(貧)NEW GENERATION 第18話 大平野カクシコの孤独
夜。
マンション六階の一室、大平野家では、気まずい日常が繰り広げられていた。
大平野好史と娘との二人の食卓。
静かだった。
本当は、色々なことを話したい。けれども互いに、距離を掴みかねていた。
こんな日々が、もう何か月も続いている。
会話をしないわけではない。互いに努力はしている。しかし、そこに親子然としたコミュニケーションは、全く存在していないのだった。
「さ、最近どうだ、カクシコ」
「なにが」
「みんなと仲良くできてるか?」
「……ふつー」
カクシコは、学校にいる時の偉そうな態度は見せず、誰が見ても明らかに心の壁を築いていた。誰にも上れるはずもない。きっかけなんか掴めそうもない。外の胸も平たければ、胸の内にも絶壁が鎮座しているのだった。
カクシコには、父にききたいことが山ほどあった。
母の若い頃のこと、母との出会い、どうして母と離れることになったのか、そして、どうして母が自分を置いて消えてしまったのか。
それは同時に、おそろしくて世界一ききたくないことでもあった。
それに、そもそも言葉で説明されたいのではない、母が父と仲良くしている景色を見ることができれば、それでよかった。
父と母と自分と、仲良く暮らすこと、たとえ一日限りであっても、そんな日が来てくれること。それこそが、大平野カクシコの心からの願いだった。
しかし今、三人で仲良くどころか、二人で仲良くすることすら叶っていない。
二人きりで暮らす父と娘の間に、何度も襲い掛かる沈黙。ぎこちない日常生活が続いているのだった。
好史は、このままにしておくわけにはいかないと思った。永いこと聞けずにいたことを、意を決して、たずねてみることにした。
カクシコの前に皿に乗ったコロッケを置きながら、父はたずねる。
「そういえば、最近、お母さんはどうしてる?」
「さあ」
「どこぞで水晶玉に手をかざして、占い師をやってたりするんだろうか」
「なにそれ」
好史は、カクシコの母親が、いまどこで何をしているのか探ろうとしていた。どうにかして対面し、話をつけたいと思っていた。
それは、単純な話、なぜ大平野カクシコと名乗る女の子が自分の前に現れたのかを明らかにしたいからだった。
好史にとっては、何もかもが唐突で、謎だらけの出会いだったのだ。
「お母さんは、どうだった? 優しかったか?」
「……ふつー」
「そうか、ふ、普通か。それはいいことだ。……ここでの暮らしはどうだ?」
「ふつー」
「そ、そうか……それは、きっといいことなんだろうな」
「別に」
絵に描いたような塩対応だった。
これが反抗期かと頭を抱えたくなった。
とはいえ、反抗も何も、実の娘である比入ひのでとは違い、カクシコが甘えてきたことなど一度もないのだが。
比入ひのでは、好史の前では特に素直で裏表のない明るい娘なので、父への反抗らしい反抗など見せたことがない。
唯一、娘のひのでに対して好史が不満に思っていることは、ひのでが自分の胸に対して、前向きな感情を抱いていないことだった。
それを思い出したとき、大平野好史は、カクシコの胸にぶら下がっている双丘が、ひどく忌まわしいものに見えてきた。
彼の貧乳スコープには、はっきりとした貧乳の波動がみてとれる。将来はうっかり育ってしまうかもしれないが、しばらくの間は貧乳を謳歌できるような、見事な貧乳オーラだ。
いや、むしろ、今しか輝けない貧乳であればこそ、貧乳オーラ鑑定の頂点を極めた男の瞳には、極上の宝石のように見えているのだった。
あろうことか、その貴重にして高貴で、神々しくさえある貧乳を覆い隠し、偽乳なんぞをぶら下げて生きているというわけだ。いいや? それは生きていると言っていいのだろうか。彼は怒りにも似た感情を蓄積させていた。
好史は、ついに、その鬱憤を言葉にしたのだった。
「その、胸は、どうした?」
「何が?」
「どう見ても大きいんだが」
「だから?」
「いや……」
結局のところ、堅牢な塩の壁を崩せず、門前払いされてしまった。
カクシコは、やばい外し忘れてた、と内心焦った。
それきりお互い無言で、箸を口に運び続けた。
★
カクシコは悩んでいた。
慣れない手つきで皿洗いの最期の食器を重ね、自分の部屋に帰った。
鍵をかけながら、同居する大平野好史との会話を思い出す。
好史の問いかけは、カクシコの心を大いに揺さぶっていた。
というのも、カクシコの抱える葛藤のなかには、ずばり、このまま胸を盛っていていいのかということも含まれていたからだ。
しかも、それは数ある悩みの中の一つというわけではなく、核心を突くものだった。
カクシコは、孤独を感じていた。
母とも、父とも、友達とも、誰とも仲良くなれないんじゃないか。
誰からも嫌われたまま、ただただ世界から置いていかれて、冷たく、寂しく、暗い闇の中で、静かに終わっていくだけなんじゃないか。
好史の「なぜ胸を盛るのか」という問いによって、抱えていた問題が浮き彫りになった。
解決する方法に心当たりはある。一緒に『胸囲育成部』を立ち上げた親友と仲直りすればいい。
わかってるなら、じゃあ、仲良くしたらいい。だけど、同じく胸を盛ることにした同志ミユルを見捨てることもできない。だから板橋まなまは敵じゃないといけない。
別の方法も思い当たる。父と仲良くすればいい。いきなり会いに来て、家庭を壊してしまって後ろめたくて、まともに会話もできないけれど、母が一緒にいてくれれば、互いに歩み寄ったり、踏み込みあったりできるかもしれない。
そう思ってはみたものの、母は行方不明だ。
――こんなはずじゃなかった。
両親が仲良くしている現場を目撃したかっただけだった。
学園でよく出会う人たちの顔を思い浮かべてみる。
つい先日、下級生に言い捨てた言葉が思い出される。
――うおる。そっちに付いている限り、あんたも敵なんだから!
「どうしてあんなことを言ってしまったの。本当は、仲良くしたいのに」
そう呟いて、ベッドに飛び込み、寝返りを打った。
なかなか寝付けない夜だった。
ともかく、「なぜ胸を盛るのか」という大平野好史の真剣で、ふざけた問いがなければ、大平野カクシコが胸の内を整理して、次の一歩を踏み出すことは無かったわけだ。
「大人ってすごい。何でも見破っちゃうんだ」
カクシコは、母をさがそうと思った。そのために、できることを頑張ろうと思った。
もう意地を張ってもいられない。
また一つ、寝返りを打った。




