第21話 空君が来る
私では、ひいちゃんを助けることはできないのかもしれない。
じゃあ、どうしたらいいの?
泣いているひいちゃんを見ながら、私はただ呆然とした。そして、自分の体がものすごく冷たくなっていることに気が付いた。
いけない。憑りつかれる。
「ひ、ひいちゃん。ごめんね。また来るからね」
ひいちゃんと向き合うって決めたのに。結局何もできず、逃げ出すなんて…。
自分が情けなくなりながら、私は自分のアパートに帰った。
がっくり力尽きて、そのままばったりと寝てしまった。そして気が付くと、なぜか目の前に空君がいた。
ああ、これ、夢…。
「凪。鍵、開けっ放しだった」
「え?」
「大丈夫?かなり、やばいね」
「空君…?私、空君の魂、見えるようになったのかな」
「幽体離脱じゃなくって、本体が来てるんだけど」
そう言うと、空君は私をギュって抱きしめた。
「体、冷え過ぎ…。この部屋自体がやばいよ」
空君に抱きしめられているのに、なんであったまんないの?やっぱり夢かな。
「凪」
ギュウ。もっと空君が力を入れて抱きしめてきた。あ、空君の匂い。
「空君」
ギュ。私も空君を抱きしめ返した。
「空君だ…」
本当だ。空君、本体だ!
ぱあっと部屋全体が明るくなった。さっきまで暗くて、もう夕方なのかと思っていた。
「空君、なんでいるの?塾は?」
空君に抱き着きながらそう聞いた。
「さぼった」
「さぼった?ダメだよ。空君、大事な時期なのに」
「俺はへーき」
「平気じゃないよ」
「凪の方が平気じゃない」
「……ごめん」
「凪?なんで謝るの?」
空君は体を離して、私の顔を覗き込んだ。
「空君にいつも迷惑かけてる。ごめんね」
「やっぱり。凪、変だよ。何で俺に遠慮すんの?」
「だって、空君に頼ってばかりじゃダメだって思って。一人でももっと強くならないと」
「凪。俺に頼っていい。全然、頼っていい」
ギュ。また、空君が抱きしめてきた。
安心する。やっぱり、空君がいてくれると、一気に安心できる。
「空君…。ひいちゃんが、変なの」
「うん。ばあちゃんに聞いた」
「え?」
「ばあちゃんじゃ、手に負えないくらいだって言ってた。凪ちゃんが無理しているようだから、空が助けてあげてって」
おばあちゃんが?なんで?
「それだけ、やばいってことだよね?」
空君は真剣な目をしてそう言ってきた。
「私?」
「ひいちゃんだよ。凪でも、ばあちゃんでも手に負えないんだよね?」
「…」
そうか。ひいちゃんのことか。
「うん」
私が頷くと、空君は立ち上がり、
「寮にいるんだっけ?俺、入れないかな」
と私に聞いてきた。
「男子禁制だから」
「じゃあ、なんとか呼び出せない?俺、会うから」
「空君が?」
モヤモヤ。ああ、私の方が嫉妬しそうだ。だって、空君をちょうだいって言われたばかり。でも、あのひいちゃんは、きっとおかしくなっちゃっている。本心じゃないかもしれない。
「わ、わかった。寮に行こう。なんとか、部屋から連れ出してみる」
私は空君とまた、寮に向かった。空君は、ずっと私の手を握っている。
「空君」
「ん?」
「ううん」
空君がいなくても強くなるって決めたのにな。
「サーフィンは?」
「行ったよ。でも、父さんに心ここにあらずだなって言われて…。そういう時は怪我するから、やめたほうがいいって途中で帰された」
「え?そうだったの?空君も何かあったの?」
「凪がいきなり俺から離れようとしたから、すごく気になって…」
私のせい?
