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「な、何でそんなことが分かるんだよ!それじゃあまるで多田がシャーペンを持っているのが川崎さんだと知っているみたいじゃないか!それに、何で川崎さんがそんな嘘をつかなきゃいけないんだ!」
「多田さんは彼女自身の行動からそう推測するに過ぎないわ。彼女だって、まさか川崎さんが自分の忘れ物だと言って、あのシャーペンを持ち帰ったなんて夢にも思わないでしょうし。……まぁ、順を追って話すからとりあえず飲み物取って来てよ。私ファンタグレープ」
「あ、俺はホットココア」
七瀬に便乗して頼んでみたが、篤は突っ込む余力もないらしく、「おう」と短く呟いてサッと席を立った。
ドリンクバーに駆けて行く篤を見届けた後、俺はつまらなさそうに天井を仰ぐこの幼馴染を見つめ、ずっと心の中で抱いていた疑問を投げかけた。
「どういう風の吹き回しなのかな?」
「何のこと?」
「だっていつもは聞き流すくせに、今日に限って随分親切じゃないか」
俺が肩を竦めそう言うと、七瀬は心外だ、というような顔で俺を睨んだ。
「言ったでしょ?惚気話は聞くに耐えないって。さっさと纏まる話なら纏めてしまえばいいのよ。拗れてまた愚痴を聞かされるのもご免だしね」
吐き捨てるように七瀬が呟く。俺が更に問いかけようとした時、篤がファンタグレープとココアを持ってこちらに戻って来た。
おいおい、どれだけ焦ってるんだよ。
篤の袖口に付いた紫の染みを俺は半ば呆れながら眺める。
「ほらよ。……で、どう言うことなんだ?包み隠さず吐くんだ」
取り調べかよ。
急に始まった尋問に、思わず心の中でツッコむ。
「柄の悪い刑事みたいね。でも何で私が犯人役なの?」
どうやら七瀬も同じ感想を抱いたらしい。七瀬は不機嫌そうにピクリ、と形の良い眉を片方釣り上げた。
「わりぃ、わりぃ。七瀬様、この通りだ!真相を教えてくれ、頼む!」
額をテーブルに擦り付けながら懇願する篤を、七瀬は感情の籠らない目で眺めそっと息をついた。
「……まず、多田さんのシャーペンがなぜ川崎さんの机にあったのか、と言う疑問からね。
そもそもそのシャーペンが川崎さんの机に置いてなければ、川崎さんはそれを自分の忘れ物だと言って持ち帰ることもなかったのだろうし。単純に考えて、持ち主である多田さんが川崎さんの机に置いた、と言う可能性が高いと思うの。実際、川崎さんは確かに自分の机の上に置いてあったシャーペンを手に取っているしね。
ではなぜ多田さんは川崎さんの机にシャーペンを置いたのか。この場合はっきりさせたいのは、あんたを含め三人の席の位置関係ね。この前、あんたから教科書を借りた時見た記憶が確かなら、あんたの席は教室の奥の方から数えた方が早かった気がするけど」
「あ、ああ。俺の席は奥から三列目、そしてその列の後ろから二番目の席だ。変わりはない」
「了解。次に多田さんの席。そうね、これは当てずっぽうだけれど真ん中より後ろの席じゃない?列は少なくとも廊下側に一番近い列ではないわ」
「多田の席は丁度真ん中の列の一番後ろだ」
七瀬がゆっくりと頷く。
「最後に、川崎さん。彼女の席は、教室の廊下側から数えて一列目もしくは二列目の一番前の席。どう?当たってる?」
篤は信じられない、と言うような目で七瀬をポカンと見つめた。
「どうなんだ?篤」
俺が催促すると、篤は慌てて頷いた。
「川崎さんの席は廊下側から一列目、そして一番前の席だ。でも、なぜ?」
「ちょっと考えれば誰でも思いつくわ。あんたは川崎さんが友達を待っている時離れた場所から川崎さんと会話をしていた、と言った。例のシャーペンも川崎さんの立ち位置が遠かったからあんたにはシャーペンの色の識別は出来ても、チャームまでは判別出来なかった。あんたは教室の奥から数えて三列目の後ろから二番目。そこから離れた席はどこか。
