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転性夜魔と疾風の英雄  作者: マツキ ヒビノ
1章:幼少期編
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9 ある昼下がりの小さな事件

穏やかな春風が頬を撫ぜる昼下がり。

牧場の雑務を粗方片付けた男たちは、今日も剣の稽古に打ち込んでいた。


「そうじゃない!もっと踏み込みに力を込めろ!……よし、いいぞ!今の呼吸を覚えるんだ!」

「ハアッ…ハァッ……はいっ!!!」

木刀ではあるものの、二人は互いに剣を打ち合わせて実戦的な修練をしている。

最初の頃は主に素振りだとか型とかの基礎的な内容が中心だったのが、随分と進歩したものだ。

まあ、5歳のときから稽古を始めて既に2年。

本当に基礎の基礎から丁寧に教えているとはいえ、剣の修練にはこれほどの時間が掛かるのか、と嘆息する。


夢の世界で(・・・・・)魔術やスキルの習熟に悪戦苦闘する日々を既に3年も過ごしている自分にとっても、他人事ではないのだが。

むしろ修行歴では自分の方が先輩だ。年下なのに。

全然そんなことはないのだが、なんだか勝ったような気分になって「むふー」っと笑みを浮かべる。身体に釣られて精神も幼児退行してしまったのだろうか?


