第30話 パパのあほ
茜ちゃんはそのあとも、まりんぶるーに元気にやってきた。でも、空君は茜ちゃんのいる時間帯に、まりんぶるーに来なくなった。
ずっと空君に会えないのが、相当寂しかったのか、だんだんと茜ちゃんは、バイトが終わるとリビングに居座って空君を待つようになった。
「今日も空先輩、塾の帰りが遅いんですか」
「どうなのかな。自習室で勉強したりしているみたいだけど」
多分、わざと塾で時間をつぶしているんだと思う。
「本当に空、まりんぶるーに来なくなったなあ。勉強が大変なのかな」
おじいちゃんは、茜ちゃんを慰めるためなのか、優しくそう言った。
「そうですよね。受験生ですもんね…」
シュンと茜ちゃんは、元気をなくしてしまった。
茜ちゃんが寂しがる気持ちはわかる。私だって、好きな人にずっと会えなかったり、それも避けられているかもって思ったら悲しいもん。
でも、だからって、空君に茜ちゃんに会いに来て…なんて言えないし、複雑だ。
「私、そろそろ帰るね。茜ちゃんはまだのんびりしてていいよ」
「え?凪先輩まで帰っちゃうんですか?」
「うん。ママも雪ちゃん連れて、さっき帰ったし。私も帰って夕飯作るお手伝いしようと思って。夏休みの間、ママから料理を教わろうと思っているんだ」
「…そうなんですか」
「うん。またアパート戻ったら、自炊しないとならないし」
「……。わかりました。私も帰ります」
茜ちゃんと一緒にリビングを出た。おじいちゃんが、寂しそうにしていた。
本当は私や空君にいてほしいんだよね。おばあちゃんだって、そう思っているかもしれない。でも、茜ちゃんがいると、空君、来ないしなあ。
「私、自転車なんだ」
「私は歩きです。じゃあ、ここで」
「うん。お疲れ様」
茜ちゃんは、歩いて家に帰った。海沿いの道路を渡り、5~6分歩いたところに家があるらしい。わりと空君の家からも近いかもしれない。
でも、空君とはほとんど会わないって言っていた。学校もバスで行っているみたいだし。
ずっと思い続けて、ようやくバイト先で会えるようになったのに、また会えなくなって悲しいだろうなあ。
あ、でも、来年になったら、お別れなんだね、空君と。
自転車で家まで帰った。6時になってもまだまだ暑い。汗だくで家に着き、門の中に自転車を入れると、そこには空君の自転車も置いてあった。
あ、うちに来ていたのか。
「ただいま~~」
リビングに行くと、碧と空君がテレビゲームをやっていた。
「おかえり、凪。遅かったね」
「空君、うちにいるなら連絡してくれたらよかったのに」
「ごめん、今、碧とゲームに夢中になっててさ」
「受験生つかまえて、ゲームとかダメじゃない、碧」
「たまには息抜きも必要だろ?な?空」
「まあね。夕飯食べて帰ってから、また勉強するからさ」
「夕飯食べたら、すぐに帰っちゃうの?」
寂しいよ。ここ数日、空君、本当に塾からの帰りが遅くて会えなかったのに。
「じゃ、凪の部屋で勉強しようかな」
「うん。私、邪魔しないから!」
嬉しい。
喜びながらキッチンに行って、夕飯の準備をしているママの手伝いを始めた。雪ちゃんは、ゲームをしている碧の膝の上に座っている。一緒にゲームをしている気になっているらしい。雪ちゃんにもゲームのリモコンを持たせているし。ただ、ゲーム機とつながっていないんだけどね。
「おし!今度は勝つぞ、な?雪ちゃん」
「あい!かちゅ、かちゅ~~!」
わかっているのかなあ。最近、いろんな言葉を話すようになってきたけど、多分わかっていないんだろうなあ。
「次、俺がまた勝ったら、雪ちゃんは俺の膝に来るんだよ?」
空君ったら、そんなこと言って!雪ちゃんのことすぐに碧と取り合いっこしているんだから。
ちらちら空君を見ていると、ママがくすくすと笑った。
「なあに?ママ」
