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「好きな人ができたんだ」


 斉藤篤(さいとうあつし)は、姿勢を正しそう言った。


 夕食時の十九時のファミレスの店内は、それなりに儲かっているようで席はすっかり埋まっている。そんなざわめきの中でも意を決した篤の声は重く響いた。


「へぇ」


「ふーん」


 高い位置で結い上げられた黒髪を微かに揺らした七瀬春香(ななせはるか)はドリンクバーのファンタメロンを、隣に座る俺は砂糖多めのホットコーヒーを啜りながら、恥ずかし気に視線を彷徨わせている篤に気の抜けた言葉を返した。


「お前らなぁ、もうちょっと気を遣えよ!何だよそのまるで興味がないって感じが丸出しの返事は!」


 握りこぶしをテーブルに叩きつけて篤が睨む。

 残念ながら野郎のコイバナを積極的に聞く趣味は俺にはない。


「まぁ実際ないしね。家で小説の続きを読み耽っている最中いきなり呼び出されてこんな話されたら、そりゃあ、ね。でも一応聞いてあげるわ。で?誰なの?」

 これはこれはお優しいことで。

 口には出さずに呟き七瀬を見ると、心優しい七瀬はストローを包んでいた紙でいたずらに結び目を作りながらも、どうやら聞いてやることにしたらしい。


「いきなり二人を呼び出したのは悪かったよ。すまん。でも、どうしても聞いて欲しかったんだ。……同じクラスの川崎薫(かわさきかおる)さん。ほら、放送部の。小さくて、真面目で、可愛くて、でもちょっと抜けてて……」

 もじもじと語り出す篤はすっかり恋する乙女だ。顔が厳ついのが気になるが。

 七瀬は切れ長の鋭い目でじっとその顔を見つめながら、それでも手元で結び目を作ることを止めない。聞くだけ聞いて放置する気満々なのが見て取れたので、仕方なく俺は話を引き取った。


「川崎さんね。知ってるよ。彼女ほんと美声だしね。以前、文化祭の実行委員会で何度かやり取りしたけど、規則違反や校則違反とは縁がないような真面目な子だったし、確か成績も優秀だよね。でも抜けてるって言うイメージはないな。どちらかと言うとしっかりしてると思うけど。そうそう、小動物系って言葉がしっくり来るよね。んで、どうすんの?告るの?」


「お、お前、何でそんなに詳しいんだよ!川崎さんに気があんのかよ!」


「ないね。一ミリたりともない」


 俺が間髪入れずそう言うと、篤はあからさまにホッとした顔を見せ、メガ盛りの名に恥じない量のポテトフライを摘んで、こう続けた。


「近々、告白しようかと思ってる。本当は明日にでも言いたいぐらいだけど、少し気になっていることがあって。本当に些細なことなんだ。多分誰もが首を傾げるような。でもお前らなら適当に聞いてくれるんじゃないかと思って。……気になることって言うのは……その……川崎さんの忘れ物のシャーペンのことなんだ」


 俺と七瀬は思わず顔を見合わせた。何がどうなったら、コイバナがシャーペンの話になるのだろう。篤は大きな身体を縮めて頭を抱え、縋るような目でこちらを見ている。残念ながらちっとも可愛くない。


「やめろよ、その蔑むような目。分かってるよ。ちっせえこと気にしてるのは。でもどうにも気になってしょうがねぇんだ」


「……そのごつい顔でシャーペン一本が気になって告白出来ないって言うのは、なかなか面白いわね。いいわよ、今度はちゃんと聞いてあげる」


 七瀬よ、ちっとも面白くなさそうな顔なんだが……。


 最初っからちゃんと聞いてくれよ、と篤がいじけながら呟いている。

 まぁ、それは仕方ない。


「まぁ、いい。相談相手を選ばなかった俺も俺だ。とりあえず聞いてくれーー」



 ーー 去年に引き続き風紀委員になった俺は、毎週火曜に会議に出ることになっていた。どうせ残るなら、と、俺は会議のある日は、教室で宿題を済ませてから帰ることにしようと決めた。

