第26話 嫉妬
夕飯の準備が整った頃、パパが帰ってきた。
「凪~~~~~~~!!!!」
リビングに来るなり抱き着かれた。
「パパ、苦しいよ」
「ごめん」
と言いつつ、まだ抱き着いたままだ。
ところが、
「ぱ~~ぱ。ぱ~~ぱ」
と雪ちゃんがよちよちパパの足元まで歩いて行くと、
「雪ちゃん、ただいま~~~」
と、私のことはさっさと離して、雪ちゃんのことをパパは抱っこしてしまった。
やっぱり、雪ちゃんにはかなわないなあ。いや、いいけどさ。
「嬉しいでちゅね、雪ちゃん。お姉ちゃんがずっと家にいるんでちゅよ」
うっわ~~。思い切りの赤ちゃん言葉だよ、パパってば。
「すっとじゃなくて、8月中までね」
「ダメ。大学って夏休み長いんだよね?ずっといなさい」
パパは~~~。
「そうだよ、凪。大学始まるまでいろよ」
そう空君にまで言われ、
「うん。じゃあ、ぎりぎりまでいる」
と答えると、パパがぶつくさ言い出した。
「なんだよ、なんでそんなに態度が変わるんだよ、ちぇ~~」
あ~~あ。拗ねちゃった。パパは相変わらずだなあ。
「さあ、夕飯にしよう。聖君、手洗いとうがいしてきて」
「へ~~い!」
パパはママにそう言われると、雪ちゃんを碧に渡し、バスルームに駆けて行った。
久々の我が家での夕飯は賑やかだった。いつもアパートで一人で食べているからか、すごく賑やかな夕飯に感じる。
でも、いいなあ。あったかくって。やっぱり、我が家はいいなあ。
それに、空君がいるし!
ああ、空君がご飯食べてる。空君が笑ってる。空君が、お茶飲んでる。空君が…。
「凪!空のことばっかり見てないで、ちゃんと食べなさい」
パパに怒られた。
「い、いいじゃん。空君のこと見ていたって。日頃会いたくたって会えないんだから」
「ヒューヒュー、熱い熱い」
「碧、やめなさい。まったく、凪はなんだってそんなに空が好きなんだよ。ちぇ~~」
また、パパいじけてるし。
あ、空君は空君で、真っ赤になっちゃった。可愛いなあ。
賑やかな夕飯タイムが終わると、パパは雪ちゃんとシャワーを浴びに行った。
「ママ、雪ちゃんにパパ取られちゃって、寂しいでしょ」
キッチンで洗い物をしながらそう聞くと、ママは「そうねえ」と笑った。
「でも、聖君は今でも大事に思ってくれてるから」
「ママとパパもアツアツだね」
「凪と空君もでしょ?空君、ずっと凪が帰ってくるのを心待ちにしてたよ。くすくす。可愛かったなあ。うちに来るたび、もうすぐ帰ってきますねって言うんだもん」
「そ、そうなの?」
「受験もこの夏が正念場だから、凪、あんまり邪魔しないようにね」
「わかってるよ」
「大学入って、来年の春からは、空君も市内に行くんだもんね」
「そうだね。来年の春から…」
一緒に住むんだ。うわ~~~~~~~~~~~~~。ドキドキだ~~~~~~~~~!
「じゃ、俺、帰ります」
「え?」
洗い物を終えてリビングに行くと、空君が立ちながらそう言った。今の今まで、碧とテレビを観ていたって言うのに、なんで?
「もう帰っちゃうの?」
寂しいよ。まだまだ、話したりない。
「ごめんね。勉強しないとならないから」
「あ、そうだよね」
邪魔するところだった。さっき、ママに言われたばかりなのに。
「頑張ってね」
玄関まで見送りに行きそう言うと、空君はうんと可愛く頷いた。
「凪に会えたから、パワー出た。すごく癒されたし」
「癒されたくなったらいつでも呼んで!光エネルギー蓄えておくから」
「くす。うん」
可愛く笑うと空君は帰って行った。
あ~~~~~~~~~~~。空君のうちまでついて行きたかった。勉強に邪魔しないよう静かにしているから、そばにいたかったよ。
でも…、邪魔になるもんね。我慢だ。我慢!明日になったらまた会える!
