第10話 素晴らしき貧乳学園6 天海アキラとの違い
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「だからさぁ、巨乳は女とかじゃなくて、巨乳っていう生物なんだよぉ!」
今山夏姫にとっては、巨乳は憧れであり憎しみの対象でもあるようだ。
話がしたいと呼び出されて、貧乳学園近くのファミレスに来てみれば、延々と愚痴を聞かされるバッドイベントが発生してしまった。
――アキラはさあ、一緒に遊んでくれるけど、あたしにあんまり興味もってくれなくて。だから、ただの友達って感じだから不満だし。
――あ、そういえば、きいてきいて。アキラのやつ、海外なんて一回も行ったことないくせに、フランスに住んでたなんて嘘ついてんの。笑えるよね。
――変態メガネの後輩がむかつくし。だってあの後輩、アキラのこと狙ってるし、腹立つくらいの金持ちで、アキラと一緒に授業受けたいからって教師陣に賄賂おくって買収したりするし。でも、あたしは負けないもん。
――ええっ、先輩、篠原のこと知ってるんだ。だったら話は早いね。
――えっ、リオちんとも知り合いなんだ、リオちんは同じクラスだよ。良い子だよね。あたしとは比べものにならないくらい、すっごい可愛いし性格良いし。
――そうだ、リオちんと篠原は、二人とも卓球部で一緒なんだよ。で、あたしは華道部。アキラも華道部にどうかって誘ったんだけどね、アキラね、よりによって卓球部選んじゃって……。
――え、占い娘ちゃんにも会ったの。先輩どんだけ貧乳好きなんですか。やべえっすよ。
――あ、そういえば氷雨先輩とはどうなりました。って、何で話を逸らすんですか。
――ん、あたしとアキラの話ですか、だからアキラは筋金入りの巨乳好きだから。嗚呼、巨乳なんて。巨乳なんて。
そんな感じの話をしてたわけで。
夏休みだというのに制服姿の夏姫は、相変わらずのペッタンコで、とても素晴らしい。
「あーあ、巨乳になりたいなぁ……」
夏姫が、またそんなふざけたことを言ったので、
「おいおい何言ってんだ。貧乳の方がいいだろ」
「好史先輩の好みなんかどうでもいいの。あたしは貧乳が嫌なの」
「そのままでいいって」
「やだぁ」
「貧乳のままが良いに決まってる! お前の貧乳は見事な貧乳だ!」
俺が思わず叫ぶと、夏姫も大声で。
「巨乳になって、アキラに好かれたい!」
と返してくる。
「貧乳!」と俺は叫ぶ。
「巨乳ぅ!」夏姫が倍返しくらいの音量で返す。
「貧乳!!」
「巨乳!!」
その時、騒がしかったファミレス内がシンと静まり返っていることに気付いた。ウェイトレスさんも皿持ったまま足を止めている。周囲の人々の目が俺たちに注がれていた。
子供連れの家族も、一人で来ている大学生くらいの男も、おばちゃん二人組みも、三人組のおねえさんたちも、禁煙席も喫煙席も、皆が俺たちの方を見た。
だがしかし、これは周囲の迷惑を考えた上でも、譲れないことなのだ!
「ひんにゅう!」
「きょにゅう!」
「だいたい、女装する男のどこが良い!」
「いっつも貧乳を追い掛け回してるド変態より、百億万倍マシだもん!」
「無いな。それは無い。残念ながらそれは無いぞ、夏姫ちゃん」
「なんでよ」
「男子なのに、女子高に通ってる方が、おかしい。絶対にだ」
「それは……だって、アキラの家は借金があるから仕方ないじゃん」
「百歩譲ってそれは良いとしても、年頃の男なのに年頃の女子たちと一緒に服を着替えたりとかいう羨ましい状況に置かれながら顔色ひとつ変えないなんて、男としては変だ。変態だぁ!」
「先輩と違って、硬派なんでしょ」
「違う、あいつは差別主義者だ! 貧乳差別をしているんだ!」
「それは好史先輩の方だよ。巨乳差別してる!」
「クッ、このまち一番の貧乳娘にそんなこと言われるとは思わなかった。絶望だぁ!」
「あたしの方こそ、この絶壁に絶望してんの!」
「いい貧乳だぞ。俺は大好きだ」
「だからぁ、アキラに好かれないと意味無いの!」
「ふぅ、そんなに良い貧乳を持ちながら――」
「ていうか貧乳って言うなよぉ!」
天井に向かって叫んだ夏姫は、ハァハァと肩で息をしている。だいぶ興奮しているようだ。
しかし次の瞬間、彼女は周囲を見回して、静まり返った室内と、大量の視線にようやく気付き、恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「お、お花摘みに! 華道部だし!」
