第33話 碧と文江ちゃん
翌日、朝、碧がひょっこり私の部屋に来た。
「凪、具合どう?」
「めずらしい。心配してお見舞いに来たの?」
「いいや」
「じゃあ、何しに来たのよ」
私はまだ本調子になれず、ベッドの中にいた。碧はベッドの空いたスペースにドカッと座り、
「ちょっと、相談」
と態度とは正反対の元気のない声を出した。
「相談?」
「ん~~~。あのさ、実は、その」
「なに?はっきり言ったら?」
「…父さんと母さんにはまだ黙っていてほしいんだけど。あ、これ、絶対に約束して」
「え?う、うん」
何やらおおごと?
「実は、ないらしいんだよね」
「何が?」
「だから、1週間くらい遅れてて」
「…。え?」
「文江…」
遅れてる?って、え?え?
「妊娠?!」
「しーーーー。でかい声出すなよ」
碧に口をふさがられた。
ちょっと待って。妊娠するってことは、妊娠するようなことをしたってことでしょ。
え~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。碧が、文江ちゃんが…!!!!
かなり、ショック。
「母さん、妊娠検査薬がどうのって言ってたよね」
「え?う、うん。ママに言えばくれるかも」
「なんとか、凪がくすねてくれない?」
「くすねる?」
「こっそりと…さ」
「無理だよ。なくなったら気が付くでしょ」
「…。は~~~~」
「文江ちゃんはどうしてるの?」
「…なんとか、バイトとかしているけど。怖いって昨日もメール来て」
そりゃそうだよ。
「わかった。私、文江ちゃんに会うよ。あと、妊娠検査薬もどっかで買うから」
「悪い…」
「ちょっと!」
バシンと碧の背中をぶったたいた。
「いって~」
「しっかりしなさいよ。碧がしっかりしなかったら、文江ちゃんがもっと怖がるよ」
「わかってる。けど」
「けど、何?」
「今更ながら、父さんの勇気に頭が下がるって言うか」
「は?」
「よく、結婚決意できたよな」
「パパの場合はもう、大学生だったけど」
「うん」
「それに、結婚もできる年齢だったし」
「ああ。俺、まだできないもんね」
「うん」
「は~~~~~~~~~~。でも、万が一、赤ちゃんできてたとしたら、おろすなんて無理だし、産むってことになると…」
「そういうことは、パパやママに相談しないと、碧と文江ちゃんだけじゃどうしようもないでしょ」
「……」
「それは、ちゃんとわかってから、相談しようよ」
「うん」
碧がまた、うなだれた。
私は顔を洗いに下に降りた。パパはすでに仕事に行ったあとで、ママがキッチンで洗い物をしていた。
「あれ?起きて大丈夫なの?」
「うん。今日は久々、文江ちゃんに会ってくる」
「碧も?」
「うん。一緒に行く」
「碧は朝ご飯いるのかしら。あ、凪の分はすぐに作るから、顔洗っていらっしゃいね」
「はい」
顔を洗い、朝食を食べ、また2階に行った。碧は部屋に入ったままだ。
「碧、朝ご飯食べないの?」
ドアの外から聞くと、
「食う気しない」
と、元気のない声が聞こえた。
10分後、碧と家を出た。ママは、
「文江ちゃんによろしくね。家にも遊びに来るよう言ってね」
と、にこやかに私たちを送ってくれた。
「母さんの顔、見れなかった」
ぼそっと碧がつぶやいた。
「だったら、そんなことしなきゃいいのに」
「え?」
「なんでもない」
つい、口からぽろっとそんなことが飛び出した。
「空は、凪に手、出していないんだってな」
「え、うん」
「そっちの方がびっくりだ。空の家にもしょっちゅう遊びに行ってたじゃん」
「私?」
「うん。部屋に二人っきりだろ?なのに、なんで空は手、出さないでいられるんだろうって」
「は?」
何よ。私に魅力がないからとか、そんなこと言うんじゃないでしょうね。
「空って、忍耐強いんだな」
「…は?」
「それもさ、凪、平気でよく空に抱き着いたりしていたじゃん」
「うん」
「よく、耐えてきたよな。感心する」
……そういうものなの?え?空君って、そんなに忍耐強いの?
