19 悪魔は斯くて、贄を前に昏く笑う
ああ……本当に、人間とは理解に苦しむ生き物だ。
矮小な、力なき者の分際で、不遜にもこの私を召喚し、あまつさえ思いのままに操れるなどと考えていたとは。
どうやら奴らは、上級悪魔を召喚したのだと思い込んでいたらしい。
あのような自分の意思も持たぬ矮小な存在と私を間違えるとは、度し難い侮辱だ。
まあ、力を持たぬ者にとっては、どちらも自分の手に負えるものではないという点では同じことか。
全く……奴らに比べれば、献身的に私に傅いてくる醜悪なゴブリン達のほうが、よほど可愛げがあるというものだ。
戯れに、近くに居た群れを支配してみたが存外に良い拾い物をした。
適当に女を攫わせればすぐ増えるし、私の指示には忠実に動く駒となる。
そして何より、絶対的な強者には逆らわない。魔に生きる者とは、そういうものだ。
そうだ!
愚かで矮小な人間共にも、その真理を教授してくれよう。
折角顕現できたのだ。ここは一つ、礼も兼ねて奴ら自身に、己の愚かさを理解させてやろうではないか。
愚かにも私を召喚した人間は、その場でお望み通りに死をくれてやった。
だが、こんなものじゃあ到底足りるものではないだろう?
丁度良く、近場に人間の街がある。
ここを制圧して、橋頭保としよう。
そう決めた私は、何度かの偵察を経てから襲撃隊を向かわせたのだが……。
……私を召喚した人間から奪った豪奢な椅子に腰かけ、目の前のそれを一瞥する。
雪のような白い肌に、目も覚めるような輝きを放つ銀の髪。
そして、精緻な人形のように整った顔立ちに、一級品の宝石を思わせる深紅の瞳を湛えた少女。
人間にしてはいささか出来すぎている、非の打ちどころのない容姿を備えた女が、目の前に横たえられている。
牧場で偶然見つけ、是非とも私に献上したいと任務も忘れてこの女を担いできたそうだ。
本来なら襲撃の途中で引き返して来たことを咎めるべきであろうが、まあそれもこの少女を見れば納得がいくというものだ。
……まったく、醜悪な魔物にも審美眼というものは備わっているらしい。
それに、これだけ美しい女をその場で犯すことなく此処まで運んでくる理性も持ち合わせているとは。
私に献上したい?奪い、犯し、喰らうことしか能のなかったこいつらが、恩返しをするような思考まで獲得したということか?
私が与えてやった知恵で、こいつらも成長しているということだろうか。
フフフ……まったく、可愛い奴らだ。
街を制圧したら、そこにゴブリンたちの王国を作ってやるのも、悪くないかもしれないな。
そして玉座には私と、この女を手籠めにして座らせるのだ。
宝石のように美しい女を私好みに染め上げて、飾り付ける。
そんな未来を想像すると自然と笑いが漏れてくる。
「…………おや?」
そういえば、何故この少女は、こんな状況だというのに穏やかに寝息を立てているのだ?
女を効率的に攫う方法を伝授したのは私だが、それだって殴って気絶させる等の乱暴な方法だ。
ゴブリンの知能ではそれが限界かと思っていたのだが、目の前の少女には殴るどころか外傷ひとつない。
まるで、お姫様を馬車で運ぶように、慎重に丁寧に運んできたような……
何か嫌な予感がチリチリと首筋を焦がす。
脳裏に浮かんだのは、今朝の出来事。
先ほどのゴミのような人間が放って来た鳥のようなものとは違う、もっと高度で精密な索敵術。
何事だと思い、つい咄嗟に逆探知を仕掛けてしまったが案の定、素性を捕まえる前に逃げられてしまった、あの得体のしれない存在。
人間にあれほどの術を使うことは不可能だろうと思い、取り敢えず今回の侵攻に影響はないだろうと頭の隅に捨て置いていた……
「ん……」
そこまで考えていたところで、少女が目を覚ました。
◇◇◇◇
「それじゃあ到着まで寝てるから、あとはよろしくね。」
「GU……」
隊長役だったらしい巨体ゴブリンにそう告げ、即席で容易した担架の上でユーリは眠りにつく。
あとはそのまま”攫ってきた”体裁を装って、ゴブリン達の巣穴まで、そしてその群れを率いる者の前まで運んでもらうのだ。
そのわずなか時間を最大限に活用するため、ユーリは一度眠ることを選んだ。
魔力を少しでも回復させるためと、何よりも彼女に会うために。
ところで、こういった状況でもすぐに眠れる寝付きの良さは、この世界に来てから発現したものだ。
サキュバスになってからというもの、特に睡眠に関して悩まされたことは一度だってなかった。
夢の世界を生きる者の特権というやつだろうか?
