26 日常への回帰
「それじゃあ、後は頼んだぞ。」
「任せてください!ゴルドーさんも、無事に腕が治ったら今度こそ一杯付き合ってくださいよ!」
「……ああ、そうなることを願ってるよ。」
事前に取り決めておいた依頼料(約束の酒代として少し色がついている)を手渡し、これで≪鷹の眼≫との契約は満了だ。
依頼人から直接冒険者に報酬を渡す行為は正直言ってあまり褒められたものではないが、今回は事情が事情だ。
いま、ゴルドーの腕がないことをギルドに知られるのはあまり具合がよくない。
……治癒魔法は万能ではない。治療できる怪我の程度には限度があるし、四肢欠損の再生など、それこそ禁呪の類でしか成しえないだろう。
ところが、ここで人智を超えた謎の力を持つユーリが声をあげた。
彼女は「自分なら治せる」とあっさり言ってのけたのだ。
これから先、不自由な生活も止む無しと覚悟していたところへの吉報ではあるが……こんな辺境で、両腕を失くした男が、翌日には何事も無かったかのように新しい腕を生やしていた?
そんな奇跡のような事態が起こってみろ。
間違いなく大事になる。
と、いうわけで……。
≪鷹の眼≫の面々には「勇者の仲間の聖女が特別に治療してくれることになった。だが特例であるためこのことはギルドや他の冒険者には内密に!」と言い含め、ギルドや街の人々への口裏合わせも頼んでおいた。
聖女がどうとかいう話をでっちあげたのは、彼らにもユーリのことは知らせるわけにはいかないからだ。
聖女その人自体が有名人だったこともあり、しかも彼の覇鋼級冒険者の仲間であるなら、四肢欠損の治癒ぐらいの奇跡を起こすことも出来るだろうと一応は納得していた様子だった。
リーダーのライトなど、ゴルドーの腕が治ることを我がことのように喜んでくれていて、騙すような形になったのが少し心苦しいぐらいだ。
と、そんなこんなでギルドへの報告や後始末は≪鷹の眼≫へと丸投げし、ゴルドーたち一行はコソコソと帰路に就いたのだった。
そして、肝心の勇者だが……
「少しみんなと合流して片付けなきゃいけない野暮用があるんだ。悪いけど、話を聞くのはその後で!明日の朝には戻るからさ!それじゃ!!」
坑道から出るなり、そう言って颯爽と何処かへ去って行ってしまった。
本当に用事があったのか、それともユーリに考えを纏めるための猶予を与えてくれたのか。
どのみち、魔力が底をついている現状ではゴルドーの治療すらままならないのでユーリにとっては好都合であったのだが。
嵐のような人だな、と。
あっという間に見えなくなったアリスの背中を眺めながらユーリはそんなことを考えていた。
※※※
とっぷりと陽も落ち、夕飯の匂いが辺境の街を漂い出す頃。
たった半日ぶりだというのに随分と久しぶりに感じるストックホルム牧場へ、ようやく帰り着いた。
「……ただい、まっ!?!?!」
ボフン!!!!
我が家の戸を開けるなり、ユーリは勢いよくぶつかって来た誰かに思い切り押し倒され、そのまま抱きすくめられてしまった。
その人は柔らかくて、とても温かい。
ほのかに鼻孔をくすぐるのは、ミルクのような甘い香り。
「もう!本当に心配したんだからぁ!!!!ゴブリンに連れ去られたと聞いたときは私……どうしようかと……っ!」
ユーリの母……リリィが、目に涙を溜めながら強く、強くユーリを抱きしめていた。
「うん……心配かけてごめんね、お母さん。」
「……おかえりなさい、ユーリ。」
「……ただいま。」
……そして、リリィはゴルドーへ目を向ける。
その腕は……彼女をいつも抱きしめていた逞しい腕は、失われてしまっている…………。
それでも。
「…………おかえりなさい、あなた。」
何も言わず、ただリリィは、ちゃんと生きて帰ってきた夫を抱きしめた。
「……ああ。ただいま。」
ゴルドーもそれ以上は何も言わず、肘までしか無くなってしまった腕で彼女の身体を抱き返した。
「あ〜〜……実はな、リリィ。この腕なんだが…………」
そう言いかけたところで。
ぐぎゅるるるるるる……
ぎゅううううう……
きゅる…
「あ~……その、なんだ……すまん。」
ゴルドー、ライナ、そして……ユーリ。
各々の腹の虫が、見事な三重奏を奏でた。
そんな間抜けな光景に誰とも知れず吹き出して、終いにはみんなして大笑いしてしまった。
「あははは……全くもう、感動の再会が台無しじゃない。……丁度いま出来上がったところよ。さあ、ライナ君も上がって上がって!」
……そうだ。いまこの場所には、家族が。
大切な家族が、みんな無事で、此処にいる。
それ以上に重要なことがあるだろうか?