 先月の終わり、例の如く会議が終わった後教室で数学のプリントに手をつけていたら川崎さんがやって来た。

  制服の上に紺色のピーコートを羽織り真っ白なマフラーを巻いた姿で恥ずかしそうに「教科書を忘れたの」と言って、美術の教科書を机の中から取り出し、呼び止める暇もなく走り去って行った。

  ……白い頬を染める姿がそれはそれは愛らしくてな、っておい!ちゃんと聞くって言っただろ!聞けよ!まぁ、その日は川崎さんに放課後にも会えてラッキーとそう思う程度だった。


 そして先週の火曜、思いもよらぬことが起きた。英語の予習をしているとまたもや川崎さんがやって来たんだ。

  「友達を待ってるの」そう言って自分の席に着き、文庫本を広げ始めた。夕陽に透ける淡い茶色の髪が本当に美しくてな、俺は心底神に感謝した。これは天が与えてくれたチャンスだと思った。思ったけれど、離れた席から世間話をほんの少し振ることしか出来なかった。

  ……ほら、だってあれだろ?読書の邪魔しちゃわりぃじゃん。なんだよその目。お前らなんで目だけそんな表情豊かなんだよ!分かってるよ、どうせ俺はヘタレだよ!

 そんな訳で、川崎さんと同じ空間に二人っきりと言う最高に幸せな体験をしたんだが、残念ながら川崎さんは三十分程度で帰って行った。俺もその後あまり間を置かず帰ったんだが、丁度窓から川崎さんが一人で校門を出て行く所が見えて、靴箱でバッタリ鉢合わせと言う夢は虚しく崩れ去った。……何だよ!いいだろ!ちょっとぐらい夢見たって!


 そして本題の今日、だ。

 本当は古文の訳に取り掛かろうと思っていたんだが、もしかすると川崎さんがまた来てくれるんじゃないかと少し期待して、いや、川崎さんが校内にいることを俺は何故か強く確信して、そして今度こそ告白しようと意を決した俺は、落ち着かないままただその時を待っていた。

 夕日の射し込む、誰もいない教室、シチュエーション的にはバッチリだろ?……いや、何も答えなくていい。いっそのこと目を瞑ってくれ。マジで視線が痛い。

 まぁ、あれこれ考えを巡らせながら時間を潰していたら廊下から足音が聞こえて来た。そしてすぐ誰かが教室の後ろのドアを開けようとする音がした。だけど、それは開かなかった。多分日直が閉めたんだろうな。開けようとしたのは、やはり川崎さんだった。

 前方のドアからおずおずと入ってきた川崎さんは、本当に可愛くてな。何か言いたそうな顔をしながらも、結局何も言わず小さな体をますます小さくさせて素早く自分の机へ向かい「……また忘れ物しちゃった」と言って、机の上に置いてあった何か飾りのついたピンクのシャーペンを俺に見せてそれを握り締め駆け足で帰って行った。

  川崎さんは日々の生活態度はすごくしっかりしてて真面目なんだけど、こういうちょっとした忘れ物をする抜けた子なんだ。クラスのみんなは知らないと思うけど。そこがまた可愛いんだけどな。……悪かったよ、もう何も言わねぇよ!

 俺は結局、川崎さんの後ろ姿を見送っただけで何も言えなかった。何せ脱兎の如く駆け出したからな。

  会えたのは嬉しかったけれど、目的は果たせず仕舞いで脱力した俺は帰ることにした。もうすっかり日も傾いていたし、勉強するなんて気分でもなかった。戸締りをして鍵を職員室に返し、俺は校門を後にした。だけど、ちょうど十分程度歩いて、もうすぐ駅に着く、と言う所でそれは起こった。後ろから呼び止められたんだ。