そんな暢気なことを考えながら、ユーリの意識は暗闇へ落ちて行った
※※
「というわけなんだけど、どうしよっか、リリス?」
「はああああああああ……また面倒くさい状況になったな。」
夢の世界から現実に干渉は出来ないまでも、ユーリの意識を通して一部始終を見ていたリリスは、開口一番そんなことを言い出したユーリに対して特大の溜息で応じた。
「上級悪魔より上……あの気配だと悪魔公爵といった所か。まあ……私が同じ状況に立てば間違いなく逃げの一手だろうが。」
『ユーリがそれを選ばなかったことは、既にご存知でしょう?ならば、戦って勝つ以外に活路はありません。』
この場に於いては至極真っ当な判断である”逃げ”を提示するリリスに、≪図書館≫が噛みつく。
……そういえば、彼女がリリスの判断に否を唱えるところを初めて見た。
「おやぁ?フフフ、随分と新しいご主人様に馴染んできたようじゃないか、≪図書館≫?嗚呼、まるで娘の門出を見守る親のような心境だよ。」
よよよ……と、芝居がかった仕草でリリスが言うが、
そんなリリスの様子に全く動じることなく、無表情のまま≪図書館≫が返した。
『私が反対すること、わかっていてそんな提案をなされたのでしょう?それに、貴方様が悪魔公爵を相手に逃げを選ぶなど、それこそあり得ません。』
そこまで聞くと、リリスの表情がニヤリと楽しげなものに変わる。
「良く分かってるじゃないか?そうとも、そうとも!この私が!クイーンサキュバスたるこのリリスが、たかだか魔力不足程度で、悪魔公爵ごときから、尻尾を巻いて逃げる!?……そんなこと、例え死んだってあり得ないな。」
お互いに一度以上は死んでる身なので微妙にコメントに困るのだが……とにかく、リリスも最初から戦うつもりでいたらしい。
逃げを提案したのはどうやら、≪図書館≫がどう出るのか試していたようだ。
「……戦うつもりで居てくれたのは分かったけど、具体的にはどうするの?その、悪魔公爵?ってのと戦うには、現実に魔力が足りないんだよね?」
「まあ、正面からまともに戦えばな。」
『戦闘状態に移行した悪魔公爵の攻撃を躱し、防ぎ、尚且つ致命傷を与える。そのような戦い方をすれば、恐らくすぐに魔力が尽きてしまうでしょう。』
「じゃあ……?」
聞くと、リリスが頬を吊り上げ、≪図書館≫も微笑んで答える。
『「まともに戦わなければいい。」のです。』
「まあ、単純な話だ。不意打ちを仕掛ける。」
「……それ、通じるの?悪魔公爵って、かなり強いんでしょ?」
強者であればあるほど、常に気を張っていて不意打ちなど通じないのがセオリーだ。
だが、問題はないとリリスは続ける。
「強いには強いが、それは単に”スペックが高い”というだけに過ぎないのさ。今のお前が丁度似たような状態だな。……つまり今の奴には、圧倒的に実戦経験が足りていない。」
『私の発動した≪千里眼≫に逆探知を掛けてきたこと等が最たる例ですね。敵の索敵術に対して認識阻害すら掛けず無遠慮に、無造作に逆探知を仕掛けるなど、逃げてくれと言っているようなものです。お蔭で、底が知れました。』
「そのわりに、随分と焦っていたじゃないか?冷静沈着なお前があそこまで取り乱すさまは、中々見ものだったぞ?」
『お恥ずかしい限りです。あのような高位の悪魔があんな所に居る筈がないと、少し動揺していたようですね。申し訳ありませんでした。』
少しだけムっとしたような雰囲気で、≪図書館≫が謝意を口にする。
