第36話 受験
2月。いよいよ、空君の受験の日。天気予報ではその日は雪マークがついていて、パパが心配して、前日から私のアパートに空君が泊まることとなった。
クリスマス辺りから空君は風邪をひき、お正月に初詣に行くこともできなかった。空君は行きたいと言ったけど、パパが反対したからだ。
「俺がお前の代わりにお参りしてくるから、お前はちゃんと休んでろ」
櫂さんも春香さんも、そこまで過保護じゃないのに、パパが一番空君に過保護になってる。
今回、雪マークが出ただけでもパパは、すぐに空君を私のアパートに泊まらせるって言い出したようだし。春香さんも、早めに家を出たらどうにかなるわよ、なんて言っていたみたい。伊豆で大雪なんてそうそうないし、大丈夫だろと、櫂さんも楽天的に考えていたらしいんだけど。
「それでも、なんかあって受験に間に合わなかったら大変だろ」
パパはそう言い張り、空君は私のアパートにやってきた。
1泊だって。どうしよう。ああ、ドキドキする。
でも、明日受験なんだもん。早くに寝てもらわないとだし、そんなドキドキするようなこともないんだし。
「凪!」
駅の改札口で待っていると、空君が手を振って走ってきた。すごく元気そうだ。
「空君、元気そう」
「え?うん。元気だよ」
にこりと空君は笑った。
「お正月、やっぱり体調悪かったんだね。顔色も青かったし」
「ああ、あの時。食欲もなくて、鼻づまりもあったし、咳も出てたし、確かに元気なかったかも」
なんだ~~。初詣に行くと空君、ちょっとムキになっていたけど、行かなくて正解だったんだ。パパの判断が正しかったのかも。
「今は元気だよ。食欲もあるし」
「そうなの?」
「それに、今日凪の部屋に泊まれるって思ったら、なんか嬉しくって」
空君の足取りも軽やかだ。今にもスキップしそうなくらいに。可愛い。
「えへ。私も嬉しい」
空君の腕に引っ付いてそう言った。
「でも、よくパパが許してくれたよなあ」
「そんだけ俺、信頼されてるみたい」
「え?」
「だから、手は出しません。期待にそえなくてごめんね」
「ええ?期待なんかしていないよ。もう!」
「ははは」
なんて言って、ほんのちょっと期待したかも。ドキドキしていたし。
夕飯は私のバイト先に行った。バイトのみんなが、
「え?凪ちゃんの彼氏なの?かっこいいじゃん」
とキッチンからも顔を出し、そう言っているのが聞こえた。
「…男、けっこういるね」
それを見た空君が、そう呟いた。
「そうかな」
「大学入って、やっぱり凪の周り、男が増えていたんだ」
「でも、仲良くしているのってかっちゃんくらいだし。かっちゃんにはラブラブの彼女がいるし」
「ひいちゃんさん?どう?あれから大丈夫?」
「うん。幸せオーラ出しているからかな。幽霊も寄ってこないみたいだよ」
「まあ、体質ってのもあったかもしれないけど、あの寮がやばかったんじゃない?」
「じゃあ、あの寮に今いる人って、危ないんじゃ」
「そうかもね。あ、だからって、霊退治しにいこうなんて馬鹿なことは考えないでね、凪」
「え?しないよ。霊退治なんてできないし」
「そうだよ。強力なやつだといくら凪でも、太刀打ちできないだろうから」
「……そうかな。空君がいたら、大丈夫な気がするんだけど」
「だめ」
あ、怒られた。
「わかった。あの寮には近づかないようにするね」
夕飯を食べ終わり、二人でアパートに帰った。空君は部屋に入った途端、
「ああ、この部屋、すげえ癒される」
と、荷物を置くと畳の上に寝転がった。
「どうしたの?具合悪いの?」
「ううん。ちょっと、凪のオーラ感じまくりたいだけ」
なんだ、それ。
「だったら」
私はその横に寝転がった。そして、空君の腕に抱きついた。
「直に私から感じたらいいのに」
そう言うと、空君は真っ赤になり、
「それは無理」
と、立ち上がってしまった。
「なんで?」
うわ。なんか、寂しいよ。
「だって、こんな状況で抱き着いたら、俺、セーブできない」
「え?」
「布団も、隣の部屋に敷いて」
「え?そんなの寂しいよ」
「まじで、凪、悪いけど、すぐ横だったらきっと俺、朝まで寝れないから」
「………うん、わかった」
私も起き出して、お風呂を沸かしに行った。
「空君から入っていいよ」
「うん」
空君はカバンの中から、下着やスエットを出した。
「凪」
それから私を見ると、ちょっと切なそうな顔をして、
「春休み、こっちに引っ越すから、だから、その時まで」
と、ぼそっと呟いた。
「え?」
その時まで?
