第7話 素晴らしき貧乳学園3 比入氷雨の過去
氷雨の過去のことを、もっと夏姫から聞き出したかったな。
そんなことを思いながら、地元の駅の改札を出た時、何と比入氷雨の姿が目に飛び込んできた。青いティーシャツにジーパン姿という、制服とは違ってラフな服装だが、見間違うわけがない。至高の貧乳オーラがほとばしっている。
ただ……今は、何となく会いたくなかった。
「よ、よお、氷雨。偶然だな。こんな遠くまで、どうしたんだ?」
平静を装って話しかけてみた。
「いや、偶然じゃねえよ」
その言葉に、ドキリとする。まさか、夏姫ちゃんと遊んでたことがバレたのではないか、と。
「好史のこと待ってたんだ。ちょっと話したいことあってさ」
「は、話したいこと?」
何だ。何なんだ。
もう浮気を責められる場面しか思い浮かばない。
「どうした好史? なんか目逸らしたりして。トイレか?」
「そ、そんなことはないが」
「それに、なんかほっぺた少し腫れてない? 赤くなってるぞ」
夏姫に平手打ちされたからだ。とは言えない。
氷雨以外の女子と内緒で会ってたことを知られるわけにはいかない。
「いや、ちょっと、あれだな。なんか眠かったから、電車内で何度も自分の頬を叩いてたんだ」
「なんだ、てっきり浮気でもした挙句、相手の女に失礼なこと言って殴られたのかと思った」
完璧にあたってるぜ。とは言えない。
「実はさ、好史。さっきさ、占い娘いるだろ。あれに会ったんだよ」
「ああ、あのヤキソバヘアーの黒ずくめ貧乳ちゃんだな」
「そうそう。あの子にさ、好史に会うにはどうしたら良いかって訊いたんだ。そしたら、ここで待ってりゃ、そのうち改札から出てくるって言うから」
さすが占い娘ちゃん。そこそこ的中率の高い占いを持っている。
「ちょっと、座って話したい。付き合え」
いまの氷雨には逆らう気は起きなかった。
俺は何度か頷いた。
薄暗いベンチに場所を移す。駅前のバスロータリーを眺める広場。そこにあるベンチに並んで座った。周囲には、俺たちの他に誰も居なかった。
多くの人が帰宅する時間帯のようで、満員電車が背後の金網の向こうに停車して、すぐに発車する。
騒がしい世界のなかで、喧騒がどこか遠くにきこえる。そのベンチの周りだけ時間が止まっているような気がした。
「ええと、氷雨。話したいことって、何だ?」
俺は法廷で罪状を告げられる気持ちになりつつも、勇気を出してそう訊ねた。
もしも浮気だと言われて責め立てられそうになったら、「オイオイ好きだとは何度も言ったが、まだ貴様と付き合うとも何とも言ってないだろう」という紛れもない事実を語って、逆に居直り、「何様のつもりだ」と叱りつけてやろうかとさえ思っていた。
相当にかっこわるいが、そのへんの間違ったプライドを俺は大切にしてしまっているのだ。
しかし氷雨は、俺が夏姫という氷雨以外の貧乳と会っていたことを把握しているわけではなかった。
「今日はちょっとさ、あたしのことを、知って欲しくて」
「知ってるさ。背が高くて、髪は短めで、目つきわるくて、素晴らしい貧乳を持っていて、頭のおかしいレベルの暴力を振るう娘だろ」
「そういうことじゃなくて」
「それだけで十分じゃないか。最高の貧乳だぞ。誰と比べても、最高の」
「だからさ、そういうことじゃないんだって。お前、なんか見た目のことばっかでさ、あたしが本当はどういう人間なのかとか、全然見てくれてないだろ?」
「すぐ怒るし、殴るし蹴るし」
「う、それはさ、ごめんて思ってるけど、でも好史がすぐ貧乳貧乳って言うから……」
「それは氷雨さんが貧乳貧乳と言って褒めちぎりたくなるような、誇るべき貧乳を持ってるんだから、仕方ないだろう」
「誇れるかよ……」
「おいおい何でそんなに自信が無いんだ。お前がその素晴らしき貧乳を誇れない理由は何だ!」