そして、翌日、また私はまりんぶるーに手伝いに行った。今日は12時からホールに出た。11時から、茜ちゃんもバイトに来ていた。
「いらっしゃいませ!」
「茜ちゃん、いつものね」
どこの誰だか知らないけど、サーファーが2人やってきた。大学生くらいかなあ。茜ちゃんって呼んだりして、よく来るお客さんなんだろうなあ。
私がその人たちに水を持っていくと、
「あれ?新しいバイトの子?」
と、私に聞いてきた。
「いえ。新しいわけではなくって…」
返答に困っていると、
「凪ちゃんは、親戚の子なのよ」
と、春香さんがキッチンから答えてくれた。
「ふうん」
あ、このサーファー、私にはまったく興味ないみたい。隣のテーブルにコーヒーを持って行った茜ちゃんの方見ているし。
でも、興味持ってくれなくてありがたい。髭も生えてて、男っぽくて苦手なタイプだ。久々に、寒気がした。私、男の人がまだまだ苦手なんだなあ。
ランチのプレートは、茜ちゃんが運んだ。サーファー二人組は、鼻の下が伸びている。
「茜ちゃんも、サーフィンやらない?」
「私、サーフィンはちょっと…。泳ぐのは好きなんですけど」
「じゃ、今度海で泳ごうよ」
「え~~、でも、あんまり焼けちゃうのも嫌かなあ。すぐにそばかすできちゃうんですよ~」
茜ちゃんは、明るく笑顔でそう言って、しっかりとお誘いを断っている。うまいなあ。
「茜ちゃんが来てから、男性客が増えたのよ」
ぼそぼそっとくるみママが、耳元でそう言ってきた。
「そうなんだ。可愛いもんね、アイドルみたいだし」
「明るいし、すごくいい子よ。れいんどろっぷすみたいに、まりんぶるーも恋するカフェになったらいいのにねえ」
くるみママはそう言うと、ふふふと笑って洗い場に戻って行った。
え、茜ちゃんと誰が?あ、お客さんがってことか。びっくりした。茜ちゃん、空君目当てみたいだから、空君とくっついたらいいのにってことかと思っちゃった。
だけど、くるみママが言うように、茜ちゃんはいい子だ。いつでも笑顔で明るくって、くるみママや春香さんにも私にもにこやかに話しかける。
「お父さんも兄さんも、聖も気に入ってるわよ」
春香さんがそう教えてくれた。
「あの、まさか、空君も?」
「うん。この前、ブラックホールの話を空がしててね、それを真剣に聞いていたわ。空、マニアックな話をしていたのに、ちゃんと聞いてあげて偉いわよね~」
「空君、そんなに茜ちゃんと話をするんですか?」
「天文の話だけよ。茜ちゃんが、天文学興味あるって言ったら、空、スイッチ入っちゃって」
そうなんだ。空君までが、茜ちゃんを気に入っているんだ。興味ないとか言っていたくせに。
「碧は?」
「碧は、誰にでも同じ態度だから、普通に話してるわよ。面白いわよね、碧って」
「え?何が?」
「文江ちゃんとも、他の子とおんなじなの。でも、どうやら、二人きりになると変わるみたいなのよ。桃子ちゃんが言ってた」
へえ。知らなかった。私も文江ちゃんと二人きりの時の碧を見てみたい。
って、そんな呑気なことを言っている場合じゃないよ。
夕方になり、空君が塾から帰ってきた。
「お疲れ様です、空先輩」
あ、また先を越されてしまった。茜ちゃんは明るく空君をドアのところまで出迎えに行った。
「空先輩に借りた星の写真集、今日持ってきました」
「ああ、あれ…。どうだった?」
「すっごくすっごく素敵でした!私、感動しちゃった」
「いいよね、あれ」
うそ。空君、写真集、茜ちゃんに貸したんだ。
「凪ちゃん、茜ちゃん、もう上がっていいわよ。空も、凪ちゃんとリビングでおやつ食べたら?スコーンあるわよ」
「う~~~ん。スコーン以外は?ぱさぱさしないやつがいい」
「レアチーズケーキは?」
「あ、それがいい」
春香さんに空君がそう答えていると、茜ちゃんは空君のすぐ隣に立ち、
「空先輩って本当にレアチーズケーキ好きですよね」
と笑った。
違うもん。チーズケーキ全般が好きなんだよ。
「茜ちゃんも食べる?レアチーズ、空とリビングに行って食べていったら?」
「え?いいんですか?私がお邪魔しても…」
「いいわよ。空、茜ちゃんも連れて行ってあげて」
「うん」
うそ。なんで、春香さん!茜ちゃんまでリビングに行かせちゃうの?!