そう言い残して、化粧室へと早歩きで去っていった。
夏姫がそうしたことによって、ファミレス内は、徐々に喧騒を取り戻した。
★
今山夏姫が席を外してからしばらくの間、俺は周囲の人々から何度もチラ見されていたのだが、俺は氷雨と出会ってからというもの、氷雨と貧乳がらみのじゃれ合いを続けてきた男なわけで。
変なものを見るような視線に対しては、圧倒的な耐性がついているのだ。
へっちゃらだ。
それにしても、夏姫ちゃん遅いな。
女子のトイレは長いものだと聞いたことがあるが、本当に個室に花畑でも広がっているのかもしれない。あるいは、個室の扉が異世界に繋がってるとか。
「好史さん」
不意に、女子のような高い声がした。夏姫の声とは少し違うし、夏姫は俺のことを「好史先輩」と呼ぶので、別の誰かだろう。俺は声のした方へと振り向いた。
天海アキラが居た。
完璧な女装だ。制服スカートから伸びた美脚、端正な顔立ち。明らかに女を感じさせる所作。俺の知り合いの誰よりも女っぽい雰囲気さえ感じさせる。これはかなり花嫁修業を積んでいるに違いない。男だけど。
「外から一人で居るのが見えたので……」
アキラは、俺の向かいのシートに座りながら、そう言い掛けたものの、アクセサリーや犬のぬいぐるみがジャラジャラついた夏姫の学生鞄を指差して、
「あれ、でも、それ、夏姫のっすよね」
「ああ、そうだ。夏姫と一緒に、遅めの昼メシを食った後、世間話に花を咲かせていた」
大半は愚痴をきいていただけのような気がするけどな。
「あの、好史さん。おれ、好史さんに一つ訊きたいことあるんですけど、いいっすかね」
自分のことを、「おれ」ということに今なお違和感がある。どう見ても女の子だからだ。そんな見た目が可憐な天海アキラちゃんから質問があるらしい。俺は、「なんなりと」と言って先を促した。
すると、アキラは普段よりも低い、まるで男みたいな声で、
「夏姫にバラしましたよね」
「あ…………」
しまったァ。そういえば、やっちまったんだった。夏姫の誘導に引っかかってアキラが男だとバラしてしまったんだった。
でも、あの時の夏姫のきき方から考えるに、彼が彼であることに気付いていたと思われる。だから、必ずしも俺が悪いとは言えないんじゃないか。アキラから発せられる隠し通せない何かを夏姫が感じ取っていたのなら……。
そうだ、よし、俺がバラしたということは、絶対に認めない方針でいこう。アキラは一つ年下なのだ。ここは年上として、断固として知らんぷりをするべき場面だと思う。
「いやいや? 何のことだ?」
俺はアキラのぱっちりとした二重の目を直視しつつ訊き返す。するとアキラは、
「まぁ、実は、ずいぶん前に夏姫にはバレてるんですけどね。だから、別に怒ってるわけじゃないです」
「なんだ、そうなのか」
「でも、夏姫が、『好史先輩も知ってるんだね、アキラが男だってこと』とか言ってきまして、ああバラしたんだ、好史さんはそういうことするんだって思いまして」
「いやすまん。見事に誘導尋問されてな」
「相手が夏姫でよかったです。他の人だったら、あぶなかったですよ」
「これから気をつける」
「本当ですよ。気をつけてください」
俺は後輩相手に不本意ながらも反省と謝罪の気持ちを示しつつ、「ああ」と深く頷いた。
「ところで、ちょっと、聞いて下さいよ好史さん」
「何だ」
「さっきも言ったように、夏姫も、おれが男だってこと知ってるんですが、実は夏姫にもそれをバラされたくなかったら言うことを聞けとかって脅されてて、学校帰りにファミレスとか服屋とかアイス屋とかを連れ回されてるんすよ」
「ん? 楽しそうで良いんじゃないか?」
「良くないですよ。うちの学校、校則が厳しいんですから」
「そうらしいな」
「もしそういうのバレたら、身体検査とか厳しくなったりして。股なんて触られてチェックされた日には……」
「そこは触られなくないか?」
俺は言ったが、アキラは俺のツッコミを無視して続ける。
「生徒にバレるまではセーフらしいんすけど、教師たちにバレたら、親父のバクチゲーム終了っていうか全国ニュースとかになっちゃって人生終了なので、正直言って、めっちゃ迷惑してるんですよ。その上、好史さんにまで、バラされたくなかったら……って言われまくって、おれのストレスまた増えました」
