第2話 俺が愛する氷雨さんの貧乳2 殴り合いの日々
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彼女の性格は最悪だ。だが容姿は最高だし、貧乳に至っては世界レベルだ。
世界と渡り合えるだけの貧乳を維持している。
元々貧乳レベルが低くない我が国においても、あそこまでのオーラを放てる貧乳はなかなか居るものではない。
俺は彼女の貧乳に恋をした。
しかしながら、彼女本体が一筋縄ではいかない。
二言目にはすぐに「しね」と言って常人の骨を折るほどの打撃を繰り出してくるのだ。
規格外の自己治癒力を持つ俺でなければこの数日で既に百回以上は死んでいるだろう。
だが、俺は心身ともに健やかで丈夫な男。暴力女の攻撃になど屈するわけにはいかない。
紳士な俺ならば「触っても良いですか?」と断りを入れてから触れればセクハラになどならないはずだ。
と思っていたのだが、比入氷雨の防御力もとい攻撃力は高かった。
校庭で貧乳に触れても良いかと訊いた途端に、俺は宙を舞ったわけで。再接近して無理矢理に触ろうと伸ばした腕はへし折られたわけで。腕の方は数秒で経ったら完治したけれど、今度は顔面がボコボコに腫れるまで殴られ続けた俺は「ごめんなさい」と土下座した。
いや違う。彼女に屈したわけではない。俺は彼女の貧乳に屈したんだ。
貧乳のためならプライドも捨てるというもの。
「おい、お前、あたしのこと好きなら、あたしのイヌになれ」
「勘違いしてもらっては困る。お前のことが好きなんじゃない。お前の貧乳が好きなんだ」
「死にたいわけ?」
彼女は、顔キズだらけ状態となった俺のワイシャツ襟を左手で掴み上げ、右拳を構えた。
「というかイヌになれとか、言ってて恥ずかしくないのか?」
「おいこら、語尾に『ワン』をつけろ」
「ごめんなさいワン……」
こうして俺は、彼女が転校してきて僅か数日で、彼女のイヌになった。
なったんだワン。
「あたしの転校デビューを台無しにしたんだから、イヌになるのは当然よね」
「そうなのかワン」
「そうなのよ」
まぁ、そういうことらしいワン。
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しかし、さらに数日後。
俺が彼女のために自動販売機でミルクティーを買って持っていくという、イヌとしては誇り高い行動をして席に座っている彼女にペットボトルを手渡した時、
「そろそろワンワンいってるのにも飽きたわね」
氷雨はそう言った。
ようやく屈辱のイヌ生活から解放されるのかと思った俺は「そうか。それはよかった」などと言いながらウヌウヌと頷いていたのだが、
「誰がやめていいって言ったの?」
出たよ、ドSだよこの娘。
「え……」
思わず声を漏らしてボケッとする俺の反応を見て、クスクスと笑いやがった。
「困ったヒトだワン……」
俺は呟くしかない。
「あぁ? 何か文句あんのかよ?」
彼女の不良口調と空腹状態の人喰いトラのごとき眼光は、大変に恐ろしかった。
「ないですワン」
とまぁ、こんな風に見事なイヌっぷりを演じつつ。あくまで演じつつ。あ、演技だからな。
これは演技で、本当はイヌになんてなりたくないんだけど、とりあえずイヌ役を演じてやっているだけだからな。
別に殴られたくないからイヌになってるわけじゃないぞ。
演技なんだこれは。そう演技。演技なんだワン。
「ミルクティーおかわり!」
彼女は言って、空き缶を投げつけた。俺の頭部にぶつかって、カランカラカラと転がる缶。
「お安い御用ですワン!」
彼女の貧乳のために俺はミルクティーを買おう。もちろん俺の金で。
あの貧乳はそうそう育たない乳だ。乳製品くらいでは成長しない。そういう格別にして特別なオーラを放っている貧乳なのだ。
もしもミルクティーを飲むことで彼女の胸が巨乳になってしまうようなことがあれば、俺は全世界のミルクティーを煮えたぎる怒りの熱で蒸発させてしまうだろう。
ミルクティーを買いに走るくらいで彼女の貧乳が喜んでくれるのなら、俺は空き缶を投げつけられるのさえも快楽だと言い張れるね。
