22 それは小さな愛と勇気の話
「離……して……よ!!!」
魔力切れの反動からようやく回復し、ユーリが拘束から抜け出した頃には、既に坑道の中腹あたりに差し掛かっていた。
呆れたことに、数分間も自分を抱えて全力疾走していたというのに目の前の少年は息切れした様子もない。
「ちょっと、ユーリ!?ダメだよまだ動いちゃ……」
「戻らなきゃ……私がやらなきゃ、ゴルドー……父さんが殺されちゃう……!」
いくら消耗しているとはいえ、相手は上級悪魔よりも上位の悪魔公爵なのだ。
ゴルドーが正面から戦って勝てる可能性は絶無。
奴の強さは嫌という程に思い知らされたばかりなのだ。
「ユーリが戻ってどうするのさ!ゴルドーさんは君を……君を逃がすために残ったんだよ!?あんな化け物に一人で立ち向かって……!だから早く!!逃げて逃げて、街まで逃げて救援を呼ぶんだ!!」
その話が現実的ではないことは無論分かっている。
まず逃げ切れるのかが怪しいし、よしんば街まで辿り着けたとしても、ゴルドーが手も足も出ないような化け物を相手取れる人間など、この辺境のギルドには存在しないだろう。
ても、だからといってここで足を止める理由にはならない。
もしかしたら、奴はあの『盾』を破れなくてゴルドーも無事に離脱できるかもしれない。
もしかしたら、物凄く強い冒険者がたまたまこの地を訪れていて、あの悪魔を倒してくれるかもしれない。
万に一つ程度だが、可能性はゼロではないのだ。
ならば自分が諦める道理はない。
たとえ本人が望んでいなかろうと、自分にできるのは師の言葉に従って彼女を逃がすことだけだ。
(……いざとなったら、今度は自分が時間稼ぎのために戦ってやる。)
「さあ、早く!振り落とされないようにしっかり掴まって!」
「…………っ!」
再び抱きかかえようと手を伸ばすが、少女は弱々しくその手を拒んだ。
「どうしたって………っ。」
少女は、微笑っていた。まるで、何かをあきらめたように。まるで何か大事なものを切り捨てたように。
どうしようもなく悲しげに、そして息を呑むほどに美しく、少女は微笑んでいた。
悲壮な決意を湛えたようなその瞳に、ライナは思わず二の足を踏んだ。
「……一緒には行けないよ、やっぱり。」
「どうして!?」
「私も……化け物だから。」
「えっ?」
ユーリには、少年の伸ばした手の指先が凍りついたように見えた気がした。
そのまま、彼が見て見ぬふりをしていた核心に触れる。
「あなただって見てたでしょう?さっきまであいつと……あの悪魔と戦ってたのは私なの……私は人間じゃないから……あいつと同じ、化け物だから……。」
「それは…………!」
違う、とは言えまい。
ライナだってあの悪魔に斬りかかり、そのタフさを身を以て実感している。
そんな奴をあそこまでボロボロにしてみせたのが、目の前に立っている少女だという。
これを化け物と言わずして何と言うのか?
……そうだ。自分は化け物なのだ。
自分が≪一角獣の聖槍≫で豆腐のように砕いたあいつの身体は、ゴルドーやライナの斬撃でもビクともしない程に堅かった。
今この場であいつを倒せるのは、ユーリだけなのだ。
たとえ魔力が底をついていても、それでも自分にしか出来ないことなのだ。
「だから、私がやらなきゃだめなの……私が……あいつを殺さなきゃ……!」
殺す。
そう口に出した途端、黒い感情が魂を侵食していくのを感じた。
尽き果てていたはずの魔力が、まるでユーリ自身の魂を削り取って燃料にするかの如く湧き上がっていく。
黒い、黒い……月のない夜よりも遥かにドス黒い魔力がユーリの魔核を少しずつ、だが確実に満たしていった。
「あ……あぁ……!ア……あ…………アアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
ズリュリ、と。
背中から蝙蝠のような翼が飛び出し、腰からは尻尾が生えた。
ユーリの意識から人間性が薄れていくにつれ、身体はどんどん本来の……サキュバスとしての特性を取り戻していく。
「コロ……さなキャ……!みンな……マもレ……ナキャ……」
「…………っ」
気が付けば、ユーリの眼は独りでに大粒の涙を湛えていた。
思えば、あの悪魔からみんなを守るために……平和な日常を守るために戦うことを決めたはずだった。
だけど、戦いには敗れた。
そして、自分が彼らとはどうしようもなく違う、化け物だということを心底思い知った。
最早自分は人間ではない。
このままではどうせ生き残ったところで、彼らと元のように暮らすことは出来ないだろう。
ならばせめてこの命に代えても、あいつを殺すこと。
自分一人が犠牲になって愛しい人々が救われるのなら、安いものだ。
(ああ……でも、リリスには怒られちゃうかな。折角生き返ったのに私の我儘でまた……。)
けど彼女は、戦うこと自体を止めはしなかった。
自分の意志で選択した結果の出来事なら、彼女も納得してくれるかもしれない。
きっとなんやかんや小言を言われるだろうが、甘んじて受け入れようと思う。
「ごめンネ……さようなら。」
たたかうのだ……
こんなばけものをあいしてくれた、みんなをまもるために……
だんだんといしきがぼやけて、やがてせかいがまっくらにみえ……
…………めだ!」
……と。
突然誰かから強く抱きしめられた。
温かい体温が背中から伝わり、黒く濁っていた意識は急激に精彩を取り戻した。
一体だれが?