色々と大変なことはあったが、一先ず……
彼らは、いつもの日常へと帰還を果たしたのだ。
※※※※※
「……だから、アリスさんも警戒してて、私に剣を向けてきたの。でもね、父さんとライナが庇ってくれて……。」
夕食を食べながら、色んなことを話した。
転生だとか説明しづらい部分は端折ったが……自分が人間ではないこと。
人間を遥かに逸脱した力を持っていること。
……それでも、こんな自分を娘だと言ってくれたゴルドーの言葉が嬉しかったこと。
ポツポツと、ゆっくりとではあるが、言葉は喉に引っかかることなく、すんなりと出てきた。
以前はあれだけ話すのが怖かったのに。
ゴルドーやライナが受け入れてくれたように、リリィもまた何も言わず、うんうんと頷いてユーリの話を聴いてくれていた。
この人たちは自分を受け入れてくれる。
改めて家族の絆を感じ、胸に温かいものが込み上げてくるのだった。
「…………というわけで、明日もう一度アリスさんが来るから。……そのときに、彼に立ち会ってもらって父さんの腕を治そうと思うの。」
30分ほど、話し続けていただろうか。
あらかた自分の身の上を話し終え、話題はこれからのことについての話に移行していく。
「ん!?……あなた、それ、治るの……?」
腕を治す。
そうユーリが口にした途端、それまで匙を使って甲斐甲斐しくゴルドーに食べさせてあげていたリリィの手が止まった。
「ああ、イヤァ、その…………言ってなかったっけ?」
「聞・い・て・な・い!!!!!」
隣り合って座っていたゴルドーの脇腹に、強烈な肘が入った。
「ごはぁ!?……あ、相変わらず良い一撃だ……ぜ……。」
それだけ言い残してゴルドーは死……いや、気絶した。
「はあ……まったく、私の心配と気遣いを返してほしいわ。」
やれやれと首を振りながら、リリィも空の食器を片付け始める。
ユーリも慌てて立ち上がり、皿洗いの手伝いをする。
夕飯の後片付けを終え、「一旦家に戻る」というライナを外まで見送り、風呂で身を清め、両親に「おやすみなさい」と挨拶して、寝室へ向かう。
普段と何も変わらない日常。
だけど、自分の正体を話してしまえば壊れてしまうと思っていた、かけがえのない”なんでもない日々”。
大変な事件はあったが、日常は幼馴染の少年との立ち位置だけをちょっと変えて、元通りに帰って来た。
※※※
一晩の猶予があるということは、一度眠ることができるということ。
サキュバスであるユーリの見る夢は、普通の人間とは少し違うものだ。
此処は夢の世界。夜を歩き、夜に生きる、夜魔の領域。
そして、夜魔の女王たるリリスとは、こちらの世界に居る間だけ会うことが出来るのであった。
「やあ、待っていたぞユーリ。まあ色々積もる話はあるが、取り敢えずは無事だったことを喜ぼうじゃあないか。」
初雪のように白く、白磁の陶器のように滑らかな肌。
大胆に開いた胸元には、男であれば誰もを魅了してしまうであろう、魔性の果実。
白い肌により一層映える、鮮血色の大きな瞳。
……そして、夜に煌く星々を思わせる長い銀髪。
こちらの世界に転生してから昨日までは、ちょうど今のユーリぐらいのサイズまで縮んでしまっていたはずの彼女だが、何故か今はかなり"成長した姿"で佇んでいる。
転生する前にあちらの世界で会ったときの姿との、中間あたりだろうか。
見た目年齢的には、女子高生ぐらい。
急激に成長した姿のリリスは、黒い大きめな椅子のような物に座って、ふんぞり返りながらユーリのことを待ち受けていたのだった。
「……椅子?」
この夜魔の世界は、基本的に真っ暗闇に何も無い空間で構成されている。
サイコロ状の四角い箱の中と言い換えてもいい。
スキルを本に見立てた『図書館』のような光景や戦闘訓練用に広い平原など自由自在に変化させることは出来るものの、基本的な状態は今のような何も無い風景だ。
そんな場所に、椅子だけがぽつんと置いてある……?