男の愚痴、全開である。見た目は女の子だからいいってもんじゃない。本物の女の子の愚痴なら、まだ耳を傾ける気も起きるというものだが、女装した男の愚痴を延々ときかされ続けるという事態は避けたい。話題の変更を試みる。
「あぁー、アキラー」
「何すか。だるそうな声出して」
「髪型変えたぁ?」
前髪が、ちょっとぱっつん状態に見えた。
すると天海アキラは不機嫌そうに前髪を整えながら、
「自分でやって失敗したんすよ。あんま見ないで下さい。恥ずかしいんで。ていうか、話を逸らさないで下さい好史さん。おれのストレス何とかしてくださいよ」
どうにもできない。愚痴イベントはもうたくさんなんだ。嫌な気分になり過ぎる前に、全力で話題を変えよう。
「ときに、天海アキラよ」
「なんですか」
「女子トイレの中というのは、花畑でも広がってるのか?」
「え、何言ってんですか」
頭は大丈夫か、といった口調でしかめっ面してきた。
「いや実は、さっき夏姫ちゃんが、お花畑に行くみたいなことを言って、トイレに駆け込んで行ったんだが、恥ずかしながら俺は、今までの人生で女子トイレの個室内をじっくり見たことがないのだ。一体どうなってるんだか、興味がある」
「それ食事処での会話としては全く適してない気がするんですけど……。まぁ、いいか。えっと、女子トイレも基本的にはどこも普通のトイレですよ。男子トイレとさして変わらない。うちの学園のトイレの多くは無駄に豪華ですけどね」
「お前は、学校の外だとどっちに入るんだ? 見た目は女子にしか見えないが」
「最近は女子トイレにしか入ってませんよ。そりゃそうでしょ?」
この変態が。それ当たり前じゃねえからな。
「そして、さっきの質問ですけど、女の子の中には、トイレに行くっていう直接的な言い方をぼかす時に、『お花摘みに行く』って言葉を使う人も存在するんすよ」
「何でだろうな。やっぱり華道部は皆、そう言うのか?」
「さぁ、華道は関係無さそうですけど。うちの学校には、そうやって言う人多いです。すれ違うときの挨拶も『ごきげんよう』を使う人がいるくらいですし」
よし、ここで、別の話題を突っ込んで、さらに話を逸らしてやる!
「アキラは、巨乳が好きなんだっけか?」
「え? まぁ、巨乳以外を女とは認めませんが」
なんと。
ひどい男だ。
貧乳差別。
目の前にある氷が入ったグラスの底で殴りつけてやりたい衝動に駆られるぜ。
「巨乳の何が良いってんだ」
「え、だって、バインバインじゃないっすか。揺れる乳房は男のロマンっすよ」
「お前は、ひどく間違ってしまっている」
「いやいや、何も間違ってないっす。貧乳に性的興奮おぼえる方が、異常っすよ」
「俺の中に、そんな常識などない! だから、アキラ。俺は、今のお前のスーパーハーレム状況が羨ましくてたまらない! 体育とか着替えとかプールも一緒とか、本当もう! もう!」
「なんか、すごい力の入れようですね」
「当たり前だ!」
「でも、ですよ、好史さん」天海アキラは人差し指を立てた。「たとえば、好史さんが、巨乳美女の群れの中に放り込まれたとします。どうですか?」
思い浮かべてみる。
「たぶん、別に何とも思わないな。大して嬉しくもない」
「そう、それです! それが今、おれが体験し続けている現象っす。砂漠みたいなもんっすよ」
「たしかに、俺の場合も貧乳という名の水が無ければ苦しいかもしれん」
「しかも、うちの学校でも一見すれば巨乳に見える子を発見することがあるんすよ、これはオアシスに辿り着いたのかと心弾ませて、でも近付いてみたらパッド等のニセチチで、ってことはつまり、近付いたら毒沼に見えた挙句、本当は中身なんて無い幻の泉だった、なんて事態が頻発するんすよ。どこの地獄に迷い込んでしまいましたかって思いますよ!」
なるほど。それは想像を絶するほどのストレス生活に違いない。
「今まで誤解していた。アキラは苛酷な世界で耐えてるんだな」
思わず、俺はアキラに握手を求めてしまった。アキラの手はすべすべだった。
俺が手を離すと、アキラはすぐにこう言った。
「それにしても、好史さんは、本当に巨乳を見ても何とも思わないんですか? たとえば、胸の大きな人がタンクトップとかの薄着で出てきても、全然『おおっ』ってならないんですか?」
「ならないね」
「重症……なんですね」
「聞き捨てならないぞ。貧乳好きは病気じゃない! というか、貧乳好きを病気と認めたら、巨乳好きだって同等に病気だろう!」
「一理ありますね」