でもこれだけの情報では範囲はぼんやりとしているし、この時点じゃまだ前方の席と言うのは分からないわね。そこで出てくるのが多田さん。これはなぜ多田さんが川崎さんの席にシャーペンを置いたのか、と言う話に繋がるの」
七瀬はファンタグレープを一口飲んで、こう続けた。
「多田さんは、あんたに戸締りの確認や日誌を書き忘れていた話をしていたから、多分今日は日直だったんでしょう。
テニス部は厳しいって有名だから遅刻するときっと厳しくどやされるのね。だから多田さんは急いで戸締りをして教室を出ようとした。後ろのドアは先に鍵を掛けたから前方のドアから出ようとしたはず。会議に出ていたあんたの鞄が机に置いてあったから、最後の戸締りはあんたに任せるつもりで鍵は教室に置いておいた。そして、教室を出る寸前に手に持っている日誌を書き忘れていたことに気付いた。
ここで注目すべきは、多田さんが急いでいた、と言うこと」
なるほどね。俺は七瀬の意図する所に気付き、七瀬に目配せをした。
七瀬はそれに気付かないふりをして、ファンタグレープをストローでかき混ぜる。
はいはい。黙ってろ、ってことね。
「多田さんの席は真ん中の列の一番後ろ。急いでいる時にお行儀良く自分の席に戻り日誌を書く、と言う選択肢は彼女にはなかった。ここまで聞けばもう分かったでしょ?多田さんはドアから一番近い席に座って日誌を仕上げたの。日中ならともかく、誰もいない放課後の教室で他人の席に座ったって咎める人なんていないしね。
現に多田さんは教室を出る寸前に、日誌のことを思いだしたそうだし。それにもう一つだけ付け加えると、多田さんがあんたに言った《帰る間際、シャーペンの忘れ物はなかった?》という台詞は、教室を出るその間際にシャーペンを見なかったか、と言うふうにも解釈出来る。わざわざ後ろの席の忘れ物を確認したりはしないだろうけど、ドアの近くの席ならふとした拍子に目に留まるかもしれないでしょう?そして多田さんが座ってシャーペンを置き忘れた席、それこそが川崎さんの席だったの」
「……確かに、それなら川崎さんの机にシャーペンがあったのも、多田が川崎さんにシャーペンの行方を尋ねるのも納得がいくな」
篤はすっかり感心した様子で、腕を組みながら唸った。
「そして、次の疑問。多田さんのシャーペンの謎。無くてもどうにかなるけど、無い場合は何かを壊さなければいけない。他の人には価値は無い。けれど多田さんには大切なもの。
ここでの焦点は多田さんの少女趣味と、多田さんが部室で来週の小テストの範囲を確認する時、シャーペンが無いことに気付いたということ。まず、確認、と言う言葉を使うからには小テストの範囲は既に何かに書き留められていた、と考える方が自然よね。それに、単に友達に聞かれたからそれに答える為の確認、となれば、新たに何かを書き足すと言う線も薄くなる。では多田さんは使用する予定もないシャーペンをなぜ取り出そうとしたのか。
さて、いきなりですが質問です。あんた達なら、何にテスト範囲や日程を書き込む?」
「俺なら教科書にそのまま書き込むかな。どうせ勉強する時見るだろうし」
篤がポリポリと頬を掻いて言う。
「俺はノートにメモを取って、スマホのスケジュールに打ち込む。やっぱり日程はカレンダーで一覧になった方が見やすいしね」
俺の答えを聞いて、七瀬は唇の端を少しだけ持ち上げた。
「多田さんの場合と近いのは徹ね。話を戻すけど、多田さんはシャーペンそのものは必要なかった。テスト範囲を確認する為に必要だったのはチャームの方だったの。これは徹が去年、多田さんの隣の席だった時の多田さんの持ち物の話がヒントになったわ。そして偶然も味方した。多田さんの持っていた耳にリボンをつけたウサギのプリントがされた手帳と同じものを持っている人が身近にいたの」
