第12話 占い娘からのプレゼント1 楽園大作戦
夏休みってのをいいことに、何日かの間、外出しないで昼夜逆転の自堕落な生活を送っていた。そしたら、父親に無言でにらまれた。ダラダラしてるくらいなら、バイトの一つでもしてこいとでも言いたげな視線を向けてきた。
母親にも心配されて、「何かあった?」とか言われてしまった。
父親の無言の圧力はともかく、母に心配されるといたたまれないので、黒い服に着替えて外出し、わざわざ電車に乗って移動してみる。
通りがかりにふらふらと立ち寄った雑貨屋。そこに陳列されたまな板を見て、氷雨の貧乳を思い出す。東京都庁を見上げてみれば、そのまっすぐ切り立った壁面を見て、氷雨の貧乳を思い出す。都庁の展望台にのぼって、ガラス越しに関東平野を眺めながら、氷雨の貧乳を思い出す。
氷雨、氷雨、氷雨。
比入氷雨の胸、姿、顔、俺を呼ぶ声が、何度も脳内で再生される。
会いたい。話がしたい。
殴られても蹴られてもいいから。
いやむしろもう殴られたいし蹴られたい。
電車に乗って、いつか占い娘ちゃんとヤキソバ食いながら話した公園ベンチまで来た。そこで時間をつぶした。
八月の東京は蒸し暑い。太陽からの熱光線があまりにも激しくて、黒い服はひどい選択ミスだったと思う。
その上、蚊に刺されまくった……が、この問題については、かつて占い娘ちゃんから貰った虫刺されの薬を塗ることで対処できた。
薬を塗ればすぐ治るくらい、簡単に事が運べば良いのに。
この状況を何とかする処方箋がわからない。誰かわかるやつがいたら教えて欲しい。
ベンチの背もたれに寄りかかり、ひたすらに青い空を見つめた。
ぬっ、と久しぶりに見る顔が現れた。笑っていた。
「お久しぶりです、好史さん」
漆黒のローブに身を包む、幼くみえるタイプの貧乳。
それこそ中学生くらいに見えるヤキソバ頭の占い娘だ。
この娘こそ、俺をここまで落ち込ませた張本人だ。
「そうだな、直接会うのは、ここで話したとき以来か。ものすごい久しぶりな気がするな」
占い娘は、ベンチの隣に勢いよく腰掛けた。
俺はそれを一瞥した後、また空を見上げた。
「好史さん。今日は珍しく黒い服なんですね。派手で明るいのが好きかと思ってました」
「ああ、そうだな。この夏は、たいていアロハ着てたからな」
「そして私も真っ黒い」
「そうだな。君の場合は心の中まで真っ黒で、そこは俺とは違うよな」
「ペアルックですね、好史さん」
「だいぶ布面積違うだろ。服の形も違うし、同じなのは黒いのと柄が無地ってだけだ」
「それだけ共通点があれば、じゅうぶんです。親近感わきますね!」
「ていうか、ペアルックとか、平成通り越して昭和ワードだな。未来から来たくせに、ずいぶん昔の恋人文化を知ってるんだな」
「はい、かなり勉強して来たので」
「そうなのか、えらいぞ……なでなで」
俺は彼女の頭を撫でた。つい撫でたくなるような妹みたいに可愛い子なのだ。
「えへへー」
嬉しそうに笑っていた。
「それにですね、流行はめぐるものです。未来の視点からみれば、また同じ服を着て街歩きをするのが流行ったりもしてますよ」
腹黒さが嘘のように、幸せそうな顔で笑いかけてくる。
なんとも可愛らしい。もうこの際、この子を好きになっても良いかもな、とか血迷ったことが、ほんの一瞬だけ脳裏をよぎってしまうくらいに。
「ときに、今日は何の用だ。あんなメールをくれて、裏でいろいろやってたのを俺に知られたってのに平然と顔を出せるってことは、何か大事な用でもあるんじゃないのか。それこそ、世界の命運を左右するようなさ」
「大事なことですか。まぁ、そうなんですけど。でも、なんでそんな投げやりな口調で言うんですか。元気出してください」
「元気出せだって? 平然と、よく言うぜ。氷雨とあんなことになったのは、占い娘ちゃんのせいだってのに」
