25 勇者の試練
「あ…………あぁ…………。」
手が震える。目は見開き、その男から視線を逸らすことができない。痙攣した下顎が、自分の意思に反してカチカチとうるさく歯を噛み合わせる。
……死の危険に瀕したのは一度や二度ではないし、実際に死んだこともある。
だが、これはあまりにも……。
戦って勝てるか?
―――不可能。例え魔力が全快していても勝てるビジョンがまるで見えない。
逃げられるか?
―――無理。逃げる姿勢を見せた瞬間に斬り伏せられるだろう。
脳内にいくつもの選択肢がよぎるが、どれを選んだところで数秒寿命が延びるかどうかというところ。
(無理……無理無理無理!!!)
自分の器がなまじ普通の人間よりも強者であるが故に、本能的に悟ってしまう力の差。足が笑い、パニックになって逃げ出そうとするが……逆に寿命を縮める結果に終わるだろう。
結局、魔力も底を突いて何も出来なくなった無力なユーリに出来るのは、ただその場にへたり込んで震えていることだけであった。
「う〜ん……これじゃあ会話にならないかな?まあ仕方ないか。」
カチャリ、と。
日常会話の延長のような動作で、アリスは背中の聖剣に手をかけた。
そして、まるで気負いなく、朝食のパンを齧るような手軽さでユーリに剣を向けた。
「あ……」
ユーリには、次の瞬間に自分の首が飛ぶ光景が、はっきりと見えた。
「…………どいてくれないかな?」
「お断りだ。」
「嫌です。」
だが、その瞬間はまだやってこなかった。
勇者がユーリへ剣の切っ先を向け、その間に割って入り、ユーリを庇うようにしてゴルドーとライナが仁王立ちしていた。
―――二人の行動に一瞬でも迷いがあれば、おそらくユーリの首は既に地面に転がっていただろう。
「気付いてないわけじゃないでしょう?その娘は……」
「……あの悪魔野郎にもさっき似たようなこと言われたよ。だが俺の答えはその時と変わらねえ。この子は……ユーリは俺の娘だ。死んだって此処をどかねえよ。」
一歩も譲る気はない、と。
我が身をも盾にする覚悟を持って、ゴルドーは覇鋼級冒険者に対峙する。
「…………。」
「あの!せめて話だけでも聞いてくれませんか!?あの子は……ユーリは……!」
「…………はぁ。」
ライナもまた縋るように言うと、勇者は息を吐きながら剣を下ろした。
「人類に仇を成す者、世界の均衡を壊す者を屠る。神様からの神託は、いつだってそんな命令だった。そして、恐らく今回の神託は、その娘へ向けて発せられた物じゃあない。」
「っ!だったら……」
「けれど、彼女の力は間違いなく人間のそれを逸脱している。…………キミなんだろう?あの悪魔を斃したのは。」
「……っ」
正直なところ、気絶していた間の出来事だから確証はない。
だが、状況を見ればリリスが奴を倒したのだということは想像に難くない。
しかし、そんな事を話して何になる?
知らないうちに自分の内なる悪魔がかってに戦って倒してくれました?
そんなの、「力を制御出来ていないんです。」と自白しているようなものだ。
結局状況を打開する良い答えが思い浮かばず、ユーリはただ青ざめて曖昧に首を縦に振る程度が精一杯だった。
その様子を痛々しげに見ていた勇者が重々しく口を開く。
「残念だけど、立場上見なかったことにするワケにはいかないんだ。今はまだでも、これから先、君が世界を壊す可能性が無いと言い切れない以上は、ね。」
「ユーリはそんな事……!」
「無いと断言出来るかい?その様子だと、知らなかったんだろう?今日の今日まで。その子に悪魔を倒す力があるなんて知らなかった。何故なら、ずっと隠していたから。」
「てめえに何がわかる……うっ!?」
食ってかかろうとしたゴルドーへ、一瞬。
ほんの一瞬だけ向けた殺意が、否応無く彼を黙らせる。
自分より一回り以上も年若いはずの青年から向けられる、あまりに濃密な死の臭いにゴルドーは思わず絶句した。
一体どれほどの修羅場をくぐり抜ければこんな気配を纏えるのか?