「そんなに空君といたいなら、こっちの手伝いはいいのに」
「ううん。ちゃんと料理できるようになりたいもん」
「じゃあ、今日は凪に任せようかな」
「え?!春巻き揚げるの、苦手なんだけど」
「大丈夫、簡単、簡単」
ママに見守られながら、春巻きを揚げた。たまに、油がビチッと音を立てたりすると、「うわ!」と思わず鍋から遠のいてしまう。
「大丈夫、大丈夫」
ママにそう言われ、恐る恐る春巻きを鍋から取り出した。でも、1本、つるっとまた油に落ちてしまい、
「うわあ」
と、慌ててしまった。
「慌てない、大丈夫だよ、凪」
「う、うん」
揚げ物って、苦手。
なんとか無事、春巻きを揚げることもできて、サラダや卵スープをママが作り、夕飯の準備が整った。そこに、パパがちょうど帰ってきて、みんなで夕飯を食べた。
食べ終わると、
「凪、先にシャワー浴びちゃったら?」
とママに言われ、最初に浴びることにした。
「空君、帰らないでね。勉強するなら私の部屋でしていていいからね」
「凪が出てくるまで、もう1戦しようぜ」
「うん」
あ、また碧ったら、ゲームに誘った。
まあ、いいか。本当に最近、空君勉強一色だもん。たまには息抜きしないとだよね。
シャワーをさっさと浴びて、髪を乾かしバスルームから出た。
「碧、次どうぞ」
「え?凪にしては早いじゃん」
そう言いながら、碧は2階に着替えを取りに行った。
「空君、お待たせ」
「なんだ、空。凪の部屋で勉強していくのか?ここでもいいのに」
パパがちょっと不機嫌そうにそう言った。
「ダメだよ、ここにいるとパパや碧がうるさいもん。それに雪ちゃんも」
雪ちゃんはさっきから、ずうっと空君の膝の上にいる。いい加減、空君を私に返してほしいのに。
「ちょら!」
あ、雪ちゃん、絵本取りに行った。
「ダメだよ、雪ちゃん。空君に絵本読んでもらったら、空君、勉強できないでしょ?」
「や!ちょら、これ!」
あ~~あ。お気に入りの絵本だ。読んでもらえないと、雪ちゃん、拗ねてうるさくなるんだよね。
「じゃあ、一回だけ読もうかな…」
え、空君、そんなこと言っても雪ちゃん、何回もせがむんだよ?
「いいぞ、空。勉強しろよ。雪ちゃんにはパパが読んであげるからね」
パパは雪ちゃんを抱っこして、自分の膝の上に乗せた。とりえず、雪ちゃんはパパか、碧か、空君に絵本を読んでもらえば満足するから、拗ねたり泣いたりしないですみそうだ。
「今のうち」
私は空君の腕を引っ張って、2階に行った。行き違いで碧が鼻歌交じりに、自分の部屋から着替えを持って出てきた。
「凪、空のこと襲うなよ」
「襲わないよ。さっさとシャワー浴びて、碧も勉強したら?」
「シャワー浴びたら、文江と電話するんだよ。今日も会えていないんだからさ」
「どうぞ、どうぞ。好きなだけ電話して」
そう言って、空君と一緒に私の部屋に入った。
「碧、本当に最近デートもできていないみたいだよ」
「え、なんで?まさか、仲悪いの?喧嘩とか?」
「黒谷さんのバイトの休みと、バスケ部の休みと合わないみたいだね。もうすぐ合宿もあるみたいだし」
「へえ。そりゃ、寂しいね~」
でも、学校が始まったら会えるんだからいいじゃん。
私なんて、またずっと会えなくなっちゃうんだから、今のうちにべったり会えるだけ会っておかないと。
「机借りていい?」
「うん」
私の勉強机の椅子に座り、空君は机にノートや参考書、問題集を出した。
私は読みかけの雑誌を手にして、ベッドに寝転がった。空君はまた、勉強に集中しだした。
ほわん。一緒の部屋に空君がいる。それだけでも、幸せだよなあ。
「……いいね」
「え?」
いきなり、空君がぽつりと言った。何がいいね、なんだろう。
「凪といると、いつもほんわかしていられる」
「あ、私、光出してた?」
「うん。安心するよ。つい、受験のこと考えると、気分が暗くなったり、焦ったりするんだけど、凪がいるとさ、ほっとできるんだよね」