「それって友紀ちゃん?」
俺がそう聞くと、七瀬は素直に頷いた。
七瀬の妹の友紀ちゃんは確か小学四年生。その年頃の女の子らしく可愛らしいものを好んで身につけている。
ちなみに、七瀬とはちっとも似ておらず感情豊かで喜怒哀楽の激しい子だ。
「妹も同じ手帳を持っているのよ。そう、今時古風な鍵付きの手帳をね」
その言葉をきいて、俺は咄嗟に七瀬に反論した。
「待てよ、七瀬。確かにあの手帳にはベルトはついていたけど、鍵穴なんてなかった気がするぞ」
七瀬はチラリと俺を見てつまらなさそうにため息をつく。
「そりゃそうよ。鍵穴はリボンを型どった金具で隠してあるもの。一見すると、ただのベルト付きの手帳。でも金具をずらせば鍵穴が現れるってわけ。乙女の羞恥心も十分に考慮した作りよね。ま、私なら絶対買わないけど。
恐らく少女趣味の多田さんは去年と同じシリーズの手帳を買った。多分、多田さんはあの手帳にスケジュールを書き込むだけじゃなく、日記もつけているんじゃないかしら。胸の内に収めきれない想いを鍵付きの手帳に書き込む、いかにもありそうなことじゃない?」
「なるほど、だからテスト範囲を聞かれて手帳を確認しようとした時、シャーペンが無いことに気付いたのか。シャーペンにつけた鍵がないと、手帳を開けない。確かに鍵は無ければ無いでどうにかなる。ベルトを切るなり鍵穴を壊すなりすればいいんだからな。でも多田は積極的にそれをしようとは思わない。何せ多田にとっては大切な手帳だから。そして手帳の鍵がついたシャーペンは紛れもなく多田のオリジナルだ。……でもなぜ鍵をシャーペンなんかにつけていたんだ?」
篤が浮かんだ疑問をすぐさま七瀬にぶつける。
「多田さんも後悔してたじゃない。扱いが雑だった、って。手帳を開く時は大抵それに何かしら書き込む為。それに必須なのは筆記道具よね。手帳の鍵は小さいからそれ単体で持っていたら紛失するリスクが高くなるでしょう?だから、多田さんは必要な時にすぐに取り出せて、それでいて覚えやすい所に取り付けることにしたの。雑と言っちゃ雑だけど、理に適っているとも言えるわ。
篤、おかわり取って来て。ジンジャエールね」
よくこんなに炭酸飲料をがばがば飲めるな。しかも冬だと言うのに。
俺は呆れ返りながら、すっかり冷めきったココアを啜る。篤はやはり慌てた様子で、ジンジャエールを取りに駆けて行った。
「いやー、七瀬の観察眼には驚いたよ。長い付き合いだから、それなりにお互いを理解してると思っていたけど、どうやらそれは俺の思い違いらしい」
「徹、白々しいこと言わないで。あんただって、最後の謎の答えは分かっているんでしょう?」
「ああ、なぜ川崎さんは嘘をついたかってやつね。気付かないあいつが鈍すぎるんだよ。彼女は明らかに不自然な点が多いからね」
俺が肩を竦めそう言うと、後ろから怒気を孕んだ声がした。
「おい!勝手に話を進めるなよ!それに何だよ、川崎さんに不自然な点が多いって。彼女は怪しいやつなんかじゃないぞ。真面目で大人しくてちょっと抜けてる可愛らしい人なんだ!」
抜けてるのはお前だ。
俺はあからさまに大きなため息をつく。
「はぁ。私話し疲れちゃった。徹、あとお願い」
はいはい、お姫様。
最初からそのつもりだったんでしょうよ。
俺が片手を上げ了承を示すと、七瀬は大袈裟に肩を揉みながらドカリと背もたれに持たれかけた。
「なっ。二人してズルいぞ!俺を仲間外れにしやがって!」
「まぁまぁ落ち着けよ、な?とびっきりの朗報があるんだからさ」
篤は訝しむような目で俺を睨みつけている。だから、怖いんだってば。
「……何だよ朗報って」
七瀬が新しいストローの袋を摘んでまた結び目を作っている。
俺は充分間を取って、ゆっくりと口を開いた。
「喜べ。お前と川崎さんは両想いだ」