30 素晴らしき船出
その日ユーリは珍しく起こされることなく、日の出とともに自ら目を覚ました。
いつもならギリギリの時間まで行なっている夢の中での修行を、この日だけは早めに切り上げたためだ。
相変わらず彼女を抱き枕として私物化しているユウナを、起こさないよう器用に引き剥がし、ベッドから降りて体を伸ばした。
固まっていた筋肉が解れて、その刺激で完全に意識が覚醒する。
そのあとは日課の柔軟体操で入念に身体の筋を伸ばしていく。
体の柔らかさは、冒険者……というか、戦う者にとっては非常に重要な要素だ。
いくら火力が高くても、当たらなければ意味がない。
どれだけ鋭い破邪の剣を携えようと、これも切っ先が届かなければ意味がない。
そういう意味で、良くも悪くも身体能力は『年相応の少女』程度しかなかったユーリは、全くもって『戦う為の身体』が出来ていなかった。
冒険者になることを決めてから今までで一番苦労したのは何かといえば、間違いなく"身体作り"だったといえるだろう。
初めて股を割ったときの衝撃といったら……いけない。思い出しちゃダメだ。さっさと身支度を整えよう。
気を取り直して、部屋着を脱いで下着姿になると、この日の為に用意していた装備品を身に付けていく。
丈夫な布で織られた動きやすいシャツとパンツ。
腰のベルトの右側にはロープやポーションの瓶などの道具類が入ったポーチ。
その反対側には、8年来ずっと手入れや補修を続けて使い続けてきた銀のナイフを挿している。
膝まで覆う革製のロングブーツを履いて最後にマントを羽織れば、一人前の冒険者の完成だ。
まあ、最初からこんなフル装備を整えられるような新人はあまり居なくて、大抵の場合は危険のない簡単な仕事をこなして少しずつ装備を整えていくのがよくあるパターンだそうだ。
「う〜〜ん、お姉ちゃん……」
ごそごそとやっていたのがうるさかったのか、それとも姉の温もりが自らの腕から消失したことに気付いたのか。
丁度身支度が整った頃にユウナがベッドから這い出てきた。
「はっ!?その格好……そっか。もう行っちゃうんですね……しくしく。」
「その流れはもう昨日散々やったでしょ?それに、今すぐこの街から出て行くわけじゃないんだからさ。」
「だってぇ。」
駆け出し冒険者ならば、まず登録した街に腰を落ち着けて地盤固めをするのが常道だ。
旅の費用や野営道具など、本格的に各地を渡り歩く為にも色々と先立つ物が必要になる。
まあそこら辺、ユーリのスキルならばどうにでもなるといえばなるのだが、あまり派手なことをして悪目立ちするのも具合が悪い。
というわけでユーリも暫くはこの街を拠点に活動していくことになるわけで、当然この実家からギルドへ通うことになるのだが、この妹はまるで今生の別れのように言って引き止めたがるのだからタチが悪い。
「ほら、そろそろ朝食の時間だよ。着替えて着替えて。」
「う〜……はぐらかされました。ユウナはずっとお待ちしていますからね!」
「はいはい。」
しぶしぶと着替えた妹を伴ってリビングへ向かうと、丁度ゴルドーも朝の見回りを終えて帰ってきたところだった。
「おぉ?なんだ今日は二人とも早起きだな。ああ、それとユーリ、よく似合ってるぜ。」
「本当?どこか変じゃない?」
「ああ、どっからどう見ても一丁前の冒険者だ。流石は俺が見立てて選んだだけはある!」
「そっかぁ……えへへ。」
褒められたのが嬉しくて、ふにゃりと頬が緩んでしまった。
「さあさあ、立ち話もいいけど朝食を運ぶの手伝ってくれる?特にユーリは精をつけなきゃいけないんだからたくさん食べること!」
「えぇ、昨日もあんなに食べたのに。」
「普段から少食すぎるんだよお前さんは。ちゃんと食わねえと母さんみたいに大きくなれねぇぞ?」
ユーリの身体のある一部分を見ながらゴルドーがニヤケ面をする。
「胸の話は今は関係ないでしょ!?」
直後に母娘3人による同時の膝・肘・アッパーカットが飛んで、彼が幸せそうな顔で沈んだことは言うまでもない。
※※※※
「それじゃあ、行ってきまーす。」
「おう、気負うこたぁねえ。いつも通りやってりゃ大丈夫だ。」
5秒くらいで気絶から回復したゴルドーのタフさに呆れながら朝食を胃に収め、少ししてから家を出た。
15分ほど歩いて、ライナと待ち合わせている冒険者ギルドへ。
ここ数年でこの町にも石やレンガ造りの大きな建造物がちらほら出来始めて、つい2年ほど前に建て直された冒険者ギルドもその一つだ。
数十人から百人規模の人間を飲み込んで尚余裕のあるその威容は、ギルドそのものの巨大さ、寛容さを誇示しているかのようにそびえたっていた。
