23 古の大淫婦
「はははははははははははははははははははは!!!!!そうか!!!!こうなるのか!!!!!!!!!!いやはや全く、お前と居ると飽きないなあ!!!!!!!!!!!ははははははははは!!!!!!!!!!」
薄暗い坑道の中腹。
彼の愛する少女だったものが、可笑しくて堪らないといった様子で笑い続けている。
「ユーリ…………なの?いや、貴女は……。」
「ははは…………ああ、そうさ。」
異常で異質な女は、ライナに誰何されてようやく少し落ち着いたような様子だった。
そしてその口から、愛しい人と全く同じ声で、女は語りだす。
「私こそが悪魔。私こそが化け物。ユーリ・ストックホルムという少女の、異能の根源。それがこの私、リリスだ。」
ユーリの豹変は、その態度だけではない。
異形の姿となったユーリからも凄まじい力を感じたが、今目の前に居る、ユーリの形をしたなにか……リリスと名乗った存在からは、その何倍、いや何十倍も濃密な気配を感じる。
「貴女は一体……」
問いかけると、何かに気づいたような顔でライナの言葉を制する。
「おっと、悪いが今は話をしてる余裕はないみたいだ。……おい、いつまで寝てるつもりだ?」
『……申し訳ありません。私の至らぬばかりに。』
「構わん。今は目の前のことに集中しろ。」
『畏まりました。《座標設定》現在地と悪魔侯爵を楔として固定……成功。楔への亜空間飛翔プロセス構築……完了。』
詠唱の段階に沿って、瞬間移動の術式が恐るべき速度で組み上げられていく。
「あ、あの!?」
なんだかよくわからないが、途轍もなく高度な術を発動しようとするリリス。
状況的にも物理的にも置いてけぼりにされそうになったライナが抗議の声を上げるが、悪魔はただ一言だけ答えた。
「ユーリの望むようにする。まあ、見捨てて行ってもいいんだが、あの子に恨まれるのは御免だからな。お前はゆっくり歩いてくるといい。着く頃には全て終わっているさ……ではな。」
『《亜空創門》』
それだけ言い残すと次の瞬間、リリスの姿は蝋燭の火を吹くように跡形もなく消えてしまった。
結局、何もわからず終いだ。
ユーリが突如豹変し、リリスと名乗った女は嵐のように去ってしまった。
置き去りにされたライナの身体には、先ほどの蕩けるような蜜月の余韻だけが甘い痺れとなって残っていた。
「ユーリの……望むこと………………まさか?」
誰も居なくなった静寂の中、ライナは今まで駆け抜けてきた道……坑道の最奥を見やった。
※※※※※
悪魔公爵・ベリアルの一撃によってゴルドーの身体が真っ二つに断たれるのと、リリスが《亜空創門》でそこへ突然現れたのは、殆ど同時だった。
「何っ!?」
「ちっ、面倒な……だが、間に合ったな。《引力》」
リリスがただその言葉を発音すると、真に力のある言霊が現実を書き換え、ゴルドーの肉体を自らの元へ引き寄せた。
そして…………。
『修復します。《翡翠の聖蛇》』
それは、現在のユーリ本来の魔力容量では到底扱えないスキル。
何十倍もの魔力を得てリリスが表に出てきた今なればこそ使える、最上位の回復術。
《図書館》が魔力で編まれた杖を創り出し、その杖から二匹の翡翠色をした蛇が現れる。
一匹は別たれていたゴルドーの半身を縫い合わせるように巻きつき、もう一匹は首筋に噛み付いた。
首に噛みついた方の蛇の牙から毒の代わりに白銀に輝く液体が注がれると、眩い光がゴルドーの全身を包み込んだ。
その光が収まると、そこには別たれた半身が元通りになり、さらには規則正しい寝息を立てるゴルドーの姿があった。
「ふむ……頑丈な男だな。あの状態でまだ魂は身体に残っていた。」
『ええ、俄かには信じがたい精神力と生命力です。お蔭で、傷を塞いだだけで蘇生出来ました。』
消滅してしまった腕は元通りとはいかなかったものの、命の危機……それもほぼ9割がたは死んでいた傷を一瞬で治癒されてしまった事実に、悪魔公爵は瞠目する。
