1 桜吹雪のボーイ・ミーツ・レディ
僕は。木崎悠里は、ごく普通の少年だった。少なくとも、外から見た姿は、本当に、ごく普通だ。その内面にさえ目を向けなければ。
生まれてくる性別を間違えたなんて、いったい誰を憎めばいいのか。自分を男に産んだ両親?それとも、自分のような者が生まれてくるような欠陥品に、人間をデザインした神様を?
結局どうすればいいのかもわからないまま、心に決定的な歪みを抱えたまま、思春期を迎えた。
そして、その出会いは唐突に訪れた。
桜の散る季節、街で一番大きな桜の木の下に、その悪魔は居た。
天使に出会った。
比喩でも何でもなく、本当にこの世に天使が存在するのなら、きっとこの人の事だろうと思った。
儚い命を散らすことで自らの美しさを誇示する桜の花でさえ、自分のための装飾品だと言わんばかりの、あまりに暴力的ともいえる妖艶な美しさ。
月の光を受けて白銀に輝く長い髪に、白磁のような透明感を帯びた肌。
長いまつげに、鮮血色の大きな瞳。
そして何より、「女らしさ」を強調するような身体のライン。
まるでSM女王のような派手な露出にも関わらず、不思議と下品さは全く感じない。
この世のものではないかのような、悪魔的な均整の魔は、見る者をしばし呆けさせる。
しかして、男であるなら誰であろうと瞬時に理性を失う程の、凄絶な色香。
言うなれば、そう。
完成された”美”が、そこにあった。
電撃に撃たれたような衝撃だった。
こんなに美しいものが、この世に在ったなんて。
「あ……あの……。」
フラフラと、蜜に吸い寄せられる羽虫のようにその女性に近づく。
ああ、近くで見ると尚更美しい。
すると、悠里の呼びかけに応え、ゆっくりと振り向きながら女性が言う。
『どうかしたかい、坊や?』
鈴を転がすような、男の情欲を刺激する声色。
この女性は、その声にすらも、雄を惑わす魔性を秘めている。
ああ、きっとこの人を前にしたら、
枯れ果てた老人ですら即座に飛びついてみっともなく腰を振るだろう。
けれど、ここで怯むわけにはいかない。
今を逃せば、二度とこの女性には会えないと、直感が告げていた。
何かを期待しているような表情の彼女に、悠里は意を決して問いかける。
「どうやったら、あなたのように綺麗になれますか?」
『………………………。』
空気が、凍り付いたような気がした。
美しい顔を名状しがたい表情にゆがめて、その女性は固まっていた。
形容するなら、「きょとん」だろうか?
怒らせてしまったのかもしれない。
よく見ると、肩もプルプルと震えだしている。
永遠にも似た気まずい静寂を破ったのは、やはりというか何というか、彼女のほうだった
「アッハッハッハッハッハッハハッハッハッハ!!!!!!!!!」
大爆笑だった。
先ほどまでの妖艶な雰囲気が嘘のように、腹を抱えて、まるで子供のように笑っていた。
「私の魅了に中てられて正気を保っているかと思ったら、第一声が!言うに事欠いて!男の身で!!私のようになりたい!?くふ……っ!ダメだ……っ!お腹痛い……っ!あははははは!」
ヒーヒーと喘ぎながら、その女性は尚も痙攣する腹を抱えて全身を震わせて笑っている。
「あの……。」
流石に馬鹿にされているような気がして、ムっとした顔で話し掛ける。
ずっと笑っていた彼女も、ようやくこちらを見て
「ああ……すまんすまん。馬鹿にするつもりはなかったんだ。少し、ほんの少しばかり、意表を突かれてしまったのでな。永く生きてきたが、こんなことは初めてだ。」
コロコロと笑いながら、そんなことを言い出す。
「えと、貴方は一体……?永く生きて?それに、チャーム?」
チャーム、とはRPGなんかでよくある魅了?というやつだろうか。
この現実世界で、そんなものが存在するのだろうか?
「というか、なんだか身体が透けてきてるように見えるのですが?」
事実だ。先ほどの大笑いの後から、なんだかその色香も妖艶さも、そして何より身体が透けて消えていくように透明になってきている。
「ふむ……そろそろ活動限界か。いや、すまないな坊や。今は詳しいことは話せないんだ。時間がない。
だが、そうだな。もし本当に、さっきの言葉が本心なら。男の身で、不遜にも私のようになりたいと願うのであれば……。女を磨け。自分の力で、美しい女というものを目指してみろ。
……或いは、男だからこそ、女ではないからこそ、焦がれ続けるその魂は完成に近づくのかも知れないな」
そのとき、急に強い風が吹いた。
桜吹雪が視界を真っ白に塗りつぶして、一瞬だけ彼女との間を遮った。
「あっ………。」
消えた。
跡形もなく。まるで一時の夢であったかのように、その女性は霧散した。
或いは本当に、思春期特有の妄想が生み出した幻覚だったのかもしれない。
「でも……。」
この心に、魂に、深く深く、刻み込まれたものは残っている。
あの女性の美しさ、妖艶さは、脳裏に焼き付いて、心をつかんで離さない。
胸に灯った炎は、憧憬となって、じんわりと燃え続けている。
「……なりたい。
僕は……女の子になりたいんだ。」
このとき、
離れ離れでちぐはぐだった木崎悠里の心は、ようやく一つとなった。
迷いは断ち切れた。
ようやく悠里は、目指す理想と、生きる目的を得たのだった。
あの泡沫の夢で逢った彼女と再会するのは、それから二年の後であった。