  岩木、多田は知ってるだろ?多田絵美(ただえみ)。ショートカットで色の黒い、テニス部の。俺を呼び止めたのはその多田だったんだ。

 多田は息を切らせて、早口で捲し立てた。


「ねぇ、今日最後に教室出たの斉藤君?帰る間際、シャーペンの忘れ物見なかった?ピンク色で小さな鍵のチャームがついた」


 俺はそれに心当たりがあった。そう、川崎さんの忘れ物だ。あの飾りが鍵だったかどうかは、二人の距離が遠かったせいで判別はつかなかったけれど、確かにそれはピンクだった。だけど、なぜ川崎さんが……。

 俺が押し黙っていると、多田は痺れを切らしてまた口を開いた。


「部室で来週の小テストの範囲を友達に聞かれて確認しようとしたら、シャーペンが無いことに気付いて、斉藤君が帰った後、教室に行ってみたの。あ、そう言えば、戸締りちゃんと全部されてた?されてなかったらほんとごめん!だってほら、うちの部活厳しいでしょ。余りにも慌てていたから、腕に抱えていた日誌が真っ白なままってことまですっかり忘れていてさ。教室を出る寸前に思い出したの。ほーんと危ないとこだったわ!で、何だっけ。あ、そうそう!窓から教室をキョロキョロ覗いてみたけど、見当たらなくて。しょげて歩いてたら斉藤君の後ろ姿を見つけたから、もしかしたら、って思ってさ。ごめんね、呼び止めて。急いでた?」


「……いや、大丈夫だ。それよりそのシャーペンはそんなに必死で探す程大切なものなのか?誰かの……形見とか」


「やだ、そんな大袈裟なもんじゃないよ!まぁ、オリジナルだから同じものは無いと思うけど。あれ自体は無ければ無いでどうにかなるけど、うーん、でも壊すのもなぁ。私には大事なものなんだけど、それにしてはさすがに扱いが雑すぎたわ。どうにもガサツなところが直らないんだよね、私って。反省反省!もし見つけたら、教えてね!」


 多田は白い歯を見せカラカラと明るく笑っていたけれど、俺はもう気になって仕方なかった。無ければ無いでどうにかなる、けれど、多田にとっては大切なもの。多田の言っていることはいちいち引っかかる。シャーペンなのだから無ければ無いでそりゃどうにかなるだろう。でも「壊す」って?

 川崎さんと多田の忘れ物。もしかしたら似たようなシャーペンを二人が持っていたのかもしれない。

  現に、あのシャーペンは川崎さんの机に置かれていた。だが多田はあのシャーペンをオリジナルだと言っていた。そしてその特徴の一致は俺の胸をざわめかせた。

  もし川崎さんの忘れ物が本当にシャーペンだとしても、特徴的な飾りが付いているから、手に取ればすぐ自分のものではないと気付くはずだ。

  それなのに何故川崎さんはそんな嘘をつく必要があったのか。考え出すといてもたっても居られなくて、俺はお前達を呼び出すことにした ーー




「ーーと言う訳だ」

 話し終え、すっかり疲れきった篤がすがるように俺たちを見据える。


「つまんない話」

 グラスに残った溶けかかった氷をストローで掻き回しながら、七瀬は心底つまらなさそうに言った。

 いつの間にか結び目が増えている。


「まぁまぁ。それなりに興味深い話じゃないか。一つのシャーペン、二人の持ち主。確かにどうでもいいっちゃ、どうでもいいけどね。でも篤が気にしなきゃいけない所は他にもあると思うんだけど」


「岩木、フォローになってねえ!」


 ギロリと睨み付ける篤を俺は両手で大袈裟に諌めた。

 あー怖い怖い。顔が厳ついから怖さ倍増だ。


俺は篤のいじけた発言を聞き流しながら、密かに言い様のない不安に包まれていた。

 斉藤篤と言う男はその厳つい顔に似合わず、純情で朗らかだが変な所で気の小さな男だ。告白宣言に興味のない素振りをしてみたが、それは俺と七瀬があまり感情豊な表現が出来ないだけであり、内心驚いてはいた。多分、七瀬もそうだろう。俺と七瀬との付き合いの長さがそう物語っている。