ちなみに、クラスメイトたちは俺たち二人との関わりを持ちたくないらしく、まるで存在を無視するかのように視線すら向けてこない。
俺も彼女の貧乳に夢中になりすぎて周囲が見えていなかったのは反省だ。おかげで仲が良かった友達や幼馴染から思い切り避けられている今日このごろ。
氷雨もクラスメイトと仲良くなりたかったらしいのだが「お前に暴力を振るったことが原因で周囲との壁ができたんだよ、しね」とか主張していた。何でも俺のせいにすればいいってわけじゃねぇんだよ、とガツンと言ってやりたいところだ。
俺は冷たいミルクティーを買って、教室に戻り、彼女に渡した。
「人肌にあたためておきましたワン」
「ぬるくしてんじゃねぇよ!」
鈍い音と共に肋骨が三本くらい折れた。
「うぐぐ……ぷひゅひー」
肺に穴がっ……。
「何か言いたいことありげな顔してんなぁ。何だよ、言ってみろ」
「な、何もないですワン」
勘違いされては困るのだが、どれだけ殴られても死なないし治りも早いからといって、殴られて痛くないわけではないのだ。そして痛いのはとても嫌なのだ。
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ある日の下校道。氷雨は深刻な表情で俺に訊いたんだ。
「お前は、何でそんなに貧乳が好きなんだ?」
俺は答えた。できるだけ格好つけた声で、
「理由なんぞ、どうでもいい。俺には……お前の貧乳が必要なんだ」
普通の貧乳であれば、あまりのカッコよさにシビれてもおかしくない場面のはずなのだが、やはり氷雨さんは一筋縄ではいかない。
「ふーん。でも、貧乳が好きってさ、男の子のおっぱいでも事足りるってことだよね」
わけのわからん論理を展開してきやがった。
「そんなわけがないだろう! ふざけてるのか!」
「ご、ごめん」
俺がすっごい怒ったら、なんか珍しく謝られた。これはこれで新鮮だ。
「うむわかればいいんだよ」
俺がフフンと鼻を鳴らしながらそう言ったら、
「何だい偉そうに!」
そう言って、晴れの状態が持続しない、山の天気みたいな精神状態の彼女は、俺にハイキックをプレゼントしてくれた。
彼女の黄金の右足は、俺の頭部に的確にヒットした。
俺は地面に顔面を強打し、不運なことに下り坂だったために転倒の勢いは止まらず何度も頭部をアスファルトに強打しながら坂を転がり落ちていった。
あぁ、これが人生の転落なんでしょうか。などと思いながらようやく止まり、仰向けになって見上げた空は、ちょっと赤かった。五月らしい快晴で青いはずなのに視界が血に染まってるから。フフフ。
でもいいんだ。蹴られる瞬間に彼女のパンツが見えたから。
本当はあの貧乳のブラチラとかが最高だ。しかし、楽しみは後に取っておくもの。
今日のところは不本意ながらパンチラで我慢してやろう。
「ふむ……空色、か」
俺は呟いた。
次の瞬間には顔を赤くした凶暴女が、叫び声の中で四肢の骨を粉砕してくれた。
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俺、大平野好史にはささやかな夢がある。それは、貧乳とハワイで結婚式を挙げることだ。新婚旅行でもいい。とにかく貧乳の嫁と一緒にハワイに行きたいのだ。なぜならハワイにはワイキキビーチという名の素敵な浜があるから。
俺は、その浜で彼女に囁くようにこう言うだろう。
――ないチチびいき。
と。
そんなことを考えていたら、俺はいつの間にか教室の天井を見上げていた。
氷雨に殴り飛ばされ、椅子から落ちて仰向けに倒れたのだ。
「おい、何故、俺は突然殴られたんだ」
素朴な疑問をぶつけてみる。
「貧乳がらみのくだらないダジャレを考えている気がしてむかついた」
心が読めるというのか。声に出していないというのに。
「フッ、仕方ないだろう。俺はお前の貧乳がたまらなく好きなのだから」
「しね!」
腹を踏みつけられた。
「おふぅ!」
思わず声をあげるほどに、その一撃は痛かった。内臓が破裂したんじゃないかと思う。すぐに治ったけど。
「貧乳貧乳って、ロリコンかお前は」