普段のリリスの動向からは少し不自然な光景に眉を顰めていると……
「誰が椅子かアヒィン!?」
「お前はただの家具だと言った筈だよなぁ?やれやれ躾がなってない椅子も……あったものだっ!」
「ぬあっ!?ぐあっ!!!」
バシィン!!バシィン!!!
尻を載せているその物体に容赦なく平手打ちをくれるリリス。
急に声を上げたかと思ったらビンタを受けているというのに若干嬉しそうな嬌声を上げるその黒い物体は、ユーリがよくよく見れば覚えのあるモノであった。
「って、リリス……!?そいつは!!」
目を覚ましたら消えていたので消滅してしまったのだろうと思っていた、あの男。
悪魔公爵ベリアルその人が、何故か夜魔の領域に居た。
と言っても、あの坑道で対峙したときの威圧感や威厳は一体何処へやら。
今の彼はリリスの椅子に身をやつして、彼女からの体罰に情けなく嬌声をあげるというみっともない姿を晒していたのだった。
……先程から姿勢良く立っているだけの《図書館》さんが、何故かリリスの足元にゴミを見るような冷たい視線を投げかけていた意味がようやく分かった。
※※
「……で、これは一体どういうこと?なんでこいつがこんな所に居るの!?」
今は無害になった(と思われる)とは言え、一度は自分自身や大切な家族……ゴルドーを殺されかけたのだ。
どういうことかと詰め寄るユーリの声は、リリスに対しては珍しく本気の怒気を孕んでいた。
「……話せば少し長いんだが、まあ先ずはあの後に何があったのか順序立てて話していこうか。」
そう切り出して、リリスは事の顛末を話し始めた。
精気吸搾による魔力の過剰供給によって一時的に魔核が暴走状態となり、ユーリが気絶してしまったこと。
「本来であれば暫くして普通にユーリとして目を覚ます筈だったが……何故か魂が反転した。」
「……そして、あなたが現れた?」
「これは推測だが……今の私たちの魂は、完全に溶け合って融合している。にも関わらず、私たちはどちらも自我を失うことなく"リリスとユーリ"として存在しているんだ。もしかしたら、何かキッカケがあればいつでも反転するような状態だったのかも知れない。丁度、コインの裏表のようにな。実際、お前の意識を通して外の世界を認識することは、今までだって出来ていたからな。」
あのリリスをして、推測の域を出ない。
これまで何千もの魂の欠片を食い、己の魂を何度も変化させてきたリリスにとっても、『対等の者』として魂を融合させたのは初めての経験なのだ。
ユーリという魂との融合は、それこそ天文学的な確率でしか成し得ない1つの奇跡であった。
「ともあれ、何故か表に私が出てきて、しかも完全回復どころの騒ぎじゃない膨大な魔力までついてきた。元々魔力量だけが不安要素だったのだから、それさえクリアしてしまえばたかだか悪魔公爵如き、私には掠り傷一つつけることだって出来はしないさ。」
「そっか……やっぱり、戦ってくれたんだね。」
状況的にそうでないと辻褄が合わないが、リリスが気絶してしまったユーリに代わって悪魔公爵を倒してくれたらしい。
「お前の望むようにしただけさ。何せ今の私たちは一心同体だからな。」
ウィンクしながら、そんなことを言うリリス。
「けど、戦ったなら尚更、なんで此処にそいつが居るの……?」
順を追って説明された話も、当初の疑問まで行き着いた。
ただ斃してしまうだけならば造作もないことだった筈だ。それが一体どうして、こんなことになっているのか?
