第006話 「奇跡の術に奉げた物(訳:魔法の代償)」
颯太は釈放された。
お天道様の下は、実に気持ちのいい世界です。
頬を撫でる風に、自身があの暗く汚く狭い牢から出たことを実感していた。
その対価は街への出禁。
いや、言葉が通じないからもしかしたら追い出されただけなのかもしれない。
しかし、何度か入り直そうとしたが門番に止められてしまったのだ。
だからたぶん出禁。出入り禁止である。
光の玉による、世界の説明を聞いてから丸一日。
颯太は貧相な脳を駆使し、考えに考え、考え抜いたが、そもそも呪文と魔法名を自由に作れるというのがよくわからなかった。
ためしに、暗い牢の中を照らそうと思って「蛍光灯のように光れ<蛍光灯>!」と唱えたが何も起きなかった。
もしかしたら、お金を持っていないからかもしれない。
魔法が使えなかった理由はわからないが、使えなかったものはどうしようもない。
そしてシヴァンはいったい何をしたのだろうか。
颯太より先に牢にいたにも拘らず、彼は未だあの暗い牢の中にいる。
(シヴァンさん……俺、結局あなたの名前わから無かったよ)
牢屋で過ごした四日間を思い出し、少しだけしんみりする。
禁欲生活の辛さしか思い出せなかった。
「まぁおっさんはどうでもいいか、そんなことより……」
颯太は今重大な問題に直面している。
牢に入っている間は、不味くても二食ちゃんと食べることが出来た。
しかし、街から追い出されてしまった今、颯太に食事を取る手段はないのである。
(どうしよう、早速詰んだわ)
とぼとぼと、颯太は草原の真っ只中を三時間ほど歩いていた。
「道路とかねぇのかよこの世界は……」
颯太は口をこぼした。
もしかして、と颯太は思い出す。
門からはまっすぐ土がむき出しになっている場所が先の方まで伸びていた。
だが、元の世界の文明に慣れていたため、ただ土がむき出しになっているだけのそれを道だと思わなかったのだ。
(何て巧妙な罠なんだ……)
「あーくそっ、飯食いたい、何か美味いもの出てこい<チンカラホイ>」
やけくそに呪文を唱えてみる。
が、やはり何も起こらない。
どうせなら光の玉も攻略本を渡してくれればよかったのに。
そう颯太は毒づくが、その相手はいない。
三時間も整地されていない草むらを歩くのは、重労働なのだ。
特に、文明に慣れ二十分以上歩くことすら稀な生活をしていた颯太にとっては、耐え難い肉体労働であった。
(ただ、歩いているだけなのになぁ)
足はパンパンになり、すでに鈍い痛みを発していた。
「もーだめだ」
颯太は倒れこむようにして草原に横たわった。
「空青いなぁ、真っ青だよ。ガキの塗り絵並みに真っ青だよ。……気持ち悪っ」
そんなことを呟いていると、視界の端に動くものが映った。
(人か!? 助けか? 光の玉か!?)
ばっと勢いよく上半身を起こして、その方向へ目を向ける。
遠すぎて、よくわからないが、黒い人影のように見えた。
颯太は先ほどまでの疲れを忘れ、その方角へ走り出した。
「○×△□! ○×△□」
この世界の言葉で叫ぶような声が聞こえた。
やっぱり人だったのだと、颯太は棒のようになった足に渇を入れ、速度を上げる。
だが、それがはっきりと見えたとき、颯太は足を止めた。
何本も足のある醜い形をした蛙のような化け物を相手に、ゲームで見たような格好をした戦士達が戦っていた。
そして、蛙のような化け物に颯太は見覚えがあった。
「なんだよこれ……どういうことなんだよ……」
その事実に颯太は愕然として、声が漏れた。
あれは、百足蛙ではないだろうか。
そう、それを見たのはつい最近のことだ。
颯太の黒歴史ノート、そこに書かれた魔物だった。
描いた当時はかっこいいと思ってデザインしたが、動いている姿を見ると気持ち悪い。
両生類特有のぬめりを帯びた肌でうねうねと動く多数の足。
その足もまるで人間の手のような形をしているのだ。
おまけに顔はひしゃげたように歪んでいる。
辛うじて蛙だと認識できたのは、目が飛び出しているかのように突き出していたことと、口から舌の様な器官を伸ばしていたからに過ぎない。
まさか、世界レベルでの羞恥プレイ!?
それこそ、悪夢である。
忘れ去りたい黒歴史ノートの内容が、実体を持つなどということは、悪夢以外の何ものでもない。
颯太が、その事実に気づき膝を突いた時、初めて理解できる言葉が聞こえてきた。
「悪しき者を焼き払う業火<燃え盛る火炎球>」
渋いおっさん声でその呪文が唱えられた。
魔法を唱えたローブ姿の男の手から火の玉が飛び出し、蛙の魔物を焼き尽くした。
魔物は気味の悪い叫び声を上げ、炭となる。
その死を確認すると、戦っていた四人が颯太の方に気づいたらしく、近づいてくる。
その光景に本当に魔法は存在しているんだという興奮よりも、颯太を支配していたのは別の感情であった。
颯太はローブ姿の男が唱えた魔法にも聞き覚えがあった。
(何で魔法まで俺の黒歴史ノート出典なんだよっ!)
その魔法を唱えた人物は日本語で喋っていなかった。
だが、魔法の呪文だけ颯太にも理解することが出来た。
魔法だけ特別? それとも実は魔法は日本語でないといけない?
答えは、わからないが、それなら颯太にだって出来ることはある。
もしかしたら。
と、思ったのだ。
「○×△□?」
近づいてきた四人の先頭にいる、黒髪の美しい女性が話しかけてきた。
やはり何を言っているかはわからない。
「古の罰より分け隔てられし人の業よ、塔の時代の終焉よりも長き楔もその時の流れに朽ち果てるであろう、しからば我の名の下今その楔を解き放て……」
恥ずかしい。
めっちゃ恥ずかしい。
だが、すでに言葉にしてしまったのだ。
もう遅い、覚悟を決めるしかない。
後は、呪文名を唱えるだけだ。
「<崩壊した塔の終焉>!」
「なに!? その呪文っ!!」
黒髪の美しい女性戦士が剣を構え、颯太に問いかけた。
どうやら成功したらしい。
彼女が喋る異世界語を、颯太は理解することが出来るようになっている。
だが、対価はなんだったのだろうか?
お金は持っていない。
あわてて、颯太は自分の頭に手をやり確認する。
ふさふさとした感触が手の平に伝わる。
(よかった……)
男性機能は確認するまでも無い。
女戦士の警戒したきつい目つきでご飯三杯は余裕だ。
ならばいったい何を失ったのだろうか。
颯太は自身を見直してみる。
服は着ている、ジーパンも大丈夫だ。
靴に携帯、ちゃんとポケットに入っている。
空の両手で身体をまさぐってみる。
(必需品は持ってる……よな)
そこでようやく颯太は、大事に丸めて持っていた毛布がなくなっていることに、気がついた。
颯太は落ち込んだ。