ウーネの町
翌朝叔父が尋ねてきた。出立の日取りについてだ。
「目指すはウーネの更に西、トカラ。王国連合の西端だ。そして北方の大国ユエジに対している」
叔父は地図を示す。
「通行許可証は?」
「これにある」
そこには普段の許可証よりも厳めしい装飾の木の札があった。真ん中には宝石がはめ込まれてある。
「出立は三日後が良いだろう。その札が道を切り開く」
「まあ普段のものは簡易なもので、結局天文を読んで外に出るしかなかったですからね。出先も運次第」
「それをもっていれば確実だ。それと、バッターラ師の安全にはくれぐれも気を付けてな。なに、おぬしの腕を疑っとる訳ではない。だがこの度は師には別のお役目をお願いしておる」
「お役目?」
「うむ。メリーヴ王国からトカラ王国への国書をお預けして申したのだ。つまり使者としてな。だから傷を負うようなことがあってはいかん」
「なるほど。そのようなことでしたら」
「あ、いや…待て。あのな。実はそう単純なものでもないのだ」
「というと?」
「ユエジの軍がトカラに迫っておる。存亡の危機ってやつだ」
「それは…叔父上」
「だからな、十五名ほどの兵も護衛に付ける」
「いないよりはましですね」
「バティル。このような面倒事を押し付けてすまんな。旅のこととなると他に頼れるものが居らんのでな。そなたは諸国遍歴の経験では他に抜きんでておる。そのことしかと王宮にも伝えておいた。此度の役目はバッターラ師のみならずそなたも使者の一人と思うてくれ。それで帰ってきたら土産話をたんまりと聞かせてくれんか」
「はい、承知しました」
「頼むぞ」
叔父はバティルの肩を叩いた。
三日後、一行はメリーヴを発った。
馬列は斜面に沿って細い道を進む。バティルの長身は馬の上に揺られ、高原の風は長い髪と衣を靡かせた。
この足下の大地はすぐ不確かなものとなる。それは伝説の一部になって風に呑まれてしまうということだ。
なんという不思議だろう。
その風景がゆがみ始めたとき、目の前の道もゆがみ始め、あらゆる影が目を回した。
ああこれが際か。
そう思ったとき、バティルの前の道は別の道へと繋がった。
振り返ってもそこにはスメールの山はなかった。
高原の裾を雲が覆う。切り立った山の峰は雲の上を這い、雪を抱いた山脈が眼前に広がる。なんと緑の少ない大地だろう。そもそも緑豊かなメリーヴが異常であったのだ。しかしなだらかな谷の底には緑が見える。
一行はその日、斜面に沿って底へ底へと歩を進めた。
谷あいの館で一泊。ここに至れば山降る清流も、土の色が目立つようになる。
左右の岩山は土を被ったはげ山となり、そのはげ山もやがて砂利に埋もれて視界が開ける。前は荒涼とした岩砂漠であった。目指すトカラの町は砂漠の向こうにある。そのまま直進すれば近いのだが、一行は川沿いに一路ウーネを目指した。
砂漠の丘を借景に林の中に列は続く。
そうしてその日は太陽の高いうちに一行は隊商宿へ入り、夜にはまた出発した。
翌朝、城門が開く頃にはウーネの町へ入ることができた。
ウーネの町の隊商宿に入った。さすがに町に見合って大きい。宿所・事務所・医療所・厩・市場・兵舎なんでも揃っている。堅固なホテルといったところだ。ここには地元の商人はもちろん旅の商人が集い品物のやり取りをしている。国はここを保護し経済の振興を促進する。
「トカラ?ああ、あそこは止めたほうがいい、今はね。なんでも近く戦があるらしいから。ほんとはここも危ないんだけどね」
「町にやたらと人が多いと思ったが、トカラから逃げてきたのかな」
バティルはさっそく情報収集を始める。
ここはいわば国境の最前線。この先が安全か見極めねばならない。
「相手は北の王国ユエジ。まともにぶつかればまず勝ち目は無いよ。と、いうことで!この町でしばらく様子見しときなよ」
「ああ、しばらくやっかいになるよ」
宿所に戻るとクムシュとクリチュの二人がやってきた。
バティルがこの町で見つけた仲間である。部屋に上がり込むやさっそく酒ということになった。
「何たって不思議な話じゃないか。その聖者は徒歩できたんだろう。なら何故今更馬に揺られねばならんのだ」
「そりゃあお前。疲れちまったんだろうさ。白髪のたいそうなご老人じゃないか」
「それはお前たちがメリーヴの町を知らないからさ」
バティルは二人の話に加わった。
「そりゃあなぜです?若旦那」
「歩いてくるには無理がある。老人が砂漠に山越え。あまりに無謀だ。それに盗賊に襲われでもしたらどうする」
「だったらどうやってメリーヴに来れるんです?」
「何らかの術を使ったんだろうなあ」
「術?」
「それって魔術? 奇術?」
「わからんさ。ただ聖者に類する者たちはメリーヴに自由に訪れることができる。その一端を俺も少し体験した。たぶんあの術なら山から山へはひとっ飛びだ」
「それはどんな…」
「おそらく聖人にとってコウロンの座標がスメルヴと近かったのだろう。あっという間に空を渡る。そんな感じだ」
「若旦那も山を越えたんで?」
「残念ながら俺もみんなも夢から覚めてしまってね」
「じゃあやっぱり奇術だ」
「その可能性もあるな…」
バティルはクムシュの杯に酒を注いだ。