「そうかもですね。でも本気でそう思ってるんですかぁ?」
「違うのか? だって、占い娘ちゃんが氷雨をあのファミレスに行くよう仕向けたんだろ。本当、やってくれるぜ」
「好史さんの態度次第では、何とかなったかと思うんですけど」
言葉を返せない。その通りだと思うから。
しばらくの沈黙の後、占い娘が口を開く。
「それはそうと好史さん。実は、傷心の好史さんにプレゼントがあります」
「何だよ」
「目を閉じて下さい」
「え? こうか?」
俺は言われるまま、しっかりと目を閉じた。
「じっとしていてくださいね」
そして、耳元で彼女の静かな吐息の音色がきこえたかと思ったら、すぐに首筋に痛みが走った。チクリと。
「しばらく、眠っていて下さい」
俺は、何をされたんだろうか。注射でもされたような感じだ。
目を開けてみたが、かすんでいる。占い娘ちゃんの黒い服らしきものによって視界が覆われる。暴れて逃げ出そうとしたが、動けなかった。視界がぐるぐる回った。その後しばらくの記憶が、無い。
★
静かなエンジン音。軽快で華やかなクラシック。録音されたピアノの音色だ。
そして、まるでタクシーの中に居るみたいな薬っぽい変なニオイの中に、少し果実の甘い香りが混じっているように感じる。
視界が真っ暗なのは、アイマスクみたいなのを掛けられて顔を覆われているからに違いない。まさかとは思うが、失明とかって事態にはなっていないと信じたい。
手足を動かそうとしてみる。感覚はある。けど、どちらもほとんど動かない。じゃらじゃらと音がする。鎖のついた何かでしっかりと拘束されているようだ。何だこれは。
ふと遠心力を感じた。カーブを曲がったのだろうか。
まさに車に乗せられているかのように。
というか、おそらくここは、車の中だ。
「状況としては……拉致?」
どうなってしまうんだ。俺は。
占い娘ちゃんに目を閉じてって言われて、言われるままに目を閉じた。じっとしてろって言われたから、身動きしなかった。そしたらチクっときて、眠たくなって……。
一体なんなんだこれは。
「お目覚めになりましたか」
前の方から知らない男の声がした。低く落ち着いた声ではあったが、どことなく若さが感じられた。
「だ、誰だ? 俺は、どうなっちまうんだ」
すると、不快感とは無縁の丁寧な口調で、男は言った。
「執事の森田です。これから大平野好史さんを、ある場所にお連れいたします」
「執事?」
いつだったか、確か変態メガネ貧乳と初めて出会った時に、高級な長い車が篠原を運んでいった。その去り際に、車の運転席から俺を思いっ切りにらみつけた鋭い目があった。あの運転手の眼光が思い浮かんだ。
「もしかして篠原の?」
「左様です。篠原家に仕えて未だ四年目の新参ですが、お嬢様のお世話を任されております」
「どこかで――」
「ええ、学園裏でお嬢様をたぶらかしなさっている時に視線が合いましたね」
「やっぱりあの時の運転手さんか」
「左様です。ありえないこととは思いますが、こやのお嬢様に何かしでかしましたら、あらゆるタマをとらせていただきますので、ご了承ください」
「……ええっ?」
ご了承できません!
口調こそ穏やかだが、とんでもないことを言われた。不死身の肉体を持っているから、そう簡単に死ぬとは思えないけれど、痛い目にはあいたくない。
「大平野好史様は、小さな胸のふくらみがお好きだと聞いております。ありえないこととは思いますが、もしも、こやのお嬢様のお胸様に想いを寄せているなどということがあれば、わたくし森田は、与えられた職務をまっとうせず、大平野様を関東平野深くに埋めてやりたいと考えております」
生き埋め。さすがにそれは苦しい。
不死身の肉体だと、かえって永遠の責め苦を味わうことになってしまう!
