35 旅立ちの日に
――夜、ストックホルム牧場。
普段は牧歌的な静寂に包まれる村の外れの牧場は、その日遅くに帰宅したユーリのもたらした知らせが原因となって怒号が鳴り響いていた。
怒号というか、半分悲鳴に近いのだが……の主は、ユーリの妹・ユウナであった。
「いーーーーーやーーーーでーーーすーーーー!!!!!!!!」
帰りが遅くなってしまった時点で既に荒れていたが、王都へ行くと伝えた途端、完全に駄々っ子モードに入ってしまった。
一度こうなってしまうと姉であるユーリの言うことも聞こうとしない。
先程から彼女はユーリに抱きついて、そのシャツを涙や鼻水で汚していた。
まあ、朝出かける際にも「暫くはこのまま家に居る」と言ったその日のうちにこの仕打ちだ。
よく出来た子とはいえまだ8歳のユウナには、あまりに酷い裏切りだっただろう。
「とは言ってもなぁ。折角のチャンスだし……白磁から1個ずつランクを上げて銀等級まで行くには、それこそ数年はかかるんだぞ?」
「うううぅぅぅ~~~~~~!!!!!!!!」
頭をかきながら、ゴルドーが遠慮がちに話しかける。
彼もそうだが、母親のリリィも駄々っ子になってしまったユウナにはあまり強く出られないらしい。
全く手がかからなかった(と自分では思ってる)ユーリを先に見ているので、余計にこういう「子供らしい」反応に対してどう接すれば良いのか決めあぐねているようだ。
「はぁ……しょうがないなあ。」
かといって、両親を責める気にはなれない。人外である自分を受け入れ、冒険者になりたいという我儘も聞いてくれたのだ。
ユウナを説得するため、ユーリは1枚の切り札を切ることにした。
「わかったよ、ユウナ。そこまで言うんなら何日かに1回……そうね、街道での野営中なんかは流石に無理だけど、街で宿をとった日なんかにはこっちへ帰ってくることにするわ。」
「へっ?帰って……って、どうやってですか?」
泣き叫んでイヤイヤするしかしなかった妹の反応が露骨に変わった。
「私の持ってるスキル……まあ、リリスからの借り物なんだけど。その中に”空間魔術”っていうのがあるの。《亜空収納》」
試しに《亜空収納》を発動し、テーブルの上の皿やコップなどの食器類をポイポイと亜空間へ放り込む。
モノが一瞬のうちに消えてしまったことにユウナは目を丸くするが、再びなにもない空間から元通りに食器類を取り出すと、その表情にはキラキラしたものが混ざり始めた。
マジックショーでもやっている気分だ。
「とまあこんな風に、空間魔術ていうのはすごく便利なものが多いんだけど、その中には長距離を一瞬で移動できる魔術もあるの。」
《亜空創門》
かつてリリスが、ゴルドーを助けるために使ったことのある術だ。
現在地から行きたい場所を楔として設定し、時間や距離の概念が存在しない亜空間を伝って一瞬で飛翔する魔術。
便利だし、魔力消費も門を開く一瞬だけなので微々たるものだ。
だが当然、問題もある。便利すぎるという点で。
「ストレージだけでも大商人のお抱えとして一生食ってけるだけの希少価値があるってのは有名だが、長距離移動だなんてそれこそ世界中探しても指で数えるくらい居りゃいいってレベルだろう。あの辺の特殊なスキルは時たま才能を持ったやつが突然生まれてくるくらいで、術の体系や仕組みさえ解明されてないからな。」
後天的に使えるようになった事例は、つい数年前にこのスキルを発現したアリスフィールぐらいだろう。
おかげで益々精力的に世界中を飛び回れるようになったとかなんとか……サキュバスである身からすればゾっとする話だが。
「うん、だからあまり大々的にこのスキルを使うのはマズイから出来れば世間には隠しておきたいの。でも夜、宿屋の部屋からなら、チェックアウトの時間までに戻ってくればバレずに済むと思うから……。」
それでも若干のリスクはあるし、何より此処から再び宿屋へ戻るには当然あちら側に楔となる者が必要なわけで……ライナをそうやって道具のように便利に使うのは気が引けるのだ。
だけど、一度した約束を破った身としては、そのくらいのリスクは受け入れるべきだとユーリは考えた。
同時に、ここまでが妥協できるギリギリのラインであるとも。
あくまで王都へ向かうという意志は変えずに、ユウナを納得させるために本来なら隠しておきたかった手札を開示したわけである。
そして、ここまで伝えればきっと……
「……わかりました。お姉ちゃんがそう言うなら――でも、必ず帰ってきてくださいね?」
ユウナなら、ちゃんとユーリの譲歩を汲み取って納得してくれる。
姉妹としての信頼関係……といえば聞こえは良いが、彼女と今まで接してきたユーリには確信があったのだ。
ユウナは自分よりも遥かによく出来た女の子だと。
ユーリの知能水準は確かに、この世界の庶民としての平均値から比べればだいぶ上の方にあるだろう。
だがそれは、地球の法治国家日本で義務教育を経た結果に過ぎない。
そうした”教養”からくる知能ではなく、生まれ持った才能としての知性が、ユウナには間違いなく備わっていた。