「私、空君から離れようとしたんじゃなくて」
「……凪、凪はいつでも素直で、想ったままに行動してくれた。それだから、俺も安心できた」
「……」
「遠慮とかいらない。本心のままでいてくれたほうが、ずっと俺は嬉しい」
空君。
う…。涙出てきた。
「で、でもね。この先も、空君とずうっと一緒にいられないかもしれないし」
「いるよ。なんで、離れなきゃならないの?」
空君が立ち止り、私の手をギュッと握った。
「それは…」
「なんで凪は、そんなことを突然考え出したりしたの?俺が原因?」
「ううん、違うの。かっちゃんに言われて」
「かっちゃん?隣に住んでいるやつ?」
「私、空君がいないと何もできないのかなって、そう思って」
「…なんて言われた?」
「だから、この先、空君と離れたら…」
「離れないって!」
空君は道の真ん中、それも大学近いのに、私の手を両手で握りしめ、私の顔を真剣に見つめている。
「あ。うそ」
今の声、ツッチーの声に似てた。まさか。
そっと声のする方を見た。やっぱり、ツッチー。
「やっぱり、凪ちゃんだ…」
「……」
見られちゃった。
空君もツッチーを見た。そして、私の手を離した。
「大学の友達?」
「うん。同じサークル」
空君とこそこそ話していると、ツッチーが私のそばまで来て、
「もしや、彼氏君?」
と私に聞いてきた。
「う、うん」
「へ~~。かっこいい彼氏君だ。こりゃ、かっちゃん、適わないね」
ギョ!何を言い出すんだ。そんなこと言ったら空君が…。
「かっちゃん?」
あ、空君の片眉がぴくっと動いた。
私は慌てて、話を切り替えた。
「ツッチー、なんでここにいるの?大学で何かあった?」
「私、寮に住んでいるんだもん。今から駅のカフェで友達と会うの」
「あ、そうなんだ。寮…。あれ?女子寮?」
「ううん。違うよ。女子寮って暗いし、ジメッとしているからやめたの」
「え?」
「あそこも見学に行ったけど、なんか感じたんだよね」
「霊感強いの?」
「うん。ちょっとね。あ、じゃあ、私、約束の時間あるから。彼氏君もバイバイ」
そう言ってツッチーは、走って行ってしまった。
「かっちゃんが、なんだって?」
ドキ。空君、耳元で聞いてきた。
「なんでもないの。寮に急ごうよ、空君」
「……。かっちゃんって、バイト先も一緒なんだよね?」
「うん」
「確か、サークルも」
「う、うん」
「もしかして、凪に言い寄っていたり?」
「してないよ。単なる友達だから」
「…友達?」
「うん。かっちゃんって、女友達多いんだよ。気さくで話やすいから」
「…凪、男苦手なのに」
「あ、そうなんだけど。かっちゃんって、そんなに男、男していないから、大丈夫みたい」
「……」
空君、横顔がムッとしてる。
「空君、ここなの。女子寮…」
「ここ?」
寮の前で空君は立ち止まり、
「ああ。本当だ。ここ、変な空気してるね」
と呟いた。
「そうなの?」
「鬼門…みたいな?」
「何それ」
「凪のアパートも、霊が集まりやすい場だったけど、ここもだよ」
「そういう方角?」
「うん。俺、どこで待っていようか」
「ここで待っていたら、ちょっと危ない人だよね」
「女子寮の前じゃね…」
「大学の中で待ってる?1号館の入ってすぐのところに、カフェがあるの」
「今日、休みでしょ?入れる?」
「うん。サークルがあるところもあるし、寮にいる子はたまに土日も大学のカフェ行ったりしてるみたい。入ったらすぐにわかるよ」
「うん。じゃ、そこにいる」
空君はそう言って、来た道を戻って行った。
「ふう」
息を吐き、私は一人でまた寮に入った。廊下を歩くとまた、体が冷えてきた。
ええい。走って2階まで行こう。と、霊を振り切るように階段を駆け昇った。そして、その勢いでひいちゃんの部屋まで行き、ドアをノックするとともにバタンと開けた。
「ひいちゃん!!!」
「凪ちゃん?」
ひいちゃんは、机に向かい、何かをしていた。どうやらパソコンをいじっているみたいだ。
「あのね、今、空君が来てるの」
「え?」
「大学構内のカフェにいる。とにかく、一緒に来て」
「な、なんで、空君がいるの?」
「ひいちゃんが心配で来ているんだよ。ほら、行こう」
私はひいちゃんの腕を引っ張り、椅子から立ち上がらせた。その時、パソコンの画面を見ると、なんだか暗い、陰湿な感じのサイトを開いているのがわかった。
なんだろう。その画面からも、モヤモヤと黒い霧みたいなのが出ている。
「こんなの見ちゃダメだよ」
そう言って私は、勝手にパソコンの画面を閉じた。
「あ!」
ひいちゃんが一瞬声を上げたが、そんなのかまわず、私はひいちゃんを連れて部屋を出た。
「空君が、私を本当に心配しているの?」
「うん」
「本当に空君が、伊豆から来ているの?」
「そう。塾もさぼって」
「私に会いに?」
「そう」
暗く俯いているひいちゃんが、にやっと笑った。その微笑は、かなり不気味…。
「ひいちゃん、なんのサイト見てたの?」
「別に。何も見てないよ」
そう言いながら、ひいちゃんは歩く速度が増している。空君に早く会いたいのかもしれない。
いいのかな、空君に会わせて。そんな疑問がふと浮かんだ。今も、ひいちゃんの隣にいると、冷気を感じるし、頭まで痛くなってくる。
空君に会えば、この冷気も消えるかな。
ひいちゃんと大学構内のカフェに入った。その時には、頭痛がもっとひどくなっていた。
「空君」
私より先に、ひいちゃんが空君を見つけて呼んだ。
「あ…」
空君は、窓際の席にぽつんと座り、コーヒーを飲んでいた。
「空君」
わあ。ひいちゃんが空君に駆け寄った。
待って。空君に引っ付かないで!心の中でそう叫ぶと、背筋に冷たいものが張り付いてきた。
ゾクゾク。
「空君」
私の足が凍り付いて動けなくなった。その間にひいちゃんは、空君に抱き着いてしまった。
やめて!
なんだか、声も出ない。どうして?
ギュウっとひいちゃんは空君に抱き着いている。空君は、なぜか抱き着かれたままになっている。
どうして?
「凪に危害を加えるな」
え?
空君は離れたところから、それもひいちゃんに抱き着かれたままそう私に向かって叫んだ。カフェにいる人が、いっせいに空君を見ている。
「凪は見えないし、聞こえない。俺だったら、聞こえる。話もできる。だから、憑りつくなら俺にしろよ」
え?何言ってるの?空君。