それだけ聞いたところで、リリスも攻撃の手を緩めて矛先を別のところへ向けた。
「まあ、実際は経験の足りない青二才だったわけだ。見ろ。」
そう言ってリリスが取り出した丸い鏡のような道具には世界の外側、
つまり、眠っている自分の身体がある現実の世界が映し出されていた。
どうやら普段からこれを使って外の世界を認識していたらしい。
そして、横たえられて寝息をたてるユーリの周りには多数のゴブリンと……
目の前。目と鼻の先に、それは居た。
上級悪魔よりも大分スマートな見た目だが、その分圧縮されたように数段禍々しく黒いオーラを隠しもせず垂れ流している。
豪奢な椅子に腰かけたその悪魔は、ゴブリン達からの貢ぎ物を選別するような無遠慮で粘ついた視線を、ユーリに浴びせていた。
そしてその様子は、どう見たって隙だらけだった。
なまじ高いスペックを持つ者特有の、油断に塗れた立ち居振る舞い。
わざと隙を見せて攻撃を誘うような、高度な駆け引きのようなものも感じられない。
強者であるが故の驕り。
だがそれは、対等かそれ以上の存在を前にしたとき、致命的な隙となるのだ。
例えばそう、こんなふうに。
※※
意識が戻ったらしい少女は、周囲の状況に驚き、慄いているようだ。
気絶してゴブリン共に攫われ、目を覚ましたらこれだ。
むしろ叫びだしたり、発狂しないだけでも大したものだろう。
年相応の可愛らしい反応に、先ほどの嫌な予感も鳴りを潜める。
かわりに首をもたげるのは、確かな反応を示す目の前の少女に対する欲望。
気を失い、寝息をたてる姿も美しかったが、今のほうが何倍も魅力的だ。
これからこの少女を思うさまに穢し、心を折り、そして我がものとする。
そんな未来を想像しながら、声をかける。
「目を覚ましたか……。ようこそ、我が」
『ごきげんよう。そして、さようなら。≪一角獣の聖槍≫』
少女が突然無表情になったかと思うと、眩い光が薄暗い坑道の景色を真っ白に染め上げた。
……ユニコーンと言えば、知る者も多いだろう。
穢れ無き乙女を愛し、処女にのみ加護をあたえ、力を貸す伝説の幻獣。
その聖なる力は、魔に身を置く者……特に悪魔のような純粋な魔性に対しては、極めて大きな効力を持つ。
そんなユニコーンをその昔、処女どころかあらゆる男を食い荒らして穢れに穢れきったリリスは、当然力を貸そうとしないどころか姿さえ見せぬユニコーンを次元の狭間から強引に引きずり出して捕獲し、嫌がる彼に無理やり何重にも魅了を掛け、最後には泣いて懇願するのも聞き入れず精を搾り取った。
……そのような凄惨な事件を経て、リリスはこのスキルを獲得したのだった。
その名の通り、一角獣の角を再現して撃ち放つ、対悪魔の切り札ともいうべき”聖槍”
射程が短いうえ膨大な魔力を消費するため、本来は絶対に命中する状況を作ってから放つ技であるのだが……。
油断しきった相手への不意打ちとして、これほどの有効打はあるまい。
身体強化を全力で掛けたユーリの身体は悪魔公爵とて認識できるギリギリの速度で彼我の距離を塗りつぶし、その胸の中央に聖なる槍を突き立てた。
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余談ではあるが、この出来事で心に深い傷を負ったユニコーンは一本だった角が二本に増え、処女ではなく逆に不純な非処女のみに力を貸す二角獣となったとか、ならなかったとか。