ふとアキラの背後に、今山夏姫が迫っているのが見えた。
しかし、その時の今山夏姫は、いつもの夏姫とはある部分が違っていた。二つ結びの可愛らしい髪型はいつも通りだし、制服姿なのも変化が無い。ただ、胸の状態が、少々違って見えた。
「なあアキラ。もしも、夏姫が巨乳なんてものになってしまったとしたら、お前はどう思う?」
「いや……それは、何だか想像できませんね」
アキラがそう言った時、夏姫はよっこらしょ、と言いながらアキラの隣のシートに座った。
「あれ、アキラ? 何で居るの?」と夏姫。
「偶然通りかかったそうだ」と俺。
席に戻って、すっかり氷の溶けた健康茶に口をつけた夏姫を見て、天海アキラは渋い表情をした。挨拶も忘れて、夏姫の胸を穴があきそうなほど凝視していた。
そう、胸の部分が、とてもおかしい。
「あ、気付いた? あたし、アキラの好きな巨乳になったの」
「夏姫ちゃん……」
「夏姫……」
俺とアキラは、かわいそうなものを見るような顔をしていたと思う。
なんと今山夏姫は、胸におそらくトイレットペーパーをしこたま詰めて、何食わぬ顔で出て来たわけで。見た感じ巨乳に見えるけれど、それは盛り過ぎというやつなわけで。
「おいおい長いことトイレ行ってると思ったら、詰め物して遊んでたのかよ」
「遊びじゃないよぅ! とても大事なことだよ!」
「何が大事なんだ?」
すると夏姫は、自分の急ごしらえの胸をぼよんぼよん持ち上げながら、こう言った。
「あたし、少し考えてみたんだけど、たとえば、今のあたしくらいの、すっごいバイーンって感じの巨乳の人が、好史先輩のことを好きだとして、その人が、『好史くんのために貧乳になりたい』って切実に言ってきたら、好史先輩はそれを喜んで受け入れる? それとも、『ニセの貧乳だ』とか、『つくりものだ』とかって言って否定する? どっち?」
難しい質問をされた。氷雨に殴られすぎてバカになった頭で、懸命に考えてみる。
「そうだなぁ……悪い気はしないだろう。その人自身が本当に貧乳の方が美しいと思うのなら、俺の理想に近付こうとする努力は、褒めてやってもいい」
「なにさまなんですか好史さん……」とアキラ。
「しかし、安心しろ」親指を立てた。「俺の場合は、その辺は見抜けるから大丈夫だ。そんな巨乳すぎる巨乳になる女は、最初から巨乳オーラを醸し出している。どう足掻いても貧乳オーラを出すことはできない」
「ん? 貧乳オーラってなに? にじみ出るものがあるの?」
「ああ、見えるぞ。夏姫ちゃんの貧乳からも、今まさに、まばゆいのが出ている」
「うそっ」
そうして夏姫が胸の前で腕をクロスさせてガードしたのを見て、俺は氷雨の恥じらう姿を思い出してしまった。
「ふぅ、かわいいな」
俺が言うと、夏姫は顔を赤くして、
「せ、先輩に言われても、うれしくないし」
ああ素晴らしい。貧乳が胸をガードする姿は、俺にときめきをくれる。
「アキラも、いまの夏姫の動き、可愛いと思うよな?」
俺は言ったが、
「いえ、全然」
無表情。あがく貧乳を見下げ果てたような突き放す口調であった。非常に冷たい。
今山夏姫は、どんよりと俯いた。かわいそうだ。
思うに、天海アキラは、誰かの好意に鈍感というよりも貧乳を女と認めないという偏った思想の持ち主なのだろう。一体、どんな教育を受ければ、貧乳差別するようになってしまうのやら。
だけども、冷静に振り返れば、自分もあまり変わらないかもしれない。たとえば、俺だって巨乳を恋愛対象と見ることはどう頑張っても難しい。
天海アキラと俺は、けっこう似ているのかもな。好意の対象が貧乳か巨乳かの違いだけなのだから。
だったら、逆に、俺がアキラと違うことは何だろうか。
天海アキラの方が、俺よりも冗談が通じなくて、過激で排他的で極端な考え方をするようにも思える。それこそ、巨乳以外の女性の存在は認めない、という風な。あとは、何だろうな。俺の特殊能力で貧乳オーラを見ることができることと、不死身の肉体を持つことくらいか。
アキラは無表情のまま、夏姫のほうは一切見ずに、俺に向かっていう。
「もし、おれの前に巨乳のふりした貧乳が現れたらって考えると、かなり嫌っていうか、すごいむかつくと思いますね。絶交レベルですよ」
その容赦ない言葉を耳にした途端、今山夏姫は慌てて立ち上がり、あろうことかファミレスの通路を駆け出した。
たぶん、即席の偽巨乳をアンインストールしに、お花畑に行ったのだろう。