牧場仕事や家事のことなんかも、当初はユーリが彼女に教えていたが、今ではもう何も教えることなどなくなってしまったぐらいだ。
そんな妹の出来の良さを計算に入れて交渉する姉は、なんてズルい生き物なのだろうと自己嫌悪せずにはいられない。
所詮自分は、ライナとユウナを天秤にかけて、ライナを取っただけだというのに。
複雑な思いを抱えながら、ユーリはいつもより強く自分を抱きしめる妹の背にそっと腕を回し、そのぬくもりを感じながら眠りに落ちていくのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
そして、3日後。
日が昇る少し前という早朝から、ユーリとライナは冒険者ギルドの前まで来ていた。
太陽がまだ顔を出していないこの時間帯は、外を出歩くには少し肌寒い。
こんな時間からギルドまで来たのは、王都へ向かうための馬車が今から出立するためだ。
「いやぁ~悪いなユーリちゃん、こんな朝早くから!」
そう言って豪快に笑う恰幅のいい男性は、ユーリもよく知る人物だった。
「いえ、王都まで乗せていってもらえるのは、私達も助かりますから。アルカスさん。」
料理人のアルカス。
数年前の収穫祭では彼の作った串焼きに醤油が使われていたことに驚いたものだが、どうやら定期的に王都まで出向き、珍しい食材や調味料がないかをチェックしているらしい。
世界の中心に位置しているだけあって、あそこには世界中から珍しい物品が集まって交易が盛んに行われているのだ。
そうやって持ち帰った食材を自分流にアレンジして、この街で名物として売り出しているんだとか。研究熱心なことだ。
「まあ、ギルマスからたっての願いとあっちゃな……俺もエミリー嬢ちゃんには何かと世話になってるからよ。それに、彼女のお墨付きな冒険者が格安で護衛についてくれるってんなら断る理由がねえぜ。」
その冒険者ってのがユーリちゃんだとは思わなかったけどな!と付け加えて、またガハハと豪快に笑う。
急な話だったから、てっきり誰ともわからないような商人の護衛依頼にでも就くしかないと思っていたが、顔見知りのアルカスならばいくらか気が楽だ。
それに、目的地が王都だというのだからまさに天の助けといっても良いかもしれないタイミングの良さだった。
「本当に運が良かったわ……アルカスさんが昨日依頼を持ってきてくれなかったら、ちょっと無茶をしなきゃいけないところだったから。」
エミリーはそういって柔和に笑うが、目の下には濃いクマが出来ている。
無茶というのが何を指すのかは……知らないほうがお互いのためだろう。
ちなみに、昇格試験の件もアルカスにはキチンと説明してある。
彼の言う”お墨付き”というのはつまり、『銀等級の昇格試験を受けるぐらいの実力はありますよ』という話なわけだ。
下手すればギルドの機密に関わる情報なのだが、そこは長年の付き合いから互いに信頼関係が出来ているのだろう。
それから、見送りの場にはエミリーやミレッダ達ギルド職員だけではなく、顔見知りの冒険者の姿もいくつかあった。
彼らのような一部の実力者たちには昇格試験のことを知っている者も居て、下手な勘ぐりをする新人たちを押さえつける役割も担っているんだとか。
「……まあ、なんだ。一緒に仕事してたときからタダモンじゃねえなとは思ってたが、ここまであっさり抜かれちまうとはな。」
「受験資格を得ただけで、実際はまだわからないですけどね。」
ライナと談笑しているのは、あの気のいい大男、鉄等級冒険者のドノバンだ。
彼もそれなりに長いこと活動していて、この辺りの冒険者たちからは兄貴分として慕われているらしい。
「ガッハッハッハッハ!平気さ平気!コカトリスをイッパツでやっちまうような奴なんて金等級にもそうそう居ねえんだぜ!?」
自分より一回りも年下の少年に抜かれそうだというのに、その態度には刺々しさも卑屈さもない。
この気持ちの良さが彼の魅力でもあるのだろう。
「ドノバンさん……ありがとうございます!きっと合格してみせます!」
「おう、その意気だ!一発かましてきてやれ!!よ~しお前ら、撤収だ!俺らも自分の仕事に戻るぞぉ!!」
最後にバンと背中を叩いて、話は以上だと言わんばかりに他の冒険者たちを伴ってギルドの中へ引っ込んでしまった。
「……行こうか、ユーリ。」
「うん。」
見送り組との話が終わるのを待っていたかのように、アルカスが声を上げる。
「よーし、こっちも荷は全部積み終わった!そろそろ出発するぜぇ!!」
「はーい!」
ユーリたちが荷台に乗り込むのを確認して、御者に馬を出すように伝える。
御者が鞭を入れると、「ヒヒーーーン」と嘶いて馬車が動き出した。
ここからは暫くの間、アルカスとユーリとライナ、それに御者の青年を入れた4人で旅をすることになる。
「まあ、なるべく安全な道を通るがそれでも魔物や盗賊なんかに出くわす可能性はある。しっかり頼むぜ。」
街の西端にある門を抜けて街道に出る頃には、ちょうど東の空から太陽が顔を見せ始めていた。
まるで旅立つ彼らのことを、後ろから見守っているように――。