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《翡翠の聖蛇》は二対一組の蛇。
一匹が外傷を、そしてもう片方が呪いなどによる幽体へのダメージを治療する禁呪だ。
その修復力は只の致命傷どころか、死に至る病までをも悉く治してしまう。
二対の蛇を操る治癒術師はこの力であらゆる人々を治療して、やがて神医と崇められた。
だが、人としてあまりに強大すぎる力を持つ者は、時としてそれ以上の代償を支払うことになる。
かの聖剣使いの騎士王が、あまりに過酷な修練と戦いの日々の果てに子を成せなくなってしまったように。
この神医もまた、死者を極端に減らす彼の存在が神の怒りに触れ、その身に神雷を堕とされて絶命したのであった。
そして彼の死によってその《翡翠の聖蛇》もまた闇に葬られたかに見えたが……。
……彼がそのスキルで初めて治療した女。
その日から男が雷に打たれて絶命するまでの僅か数年間を供に過ごした、とある女に、密かに受け継がれていたのだった。
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閑話休題。
リリスがゴルドーの身体を引き寄せ、《図書館》がその裏で準備していた治癒術を放った。
そこには一瞬のタイムラグも存在しない。
打てば響くなどという生温いものではない。
まるで初めから一つであったかのように《図書館》はリリスの意思を汲み取り、最速で最適な行動を起こす。
「ふぅ……久々だな、この感覚は。鈍ってないようで安心したぞ?」
『それはこちらの台詞です、リリス様。』
「腕の再生は取り敢えず後回しだな。今は…………」
ビュン、と。
ベリアルの全力による踏み込みから繰り出された魔爪の一撃は、紙一重で躱されて宙を切った。
「おいおい、せっかちな男は嫌われるぞ?」
「巫山戯たことを……!貴様は一体……いや、わかるぞ……お前が源泉なのだな?あの小娘の力の!」
「察しがいいじゃないか。経験値の足りない只の童貞君かと思っていたが、中々見所がある。さっきの一撃で力の差を察して迂闊に仕掛けてこなくなったのも好ましい。」
「…………。」
これは直感だ。
だが、優れた潜在能力を持つ悪魔公爵の直感は、限りなく真実に近いものになる。
つまり、自分はこの女に勝てないと。
「莫迦げている……こんなに都合よく、お前のような理不尽が現れて私を阻むなど……!それに、その聖なる力……!これが世界の抑止力……《神の見えざる手》だとでもいうのか!」
「おい。」
神、と。
その言葉を聞いた瞬間、リリスの身体から闇が溢れた。
それは先ほどまで悪魔公爵を苦しめていた聖なる力とは対極の力。
彼自身もどっぷりと慣れ親しんだ闇の……いや。
彼のもつそれより何倍も、何十倍も黒く、底無しに昏い魔力が、リリスからあふれ出していた。
闇の魔力適性を持ち、大きな耐性をもつベリアルが尚、認識しただけで震えあがるほどの恐怖を感じる魔力。
悪魔を消滅させる程の聖なる力を操る身でありながら、悪魔公爵たる自分よりも濃い闇を纏う女。
「……莫迦な。」
あり得ない。
聖属性だけですら既に自分を悠々と消滅させて余りある出力。
それに加えて、あのふざけた濃度の闇。
多重属性適合者というだけで稀有だというのに、相反する聖と闇の適合者など存在するはずがない。
だというのにこの女は、まるで息をするように二つの属性を操ってみせた。
どちらの属性も完璧に制御下に置いていなければ到底出来ない芸当だ。
そんな、絶望を具現化したような女が、ゾッとするような冷たい声で静かに語り始める。
「私は神託など受けていないし、よしんば神なんて下らない連中が何を言ってきた所で、知ったことじゃない。自分達の作った箱庭にしか興味がない……とびきり悪趣味で、怠惰な引き篭もり共。あんな奴らの手先だなんて、死んでも御免だ。」