茜ちゃんは、すっごく嬉しそうにエプロンを取り、カバンを持って空君の隣に並んで廊下を歩き出した。
「わあい、嬉しいなあ」
本当に満面の笑顔で喜んでいる。
なんだか、嫌だなあ。とってもいい子だってわかったけど、やっぱり嫌だ。そして、嫉妬している自分が何より嫌…。
暗くなりながら、レアチーズ二つと、スコーンが一個乗ったお皿をトレイの上に乗せ、私はあとからリビングに行った。リビングからは、おじいちゃんと茜ちゃんの笑い声が聞こえている。
「お待たせ。飲み物は春香さんが持って来てくれるって。空君、冷たいウーロン茶でよかったよね」
「うん」
「茜ちゃんはアイスレモンティ?」
「はい。いつもそれなんです」
「そうなんだ」
明るいなあ。茜ちゃんの周りって、キラキラしている気がする。瞳も大きくて、その瞳もキラキラしてて…。思わず引き込まれるような瞳だよね。
「凪?」
テーブルの上にお皿を乗っけていると、ソファに座った空君が私の顔を覗き込んだ。
「え?」
「あ、ううん」
空君は私と目が合うと、すぐにソファの奥に座りなおした。私はトレイをテーブルの脇に置くと、空君の隣に座りに行った。
「……」
そんな私を、カーペットに正座している茜ちゃんが黙って見ている。
「あ、茜ちゃん、足、崩していいよ。正座、辛いでしょ?」
「あ、はい。ありがとうございます」
茜ちゃんは私の言葉ににこやかに答え、足を崩すと、おじいちゃんの隣に敷かれた赤ちゃん用布団を見た。そこには雪ちゃんが、くーすかと寝息を立てながら寝ている。
「雪ちゃん、寝てるんですね。起きていたら遊べたのになあ」
「そのうち起きると思うよ。もう、1時間昼寝しているから」
「今の時間にお昼寝じゃ、夜寝るのが遅くなっちゃうかな」
私がそう言うと、
「昨日、凪お姉ちゃんが帰ってきたから、嬉しくて寝れなかったんじゃないのかい?」
と、おじいちゃんは笑いながら、そんなことを言ってきた。
「こんなに可愛い妹、羨ましいです。それに、私、一人っ子だから兄弟がいるだけでも羨ましい」
「茜ちゃんは一人っ子かあ」
「そうなんです。母も仕事していて、家に帰っても一人なんですよ」
「それは寂しいね。じゃあ、バイト終わったら、いつでもここに来るといいよ」
え?
「わあ、本当に?嬉しいです」
おじいちゃんの言葉に茜ちゃんは、小躍りしそうなくらい喜んだ。
なんだか、どんどん茜ちゃんは、まりんぶるーになじんでいく。
モヤ…。あ、やばい。なんか、気分が落ちてるかも。
「凪?」
また、空君が私の顔を覗き込んだ。
「え?何?」
「もしかして、具合悪いの?」
「ううん。元気だよ」
「だったらいいけど…」
モヤってしたのがばれたかな。まさか、なんか変な黒い霧とか出していないよね。前にひいちゃんが出してたみたいな…。
でも、ここには霊なんかいないはずだし。
「凪、さっきから光が出てないね」
そっと耳元で空君がそう囁いた。
「え?」
そうか。空君といると、いつも光全開だから、それで心配したのか。
「……」
さすがに茜ちゃんがいるのに、茜ちゃんに嫉妬しているの…なんて今言えないしなあ。
「大丈夫、元気だから」
そう言って私は笑った。空君は、そんな私を見て、
「……やっぱ、変」
とぼそっと呟いた。
作り笑いがばれたのかな。空君、そういうところ、鋭いからなあ。
ふと視線を感じて振り向くと、茜ちゃんがこっちを見ていた。そして、
「やっぱり、親戚だと仲がいいんですね」
と、首を傾げてにっこりと微笑んだ。
あれ?
茜ちゃんは私と空君が付き合っているって、やっぱり、知らないんだな。
「あの、あのね」
私は、空君と付き合ているの…と言おうとした。でも、その前に、
「空と凪は赤ん坊の頃から仲がいいんだよ」
と、おじいちゃんが茜ちゃんに話してしまった。
「いいなあ。私、親戚も遠くに住んでいるから、そうそう会えなくて」
「どこに住んでいるんだい?」
「東京です。うちの父が長男だから、伊豆に残ってるんです。でも、もうおじいちゃんもおばあちゃんも亡くなって…。私が小学生の時になんですけど」
「それじゃ、寂しいねえ」
おじいちゃんは、また茜ちゃんに、いつでもおいでねと微笑みかけた。茜ちゃんは「はい」と元気に答えた。
モヤ…。あ、いけない。また、モヤっとしちゃった。
「そうだ!写真集、返しますね」
鞄から写真集を取り出し、茜ちゃんは立ち上がると、テーブルをクルッと周り、私とは反対側の空君の隣にしゃがみこみ、
「特にこの写真が気に入ってて」
と、空君に写真集を広げて見せた。
「ああ、俺もその写真好き」
空君は、その写真を見ながらそう答えた。
「空先輩、他にも星の写真集ありますか?」
「家にはないよ。あとは、天文学部に置いてある」
「そっか。私も天文学部入りたかったな。でも、定員オーバーしてて、今入れないんですよね」
「うん」
「ああ、残念」
「そんなに天文に興味あるの?」
「はい!」
「じゃあ、マニアックな本でよければあるけど」
「見たいです。それ、今度見せてください。あ、今度空先輩の家に行ってもいいですか?」
え?!
「ああ、えっと。うん」
空君、なんで断らないの?
モヤ。モヤモヤモヤ。さらに、モヤモヤが増してしまった。
ふっと、空君がこっちを見た。そして私の顔を見ると、
「凪?眉間に皺…」
と呟いた。
私は慌てて眉間を隠した。でも、それを見たおじいちゃんが、あははと笑った。
おじいちゃんには、どうやら私が嫉妬しているのがわかったらしい。
だけど、空君はわかっていないみたいだった。