 七瀬と俺は所謂幼馴染で、家が向かい同士ということもあり物心つく頃にはもうすっかり俺達は二人で一セットだった。と、言っても男女の仲ではない。互いに一緒にいることに一種諦めの境地でいるのだ。

  そして残念なことに、俺らはそのテンションの低さという点でも一致していた。下がりはしてもなかなか上がることがないので、縁側でお茶を啜るお迎えを待つばかりの老夫婦のようだ、と篤に評されたこともある。

  中二で初めて篤と同じクラスになった時、篤はやたらと俺に付き纏ってきた。見かけによらず心配事の多い篤の愚痴を俺は聞き流していたのだが、どうやらそれが心地良かったらしい。出来れば家の庭にでも穴を掘ってやってほしいものだ、と思ったのも一度や二度ではない。でもそれにもすぐ慣れた。順応性が高いのが俺の密かな自慢だ。

  当然俺といることで七瀬といる時間も増える訳だが、篤は俺とセットの七瀬ともすぐ馴染み(「岩木と七瀬は本当に双子じゃないのか?」としつこく問い詰められたが)高ニになった今ではすっかり仲良し三人組と認定されてしまったのだ。


 そんな篤が俺達に相談を持ちかけるのはそう珍しいことじゃない。しかし、篤の言うように俺達は「適当に聞く」ことしか今までやらなかった。それは篤も承知の上だろう。だが、この話は違う。妙な話と言えば妙な話だが、それでも俺達の間でコイバナなんて初めてだ。いつものようにやり過ごせばいい、そう思っているのに、この話を聞いてしまった以上、俺達は何らかの答えを出してしまうような気がした。

  そして、俺の悪い予感と言うのは、これまた運の悪いことに、滅多に外すことがない。それは一種の暗示のように思えた。俺達の関係性が変わってしまうような、そんな暗示に。

 俺はそんな気配を掻き消すように小さくため息をついた。




「それにしても、多田も相変わらずだねぇ。話に纏まりがないそそっかしさも、その少女趣味な所も」


「少女趣味?」

 気を取り直して俺がそう言うと、七瀬が聞き返しながらチラリと視線をこちらに寄越した。


「ああ。ボーイッシュな外見だけど、あいつはなかなかのロマンチストなんだ。

 去年隣の席になったことがあるんだけどね、淡いイエローのリングノートやら、リボンをつけたウサギの絵がプリントされたベルト付きのピンクの手帳やら、ラメの輝きが眩しいシャーペンや匂いつきの消しゴム等々パステルカラーのオンパレードだよ。高二にしては、ちょっと幼いようにも見えるけどね。

 特に、ピンクはお気に入りのようでよくここまで揃えられるなと思うような細々としたものまでピンク色をしてたよ」


「……ふうん」

 聞いておいてこの反応。いささか不満ではあるものの、慣れとは怖いもので俺は七瀬がこの情報に満足したことが見てとれた。


「お前、何でそんなに詳しく覚えてんだよ。もしかして多田に気があんのか?」


「ないね。一ミリたりともない」

 この男はどうにも俺を気の多い男と思っている節がある。


 俺達のくだらない漫才を横目に、七瀬はメガ盛りポテトフライの最後の一本を細い指で摘み篤に向けた。


 いつの間に食べたんだよ。



「ほんと、つまんない話。いい?いくら友達でも度の過ぎる惚気話は聞くに耐えないわ。……それと、シャーペンは多田さんのもの。明日にでも川崎さんは多田さんに返すんじゃないかしら。だって真面目な人なんでしょう?今頃シャーペンを本当の持ち主にどう返せばいいか思い悩んでいるはずよ。

 尤も、今の段階では多田さんがシャーペンの持ち主だってことには気付いてないでしょうけど。まぁ、多田さんが真っ先に川崎さんに聞くだろうから時間の問題ね」












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