「じゃあ、碧は、忍耐強くなかったってこと?」
「うん」
あ、素直に認めた。
「………。文江って」
突然、遠くを見て語りだしたぞ。
「どっか、頼りなげで、守ってやらないとって感じがして」
「え、だったら、それこそ、手、出せないんじゃないの?」
「いや。なんていうか」
「…うん」
「やっぱ、いい。やめとく」
「え?何よ、言いかけておいて」
「姉貴に話すような内容じゃなかった」
「…そ、それもそうか」
弟のそんな話聞いてもしょうがないか。
文江ちゃんの家に着いた。久しぶりだなあ、この家も。一騒動あったもんな。すっかり、暗い影は消えて、居心地のいい家になっている。
「文江、凪、連れてきた」
ズカズカと文江ちゃんの部屋まで行き、碧はそう言いながらドアを開けた。
「凪先輩」
文江ちゃんは、暗い顔をして私を見ると、いきなり抱き着いてきた。
ああ、こんなに不安な気持ちになっていたんだ。そりゃ、そうだよね。
「大丈夫?」
「はい。凪先輩と碧君が来てくれたから。今、一瞬で消えたし」
「あ、また出たんだ。しつこいね」
「え?何が?」
「だから、霊だよ。最近、文江の気持ちが下がっていたから、寄ってきちゃってたみたいで」
ああ、それで怖がっていたのか。
「これ、遠回りだったけど、○○駅で降りて薬局寄ってきた。あそこの駅なら、知っている人もいないと思うし」
「すみません。いろいろと迷惑かけて」
文江ちゃんはそう言いながら、妊娠検査薬を手にした。
「じゃあ、私と碧ここで待ってるから」
「…はい」
「文江、大丈夫?」
碧が文江ちゃんの手を取った。文江ちゃんはコクンと頷くと部屋を出て行った。
「は~~~~~」
碧は後頭部をぼりぼりと掻き、ため息をした。
「こわ…」
そして、ぼそっとそう呟いた。
「文江ちゃんの方が怖いよ、きっと」
「うん」
「だって、碧は何も変化しないけど、文江ちゃんはもし妊娠したら、つわりがあったり、お腹大きくなったりするし。ううん。一つの命が宿るんだもん。責任も感じるだろうし」
「責任って言うことなら俺だってさ」
「そっか。そうだよね」
何も言えなくなり、私は黙った。碧も黙り込んだ。時計の音だけが部屋に響き、時間がものすごく長く感じた。
「文江、遅い…」
碧が先に口を開き、立ち上がった。と同時に文江ちゃんがバタバタと駆けてくる音が聞こえた。
「碧君、碧君!」
ドアを開け、碧に文江ちゃんが飛びついた。
「どうだった?」
「違った。妊娠してなかったよ」
その言葉で、碧もどっと安心したようだ。一気に顔がほぐれ、そして、文江ちゃんのことをギュウっと抱きしめた。
「よかったね」
「うん」
ギュウ。二人して抱きしめ合っている。
どうしよう。なんか、私、邪魔かも。
「あ、あのさ、文江ちゃんも碧も、本当に良かったね。これで、一安心ってことで、私は帰るね」
「え?もう?」
文江ちゃんが碧の手から離れ、寂しそうにそう聞いてきた。
「うん。二人だけのほうがいいでしょ?じゃあ、帰るね」
そう言って玄関の方に向かうと、碧が私の横にやってきて、
「凪、まじで助かった。ありがと」
と、少し照れくさそうに言った。
「どうこう言うつもりはないけど、でも、文江ちゃんのこと大事にしなね」
そう言うと、碧は黙って頷いた。その顔は真剣な顔だった。
結局、夏の疲れがあったのか、生理は遅れただけ。翌日には無事生理も来たらしい。今回はママとパパには秘密にしておいたが、碧には相当堪えたらしく、その後は簡単に手を出せなくなったと、空君経由で私は知った。
碧はこっそり、今回のことを空君にだけ話したらしい。
「俺さ、凪」
「うん」
「凪に手、出さないでいて良かったって思った」
「え?」
「もし、凪が妊娠していなくっても、今回みたいに具合悪くなって遅れた時にさ」
「うん」
「俺は堂々としていられないし、凪にもものすごく不安な思いをさせることになる」
「…うん。そうだね」
「もっと、ちゃんと自分で責任取れるようになるまでは、手、出さないから」
「……うん」
その日も、私は空君の部屋にいた。空君は真剣な表情で私にそう言ってくれた。
「…一緒に、住むようになっても?」
気になりついそう聞くと、
「大学生なら、ほら、学生結婚とかあるし。俺も、18過ぎれば、籍入れられるし」
「あ、そ、そっか」
「実際、聖さんも大学生だったわけだし」
「うん」
「…って、まだ大学生でも、稼げるわけじゃないから、ちゃんと妊娠しないように気をつけるけど」
「うん」
空君がそっと私を抱きしめた。
「凪が大事だから、今は、これだけで充分」
ギュッと私は抱き着きそうになった。でも、碧の言葉を思い出し、抱き着くのはやめておいた。
空君。私も、ふわっと抱きしめてくれるだけで、それだけで十分。
空君が私を本当に大事に思ってくれているのがわかって、幸せだった。