仕事の手伝いを終えて、男たちにおやつの差し入れを持ってきたユーリは、そんなことを考えながら汗まみれで剣を振る男たちを眺めていた。

6歳になった最近では、任される仕事も随分と本格的なものになってきた。

と言ってもまだ「お手伝い」の域は出ないのだが。


「二人ともー。そろそろ休憩にしましょー?」

剣戟が止んだあたりで、汗だくの二人に声をかける。

このあたりかな?というタイミングも最近ではわかるようになってきたと思う。

声を掛けると、待ってましたとばかりに男二人が振り向く。


「おおっ!ユーリ、いつもありがとうな!」

「ぜぇ……ぜぇ……ありがと」

互いに汗まみれだが、まだまだ余力のあるゴルドーとヘロヘロなライナ。

対照的な二人へタオルを差し出し、こなれた手つきで外に用意したシートにテキパキとお茶の準備をしていく。


身体を冷やすといけないので、用意するのはいつも暖かい飲み物だ。

今日はユーリもお気に入りなミルクたっぷりの紅茶。

茶請けはリリィお手製のチーズケーキだ。

甘くて濃厚なチーズ生地に、添えられたブルーベリーに似た果実の酸味が絶妙なアクセントを生み出している。

ユーリも手伝いの際につまみ食いしたのだが、今回は会心の出来と言えるだろう。

手早く3人分のティーセットを用意すると、汗を拭き終えた男たちがやってくる。


「おっ今日はチーズケーキか!相変わらず良い腕だ。」

「いつもお世話になりっぱなしだね……いただきます。」

「子供なんだからそんな遠慮は要らねえっての。いただきます!」


早速ケーキを一口放り込み、紅茶を啜り、ほっと一息つく。

穏やかな午後にこうして3人で過ごすのも日課になって久しい。

普段はリリィも参加するのだが、彼女は現在ユーリの妹か弟を身籠っていてあまり動き回れない。

こっそりと、新たに習得した≪ヴィディ・コラプス(身体精査)≫の魔術を試してみたが、既に安定期。母子ともに健康という結果で非常に安堵した。

あと3か月もすれば無事に産まれてくるだろう。勿論、油断は禁物だが。


魔術という概念が食い込んでいるために元の世界の医療とは少し違う発展を遂げているとはいえ、治癒魔術も完璧な代物ではないのだ。


「楽しみだな~。妹かな?弟かな?ふふっ……。」

「最近は口を開けばそればっかりだな?ライナだって、もう長い付き合いだし兄ちゃんみたいなもんじゃないか?」


言外に『お前は異性というより兄弟みたいな位置関係だ』と牽制するような口調でゴルドーが言う。

そう言われて、ライナを改めて眺めてみると……


最初は、元気な子だなとしか思ってなかった。

だって、肉体的には年上でも精神年齢は1回り以上ユーリの方が上なのだ。

そんな状態でまだ年齢一桁の彼を異性として意識するほうがどうかしている。

そう、思っていたのだが。


「…………。」

「な、なにかな……?」


困惑顔になって聞いてくるが、そんなことにも気付かずにじっとライナの身体を凝視する。


男の子だな……と思った。

初めて会った日に自分を支えてくれた腕は、あの頃と比べて更に肉を帯びて力強さを感じる。

日頃の訓練の賜物だろう。

ぼーっとそんなことを考えながら無心で紅茶を啜っていると、余所見をしていたのが災いしたのだろう。



「熱っ……!」

「馬鹿、何やってるんだ!」

熱々のミルクティーを胸元に盛大にこぼしてしまった。

「火傷したらどうする!あー、もう。ホラ、脱いだ脱いだ!」

「ん……!しょっ……と!ふう……びっくりしたぁ。」

こういうときは父親の威厳があるゴルドーに手伝ってもらい、なんとか洋服を脱ぐ。素早く対応できたおかげで火傷の心配はなさそうだ。


「全く、よくできた娘だと思ったら変なとこでうっかりさんだ……な……?」

一安堵したところで、ようやく周りを見る余裕が生まれたのだろう。

ギギギギ……と、壊れかけの機械人形のような音をたててゴルドーがそちら(・・・)を振り向く。


まだ6歳ゆえに下着の類は身につけていない。また、紅茶は肌着まで浸透していたのでこちらも脱ぎ捨てていた。

つまり、上半身を完全に露わにしたユーリがそこにいて、

その目の前にはこれ以上なく顔を赤面させたライナの姿があった。


「ぬわあああああああああああああ!!!!!!お前は見るなあああああああああああああ!!!!!!」

慟哭。

父親としての本能か、或いは一人の雄としてなのか。


取り敢えずユーリは巻き込まれては敵わないとばかりに脱ぎ捨てた服と二人ぶんのタオルを引っ掴むと、そそくさと家の中に退散した。

後ろから幼い少年の断末魔のようなものが聞こえたが、まあゴルドーだって殺しはしないだろう。

休憩後の訓練はおそらく熾烈を極めることになるであろうが。

気楽に、そんな薄情なことを考えながら手早く着替えを用意する。


……ふと手元を見ると、そこには男たちの汗をたっぷりと吸い込んだタオル。

少しだけ嫌な臭いのするほうがきっとゴルドーのだ。

これは遺伝的な問題で、べつに父親が嫌いとかそういう話では断じてない。……ないのだ。

「それじゃあ、こっちが……。」

気の迷いだったのかもしれない。

それでも気がつけばすんすんと、ライナの汗を吸ったタオルに顔を埋めて、鼻を鳴らしてしまった。

「汗の匂い、でも……いやな感じは……しない。」



それから我に返って自分の所業に真っ赤になり、タオルとついでに自分の服を洗濯かごに投げ入れたのは、実に数分が経った頃であった。


※※※※※※※


「あっはははははははははははは!」

その夜。

一部始終を全て観察していたリリスは、ユーリが目を覚ますと同時に大笑いで出迎えてくれた。

「そんなに笑わなくたって……。」

「いや、いいものを見させてもらったよ。初々しいのは良きことだぞ、ユーリよ?」

「もうその話は勘弁して……顔から火が出そう。」


『顔から炎……ファイアブレスを発動しますか?』

「そういうこっちゃないの。比喩だよ、比喩。」

たまにこういう冗談が通じてるのかわざと言ってるのか。

≪図書館≫がこうやって素っ頓狂な発言をすると自然と空気が和むので、やはり計算の上でわざとやっているのかもしれない。


「まあいいさ。私という便乗者が居るとはいえこれはお前の人生だ。誰を好きになろうがお前(ユーリ)の自由だし、それにあの坊やなら将来は良い男になりそうじゃないか?」

「ライナとは!……まだそんなんじゃないよ。」

まだ互いに幼い身だ。今の気持ちが本当にそう(・・)なのかを知るのはもう少し後になるだろう。


「まだ、ね。ふふ、本当に、初々しいことだ。」

「もうっ!からかうのはその辺にして、今日の特訓!」

「ふむ……名残惜しいが時間も有限だ。この辺りで勘弁しようか。」


「それで今日は……」

『今日からは主に治癒の術……白魔術のスキルを集中して訓練して参りましょうか』

どうやら≪図書館≫先生にはお見通しのようだ。


もうすぐ産まれてくる弟か妹。

都合二人目の出産となるリリィだが、この世界の医療水準だと万が一が無いとは限らない。

そうした事態になっても対応できるように、やはり自分が有用な治癒スキルを使いこなせていたほうが良いだろう。

そう思い至って治癒スキルの習熟を申し出ようとしていたのだが……


「ふむ。治癒の術を使いこなすには人体への理解が必須だ。何処をどう治せば効率よく傷が防げるか。最適なルートでマナを流してやることで治癒の速さは何倍にも変化する。適当に呪文を詠唱してやるだけでも一応ふさがることは塞がるが、アレは魔力をバケツにつめてひっくり返しているようなものだ。そんなのは治癒の真髄とは到底呼べないものさ。」


「人体……理解……それって」

「≪ヴィディ・コラプス(身体精査)≫……母親の妊娠がわかった時点で、お前が治癒術を望むことはわかりきっていたからな。先にこちらを習熟(マスター)してもらった、というワケさ。サキュバスだから出来る特権。ある意味の裏技という奴だな。」

『普通に治癒術を1から学ぶのでは、時間が掛かりすぎてしまいますからね。』

「安心しろ。この方法ならお前は下の子が産まれる頃には世界随一の白魔術師になれるさ。」

「はは……やっぱり敵わないなあ。」

この二人の師は本当に、気付かないうちに色々と気を回してくれることが多くて助かるやら申し訳ないやら。


「というわけで人体理解の復習としてまずはこのライナ君複製人形をこうしてザクザクに串刺してだな」

「……それはわざとやってるの?それとも天然なのかな?」

幼馴染の身体を模した精巧な人形がズタボロになっていき、治癒魔術の実験台にされる。

師として尊敬の念を抱いた次の瞬間にこの仕打ち。


物申したい気持ちをグっと堪えて、ユーリは複雑な気分で人形相手に治癒術の練習を続けていくのだった。

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