騎士シャーヤール
数日後、ユエジは兵を引いたと噂に聞いた。
バティルたちはこの隙にトカラの町へ入るか否か決断せねばならなかった。その為にはバッターラ師と相談せねばならない。朝からバティルとニルファルとは二人して馬でバッターラ師の滞在する僧院へ出かけた。
「バッターラ師はなかなかの人気者らしい。聖者というのはこの町でも希少価値のあるもんなんだな」
「それはバティルさんの町でも同じじゃないですか?」
「だとしても、お呼ばれに出てそのまま梯子するとは思わなかったさ。第一俺ですら聖者さまと満足に話してないというのに」
「それは自業自得ですね。話す機会というのは幾らでもあったでしょうに」
「人には好みのタイプというものがある」
「あ、あ~。そうですね~」
「いや何も分かってないだろう。俺はあのようなタイプの人間と話したことがない」
「そもそも私は聖者さまとまだ会ってないのですがー」
「ああ、その聖者さまという言葉自体が気持ち悪い。胡散臭いと感じないか」
「まあ市井に出ないのが聖者ですからね。出てきたからには王者になるか、悪者になるか、死人になるか、ろくなことはありません」
「君は案外過激なことを言うね」
「一般論を申し上げたまでです。聖者は世間から離れることで聖者足りうるのです。世間に戻ってきたら世間様の評価の対象となるしかありません」
「…なるほどね。その辺君は正直だ」
「人の事言えた義理ですか。私、思うんです。バティルさんはすごく自由だって。町から町へと巡って歩いて。私が今まで学んできたことが陳腐に思えてくるくらい」
「それは商人の良い面しか見てないからさ。損得勘定で物事は進む。ものの価値を金ではかる。お前のいう世間さまの評価と似たようなもんさ」
「バティルさんは自分が思ってるほど冷徹じゃないですよ」
「それはまたどうしてそう思うんだい?」
「漢気……でしょうか。なんとなく」
「わからないな」
「とても自分らしく生きてます」
「道楽息子だからなあ。好き勝手やらせてもらってるよ」
「じゃあバティルさんがみんなと接するときの価値基準は?」
「そんなの楽しいかどうかだろ」
「はい。とても個人的な感情です」
僧院に付くと二人は庭にある小さな館に通された。
「お入りなさい」
老聖者の声に導かれて部屋に入ってみると、そこには壮年の着飾った貴族らしき男がいた。口ひげの様が威厳を醸し出している。
なにやら深刻な話でもしていたのだろうか。彼の表情は憂鬱そうであった。
傍らにいた聖者はその男の紹介を始めた。
「バティル君。この方はトカラ王の嘗ての友、シャーヤール閣下だ。訳あって王の下を出奔。爾来十数年外国で過ごされた。この度ユエジ王国の侵攻を聴き及び、トカラへの帰還を望んでおられる。そこでじゃ。君の力で何とか手助けしてやることは可能じゃろうか」
そしてシャーヤールが言葉を継いだ。
「貴殿のことをバッターラ師に伺った。旅の経験が豊富で隊商を率いていらっしゃるとか。できることなら私と供の者数名を隊に加えてもらえまいか。我々は隠密に町に入りたいのだ」
バティルは単刀直入な頼み事にいささか戸惑った。見た限りその男は善良であるようには見える。しかし、内面のことなぞ直ぐ判断できるものでもない。まして政治上の人物と関わることは、下手をすると首が飛ぶことになる。
「シャーヤール様。隠密ということを申されますが、先方の国が禁じているのであれば商人にとってあえて危険を冒すものでもございません。しかしそこも商人ですから、損得勘定で物事は動きます。如何でございましょう?」
「私はトカラに入るのを特に禁じられている訳ではない。一度王の下を離れた身ゆえ王の耳に入っては煩わしかろうと思うてのこと。今仕えている者達にも気まずい思いをさせたくない。貴殿は私に身分をお貸し頂ければそれでよい」
「トカラに至って何をされるおつもりですか」
「まずは我が親友ベフナームに会いに行く。既にわたりは付けてある。あとは自分で何とかするゆえ気遣いは無用だ」
「バッターラ師もご同意なのですね」
「無論じゃ」
「なら致し方ありますまい。あとは……」
「あとは金の算段だけですね」
ニルファルはにっこり微笑んだ。