氷雨はそう言って、また俺の腹をグジッと踏みつけた。痛い。すごく痛い。
「お、俺の夢は、貧乳に満ち溢れた世界なんだ。別に年齢が低い娘が好きなわけではないのだから、ロリコンではない。そもそも、氷雨は全くロリロリではないだろう。胸は俺好みに貧相だが、背は高いし美人だ。繰り返す! 俺は貧乳大好きなだけであってロリコンではない!」
一緒にしてもらっては困る。ロリコンは病気だが貧乳好きは病気ではないのだ。
目の前の氷雨は、苦虫を激しく噛み潰したような顔をして両手を腰に当て、横たわる俺を見下ろしている。貧乳の向こうに、彼女の恐ろしい顔が見えるというわけだ。
こういう時ばかりは、巨乳にも存在価値が生まれるのかもしれない。恐ろしい顔した女の子の顔を床から見上げる時に、その顔を見ずにすむから。
「おい、そんな顔をするな。美しい貧乳が台無しだぞ」
「まだ言うか! この貧乳大好きストーカーが!」
「ほほう、略して貧乳ストーカーだな!」
俺がそう言った時、俺の体は蹴飛ばされ、教室と廊下を繋ぐ引き戸に穴を開けた。俺の体は廊下の壁に体を打ちつけられ、激しい衝撃が体を突き抜ける。
「それじゃ、まるであたしがストーカーしてるみたいじゃねぇかぁ!」
顔を真っ赤にして怒っているのが、俺の体の形をした穴から見えた。
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「はじめまして。比入氷雨と申します。特技はケーキ作りとバイオリンです。趣味は飼っている犬を連れてお散歩させることで、人見知りが激しいけど、皆さんと仲良くなりたいので、いっぱい話しかけてください」
などという言葉を、上ずった震えた声で、もじもじしながら放ったのが、とある五月の転校初日。俺が初めて彼女の声を耳にした瞬間だった。
氷雨さん、あの自己紹介は名前以外は本当に嘘ばかりだよね。
特技は景気づけに一発ぶん殴ることとバイオレンスで、趣味はイヌ扱いしている男子をパシらせてクスクス笑うことだろう。それから、人見知りが激しい人が、転校初日に普通の挨拶をしただけの男子生徒に「しね」なんて言わないし殴らない。
そんな氷雨さんに話しかけたがる人間なんてのは、貧乳目当てだとしか思えない。かく言う俺も、彼女の貧乳が目当てなのだ。極度のドMだとか、そういうわけでは決してない。
「ふぅ」
俺は溜息を吐いた。
そして隣の席に座る彼女の貧乳を見つめた。その視線に気付いたのか、氷雨は手で胸を覆ってガードした。
だが甘いな。そんなことで溢れ続ける貧乳オーラを抑えつけられると思ったら大間違いだ。俺は貧乳を目で愛でなくともオーラだけで楽しめる男なのだ。
というか、胸を隠すその仕草はけっこう可愛いんだが、どうしてくれよう。間違いなくハイレベルな貧乳の楽しみ方の一つだと言える。
「いい貧乳だ」
俺は親指を突き立てた。
すると彼女は勢いよく立ち上がって、顔を赤くして怒った。
「口を開けば貧乳貧乳って、ぶっ飛ばされてえのかァ!」
痛いのは嫌だ。だが、これは譲れないのだ。俺は貧乳が大好きだから。
「どう見てもお前は貧乳だ! 立派な貧乳だ! 事実だろうが!」
叫ぶ。心から。
「本当のことでも、言ってはいけないことがあんのよ!」
「誇れよ! 貧乳を!」
「誇れるかっ! コンプレックスだ馬鹿野郎!」
「無い胸は張れないってわけか!」
「ああそうだよ! 悪いか!」
「悪くなんかない! 自信を持て! その貧乳は最高だ!」
ここは教室。今は授業中。
「先生は巨乳派だ」
男性教師が言った。
「くたばれ!」
俺と氷雨は、同時に言った。教師に向かって。
いまどき珍しいことに二人で廊下に立たされた。
とりあえず氷雨は俺を殴った。その時、俺が宙を舞った拍子に、持たされていたバケツの水が彼女の純白のブラウスにバシャァと直撃した。
肌にぴったりと張り付いてスポーティな下着がスケスケになったわけで、俺は「うほっ」と息を漏らしたわけで。彼女の体と拳がワナワナと震えたわけで。
「しねやこの変態野郎!」
「不可抗力だ!」
廊下でマウントをとられた挙句、三回死ぬくらい殴られたわけで。