「なんとか、俺も我慢するから、凪も」
我慢って、え?
「本当は今も、ギュって抱きしめたいんだけど、そのまま押したおしそうだし」
「……」
「ごめん。俺、こんなギリギリで」
「ううん」
ぶるぶるっと首を横に振った。そうか。空君、私が思うよりもずっと我慢とかしてくれてるんだ。じゃあ、私も、空君に抱き着きたいし、隣で寝たいけど、我慢しなきゃ。
テーブルとかを片付け、空君の布団は普段リビングにしている部屋に敷いた。私の布団も敷き、空君がお風呂から出ると、
「布団敷いたから、眠くなったら寝てね」
と言い、お風呂に入りに行った。
チャポン。なんとなく空君のオーラがまだ漂っているバスタブに浸かり、空君を思い出した。
寂しい。
じゃなくって、すぐそばにいるじゃない。一緒の部屋にいるんだよ!
あ、なんか一気にまた、気持ちが上がった。ベタッとくっつけなくたっていい。直に声が聞けて、空君の姿が見えるだけでも嬉しい!
お風呂から出ると、空君は片付けたテーブルを部屋の端に置いて、勉強をしていた。
「あ、ごめん。勝手にテーブル出しちゃったよ」
「ううん。こっちこそ、片付けてごめんね」
「なんかさ、落ち着かなくて。今さら何かしても、頭の中にも入ってこないんだけど、でも、こうやって参考書開いているだけでも落ち着くんだ」
「わかる。私もそうだった。っていうか、私の場合、まじで前日まで慌てていたかも」
「凪の受験、俺、あんまり気にかけなかったよね。ごめん。でも、凪はいつでも勉強できていたし、絶対に受かるだろうなって思っていたから」
「……空君だって、絶対に受かるよ」
「お守りあるしね」
空君はそう言って、お守りを出した。合格祈願のお守りと、健康祈願のお守りだ。健康はパパが買った。多分、お正月に空君が風邪をこじらせていたからだろうな。
「これ、ご利益あるよ。お守り持ってから、風邪もひいていないし」
そう言って空君はニコリと笑った。可愛い。抱き着きたい。いや、我慢、我慢。
「あったかいものでも飲む?ホットミルク作ろうか」
「うん。サンキュ、凪」
今の笑顔も可愛い!キュキュン!
牛乳をミルクパンであっためながら、空君の笑顔にまだキュンキュンしていた。空君のあの笑顔って、特別なの。他の人には本当に見せないんだよね。
えへ。
ちょっと優越感に浸りながら、ホットミルクをテーブルの上に置いた。
「サンキュ」
「なんか欲しいものあったら言ってね。私、アイロンがけでもしているから」
「うん」
隣の部屋に入り、ブラウスとかにアイロンをかけだした。一緒に住むようになったら、空君の服にもアイロンをかけるのかな。いいな、それ。新婚さんみたいじゃない?