「だからさ、そのことも含めて、今日は貧乳以外のことをさ、好史と話したいと思って、ここに来たんだよ」
「そ、そうか……」
なんだかいつもよりも全然元気が無くて、調子が狂うぜ。
背後を満員電車が通り過ぎていく。前方の人通りも多い、バスやタクシーが次々に街道へ出て行く。またしても、自分たちだけが世界から弾かれているような錯覚に陥りそうになる。
氷雨は落ち着いた声で、感情を抑えるように語りだす。
「好史とさ、夏休みになってから、全然会えなくなっただろ。それで、なんかあたし、焦っちゃって……。おかしいよな。いつもは貧乳貧乳って言われて、むかついてばっかなのに、夏休みに入ったばかりの頃は、せいせいするとか思ってたのに。でも、いざ言われなくなったら、物足りなくなっちまって」
「何をデレてんだよ、お前らしくもない」
「そうだよな。最近、あたしらしくないんだよ。好史のことで、何度も不安になってさ。なんかもう、わけわかんなくて」
「大丈夫だ。不安になることなどない。俺は、お前の貧乳を嫌いになることなんて、無いぞ」
「そうかもしんない。でも、もしさ、あたしから『一番の貧乳』っていうのが無くなっちゃったら、どうなるのかって、思ったりさ……」
これは本格的に悩んでいると思った。だって、貧乳のことをこんだけ言っても殴る気配すら見せなかったから。
普段なら、まず拳や膝や足の甲やカカトが飛んでくる場面の連続なのに。
釣竿をどれだけ振っても食いついてこない。
「だから、好史。あたしの話をきいてほしい。そして、貧乳としてのあたしじゃなくて、比入氷雨としてのあたしってやつを知って欲しいんだ」
いつもと違って柔らかい雰囲気の氷雨は一つ深呼吸して、素晴らしい貧乳を上下させた後、元気のない声で過去を語り出した。
「昔、小学校時代に、好きだった男の子がいたんだ」
「ほう、どこのどいつだ」
「いや、その辺に居るつまんないやつ」
「そうか、ならいい」
「それで、その好きだった年上の男の子が、さらに年上の巨乳の女と付き合うようになったんだ。あたしの初恋はその時終わった。その時は、まだ子供だったから、あたしも年齢を重ねれば胸おっきくなって、そうなればモテモテになるって思ってた。そうなるまで待とうと思ってたんだ。でも、この通り、大きくならなかった」
「それでよかったんだ。その貧乳は最高だァ」
「……その後、あたしは中学生になって、そこで二回目の恋をしたんだ。だけど、そこでもまた相手が巨乳とくっついた。すごい悔しくってね。何であたしは貧乳なんだろうって、運命を呪いたくなった」
「そんな悲しいことを言うなよ。貧乳は素晴らしいものだぞ」
「……でもね、あたしが貧乳なことで、また問題が起きた」
「何だってんだ」
「お母さんが、あたしのこと、病院でとりちがえたんじゃないかって……」
まるで巨乳のように重たいことを言われた気がする。貧乳の氷雨さんらしくない。
「それって、どういう……?」
「自分の本当の子供じゃないんじゃないかって疑いはじめたの。そんなことないって、あたしは思ったし、はげしく主張したけど、でも証明なんてできないじゃん。あたしが産まれた病院に確かめに行こうにも、その病院はもう無くなってたし……。そんでもって、そういうことがきっかけになったんだろうね。両親がケンカばかりするようになって……。だから、全部あたしが貧乳なのがいけないんだって思って……」
「家で自分で揉んだりしてたのか……」
「うん」
まじかよ。真顔で返されたぞ。
「だけど、成果出なくってね」
「だろうな。どこからどう見ても素晴らしい貧乳だ」
「うん。そして、中学の三年生になって、転機が訪れた。受験シーズンになった時、スカウトされたの。あなたなら特別枠で入学できますよって」