ただの才能だけではない。
尋常ではない数の実戦を積み上げた確かな経験値が、今の彼を形作っていた。
意識すら持っていかれそうになるが、すんでのところで堪える。
「気絶させるつもりだったんですが……貴方のこと、少し侮っていたみたいですね。」
「馬鹿言え……立ってられんのが不思議なぐらいだよ。」
「……それでも、そこをどいてくれませんか?」
「自分の命が惜しくて娘を見殺しにするような奴は、父親失格だ。」
「おとう……さん…………」
恐怖に震えて俯いていたユーリの耳朶にも、その力強い言葉はハッキリと響いた。
顔を上げると、大きな背中が視界に入る。
父の背中……
前におぶって貰った時には、こんなに大きく見えていただろうか?
「お前は何も心配すんな。」
視線に気付いたのかは分からないが、振り返ったゴルドーが安心させるように笑みを作った。
そんな、紛れも無い"親子"の遣り取りを眺めていた勇者は……
「はぁ〜〜…………まったくもう、これじゃあこっちが悪者じゃないですか。」
そう言って盛大にため息をつきながら、今度こそ剣を鞘に納めた。
「ユーリちゃん……だっけ?」
「…………はい。」
勇者が剣と一緒にユーリへ向けていた殺気も納めたため、かろうじて会話が出来る程度には落ち着いた。
「君が何者なのかは、わからない。けど、ここに居る二人は間違いなく真っ当な人間で、そんな二人は君のことを信用……いや、大切に想ってるみたいだ。」
「そう……ですね。」
ハッキリ口にされると恥ずかしいのだが、ゴルドーは親として、ライナは……恋人として。
彼らは自分の事を欠片も邪悪な者だと疑ったりしていないらしい。
顔を赤くしながら、ユーリが首肯する。
「だから、試すのは君じゃなくてこっちの彼らだ。」
そう言って再び背中の剣に手を掛け……
「ライナ君と言ったね?」
「は、はい!」
「君の持ってる全力で、ボクに撃ち込んできて欲しい。一切手加減なしでね。」
「……はい?」
そして、そんな突拍子もないことを言い出した。
「あはは、どうしてそんな事を?って言いたげだね。簡単な話さ。君の気持ち……ユーリちゃんを大切に想う感情が本物なのかどうか、試させてほしいんだ。方法はいろいろあるんだけど、今はこれが一番手っ取り早い。」
ジャキ……と、鞘から抜いた剣を構える。
「剣で切り結ぶことが……ですか?」
「そうさ。……まあ、あんまり自慢することじゃないんだけど、僕は冒険者になってからずっと戦い続けてきた。竜種、巨人族、悪魔…………数えきれないほどの戦いを、僕はこの剣と一緒に切り抜けてきた。正直、自分の手で直接触った物よりも、この剣で触れた物のほうがずっと多いくらいだ。」
「アリスさん……。」
覇鋼級冒険者の日常がどれほど過酷なものであるか、想像には難くない。
時には神様からだって試練を与えられる程の人間なのだ。
冒険者になって……いや、ひょっとしたらそれよりもっと前の幼少期から、ずっと戦ってきたのかもしれない。
傷一つない精悍な見目に騙されそうになるが、彼もまた地獄のような日々を生きてきた修羅なのだ。
「けど、何も悪いことばかりじゃないよ。色んな国を旅してまわるのは楽しいし、仲間のみんなも気のおけない楽しい連中だしね。それに、ずっと戦ってるうちに、なんとなくわかるようになってきたんだ。剣で触れると、それがよりハッキリと伝わってくる。その人が何を考えて、どんな気持ちを込めて戦いに臨んでいるのか……その魂が、穢れのない純粋なものなのか。」
「つまり、僕に全力で撃ち込め、というのは……」