わくわくだ。あとひと月もしたら、一緒に住める。
思えばこの1年、長かった。あっという間のような気もするけど、寂しい日の方が多かったよね。
襖をちょっと開けて、空君を見た。真剣なまなざしで参考書を見ている。
いいな。見ようと思ったらすぐに空君が見れる。
「凪、襖開けておいて」
「え?」
「閉めないでね。なんか、寂しいから」
「うん」
空君の本当に寂しそうな顔にまた、胸がきゅんってした。
寝る時も部屋は別だけど、襖は開けておいた。そして、
「おやすみ、空君」
「おやすみ、凪」
と、そう言い合えることに喜びを感じた。
「凪」
「え?」
「ずっとね、この部屋光に包まれてるよ」
「私、ずっと喜んでいるもん」
「だから、すげえ癒されてる。明日のこと考えても、不安にならないくらい」
「良かった!」
「おやすみ、凪」
「おやすみなさい」
しばらくすると、すーすーという空君の寝息が聞こえてきた。私はそっと布団から抜け出し、空君の寝顔を見に行った。
可愛い。めちゃくちゃ可愛い。
この寝顔を毎日見ていたい。
朝まで寝顔を見ていたかったけれど、ちゃんと寝坊しないで起きるため、布団に戻った。
目覚ましをセットして私も眠った。
そして翌朝。空君より早くに起きて、朝食を作った。ハムエッグとロールパン、サラダにフルーツ。
「空君、起きて。朝だよ」
空君のほっぺを突っつきながらそう言うと、空君は、「ん~~」と寝返りを打った。
可愛い。寝癖ついてる。
「空君、起きて」
抱き着きたい衝動に駆られたけど、ぐっと我慢して、空君の肩をゆすった。
「ん~~、今、何時?母さん」
「母さんじゃないよ、凪だよ」
「………」
一瞬黙った空君は、いきなりバッと起き上がった。
「うわ、びっくりした」
「凪!あ、そうだった。凪のアパートだ」
布団に座り直し、空君は頭をボリっと掻くと、
「おはよ」
と、すごく照れくさそうな顔をしてそう言った。その顔も可愛い。
「おはよう、空君」
「………」
空君が視線を下げた。でも、
「すげえ、光」
と、ぼそっと呟いたのが聞こえてきた。
「ごめん、眩しかった?光出し過ぎてる?」
「くす。ううん」
空君は嬉しそうに笑った。
キュキュンっとしながら、私は食卓に行き、
「空君、何飲む?」
と聞いた。
「ん~~~~。牛乳」
牛乳?なんか、小学生みたい。
「コーヒーとか飲んで、腹壊したくないし」
「牛乳は平気?」
「うん」
空君はのそのそっと起きてきて、顔を洗いに行った。
「寝癖、可愛いね」
そう後姿に言うと、
「可愛くないよ。どこが可愛いの」
と、空君は口を尖らせた。
可愛いって言われるの、やっぱり嫌なのかな。でも、可愛いんだけどな。
「ふああああ。良く寝た」
洗面所の鏡の前で空君は思い切り伸びをして、それから食卓にやってきた。
「あ、なんか、豪華な朝ご飯だ」
「食べたほうがいいよね?頭働くよね?」
「うん、サンキュ、凪」
いただきますと一緒に食べて、空君がいることにまた幸せを感じた。そして、大学まで空君を送りに行くことにした。
「受験票持った?筆記用具は?ティッシュとか、ハンカチとか」
「あはは!凪、お母さんみたい」
玄関先でそんなことを聞くと、空君に笑われた。
「春香さん?」
「違う。母さん、そんなこといちいち言わないよ。放任だから」
「そうなの?」
「母さんも父さんも店の準備で忙しいし、俺より先に家を出ることも多いからさ。凪は、小学生くらいの子のお母さんみたいだ」
「う、だって」
「そういうところ、聖さん似だね」
「パパ?」
「うん。聖さん、心配性じゃん」
「変なとこ、楽天家なのにね。でも、ママの方が実はどっしりとしているかも」
「だよね」
くすくすと笑いながら、空君はアパートを出て、爽やかに歩き出した。
「空君、落ち着いてるね」
「そりゃ、あんだけ凪の光に包まれたら、不安も何も吹っ飛ぶって」
「そっか」
「ばあちゃんもいてくれたし」
「え?おばあちゃんも来てるの?」
「うん。だから、大丈夫。凪も、ど~~んと大きく構えて待ってて」
「うん、わかった。終わったらアパートに来る?それとも私、どっかで待っていようか?」
「アパートに行くよ」
「わかった。でも、今は大学まで行かせて」
「くす。はいはい」
なんだか、どっちが受験生かわからなくなりそうなくらい、空君、どっしりと構えてるなあ。
うん。私が慌てても、焦ってもしかたない。空君を信じて、アパートで待つとしよう。
大学の前で空君に手を振りながら、二人で始まる新生活に、思いを飛ばした。
あの部屋に、空君の荷物がどんどん増えていくんだな。
すでに、買い揃えているのは、食器や洗面道具。服とか、勉強道具は、春休みに空君が持ってくるんだろうな。
わくわくしながら、私はアパートに帰った。