「貧乳学園だな……和井喜々学園だったか」
「そう。その女子高からのスカウトだった。もっとも、その時は貧乳学園って呼ばれてるなんて知らなかったし、三年間学費も払わずに済んで、生活費まで支給されるっていう話だったから。オイシイ話だと思った。しかも、特待生になれば、親元から離れて寮生活もできるっていうから、喜んで飛びついたんだ」
「すごい待遇良いんだな。まぁ無理もない。それだけ素晴らしい貧乳をしてればな」
俺がそう言った時、氷雨は俺を一瞬だけ普段のキツイ目つきでにらみつけたが、すぐに視線をそらし、車通りの多い街道にぼんやりとした視線を向けた。
ひとつ息を吐いて、さらに続ける。
「でも、学園に入ってみて、気付いたよ。周りがみんな一人残らず胸ちっちゃくてさ。自分の何が評価されたかっていうと、胸だったんだもん。これまでの努力とか忍耐とかに対してじゃなくてさ、生まれ持った肉体に対してだけだもん。本当、あっという間に、やる気なくしちゃってたんだ」
「…………」
「しかもね、そういう特別待遇が反感を買って、先輩や同級生に目つけられちゃってさ、そいつらも似たり寄ったりだってのに、貧乳貧乳って言われて、口にも出したくないような悪質ないやがらせとかもされた。さすがにグレるよね、そんなことがあると。あたしは、そいつらにやり返すために、必死に体を鍛えて独りで戦ったんだ」
「先生とか、大人たちはどうしてたんだ」
「味方になってくれた人もいたんだけど、この春、お世話になってた先生方が、根こそぎ居なくなって、それでついに素行が悪いからって理由で転校させられた」
「ほう、そんなことがあったのか」
「でもまぁ、転校しても構わないと思ってたんだ。みんな似たような胸なのに、あたしだけ特別待遇ってのも意味わかんなかったし――」
「それは、前の先生がたには貧乳に関する審美眼があったが、入れ替わった後のヤツらの目が腐ってたってことだろ」
「うん。そうかもな」
氷雨は、俺の貧乳愛あふれる発言を軽く流し、話を続ける。
「それでさ、むしろ、転校したからには普通に友達をつくって、心機一転、最後の一年間楽しむぞって決意してたんだけど、いざ転校してきたら、そこに貧乳好きの変態野郎がいて、転校デビューに失敗して、友達なんて出来やしない」
「それは、なんとも悲惨なことだな」
「何を他人事みたいに言ってるんだろうな」
「こんな貧乳をつけてる氷雨が悪いぜ」
俺はそう言って、ふざけたことに氷雨の青いシャツ、その平たい胸の部分に手を伸ばした。
笑い飛ばせるかなと思ったんだ。腕をばっきばきに折ってくれて、こっちが真面目に話してんのに何なんだよ、とか言って、街道や線路に吹っ飛ばしてくれるかなと思ったんだ。
だけど、氷雨は無言で俺の腕を優しく掴んで、ただ黙っていた。
おかしい。こんなのは嫌だ。俺と氷雨のコミュニケーションは、ひたすらに軽快で豪快であるべきだ。
今山夏姫くらいの平手打ちでは全然足りないんだ。氷雨の拳が欲しい。
なのに、静かに俯いて、氷雨らしくない泣きそうな顔してた。
氷雨に似合うのは、怒り顔か、ニヤリ魔女笑いのどっちかだ。
こんなに意気消沈していたのでは、まったく張り合いが無い。
「す、すまん……」
思わず謝ってしまったではないか。
「好史」
「は、はい?」
名前を呼ばれたので、思わず背筋をピンと伸ばす。
「今日は、ありがとう。話、きいてもらえて、何かすっきりしたよ」
「そ、そうか。それは…………よかった」
「なぁ、好史」
「何だよ」
「あたしは、好史のこと好きだ。だけど好史はさ、あたしの貧乳が好きなんだよな」
「じゃあ逆に、氷雨は何で俺なんかを好きになったんだ?」
愚かな俺の質問返しに、氷雨は少し考え込み、やがて呟くようにこう言った。
「わかんない」
そうして長い一日が終わった。