「そう、君の心がどれだけ本気なのかを見極めたいんだ。君が何者にも操られていなくて、本気でユーリちゃんを守りたいと思っているのなら、その気持ちはきっと剣に乗ってボクに届く。だから、撃ち込んでごらん。剣はいつだって、答えを示してくれる。その人間の在りようを鏡のように映し出すものなんだ。」
「……わかり、ました。」
勇者の言わんとするところは理解できた。
ならば、そのようにするだけだ。
短く答えて、ライナも剣を構えた。
それは師であるゴルドーの……そして自分の最も得意とする、最速の剣。
自分たちの心を表す一撃ならば、やはりこの剣技が最も相応しいだろう。
「ライナ……」
「心配しないで、ユーリ。」
「……任せたぞ。」
「……はい。」
戦えない自分に代わって、一番弟子に全てを託す。
短いやり取りだが、自分と師の間にはそれで充分だ。
あとは自分の全てを込めて、この剣を振るうのみ。
―――剣を構え、意識をただ一振りに集中させる。
そうして、剣に集中した意識が深く、深く沈んでいく。
見えるものは、目の前に佇む勇者ただ一つ。
やがて音すらも消え去り、世界には自分と彼しか居なくなった。
「――――――空絶。」
音を置き去りにして、最速の剣閃が疾った。
そして、まるで始めから軌道がわかっていたかのように、その剣は勇者に受け止められる。
だが、この技の真骨頂は剣戟にあらず。
「っ!」
剣の軌跡から一瞬遅れて、触れる者を尽く斬り裂く破壊の暴風が…………
「うん。素直で、良い疾風だ。」
風は吹いた。
だがその風は勇者を傷付けることはなく、彼を囲むように柔らかく滞空していた。
まるで彼を慕うように。まるで彼にじゃれつくように、風は穏やかに吹いていた。
「そんな…………」
ライナには目の前で起こった現象が信じられなかった。
自分の攻撃が防がれるでもいなされるでもなく、まるでそれ自体が意思を持っているかのように、勇者を傷つけなかったのだ。
全力で放ったはずの一撃は掠り傷一つつけられなかったどころか、始めから彼に攻撃する意思が無かったかのように穏やかなものになってしまっていた。
「……うん。君の想いは、ちゃんと伝わってきた。」
アリスが穏やかに微笑みながら言う。
……まさか、今のでやる気がないのかと疑われたりしていないだろうか?
ライナの脳裏には一瞬だけ最悪の未来が映るが……。
「素直で、真っすぐで、純粋な剣だ。心や魂に穢れがある人間には絶対に放てない一撃だよ。」
剣を鞘に仕舞いながら、アリスはライナの剣をそう評した。
つまり、彼の『試験』に合格したということらしい。
「じゃあ……?」
「これで確信が持てたよ。君は彼女に操られたりなんかしていなかった。つまり彼女が君達から得た信頼は、怪しげな魔法なんかじゃなく彼女自身の行いで積み上げられたもの。ライナ君、君のことは信用に値する……だからこそ、君が信頼している彼女のことも、同様に信用できるってワケさ。」
そう言って優しく微笑いながら、アリスはユーリに歩を進める。
そして、手を伸ばせば届く距離まで……
その気になれば即座にユーリを斬れる距離まで近づいた勇者は……。
「……っ!」
ポンポン、と……優しくユーリの頭を撫でた。
「怖がらせて悪かったね。君みたいな子に会ったのは一度や二度じゃないんだけど、本当に悪い奴だったことも少なくなかった……だから、警戒は解けなかったんだ。ごめんね。」
「あ……ぅあ…………」
「事情……話してくれるかい?」
「……はい。」
「うん。それじゃあ、取り敢えずここから出ようか。薄暗くてジメジメしてる所は、あんまり好きじゃないんだ。」
そう言ってアリスが立ち上がると同時……
「……おい!メーザ急げって!!早くしねえとゴルドーさんが!!!!」
