた。ねぐらに帰る鳥たちが空を舞っていたが、ひときわ大きな鳥がジムの目を引いた。タカだろうかワシだろうか、その動きが敏捷さに欠けぎこちないことが気になった。

「さあ、もう帰ろう」とダニーがベンチから立ち上がりながら言った。

ジムはぎこちない飛び方の鳥から目を離して、家路に向かうことにした。

別れ際にダニーがぽつりと言った。

「君が羨ましいよ、ジミー」


その夜、ジムは夕食後、一人自室にこもって考えに耽った。居間では両親と弟のトムがテレビを見ていた。チャンネルは一つしかなく、番組はホームドラマ、西部劇、音楽、ニュース等と限られていた。

今は音楽番組を放映しているらしく、「E・Sショー」という番組にロックンロールバンドが出演していた。エレキギターをかき鳴らすロックンロールは、新しい音楽スタイルとして世の中に旋風を巻き起こしたが、その旋風も数年前に見たものと同じとなると新鮮味がなかった。

ジムはまだ15年しか生きていないが、この村で放映されているテレビ番組がニュース以外は5~10年周期で同じものを繰り返しているのだと見破っていた。

それはダニーが言ったように、この村が僻地だからなのか?

他にも疑問に思うことはいくつもあった。

たとえば外の世界では西暦で年代を数えていて、概ね世界共通になっているのに対し、この村は世界とのつながりを絶つように西暦を使わず、独自の暦を採用していた。

それは10年ごとにリセットされる奇妙な暦で、動植物の名を用いた年号、飛鳥、昇龍、黒杉といったもので、黒杉元年、飛鳥3年という具合に表された。

この村の思想の象徴となるのが教会で、村人は皆大層信心深かったが、そんなキリスト教に依拠した村がキリスト生誕を起源とする西暦を使わないのはおかしいとジムは思った。


村の疑惑と矛盾に満ちた謎を、神の教えで韜晦させているのが教会だった。村の子供たちは物心つく前から日曜学校などで聖書に慣れ親しみ、その教えを至上のものとして尊んだ。

すべて神の御業として片付けて、疑問の芽を摘み取っているような気がした。

聖書には、働きもせず紡ぎもしない野の花も神は美しく装わせてくださると書いてある。だから、神を信じすべてを委ねていれば、安心して生きられるというのだ。しかし、その全幅の信頼は真実を求める気持ちを麻痺させてしまうのではないか?

そして、無知蒙昧な人々の社会には、迷信や噂がはびこる。この村にもそんな噂がある。村は自給自足が建前だが、足りない物資もあり、それは大きな怪鳥が夜中に運んでくる。

それに、教会では真夜中に悪魔を崇拝する黒ミサが行われているという噂もあった。ジムは長い間語り継がれてきたその黒い噂を思い出して、胸がムカムカした。そのムカつきに「君がうらやましいよ」というダニーの言葉がオーバーラップして、不快感を増長させた。

「いったい何が羨ましいんだ。君も僕もこのちっぽけな村に閉じ込められているということでは同じじゃないか!」

怒りで体が火照ったジムは、外の風に当たってくると言って家を出た。





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