待ち合わせ時刻にはまだ余裕があった筈だが、ユーリが到着した頃には既にライナは壁に背をもたれて待っていた。
「ごめーん、待った?」
「おはようユーリ、僕もさっき来たところだよ。」
「ふっ、くっ…………じゃあ、行こっか。」
「?」
古臭い恋愛もののカップルみたいな遣り取りについ笑ってしまいそうになるが、言っても多分伝わらないので心の内にしまっておこう。
気を取り直して、ギルドの中へ。
――24時間開放されている両開きの扉をくぐると、軽いざわめきが起こった。
冒険者たちの待合所から、併設している酒場から、いくつもの無遠慮な視線がユーリに突き刺さる。
中にはヒソヒソと何事か相談を始めた者達の姿もある。
「えっなに?私なにかしちゃった?」
「ああ、見慣れない顔があるとみんなちょっと神経質になるんだけど……確かになんか妙な反応だね。」
二人して不思議な顔で立っていると、冒険者集団の中でも一番ガタイが良いリーダー格のような男が近づいて来た。近くで見ると一層、荒くれ者といった風情だ。
「よう、『コウモリ』の坊主。こないだは助かったぜ。俺たちだけじゃ、ちと手が足りなくてな。」
「ドノバンさん、この街に来てたんですね!いえ、こっちこそまだ"青銅級"なのに皆さんと同じ報酬を貰っちゃって。」
「バカ言え。ちゃんと仕事した奴にゃ一人前の金を払う、それが筋ってもんだ。お前さんは欲がなさすぎるぞ。」
見かけに反して(と言ったら失礼だが)気の良さそうな大男、ドノバンは声のトーンを低くして続けた。
「ところでよ、ウチの連中も気になって仕様がねえンだが、そっちの嬢ちゃんは一体誰だ?何処からこんなお姫さんみたいな上玉捕まえて来たんだ!?」
「お、お姫様だなんて……」
「あー、それが原因か。そういえば今日はあんまり見かけない人が多いな。」
「おいどういうこったよ?しらばっくれてねえで教えてくれよ!おう、お嬢ちゃん。俺ァ、ドノバンってんだ。よろしくな!」
イケそうなムードを感じたのか妙に押しの強いドノバンに促されて、ライナは隣のユーリを手で示した。
そしてーー
「紹介します。彼女はユーリ……ユーリ・ストックホルムといいます。今日から冒険者として登録するつもりで此処に来ました。」
「は、初めまして。ドノバンさん。」
「ストックホルム……だと?」
「え?はい。」
その名を聞いた途端にサーっとドノバンが青ざめた。仲間たちとアイコンタクトを取り、恐る恐る先を続ける。
「まさか、あの……失礼だが、君のお父上は、その……ゴルドー・ストックホルム?」
「はい、そうですけど。」
「「「「すいませんでしたああああああああああああああ!!!!!」」」」
阿鼻叫喚とはこのことだろうか。
それまでユーリに無遠慮な、もっとストレートにいえば下卑た目を向けていた者達、その全員が顔を青ざめさせて叫び散らしていた。
「は?えっ、えっ?」
「す、すまねえ!アンタがあの『"剛腕"のゴルドー』の娘だなんて知らなかったんだよ!!」
「本当だ!!!信じてくれ!!」
ドノバンの仲間と思しき一団も彼に追随して頭を下げてくる。
訳がわからない。
何故、父の名を出しただけでここまで恐れ戦かれなくてはならないのか?
父は……ゴルドーは一体何をやらかしたのだろう?
「知らないなら、知らないままの方がいいかな。うん。」
ライナでさえ、何か訳知りなのに話してくれない始末。
これは後で父を問い詰めるほかにないかと考えていると……
「今日は一段と騒がしいわね。上まで聞こえてきたわよ?」
ギルド窓口の奥から、一人の女性が歩いてやってきた。
少し赤み掛かった美しい茶髪を後ろで纏めたスーツ姿の女性。
役人らしくフォーマルな服装なのに、不思議と堅さを感じさせない親しみやすさを讃えた、柔和で愛らしい顔立ちをした30代前半くらいのその女性は、ユーリも良く知る人物だった。
彼女は若くして出世してこの街のギルドマスターを務める才媛でもある。
「あっ、エミリーさん!お久しぶりです!」
「ユーリちゃん、久しぶりね。もう来てたのね~。それならこの騒ぎも納得だわ。」
「マスター、ご無沙汰してます。」
「ライナ君も顔を見るのは久しぶりね。それじゃあ早速なんだけれど、二人とも二階に来てくれるかしら?私が手続きしてあげるから。」
「えっ、ギルドマスターが直々にですか!?」
彼女には前もって、ユーリがこの日に冒険者登録をする旨を伝えてある。
現役時代のゴルドーが世話になったからそのよしみで、と思ってのことだったのだが、要らぬ気を遣わせてしまっただろうか?