知れている。今この場にいるのはユーリの他には只一人。
ライナが、醜い蝙蝠の羽と悪魔のような尻尾を生やした姿のユーリを抱き留めている。
「ちょっと……ライナ……さん?」
赤くなりながら身をよじろうとするが、その両腕は信じられないほど力強く、だけど優しくユーリを抱き続けた。
「だめだ。離さない!こんなところでさよならだなんて、絶対に許さない!!!!!!!」
涙を流しながら、ライナが慟哭する。
「ちょっと、離してよ!!!私は…………」
「関係ない!!!!!!」
化け物なんだから。
そう続けようとした言葉を遮り、ライナは尚もユーリを強く抱きしめた。
「人かどうかなんて関係ない!人じゃなくたって……どんなにすごい力を持ってたって……!君はやっぱり僕の知ってるユーリじゃないか……!!」
「ライナ……?」
ゆっくりと顔を上げて、目の前の少年の顔を見つめる。
目からは涙が溢れ続けているが、その顔は穏やかに笑っている。
目の前の少女がゆっくりと顔を上げて、宝石のような瞳で真っ直ぐに僕を見据える。
ああ、やっぱり、綺麗だ。
僕の知ってるユーリは、僕の大好きなユーリは、世界で一番綺麗な女の子だ。
「好きだよ、ユーリ。」
そして、口をついて愛が溢れた。
どこか遠くへ行こうとする少女を繋ぎ止めるように。
その言葉は少女を甘やかに優しく包み込んだ。
「僕は、君が好きだ。世界で一番、君が好きだ。人かどうかなんて、そんなの関係ない。そんな小さいことで、初めて会ったあの日から今までの君は嘘になんてならない。」
「ライナ…………」
「だから、そんな悲しいこと言わないで。」
「ライナ……ぁ…………!」
「大丈夫。僕は絶対に君を離さない。ずっと傍にいる。だから、そんな悲しいこと、言わないで。」
「ゎ…………ゎたし……も…………。」
「うん。」
心細そうに顔を赤くして、蚊の鳴くような声でユーリが言葉を紡ぐ。
少年は黙って、その先を促した。
きっと少女の中でも、最初からその答えは決まっていたのかもしれない。
「私も、貴方が好き……。」
「………うん。」
小さな声で紡がれた小さな愛を、少年は静かに、優しく受け止めた。
「あ…………」
ふらりと、緊張が急に解けた反動と、大きな安堵によってユーリが脱力して倒れこみそうになる。
「っと。」
そんなユーリの身体を、ライナが優しく抱きとめた。
初めて会ったあの日のように、その腕はユーリを完璧に支えていた。
「「………………。」」
元から近かった二人の距離がほぼ無くなり、互いの息遣いが聞こえるほどに近くへ。
「ん…………。」
そして、唇が重なった。
甘やかな温かい熱が、ユーリの心を満たしていく。
好きな人と繋がることがこんなに温かいものだったなんて想像もしていなかった。
小鳥の啄ばむような口づけはすぐに、より深く互いを求め合うものへと変化した。
「ん……れぅ……ちゅ……ちゅ……」
ユーリの紅い舌が蛇のようにライナの口腔を這いまわり、舌を絡めとり、毒々しい程に甘い唾液を流し込む。
その甘い毒を嚥下する度、ライナは自分の身体が自分のものじゃなくなっていくような快感に見舞われる。
体温はどんどん上昇し、尚も身体の芯から燃えるような熱が波のように押し寄せてくる。
「ユ……リィ……ユーリ……っ!」
全身を駆け巡る未知の快楽に恐怖すら覚え、ライナは縋るように少女の小さな身体を掻き抱いた。
愛しい愛しい少年が、自分に全てを委ねて縋り付いている。
その事実に背徳を覚え、ユーリの身体もまた熱く火照っていた。
やがて互いの熱が混ざり合い、絡み合い、ドロドロに溶けて一つになる。
そうして条件を満たしたスキルを、ユーリの……サキュバスの身体は本能的に発動する。
≪精気吸搾≫
「……っん!んんぅ~~~~!!!!!!!!」
その権能を発動した瞬間、ライナの躰がより一層撥ねた。
身悶えするような耐え難い快感に、少年の身体がビクンビクンと痙攣する。
まだ齢2桁にも達さぬ幼い少年の精気は本来の箇所ではなく、ユーリと繋がる口腔から唾液に溶けて流れ出た。
甘い甘い、ライナの魂そのものの熱が、ユーリの身体に染みわたってゆく。
サキュバスの身体は、そうして受け取った精を、純粋な力へと……魔力へと変換する。
全身を循環してやがてユーリの身体の中心……魔核へ到達したライナの精気が燃料となり、爆発的に魔力が製造される。
作りだされた魔力はカラカラに乾いていたユーリの全身を満たし、潤し、そして…………。
「え、ちょ、これ、多すぎ!?」
溢れた。
ユーリ自身の魔力保有量はすでにそこいらの人間の魔導士などとは比べものにならない大きさだ。
全盛期のリリスからは程遠いとはいえ、充分規格外の魔力炉を、ユーリの魔核は有している。
それだというのに、既に魔力はユーリの普段扱っている限界量を越えてもまだ際限なく生産され続けている。
わけがわからない。
溢れ続ける魔力を制御しきれず、からだの中を暴れまわる温かなマナの奔流に押し流されて……。
ユーリの意識は途絶えた。
そして、小さな奇跡が起こった。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!!!!!!」
本人さえ予想していなかった偶然。
美しい声に見合わぬ品のない高笑いが、狭く薄暗い坑道を満たしていた。