「私が連れてきた。《精魂吸搾》というスキルでこいつの身体ごと魂を"捕食"して、な。結果はこの通り。夜魔の領域に於いて、私は無敵だ。その後はこいつを嬲……尋問して、色々と話を訊いていたんだ。」
《精魂吸搾》は、その名の通り魂を喰らう邪法である。
それは相手の魂を自分のものと同化して吸収するエナジードレインとは少し仕組みが異なり、こちらのスキルはより"乱暴である"と言える。
喰らった魂の使い道は、全てをそのまま分解してエネルギー……つまり魔力に変換することのみ。
現在は余剰魔力を作る必要性がないために、彼の魂をそのまま異分子として胎内に保管してある形になっている。
夜魔の領域に彼が居るのは、リリスが話を訊くために特別に此処での行動を許可されているからに過ぎない。
「つまりこいつの殺生与奪は完全に私が握っている。今のこいつにできるのはただ無様に泣き喚きながら私に忠誠を誓い、慈悲を乞うことだけだ。」
「おのれぇ……!私は絶対に屈しないぞ……!!!ぐっ!?あっ、あっああああああああ!?!?」
……何処からともなく蔦のように蠢く肉、分かりやすく言えば"触手"が無数に現れ、ベリアルの身体に巻きつき、あっという間に彼の顔から下を覆い尽くしてしまった。
グチュグチュと不規則に蠢く肉塊の中身がどうなっているかなど、考えるだけで恐ろしい。
「喧しい。喚くなみっともない。」
トドメとばかりに口内にも容赦なく触手が侵入し、物理的に口封じされてしまった。
「……こいつの親玉、ルシフェルという男なんだが、そいつは私の生前の知り合いでな。」
「……?知り合いの部下だから、生かしておいてあげた?」
「まさか!私がそんなに慈悲深いたちに見えるかね?これは単なる嫌がらせさ。あの小僧の手駒を一騎、奪って喰らってドロドロの快楽漬けにして、私の下僕に墜としてやる。……まあ、実際のところ、悪魔公爵など戦力にも数えられん程度の損害だろうがな。……だが、まあ、なんというか……個人的に……」
珍しく、歯切れ悪く言いよどむリリス。
こんな様子のときは決まって、こちらに気を遣ってどう言おうか悩んでいる。
とすると……
「……そいつのことが気に入っちゃった?」
「まあ、正直に言えばな。……こいつは、そこそこ頭が回るんだ。クレバーな男というのは、実に良い。特に自分の為でなく他人……忠誠を誓った相手の為に力を振るえる者は貴重な逸材だ。ただ殺してしまうには、惜しくなってしまったのさ。」
「そいつが何をしたのか知ってるでしょ?それを……!」
自分の力で決着をつけられなかったのだから、リリスが悪魔公爵のことをどうしようと自分に口を挟む権利がないのはわかっている。
だが、家族を殺されかけたという事実が感情に歯止めをかけることを妨げていた。
「まあまあ、そう怒るな。こいつだって好きこのんであそこに居たわけじゃないんだ。邪教だか何だかの阿呆な連中に、片道切符しかないガタガタの召喚式で無理矢理呼び出されたんだとさ。」
「……だとしても、村の人たちに非道いことしたり私たちの街を襲おうとしたことには変わらないよ。」
「まあ、こいつも相当怒り心頭で目先のことしか見えてなかったらしいし、それでもお前に殺されかけたことで、少し頭を冷やしたようだ。最終的には、ゴルドーを手にかけることすら躊躇っていたそうだぞ?『あのような高潔な者を殺してしまうには惜しい』とな。実際、その時間が無ければ私の治療も間に合わなかった。」
……ゴルドーを殺すのに躊躇っていたというのは、事実だ。
殺されかけた本人がそう言っていた。
……だが果たしてユーリの記憶にあるこいつは、そんな紳士的な奴だっただろうか?