「いいのいいの。今日は登録に来る予定があるのは貴女だけだったし、ちょうど書類仕事も片付いてひま……ゴホン。手が空いてるからね。」
「ありがとうございます……。」
暇って言いかけたな。べつにいいけれど。
だが、もしかしたらこちらに気を遣わせないための建前かもしれない。ここは素直にご厚意に甘えておくことにしよう。
そうして手招きするエミリーに続いて、二階の応接室へと向かうのだった。
「なあ、ユーリちゃんって今日からなんだよな?もしかしてまだ徒党組んでなかったりしねぇ?」
「バカ、ありゃあどう見たって"コウモリ"とつるんでる風だったぜ。」
「畜生、なんであの野郎がいい思いばっかり!!」
残された冒険者たちはまだ騒ぎ足りないとばかりに喧々轟々、ライナへの嫉妬心を爆発させていたり、いなかったりしていた。
※※※
応接室へ通されて席に座ると、エミリーが既に用意してあった書類を差し出してきた。
「それじゃあ、この羊皮紙に必要事項を記入してくれるかしら?」
「わかりました。」
ペンを受け取って、名前・生年月日・出身地・種族・性別などの項目を一つずつ埋めていく。
種族の欄には『只人』と書いておいた。
これは勇者アリスからの提案である。
曰く「どうせ黙ってれば見た目はボクらと何も変わらないし、そもそもサキュバスなんて種族はボクも知らないから、正直に書いたって変な混乱を生むだけだよ。」と。
ということで、若干の嘘を交えながらもつつがなく書類を書き終え、不備がなければいよいよ登録の段階に移る。
エミリーは羊皮紙に素早く目を通すと、満足気に頷いた。
「……うん、問題なさそうね。それじゃあ早速始めましょうか。」
そう言って、エミリーは金属で出来た小さな板を取り出した。
ちょうど現代の軍隊などで兵士がつけるドッグタグぐらいの大きさだろうか。
そして先ほど記入した書類に手をかざし、羊皮紙に込められた魔法を発動させるための祝詞を紡ぐ。
『祝福し賜え、真実の神。祝福し賜え、調定の神。新たな仔羊の航海ーーその始まりに祝福を。』
その文言に反応した羊皮紙が、一瞬にして音もなく燃え上がった。
熱さを感じない不思議な炎が羊皮紙を灰も残さずに燃やし尽くしたと同時に、それまで何もなかった金属の板の表面に文字が浮かび上がる。
《魔法刻印》
その名の通り、紙や石、果ては金属など、あらゆる材質の素材に刻印として文字や絵を浮かび上がらせる魔法だ。
冒険者の登録は、偽造が出来ないように職員の立会いのもと、この魔法刻印を使って行われる。
つまり、この魔法刻印で文字を彫られた金属の板こそが、冒険者を冒険者たらしめる証明品。
隣に座るライナも首から下げているそれは俗に"プレート"とか"ネームタグ"とか呼ばれているものであった。
「はい、じゃあこれ。何かあったときにあなたの身元を示すことにもなる品だから、基本的に肌身離さず身につけておいてね。」
チャリ、と音を立てて手渡されたプレートには、魔法で簡潔にこう彫られていた。
【ユーリ・ストックホルム】
【聖樹歴2996年】
【女】
【ユヅリハ村】
【白磁】
名前、生年、性別、出身地、そして最後が位階だ。
位階は一番下から最高位の覇鋼まで数えると全部で10の段階に分かれている。
白磁はその一番下。
まだ何も成していない無地である。
「これが、私の……。」
「ええ、おめでとうユーリちゃん。これで貴女はたった今から、ギルドが認めた正式な冒険者になったわ。ようこそ、冒険者ギルドへ。」
エミリーが差し出した手を、おずおずと掴む。
「はい、よろしくお願いします。」
ーーまだ、正直に言えば実感はない。
だけどユーリの胸の上に光るこのプレートは、彼女が新たな航海へ確かな一歩を踏み出したことを、主張するように輝きを放っていた。