「好きじゃない! 大丈夫! 好きじゃない! 可愛らしいとは思うけど何もしない!」
「左様ですか。安心いたしました」
「あの、森田さん、でしたっけ。俺は、これから何処に連れて行かれるんですか?」
「これから向かう場所を隠すためのアイマスクでございます。開示してよい情報でのみ申し上げるなら、篠原家の別邸へとお連れせよとの指示を受けて、わたくしがこうしてお迎えに上がっております」
「篠原の指示、か?」
「左様です。漆黒の御学友から必死の御願いを受けたそうです。心優しいこやのお嬢様に感謝なさいませ」
「感謝するような何かが待ってるってのか?」
「それは着いてからのお楽しみでございます」
クラシック流れる車内で、俺は再び睡魔にからめとられた。
★
執事に起こされ、お姫様抱っこされて車から降ろされ、立たされた。手足の拘束具もようやく外された。
アイマスクをとりますよ、という声の後、視界が少し明るくなった。目蓋を開いた瞬間は、非常に眩しかった。
目に飛び込んで来た風景は、絵に描いたような豪邸だった。
「うおお、すっげぇ……」
洋風の赤レンガでできた瀟洒な屋敷で、大正建築っぽい感じだ。どうやら左右対称であり、そういう意味でも対称建築と言っても良いのではなかろうか。なんて、言葉遊びをするのも尻込みするような立派さである。
「こちらになります」
歩き出したスーツ姿の森田さん。長身で、すらりと伸びた背筋が非常に格好いい。男前である。
広い背中についていく。
「どうぞ、お入りください。わたくしは外で控えておりますので、何か御用があればお申し付けください。なお、お帰りの際も、わたくしがお送りいたします」
「ありがとう、森田さん」
ここからは一人で行く。
開いている扉の先は、とても明るい雰囲気だ。
どことなく、甘い良い匂いも漂ってくる。
期待と不安で心臓を普段以上にバクバクさせながら建物内に入った。
ピンク色の絨毯が敷かれていた。
エントランスに足を踏み入れると、すぐに階段があった。そこに、豪華な雛人形のようにして、並んで座っていたのは――。
「「「「ようこそ大平野好史さん、貧乳パラダイスへ!」」」」
女性たちの揃った声だった。
貧乳。大量の貧乳。一人残らず全員が貧乳。
年齢は二十代が中心で、若く素晴らしいハイレベル貧乳たちが、様々なコスチュームで俺を歓迎している!
俺はゴシゴシと目をこすった。
「夢? これは、夢の世界か?」
学生服五種、ジャージや体操服、ナース、キャビンアテンダント、各種スポーツユニホーム、チャイナドレス、姫のような服、猫のきぐるみ、水着三種、和服、スーツ、作業服、メイド、まさかのランドセル、あろうことか全裸同然の格好までいる。
夢のテーマパーク!
コスプレ貧乳ランド!
あられもない!
この刺激。この感動。
ほぼ十八の俺には早すぎるのではないかと躊躇せざるをえない。
だが、それでもこの空間は――。
「パラダイス! まさしくパラダイスだぁ!」
この平たい胸に飛び込んでおいで、とばかりに俺に向かって腕を伸ばす貧乳たち。
俺は欲望に完敗した。
階段に向かってピンク絨毯を駆け出し、ダイブした!
温かい貧乳たちに、包み込まれる。抱きしめられる。
いい匂いがする。くらくらする。こんなの、もう本当、頭おかしくなる。
「篠原! 占い娘ちゃん! ありがとう!」
興奮の渦の中、その場に居ない篠原こやのと占い娘に、心から感謝して叫んだ。
「今日は、私たちの貧乳を好きにして良いからね」と客室乗務員のおねえさん。
耳元で囁かれる少々かすれた甘い声。その声だけで、酔っ払ってしまいそう。未成年だから酒に酔った感覚とかわかんないけど。
ああ、これが大人の世界か。
「おいおい本当か? 本当にこの素晴らしい貧乳たちを好きにしていいのか? だってここに居るのは、篠原や夏姫ランクのS級ひんぬーばかりだぞ! 本当にあんなことやこんなことをしてもいいのか? あまつさえ、そんなことまで?」
早く真の大人になりたいと心から思う。
「ふふっ、今日だけ、ここのおっぱいは、全部、大平野好史さまの持ち物だよ」とセーラー服。
いや、待てよ。今日だけは、俺は大人になっているのかもしれない。
「あんたが王様よ」と女王様。
王様か、そうだったのか。
占い娘の魔法の力か何かで、俺は今日だけ十歳くらい歳を重ねた設定にされているのかもしれない。そうに違いない。
だったら、貧乳の主の許可さえ得られれば、貧乳に何をしてもいいのではないだろうか。そうに違いない。
「揉んでもいいのか?」
「はい。どうぞ本物を堪能してください」メイドさん。