「だったら……!」
何故、と。
神の手先でもなければ、何故お前はこんなところに居るのかと。
そう続けようとした言葉はリリスの声によって遮られる。
「たまたまだ。私の魂は、私と供にある。私は人間の両親から生まれ、村娘として普通に暮らしていた。だがな、そんなところにたまたまお前が現れた。そして、私の暮らす街へ侵攻を掛けてこようとした。……まあ、なんだ。お前は寝ていた虎を起こした。一言で言えば、そういうことだ。運がなかったな。」
最後は少し同情を含めたように、薄く微笑いながら締めくくったリリスの言葉を、ベリアルは黙って聞いていた。
理不尽に対する激情はもはや一周して凪いだ海のように穏やかになっていた。
諦めを含めて、ベリアルもまた薄く笑いながら独り言ちる。
「そうか、たまたまか……。全く、愉快な幕切れだ。」
「まあまあ、そう気を落とすなよ。さっきも言ったが、私自身はお前のこと、少し気に入っているんだぞ?力ばかりに現を抜かす悪魔共と違って、お前は少しばかり頭脳が回る。もう少し実戦を積めば、今度はかなりいい所まで行けるんじゃないか?」
「…………魂に、刻み込んでおこう。」
人間の魂が輪廻転生するように、悪魔の魂もまた、少し違った形で輪廻っている。
受肉し、現界した悪魔がそこで死を迎えると、その魂は地獄へ送られる。
そこでその魂が持つ力や現世で犯した罪に応じた期間だけ、責め苦を受けることになる。
大抵の悪魔はこれに耐えきれず、意識を手放し、自己を破壊され、まっさらな状態になる。
丁度、人間の魂が燐光に妬かれて白紙されるように。
だから、この”ベリアル”という悪魔は、ここで死を迎えれば、再び蘇った頃には全く別の存在となることだろう。
だが、忘れるものか。
ふざけた態度ではあるが、この女が自分を……この頭脳を少しは評価しているという点に於いては真実なのだろう。
ならばその長所を伸ばさぬ所以はない。
悪魔公爵たる自分。その力に不満を持ったことはなかったが、もう一つ上の階梯へ上り詰められるかもしれないヒントを、むざむざ忘れてたまるものか。
間近に訪れる死を前にして、ベリアルはそう固く誓った。
「ふむ。」
話はそろそろ終わりだとばかりに、リリスが最後の術式を展開し始める。
右手を包むのは、それまでの激しい光の奔流とは違う、暖かな光。
しかして、触れれば絶命は免れないであろう、濃密な聖属性の波動。
編み込まれた聖なる魔力は、その拳を包み込む籠手の形を成した。
《熾天使の断罪》
性格は言うに及ばず、蝙蝠のような翼を生やしたその姿もこれ以上なく悪魔的であるにも拘わらず。
その光の籠手を構える女はまるで天使のようだと、ベリアルは思った。
「しかと刻み込んでおけ。……もう少し賢い選択が出来るようになったなら、私がお前の主人になってやっても構わないぞ?」
「フッ……それには及ばない。《傲慢》の1柱たる私には、もう既に魂に刻み込まれた主が居る。」
「……そうか。今度は私が振られてしまったな。」
少し残念そうな顔をして、リリスが静かに構えた拳を振り抜く。
「申し訳ありません。次こそは貴方の元にお仕えしてご覧に入れます……ルシフェル様!!!!」
「…………お前今、何て言った?」
ビタリ、と。
本当に触れる直前、ギリギリのところでリリスは拳を止めることに成功した。
「おい。今お前、誰の名前を呼んだ?」
狼狽したように、まるであり得ないものでも見たかのように。
先ほどまでの神々しいオーラは何処へやら霧散してしまっていた。
代わりに、飛び切り悪質な悪戯を思いついた小悪魔のように凶悪な笑みを浮かべてベリアルに問いかける。
「『ルシフェル』……そう言ったのか?」
命を拾ったとぬか喜びも束の間、死の間際になって更なる厄介な地獄の扉を開いてしまったことを、ベリアルはその優れた頭脳で直感した。