「ちょ、ちょっと……どんだけ走ったと思ってるのよ……!待って頂戴!!ぜぇ……ぜぇ……全く、魔法使いに無茶な運動させないでよね!!!!」
「姉御、本の虫もいいけどもうちょっと身体鍛えたほうがいいんじゃねえか?」
「犬ッコロは黙ってなさい!!!!!!!!!」
ガヤガヤガヤと、賑やかな一団が広間へ入ってくる。
只人、半森人、兎と犬の獣人……多種多様な種族が入り混じる銀等級の冒険者徒党……≪鷹の眼≫の面々だ。
「ああ、丁度いま片がついたところですよ、ライトさん。悪魔は、ボクが倒しておきました。もうこの近辺は安全でしょう。」
えっ……と何か言いかけたユーリにだけわかるようにウィンクすると、勇者は何事もなかったかのように≪鷹の眼≫の面々と言葉を交わす。
「中々手強い相手でした……しかも、この子……ユーリちゃんを人質に取って……いやぁ~、卑怯な戦い方をする奴で大変でしたよ。」
「そうだったのか……!いやぁ~、一度でいいから覇鋼級の戦うとこを観てみたくて急いで追って来たんだがなぁ……もう片付けちまったのか、流石だな。」
どうやらアリスは、自分のことを隠して、庇ってくれるらしい。
話の流れからそう察した3人は、この場は彼の言葉に話を合わせようと意識する。
「ていうかお前ら……なんで此処に?」
暫く互いの無事を喜びあっていたゴルドーだが、ここで一つ疑問が沸いた。
ゴルドーがこの坑道までたどり着けたのは間違いなく彼らの道案内があればこそだったが、彼らは悪魔の相手は出来ないと結論付けていたはずだ。そして、ギルドへ戻って応援を……応援?
そこまで考えて、はっとする。
「そうです。彼らがボクを此処まで案内してくれたんですよ。神様ったら詳しい場所までは教えてくれないから、この近辺まで来たら自分の足で探さなきゃいけないかと思ってたんですが……お蔭で助かっちゃいました。ちょっと本気で走って来たので皆さんは置いてきちゃったんですけどね。」
「目的地が分かるや否や全力疾走だもんな……いやあ、速えぇの何のって。まあ、ゴルドーの旦那も、その……色々と大変だったようだが……。」
「気にすんな。これは俺の選択の結果で、お前らに非は無えよ。……それより、本当に援軍を連れてきてくれたなんてな。おかげでこの通り、命は助かった。ありがとうよ。」
ゴルドーの無残な腕を見て、彼を一度は見捨てた形になってしまった≪鷹の眼≫リーダーのライトが気まずそうにするが、ゴルドーは笑って、むしろ感謝を口にする。
何にせよ、自分たちは今もこうして無事に生きている。
神か悪魔か……何の力が働いたのかは不明だが、あの絶体絶命の状況から誰一人欠けることなく生存できたのだ。
「ま、取り敢えずは一件落着だな。……帰ろうぜ。ギルドに報告もしなきゃなんねえし、お前らも約束通り一杯奢ってやんなきゃな。」
その一言で、途端に男連中の表情が煌めいた。
「お!イイっすねえ!!やっぱ美味い酒ってのは冒険者の活力だからな!!!」
「やった!アリスさんも良かったらご一緒しませんか?」
「僥倖。」
「ひゃっほう!タダ酒ほど美味いもんはねえぜ!!!!」
「ちょっと!酔いつぶれた馬鹿共を誰が介抱すると思ってんのよ!?」
「あの……その、お酒は程々に……」
大騒ぎしながら、≪鷹の眼≫を含む大人たちが歩き出す。
「……大人って、みんなああなっちゃうのかしら?ライナはどう?」
「あっはは……どうだろうね。大人になってみなきゃわかんないや。」
「……。」
「…………帰ろうか、ユーリ。」
「……うん。」
ライナの伸ばした手を、今度こそ握り返す。
森を抜け、牧場へたどり着き、ユーリを家に送り届けるまでの間、その手はしっかりとつながっていた。