今はもうあの傲岸不遜な態度は見る影もないが。
いや、だが思い返してみると……
「…………初めて会ったとき、すごくスケベな目で見てきたのは?」
「それは弁明の余地も無い。単なるこいつのスケベ心だろう。」
「…………。」
無言で拳を構える。
やはりこいつは生かしておいてはいけない。
リリスがこんなところまで彼を連れてきたのはきっと、私にトドメを刺させるためだったに違いない。
そうして拳に魔力を集中させ始めたところで、触手に囲まれてのたうち回っていたベリアルが正気を取り戻して抵抗する。
「待て待て待て待て待て待て!?お、おい!リリス!?お前も黙って見ていないでこの女を止めグボァア!?!?」
「また私の許可なく喋ったな?しかも名を呼び捨てた。私のことは『リリス様』と呼べと、今までずっとそう教育してきてやった筈な・の・だ・が・なぁ!?」
今度はつま先が脇腹にめり込む。
間髪入れずに2発、3発……。
5発を数えたあたりで、ついにはうつ伏せに倒れこんでビクンビクン痙攣してしまった。
「全く、座り心地が悪いったらありやしない、ドマゾの変態クソ悪魔め……ペッ」
「うわぁ……」
口調とは裏腹に邪悪な笑みで唾を吐きかけるリリス。
そして、痙攣しながらもやはり若干恍惚とした雰囲気が漂っている悪魔公爵。
この二人を見てると、なんだか自分がすごく下らないことに腹を立てていたんじゃないかと錯覚しそうになる。
「まあ、ベリアルのことは取り敢えずいいや。なんかもう、自分がやったこと以上に苦しんでる(?)みたいだし……。ていうか!」
色々と話を訊いていたとは言うが、実際に何が行われていたのか……。
いや、おおかた想像はつくのだが……。
「仮にも私の頭の中で、一体今まで何やってたのさ!!!」
「そりゃ勿論ナニを「ストップ!ストップ!!!!」
とんでもないことを口走ろうとするリリス様の言葉を慌てて遮る。
「なんだ、生娘みたいな反応しちゃって……あの坊やとはあんなに情熱的なキ「わあああああああああ!思い出させないでよ!?!!!?」
……ライナとの一件をイジるのは本当にやめてほしい。
思い返せば顔から火が出るような話だ。
まだ齢一桁のいたいけな少年に、自分はなんてことを……!
