プロローグ
はじめまして。
お久しぶりの方がいればありがとうございます。
以前に書いていたものがどうも筆が進まず、新しく書きはじめてしまったら、なんとなくこっちの方が書きやすくなってしまいまして。
新作の公開と相成りました。
魔法中心の話で、作者の好み全開の話です。楽しんでいただければ幸いです。
プロローグ
断続的に響くキーボードの音を聞きながら、相模雄二はカレンダーを見つめ続けていた。
同僚の木村が真剣な顔をして書類を作っている横で、同じような顔をしながらカレンダーを見つめる雄二の姿は、見ようによっては格好良く映るかもしれない。
1分ほど経って、ふと気づいた様子の木村が顔を曇らせた。
「何やってんの、相模先生。今月なんかあった?」
心配するというより、責めるような口調で尋ねられた雄二は、しかし気にする様子もなく答えた。
「明日は勝負だなぁと思ってね…。」
「勝負?なにが?」
聞いた瞬間、木村は納得したような顔になった。
「あぁ、確かに…。明日は終業式だもんなぁ。うちの塾の冬期講習もいよいよか…。」
そう答える木村の言葉を聞き流しながら、雄二は明日発売される新作ゲームの発売に合わせ、いかにして早く仕事を終わらせるかを考え続けていた。
『ドラゴンファンタジー』通称DFは、国民的RPGゲームであり、新作が出るたびに学校の出席率が下がったり、休みを取る会社員が増えたりするほどの社会現象を起こす、超ビッグタイトルであった。
今回の新作では、主人公が魔法使いという設定で話が展開し、自分で複数の魔法を組み合わせて新しい魔法が作り出せるという新システム「スペルクリエイト」が目玉となっていた。
小さい頃から魔法の世界に憧れていた雄二にとって、今回の『ドラゴンファンタジー9』は、まさに待望の新作RPGである。
その発売日が明日へと迫る中、雄二が勤める学習塾『栄光塾』では、学校が軒並み冬休みへと突入し、大学の一次試験を控えた今、超繁忙期をむかえようとしていた。
少しでも早くゲームをプレイしたい雄二にとって、仕事が忙しくなる時期とビッグタイトルの発売が重なってしまったことは不運だった。
雄二は幼い頃からファンタジー世界が好きだった。海外の児童書を読み漁り、魔法使い達が冒険を繰り広げる世界に憧れた。中学生になるとライトノベルやアニメの世界にはまった。多種多様な設定で、物語の登場人物が魔法を使い問題を解決したり敵を倒す姿に憧れた。
一時期は自分にも魔法が使えるのではないかと、今思い出せば床を転げ回りたくなるようなイタい事をやっていた時期もあった。
そして、今でもそんな魔法への憧れは失われていなかった。
ーーいつか、魔法が使える世界にならないかなぁ…ーー
そんな妄想にとらわれながら、雄二は諦めたようにパソコンを開くのだった。
塾内での雄二は、まさにカリスマ講師だった。生徒からの評価は上々で、保護者のあしらい方も上手い。何より授業内容がおもしろいと評判だった。
生来、なにかを研究するのが好きで、自分が興味を持ったものに対してはどこまでも突き進む。そんな雄二の性格は学者に向いていたといえる。しかし、雄二がもっとも心惹かれたものは学問ではなく「魔法」だった。自分の思った通りの事がなんでもできる。そんな夢のような力に憧れを抱き、何度魔法の呪文を唱えただろうか。
しかし、そんな夢も中学生となり現実を見るようになっていくと不可能だと気付かされた。こうして、魔法に憧れる社会人ヲタクが完成していった。
帰宅途中、ふと目を向けたショーウィンドウの中にサンタクロースの衣装が飾られている。
「そういえば、今年のクリスマスイブは休日か…」
そんな独り言は町の雑踏にかき消されていく。
大学進学を機に一人暮らしを始めてからというもの、クリスマスという行事に特別ななにかを感じたことはなかった。強いて言えば、クリスマス商戦に合わせて各社が一斉に人気のゲームを発売する。その恩恵にあずかるくらいのものである。
仕事を始めてからはなおさら、繁忙期と重なる関係でクリスマスを楽しんだ記憶など全くない。自分の人生に占めるクリスマスの割合が何%になるだろうかなどと、くだらない事を考えながら、帰り道を歩いた。
ふと気がつくと、目の前が妙に明るい。
不自然なほどに明るい周囲の状況にも不安を覚えるが、それ以上に異常な状況が広がっていた。
振り返るとこれまで歩いてきた道が消えて無くなっている。
いや、正確には消えたように見えている。
そこには何も無かったのだ。何もない。真っ暗な世界が広がっている。
いや、それすらも正しい表現とは言えないかもしれない。
そこには何も存在しない空間が存在していた。
見えるわけではない。しかし、直感的にそう感じ取ることができた。そして、その空間に入り込んでしまった者がどうなるのかも、直感的に感じ取れてしまった。
「なんだ、これ…。」
先ほどまでとは違い、完全な無音であるにもかかわらず、今度の自分の独り言は暗い空間に吸い込まれて消えてしまったかのように錯覚する。
瞬間、雄二は走り出した。とにかくこの空間から逃げ出すために。
全力疾走などいつぶりだろう。そんな冷静な自分がいることに驚きながら、一方でこんなタイミングで考えることでもないと焦る自分がいる。思考はぐちゃぐちゃな状態で、一心不乱にただ前に走り続けた。
どれほど走ってきたのかはわからない。どれほど経ったのかもわからない。
ただわかることは、絶対に振り返ってはいけないということだけである。
振り返ったら最後、自分はもう元の世界に帰れないような気がした。
そう考えて、ふと、思ってしまった。
ーー自分は、今の暮らしにそれほど執着しているのだろうか?ーー
そんな考えがよぎった、次の瞬間。
何もないはずの空間で足を取られた。
派手に転んだとは思えないほど、痛みはまるでない。いや、転んだという感覚さえ曖昧だ。
そう、感覚が曖昧だった。
ーーあぁ、死ぬんだ…ーー
なんとなくそう感じられ、それを受け入れている自分に驚いたが、そんな驚きも、次第に消え去っていった。
最後に残っているのは視覚。
そして、その視覚から送られてきた情報は、自分という存在が、よくわからない暗闇に飲み込まれていく。そんな吐き気がするはずの光景だった。
遠くから声が聞こえてくる。
ーーミツケタ…。ーー
どこか嬉しそうに、そしてどこか気持ち悪い。そんな声を聞いた気がした。
聞こえるはずもない、そんな声を、心の奥にしまいこみながら、暗い闇へと落ちていった…。
目が覚めた。
覚めるはずのない眠りから覚めた感覚を表現するのは難しい。
今の自分の感情を素直に表現することができれば、もしかしたら偉大な詩人になれるかもしれない。そんなくだらない事を考えながら、やはり自分の状況を理解することはできなかった。
なぜなら、自分の目の前に広がる世界は、全く見たことのない異世界だったからである。