8 斯くて少女は少年と出会う
魔臓をもたないためにマナの吸収効率が悪い只人が、唯一安住できるミドガルジェ大陸。
大陸全土を覆うほどの安定したマナを供給し続ける世界樹ユグドラシルと、それを囲うように存在する巨大迷宮王都。
ここは、そんな王都から少し離れた辺境の地。
開拓され尽くしておらず、まだ大いなる自然の息吹と邪悪な魔物たちの息遣いが混ざり合う土地。
そんな辺境にあって、ここだけは王都の賑わいに負けず劣らず騒がしい。
冒険者ギルド。そして、併設する酒場。
これからの冒険に向けて仲間を募る声と、一仕事終えた冒険者たちの乾杯の音頭が報酬の分配に揉める男たちの怒号に混ざり合って夜更けの空に溶けていく。
そんな混沌とした空気をどこか懐かしげに眺め、端の方のテーブルで静かにグラスを打ち合わせる二人の男たちが居た。
昔は俺たちもああやって馬鹿騒ぎしたものだと。
まだ二十代後半のくせして、そんな老人のようなことを呟く二人。
元冒険者のゴルドーとエリックはこの日久方ぶりに、二人して酒を飲みに来ていた。
互いに妻が怖くて、こんな機会でも無ければ思う存分酔うことも出来ないというのは、まあご愛嬌というものだ。
「それで、折り入って頼みってのは一体何だ?」
あの捻くれ者のエリックが、酒を奢るからとまで言って持ち込んで来た案件だ。きっと禄でもないことに違いない、と。
ある意味で彼をとても信頼しているゴルドーは、警戒しながら問いかける。
「そう構えなさんなって。今回ばかりはそんな厄介ごとじゃねえよ。……単刀直入に言うと、息子のことだ。お前さんに、剣の稽古を頼みたい。」
「ライナ?そういえば、もうすぐ5歳だっけか。……あいつも冒険者に?」
ばつが悪そうにエリックの右膝のあたりを眺めながらゴルドーが言うと、もっと居心地の悪そうな顔で答える。
「やめろよ。その件はもう決着がついたろ?あれは誰も悪くねえよ。ただ力が及ばなかっただけだ。それにな、冒険したいって気持ちは本人以外に止められるもんじゃない。お前さんが一番わかってるだろ?」
「んぐっ……」
『俺は世界一の冒険者になる!』
そう言って実家を飛び出しギルドの門を叩いたゴルドーは気恥ずかしくなって下を向いてしまった。
まあ結局、鍛冶屋をやっていた父親からは後日ゴルドー宛てに剣が送られてきたり、リリィとの結婚式には両親揃って当然のような顔で参列してきたが。
「そんなわけで、こんな足の使えねえポンコツ斥候よりはゴリゴリな戦闘派だったお前さんの方が適任だと思ったんだが、どうかね?」
「そりゃ俺は構わないが……いいのか?お前の息子なのに俺流に育てちまっても。」
「だからこそ、だよ。親の俺が言うのもなんだが、あいつは俺とは違って馬鹿正直で素直に育っちまった。まあ、反面教師ってやつか。そんな奴にやれ隠れて闇討ちだの急所を狙えだの、頭の良い芸当は出来やしないよ。実際あいつもお前のこと尊敬してるみたいだし、丁度いい。鍛えてやってくれないか?」
口を開けば憎まれ口ばかり叩いていた親友の真摯な態度を見せられれば、人情者のゴルドーは否とは言うまい。
或いはそんな計算もあったのかもしれないが、細かいことは気にしてもしょうがない。
「……わかったよ。他ならぬお前の頼みだ。ただし!」
「なんだよ?」
「うちの娘には手を出すなと厳命しておけ。」
今日一番の怖い顔で、グラスを突き出しながらゴルドーが言う。
「お前それあの子が行き遅れるまで言うつもりか?」
そんな親友の態度にも慣れたもので、エリックは苦笑しながら今日何回目かの乾杯に応じた。
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一ヶ月後、ストックホルム牧場。
4歳になったユーリは少し伸びてきた髪を後ろで結び、家の手伝いをしていた。
とはいっても、餌の牧草を運んだり、特に大人しい牛の身体を拭いたり。
仕事ともいえないような軽い雑用ばかり。
どうしても手伝いがしたいというユーリに苦肉の策で与えた、牧場体験とでもいうような内容。
それでも4歳児には結構な重労働で、身体を鈍らせないための運動としては条件が良かった。
『必要最低限の筋肉は維持しておけ。』
リリスに厳命されたのがきっかけで始めた手伝いだったが、最近は単純に楽しくなってきたように思える。
「はーい、モ〜太郎。おとなしくしててね〜。」
勝手に付けたあだ名を呼びながら(たまたまゴルドーに聞かれた時は苦い顔をしていたが)日課のブラッシングをしていく。背が届かないので、踏み台を使って。
いつもは両親のどちらかが立ち会うのだが、この日は来客があるとかで珍しくユーリ一人で世話をしていた。
悪い出来事というものは、いつも悪いタイミングで起こるものだ。