「撫でてもいいのか?」
「もちろんだよ」チャイナ服。
「包みこんでも?」
「ご自由に」全裸同然の貧乳は腕を広げた。
「あんなことも? こんなことも?」
「できるもんならねっ」ランドセル。
「やってやる! やってやるぞぉ!」
俺が黒い上着を脱ぎ捨てると、貧乳たちから楽しげな歓声と拍手が上がった。
「すごーい、好史くん、かわいー」
そして、生まれて初めて、貧乳に手を触れた。触れてしまった。
初めて触れる貧乳は、氷雨さんの貧乳ではなかった。
「あん、上手ぅー」
やんや、やんや。
★
至福のひとときであった。
何時間くらいそうしていたのだろう。全員分の顔を記憶できないくらいに多くの貧乳を、一人ずつ丹念に触ったり脱がせたり撫で回したりした。二種類の貧乳を同時に堪能したりもした。そうこうしているうちに、夜になっていた。
いやはや、恥ずかしながら、貧乳大好きと言っておきながら、今まで貧乳というものを触ったことがなかった。
しかし、やはり貧乳の感触は想像以上に素晴らしいものだった。適度に硬く、絶妙だった。かたさとやわらかさのバランスが見事だった。神の貧乳たちだった。
氷雨の貧乳にささげるはずだった初めての貧乳タッチを、こんな形で済ませてしまった。
重たい喪失感に包まれる。
貧乳オーラに囲まれて幸せだったのは確かだ。
だけど、楽しくて、うれしくて、ドキドキして、最高の気分になったはずなのに、終わってみたら、どうしてか胸にぽっかりと穴があいたように感じた。
結局、撫で回すまではできたが、それより先のことは出来なかった。
広く浅く、貧乳を、おさわりしまくるにとどまった。
オーラも造形も、かなりのハイレベルだった。にも関わらず素晴らしき彼女たちの貧乳には何かが足りないと思った。
その上、どうしてか途中で氷雨の顔を思い出してしまって、言いようのない罪悪感に包まれる瞬間もあった。
遅くなると母が心配するからという子供らしい理由で帰宅を願い出た俺は、おしゃれな建物の外に出た。
そして、執事の森田さんの手で少々乱暴に眠らされた。
目覚めたのは夜の公園だった。
眠らされた時と同じベンチで目を覚ますと、占い娘ちゃんの膝の上のようだ。
「貧乳パラダイス。おたのしみいただけましたか」
膝を枕にしているわけだが、彼女も今のところは貧乳なので、いやらしい胸が視界を遮ることもなく街灯に照らされた顔をしっかりと見ることができた。ヤキソバ娘ののニコニコした顔の向こうには、ぼんやりとした半月が浮かんでいる。
「ああ、たのしかった」
そう言って、すぐに身体を起こす。ベンチに二人で座る形になった。
自分の身体中から、貧乳女性たちの甘い匂いを感じた。
あの至福のひとときは、やはり夢ではなかったのだろう。
「――名づけて、さけいけにくばやし大作戦ですよ、好史さん」
「さけいけ、にくばやし?」
意味がわからなかったが、脳内で漢字に変換して閃いた。
「いやそれ、酒池肉林な」
酒も池も林も無く、肉も少なかったけどな。
「わわっ、すみません」あたふたと慌てた様子で、占い娘は謝った。「こっちの世界のことはちゃんと勉強してきたつもりなんですが、漢字はどうも苦手で」
「いいさ。誰にだって苦手なものはある」
「そう言っていただけると、気が楽になるのです」
彼女はそう言ってから、緊張を紛らわすためだろうか、溜息を吐いた。
俺も、彼女よりも遥かに深く深く溜息を吐いた。おそらく彼女の溜息とは違った意味のこもった空気を吐き出していた。
「まだ、元気出ませんか?」
「本当に素晴らしい時間だったと思う。夢中になれた瞬間もあった。けれど、圧倒的に何かが足りない」
「何なんでしょう、足りないものとは」
「氷雨の貧乳なら……」
「あそこまでしてもまだ、氷雨さんのことを忘れられませんか」
「なぁ、占い娘ちゃん」
「何でしょう」
「俺さ、氷雨と、もうやり直せないのかな」
「何度も言っているじゃないですか。氷雨さんと結ばれることは、破滅への序曲なのですよ」
「何でそんな未来になってんだよ……」
「私に言われましても」
「だよな、ごめん」
確かに、過酷な未来になっていることは、彼女に責任は無いのだろう。
「元気、出して下さい」
「ああ、ありがとうな」
「そんな。私は、お礼を言われるようなことは……してません。あと謝られることもしてないです。むしろ私が……」
その後の言葉を、彼女は飲み込んだようだった。
「どうして、うまくいかないんだろうなぁ」
俺の呟きは、夜の雑木林、その漆黒の闇に吸い込まれていった。