いや、いやいやいや!それもこれも全てリリスが悪いのだ。
『これは練習だ』とか言って思いっきりセクハラを遥かに飛び越えたレベルのボディタッチを繰り返したり、ライナにしたよりもっとえげつない口淫でドロドロに溶かされたり……いや、よそう。思い出したくない。
『五桁を越える経験から得た手練手管をお前に余さず伝授してやろう❤︎』などとのたまって日々繰り返される、レッスンの名を借りたセクハラ。
ライナと口づけを交わした際に無意識に舌が動いてしまった程度には、ユーリの身体は開発されてしまっていた。
いや、大丈夫。落ち着くのよユーリ・ストックホルム。
まだセーフ、まだギリギリ大丈夫だ。踏み止まれる。
そうだ。女の子はちょっとエッチなぐらいの方が男性からも喜ばれる筈だ。大丈夫大丈夫。エロ方面のスキルが上がり過ぎててライナからドン引きされるなんてことは無い筈……多分、恐らく、きっと…………。
―――この時点で既にユーリは『処女であることのみが辛うじて守られている』とでも言うような有様で、リリスから好き放題に英才教育を受けていたのだが……それは言わぬが花である。
閑話休題。
今はユーリの身体の開発具合、いやいや、ベリアルのことは関係ない……いや、ないこともないが、取り敢えずもっと優先度の高い話題がある。
勇者――アリスフィールの件だ。
ベリアルを倒したことで、もっと厄介な相手に目をつけられてしまったといっても過言ではない。
「ベリアルの件は……まあ、ちょっと納得いかないけど取り敢えず保留にしとく。今は……」
「勇者――アリスフィール・クラインか。全く、お前は何か厄介ごとを引き寄せる呪いでも受けているんじゃないか?流石にアレが現れたときは肝を冷やしたぞ。」
クスクスと笑いながら何故か愉快そうにリリスが言う。
「だがまあ、奴のことなら現状でそこまで心配は要らんよ。勇者は既にお前のことを脅威だとは認識していない……ライナの坊やがそう証明してくれたお陰でな。」
「……本当にアレだけで、私の事を信用したっていうの?」
にわかには信じられない。
悪魔公爵でさえ、世界のバランスを崩すとして彼に神託が下るレベルの脅威なのだ。
それを倒した者となれば、より厳重に警戒されそうなものだが。
「あの手合いにはそれだけで充分なのさ。言葉ではなく剣で意思を交わす者……勇者という生き物は己の剣で触れた感覚をこそ何よりも信じる。坊やの剣はそれだけ信用に値する真っすぐなものだったというわけだ。」
「まるで勇者のことをずっと以前から知ってるみたいな言い方だね?」
「……知っているとも。前に言っただろう?……生前の私は、勇者に殺された、と。神々は連綿と同じような操り人形を造り続ける……。勇者の祝福なんてものは、神から与えられた呪いのようなものだ。……いや、すまん。……どうも感傷的になってしまうな。」
「リリス……。」
それだけ言うと、彼女は沈黙してしまった。
リリスは、自分の過去をあまり話したがらない。
いつか彼女の心の内を全てさらけ出してくれる日は、やってくるのだろうか……。
「まあ、いいさ。兎に角、詳しいことや専門的なことの説明は≪図書館≫がやってくれる。勇者の前に出たたら起動するといい。腕の再生も、そのまま≪図書館≫にまかせておけ。お前に教えたスキルでは傷口は防げても失った四肢を生やすことはできないからな。」
『お任せください。……ただし、再生を行うにあたってゴルドー氏に少しばかり決断をしてもらう必要がありますが。』
「……?」
「さて!明日までに話し合っておくことはこのぐらいで良いか。丁度そろそろ目覚めの時間だ。」
なんだか変にはぐらかされたように感じるが、時間がきたのは本当だ。
真っ暗だった視界が白んで、ゆっくりと意識があいまいになっていく。
「うん……色々とありがとうね、リリス、≪図書館≫。おやすみなさい。」
※※※※
そして、翌日の朝。
いつものように目覚め、冷たい水で顔を洗って目を覚まし、いつものように家族で食卓を囲んで朝食を食べる。
しかし、その食卓には普段とは違う影が2つ。
「いやぁ~、すいません。朝食までごちそうになっちゃって……ん!このチーズ美味しいですね!」
「あらそう?どういたしまして。そのチーズはそこの、貴方が剣を向けたユーリが絞ってくれた牛乳で作ったのよ。この子がやると美味しいのが沢山採れるのよ、うふふふふふ。」
「あははは……」
勇者・アリスフィールと、ライナである。
昨日のうちに何があったのか説明されて知っていたリリィは一見は歓迎しているようにみえてかなり毒のある態度を勇者に向けていた。
そんな態度に気付いているのかは知らないが、どこ吹く風といった様子の勇者と、両者に挟まれて胃が痛みそうなライナ。
両腕を失っているためにリリィ介護のように飯を食べさせてもらうゴルドーの姿も相まって、部屋の中にはある種の異様な空気が立ち込めていた。