「光が勉強の邪魔していない?」
そう聞くと、空君はくるっとこっちを向いた。
「まさか。安心できて、勉強も集中してできるよ」
そっか。良かった。
空君は優しい目で私を見て、また机の方を向いた。
「9月半ばまでいるんだよね?凪」
「うん。夏休み終わるまでいるよ」
「そっか。じゃあ、まだまだ一緒にいられるね」
嬉しそうにそう言った空君がめちゃくちゃ愛しくなった。
空君、大好き、大好き、大好き。
「俺も」
「え?」
「今、光出まくった。俺のこと大好きって思っていたよね?」
そう言って、空君はまた私を見た。
「うん。思ってた!」
「やっぱり?」
ちょっと照れくさそうに空君は笑って、また机の方を向いた。
一緒に暮らしたら、こんな感じなんだ。ずうっと、アパートでは二人きり。
いいなあ、それ。いいなあ。
「凪の部屋って、凪の匂いがするね」
「え?私の?」
「うん」
空君、なんでだか知らないけど、椅子から立ち上がってこっちに来た。
そして寝転がっている私の横に座ると、ふわっと優しく私の髪を撫でた。
「シャンプーの香りかな。風呂あがってきた時から匂ってた」
「そうなの?」
「うん」
ドキドキ。なんでそんなに優しい目で見ているのかな。
「凪!空!」
ガチャリ。
突然、ノックもなくドアが開いた。と同時にお盆にスイカを乗せたパパが入ってきた。
「わ!」
空君と同時に思い切り驚くと、
「空!今、お前、凪に襲いかかっていたんじゃないよな!?」
と、お盆からスイカを落としそうな勢いで、パパが空君の近くに飛んできた。
「パパ、スイカ落ちるよ」
「あ、ああ」
パパはお盆を、ベッドの横にある小さな丸いテーブルの上に乗せ、
「ドアは開けておきなさい、凪。わかったね?」
と、珍しく威厳ある声でそう言って、空君にも、
「手、出すなよな」
と念を入れて、部屋から出て行った。ドアを開けたまま。
「…び、びびった」
空君は、もう私の上から飛びのいていて、勉強机の椅子に座って青ざめている。
「聖さんに誤解されたよな、今の」
「誤解?」
「凪に手なんて出せないのに。出せるわけがないのに。あ~~~~」
あ、すんごい凹んでいるかも。
でも、今、なんて?手を出せるわけもないって言った?なんで?
「俺、やっぱり、凪の部屋で勉強はやめたほうがいいかな」
「ええ?そんなの嫌だよ。ドア開けておけば大丈夫だもん。ね?いつでも、私の部屋に来てよ、空君」
「………。やっぱ、俺の部屋の方が落ち着く」
そう言うと、空君は丸テーブルの前に胡坐をかいて座り、
「スイカ食べたら帰るね」
と言って、スイカを食べだした。
うそ。帰っちゃうの?まだまだいてほしかった。なんなら、泊まっていってくれてもよかったのに。
パパのバカ。アホ。おたんこなす!
スイカを食べ終わると、
「ご馳走様。凪はゆっくり食べていいよ」
と言って、空君は急いで1階に行ってしまった。
「空君、送るよ」
慌てて追いかけると、
「いいよ。大丈夫。お邪魔しました。ご馳走様でした!」
と、空君は、ママやパパにそう言って、さっさと家から出て行ってしまった。
「なんだ、空。いきなり帰っちゃったな」
「パパのせいだよ。パパがいきなり来たりするから!」
「何を言ってるんだ。あそこでパパが行かなかったら、あぶなかったろ?」
「まさか!空君が手を出すわけないじゃない。パパのバカ!」
私はそれだけ言うと、2階に駆け上がった。
今後、空君がうちに来てくれなくなったらどうしよう。二人きりで会うのもやめちゃったらどうするのよ。
パパのアホアホアホ!
ああ、空君。お願いだから、私のこと避けたりしないでね。
なんとなく、空君に避けられている茜ちゃんの気持ちが、しみじみとわかってしまった。
とても切なくて悲しい…かも。




