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転性夜魔と疾風の英雄  作者: マツキ ヒビノ
1章:幼少期編
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10 治癒の真髄

夏本番。

とはいえ気温はそれなりに高くなるものの、

元居た日本と違って湿度が低いためか、ジメジメした夏に17年も鍛えられたユーリにとっては、随分と過ごしやすい季節でもある。


さて、夏が過ぎれば秋が来る。

収穫の時期。実りの秋。

多くの職業の人間にとって、一年で最も忙しい季節だ。

ストックホルム牧場にとってもそれは例外ではない。ないのだが。

一足先に実りの時期を迎えそうな生命の果実が一粒。


秋の収穫より先んじて、彼らは新たな家族の誕生に向けて忙しなく動いていたのだった。


※※※※※※※※※


そして、現実世界での準備と並行して、夜の世界での修練も佳境を迎えつつあった。


二人の師に見守られながら、

裂傷をうけて横たわっているライナ君人形を『凝視』する。

最初の頃はいちいち詠唱しないと使えなかった≪身体精査≫が、たったそれだけの行程(アクション)で発動した。

鮮血の色をした瞳が(あお)い光を帯び、本来は人の目には見えないマナの奔流を浮き彫りにする。

母親の健康診断のために使用していたこの魔術の本質は、マナを認識することにある。


只人は魔臓を持たぬ故に心臓が代替の役割を果たし、血液のように全身にマナを行き渡らせる。

その流れが見えるようになると、不自然に途切れている箇所を見つけることも出来る。

あとはその流れが正常になるように魔力を流し込んでやればいい。


これが、治癒魔術における、傷が塞がるまでのプロセスである。

だが、この過程で問題がいくつか存在する。


例えばそれが物理的な手段でつけられた傷ならば、マナの滞留も大抵は肉体の傷と同じ箇所になるが、厄介なのは内臓への損傷や、或いは魔術や呪術でアルトラルボディ(幽体)にダメージを負った場合だ。


マナを認識、あまつさえ視認するなんて芸当は専用のスキルか余程特別な魔眼を持った者にしか不可能であるため、治癒術をかけるにしても一体何処にダメージを受けているのかが判らない。

そのために治すこと自体は理論上可能だが、全身にくまなく治癒魔術を行き渡らせるという方法を取らざるを得なくなり、最初にリリスが言ったような「バケツの水をひっくり返す」のと同じで極めて効率が悪いため、大抵は完治するまえに魔力が尽きる。


『呪いを受けたら教会へ』というのがこの世界の常識だが、幽体や身体の内側の損傷は、治癒術を少し齧った程度の半端者ではなく、教会で専門に治癒術の修行を積んだ聖職者でないと治療出来ないという意味で、とても正しい。




まあ長々と説明したが、要するにマナの流れを認識することができれば治癒魔術を最高の効率で扱うことができる、ということだ。


そういうわけで、こちらの問題を持ち前の(リリスから受け継いだ)スキルでまるっと解決してしまったユーリはこの約三ヶ月間を、魔力操作の練習に充てていた。


(集中……集中……。)

マナの流れが視認できても、肝心の魔力操作が覚束なく、狙った場所に魔力を送り込めなければ結局は水の泡である。むしろ過剰治癒で逆に細胞を傷つけてしまう場合さえある。

細心の注意を払って、目の前のライナ君人形に遠隔で(・・・)魔力を注ぎ込む。

癒しの力が白い奔流となって一瞬だけ全身を包み込み、直後に傷を受けている腹部と胸部、そして一見外傷のない右肩へ移る。

(ここだ……!)

光が患部へ達した瞬間、込める魔力の圧力を上げる。


トライ(三重)エクス(最上)クラート(治癒)


夜魔の領域での魔術行使に於いて実際に魔力を消費することはないが、現実に使用しても全く問題のない量には抑えてある。

自らの保有魔力量から計算して威力を調整することも大切な”スキル”だと教わったからだ。


そうして3秒ほどが過ぎただろうか。

癒しの光は、ライナ君人形の肉体と幽体の傷を完全に塞いだところで役目を終え、静かに暗闇へと溶けていった。


「ふぅ。……どうかな?」

短時間とはいえかなりの集中力を必要とする作業を終えて人心地つくと、リリスと≪図書館≫の両名は満足気に微笑んだ。

「合格だ。損傷個所の特定、魔力操作、魔力量の調整。あれだけの致命傷を身体接触無しで(・・・・・・・)5秒以内に完治させられたなら、文句なく最高の白魔術師と言って差し支えない。」

『都合1764回目の試行でしたが、ようやく完璧な成功例が得られました。今の工程(プロセス)はこの≪図書館≫が記録済みです。以降は貴方の任意により自動再現が可能となります。……おめでとうございます、ユーリ。』

「よかったぁ…………安心したら力抜けちゃった。」

二人からお墨付きを貰って、安堵と疲労からヘナヘナとその場に崩れる。

ようやく『魔力操作』を思い通りに行えるようになった。

気が遠くなるような長い時間と回数が掛かったけど、自らの内側に流れる魔力がようやく自分のものになったという確信がある。

「自分の身体を流れてるマナが……魔力がはっきり認識できる……。これなら……。」


母リリィのために始めた治癒魔術という極めて繊細な修練は、知らずの内にユーリにとてつもない副産物をもたらしていた。


「魔力を緻密に操作するというのは、つまりそういうことだ。もう余程の事がないかぎり扱いきれなくなって暴走なんてことも無いだろう。一番繊細な操作を必要とする治癒魔術をマスターしたのだ。同じ要領で、今度はかなり楽に攻撃魔術の数々も習得できる。」

治癒魔術を通して、魔力・マナという概念への触れ方を学ぶ。

ここまで考えて訓練メニューを考えていたのなら、やはりこのリリスという人物は師としても相当に偉大だ。

勿論、既に習得している8千いくつものスキルがあるという大前提のうえで、だが。


「まあ、出産に立ち会うということなら手の一つでも握っていても怪しまれまい。直接魔力を流し込めるのなら難易度はかなり下がるのだが、遠隔操作を覚えることにも確かに意味はあったのだ。文句も言わずによく付いてきてくれたな。」

この遠隔治癒を学ぶにあたって、詳しい説明はされなかった。ただ、やってみせろと言われただけだ。

きっと、こんな副産物があることを事前に聴かされていれば邪念が混じってもっと時間が掛かったはずだろう。


「ううん。リリスと≪図書館≫が色々考えてくれてるのはちゃんとわかってるから。これからもよろしくね、師匠。」

そう言うと二人は破顔して応えた。

「今日は疲れたろう?ゆっくり休むといい。夜魔の世界(今日の夢)はもうすぐ覚めるが、十分に休息できる程度の時間は残っているさ。」

『おやすみなさい、ユーリ。良い”夢”を。』


二人に見守られながら、ユーリの意識はゆっくりと穏やかな微睡の中に溶けていった。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




数日後、陣痛を迎えたリリィは家族とエリック一家の見守る中、心配を他所に何事も無く第二児を出産した。

母子ともに健康そのもの。


産まれた女の子(いもうと)は、ユウナと名付けられた。

ユーリとは違い、完全に人間の女の子だ。

サキュバスの自分とは違って……。

少しだけ、胸の奥にチクリと何かが刺さったような痛みがあったが、

今はまだ気づかないふりをしておくことにした。






『あの時誰かに手を握られて、それから嘘みたいに痛みが消えたの。不思議なこともあるものね。』

というのは、後のリリィの談である。

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