届きにくい背中の方にブラシをかけようとして、少し力を入れすぎてしまったようだ。
硬いブラシの歯が、柔らかな牛皮に食い込んだ。
「ン"モ"オオオオオオオオオオ!!!」
普段はおとなしいモ〜太郎の身体が跳ねる。
「わっ!わっ……!」
大人であればどうということはないだろう。
しかしユーリは4歳児で、更に間の悪いことに不安定な踏み台に足を乗せていた。
或いは当然の摂理として、ユーリは足を踏み外して頭から落下しようとしていた。
――その時。
「おーっす、ユーリ!一人にして悪かったな。紹介す…………っ!?」
奇跡的なタイミングでゴルドーが戻ってきたが、あまりの衝撃に一瞬だけ硬直してしまう。
すぐに正気に戻ったが、既に遅れは致命的だった。
あわや大怪我は免れぬかと思われた……のだが。
しかし、一切の躊躇なく、ゴルドーの隣に在った小さな影が奔った。
少女の傍らまで到達するとその影は、落下する身体を抱きとめる。
自分と同じくらいの歳に見えるのに、その腕はしっかりとした筋肉を帯びてユーリの体重を完璧に支えていた。
「大丈夫!?」
「あっ……えっと……はい。ありがとう……えっと、貴方は?」
「ああ、ごめんごめん。俺はライナ。ライナ・エドワードだよ。」
「ありがとう、ライナ。……でも、そろそろ離してくれる?」
背中から落下するのを抱きとめた結果か。
ライナは少女の未発達な膨らみを、右手で揉みしだいていた。
「うわああ!ごめん!そんなつもりじゃ」
「ラーーーーイーーーーナーーーーーくぅん?」
青筋を立てたゴルドーが、今にも剣を抜かんばかりの表情で手をゴキゴキ鳴らしている。
「も~!やめてよお父さん!ライナはわたしを助けてくれたんだよ?」
「ウ”ッ……ま、まあ……その件に免じて今のことは不問にする。」
「お・父・さ・ん?」
「ン”ン”………………助かったよ、ライナ。おかげで娘が怪我せずに済んだ。……感謝する。」
大人げなくユーリと同じくらいの男の子に嫉妬?する父親を叱って素直に礼をさせると、逆に恐縮だとばかりにライナが応える。
「いえ、すみません。俺が悪いんです。もっとちゃんと支えてれば……」
「あー、やめやめ!これ以上は堂々巡りだ。それよりも、うちのお姫さんにもうちょっと詳しくお前を紹介してやりたいんだが?」
「ああ、はい。お願いします!」
「こいつはライナ。町の方で宿屋をやってるエリックっていう……まあ、俺の元冒険者仲間だった男なんだが、そいつの息子でな。5歳になった節目に、俺が剣の稽古をつけることになった。というわけで、これから暫くうちに通うことになる。……そんなところだ。ライナ、こっちはユーリ。俺の自慢の愛娘だ。無断で手を出したらタダじゃおかないからな。」
「あっはは……よろしく、ユーリ!」
後半の脅し文句を苦笑で流して、ライナが手を差し出してくる。
そっと握ると、その掌は歳のわりにガッシリと堅い。
剣の稽古はこれからだが、きっと家でも素振りか何かやっていたのだろう。
男の子の手だな、と。なんとなく、そんなことを思う。
そして、元気のいい子だなと思った。
第一印象はそんな感じだ。
エロいこと?そんなの考えてるわけない。
まだ5歳の少年が、自分より小さい幼女の胸で興奮するような煩悩に塗れているわけないじゃないか。
しばらく堅い掌をにぎにぎしていると、くすぐったくなったのか赤い顔になって俯いてしまった。
「……?まあいいや。これからよろしくね、ライナ!」
赤くなって照れてる顔はなんか年相応で可愛らしいな、と。
そんなことを考えながらユーリは微笑んだ。
「……っ!ゴルドーさん!行きましょう!剣!教えてください!!」
「お、おい!ちょっと待てって……!ゆ、ユーリ!リリィも呼んどいたから、あとはママに見てもらいなさい!パパはちょっと行ってくるから!」
何故だかもっと真っ赤になったライナに連れられて、ゴルドーも退散していく。
「嫌われちゃったのかなぁ……?」
先ほどの少年の反応が心底不思議でたまらなくて、そんなことを呟いた。
「うちの娘は罪作りな子だよ全く……。」
ゴルドーたちが入ってきてからの一部始終を眺めていた母リリィは、ため息を吐きながらひとりごちた。
※※※
(いい匂いがした……柔らかかった……手、小っちゃかった……)
彼女の手で包まれた自分の拳をにぎにぎしながら、ライナは先ほどの出来事を反芻する。
(笑った顔……あんまりよく見れなかった。)
5歳児とはいっても色々と思うところはある。
男の子の性の目覚めは、ユーリの想像しているよりずっと早いのだった。
時系列が前後してややこしいことになっていますが、5・6・7→8→4の順です。日常編を先にお見せしたかったので、このような順になりました。これ以降は極力時系列通りに進んでいく予定です。




