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第1話 卒業

 その日は朝から雨だった。寒くて、体育館の中は冷えていた。そんな中、パパとママは私の卒業式に来てくれた。

 在校生は、代表者しか来ていない。碧は家で、文江ちゃんと雪の面倒を見ている。そして、空君も家にいる。


 とうとう、私は卒業して、来月から静岡市内に行く。大学に合格し、喜び半分、空君から離れるという寂しさ半分、とっても複雑な気持ちだ。


 天文学部は8月の星の観察の日で、引退した。次期部長は空君…と思っていたが断られ、サチさんが部長になった。サチさんは、人前で話をするのも上手だし、まとめる力もあるのでいいかもしれない。


 空君は天文学に興味を持ったので、部活動にはずっと参加すると言っていた。でも、正直私がいなくなった部も学校も、寂しくてしょうがないよ…と昨夜家に来た時に言っていた。


「残される者のほうが、寂しいもんだよね」

 ぽつりとママがそう言った。

「でも、ママとパパはもともと違う学校だったんだよね」

「そうだよ。聖君が受験の時は、2週間に一回しか会わなかったし」


「そっか。私と空君も、そんな感じになるのかな」

「今までが贅沢だったんだ。毎日会っていたんだから。まあ、2時間で会えちゃうなんて、遠恋のうちにも入らないよ。どうせ、凪、家にもしょっちゅう帰ってくるんだろ?」

 そう言ったのは碧だ。何が贅沢だ。碧だって、毎日のように文江ちゃんと会っているじゃないよ。


「そっか。碧も、先に文江ちゃんが卒業だもんね。そうしたら、今の私の気持ちもわかるかもね」

 私はそう碧に言い返した。だが、

「文江ちゃん、卒業したら就職だって。それも地元で。だから、まだ一緒にいられるも~~ん」

と言われてしまった。


「だけど、碧が卒業したら、碧、大学行くでしょ?4年間遠恋するんじゃない」

「あ!」

 ママの言葉に碧が固まった。ふんだ。ざまあみろ。


 なんて会話を我が家のリビングで、昨夜繰り広げた。パパはまだ仕事から戻ってきていなかった。1歳になった雪は、伝い歩きをできるようになっていて、テーブルの端から端まで器用にちょこちょこと掴まりながら移動していた。


 そんな雪は、あまり泣かない、とってもいい子に育っている。でも、かなりのおてんばで、気が付くととんでもないところに登っているので、目を離せなくなっていた。だが、不思議なことに怪我をしたことがない。とにかく、めちゃくちゃ運動神経がいいらしく、転倒の仕方も上手みたいだ。たとえ、転んだとしても泣かないし、すぐに起き上がって、またちょこちょこと動き出す。


 それに、いつもみんなの輪の中で、にこにこしている。雪がいると、その場の雰囲気が一気に和らぐ。そういうところは、凪そっくりだとパパもママも、それに空君も言っている。


「あ~~~お」

 雪が碧を呼んだ。碧はデレデレになりながら、

「なに?雪」

と答え、雪を自分の膝の上に乗せる。


 雪が最初に話した言葉は、「マンマ」だった。最初、ママと言っているのかと勘違いしたママは、大喜びをしたが、ご飯が出てくると「マンマ」と言っていたので、ご飯のことを言っているのだと、ママはがっかりしていた。


 次に覚えた言葉は、「パパ」だった。パパは大喜びをしたが、雪は誰を見ても「パパ!」と叫んでいたので、これも、パパを理解していたわけじゃないとわかり、パパはがっかりした。


 その次は、しっかりと碧を見て「あ~お」と言うようになった。それから私を見て、「な~」と言う。他の人にはそう呼ばないので、これはちゃんと名前を理解して言っているのだとわかり、私も碧も大喜びをした。


 その後、ママとパパのことは、「パパ!」と叫ぶので、いまだに覚えていないらしく、特にパパは複雑な顔をしている。なにしろ、空君にも、爽太パパにも、くるみママにも、春香さんにも、「パパ!」と叫ぶ。


 雪は碧が大好きで、碧の膝の上に座るだけですごく喜んできゃっきゃとはしゃぐ。

 きっと、私がこの家を出て行っても、雪がいるからこの家は賑やかだろうし、ほんわりと癒される場所になるだろう。


 と思う。多分、ママも碧も雪の世話で忙しいだろうし。ただ、パパがまた、雪から私にべったりになってしまっている。


「凪~~~~。凪~~~~~~」

 昨夜、仕事から帰ってきて、食事を終えたパパは私の部屋に来た。

「何?パパ」

「凪~~~。凪が大学行くまで、一緒に寝ようかな」


 はあ!?何を言い出したんだ。

「寂しいよ、凪~~~」

 あ。酒臭い。さては、食後にビールを飲んで酔っ払っているな。酔っぱらうと、いつもの倍、甘えん坊になるからなあ。


「パパには雪もママもいるでしょ?パパが私の部屋で寝ると、ママが寂しがるよ」

「くすん。凪はパパから離れるのが、寂しくないんだ」

 あ、拗ねた。まったく、今年いくつになるんだっけ?この人は。


「どうせ、空から離れることだけが寂しいんだろ?凪はさ」

 ギク。当たっている。

「でも、空とはさあ、これから先もずうっと一緒にいるんじゃんか」

「パパだって、ママとずうっと一緒にいるでしょ?それに、雪だって、高校卒業までこの家にいるとなると、あと何年?17年くらいいる?」


「そっかあ。そうだよねえ。その頃には凪、結婚して子供もいるかな」

「…そうかもね」

「その頃には、この近くに住んでいるよね!?」

「ど、どうかな?」


「え~~~~!!!!伊豆から離れていくなんてこと言うなよ。あ、そうか。空を水族館と研究所に縛り付けたらいいんだ」

 ひどいなあ。

 だけど、空君は、パパのいる研究所で働くのを希望しているし。だから、やっぱりずっと伊豆にいると思うなあ。



 そして今日、卒業式。ママとパパは目を真っ赤にしていた。

 私は、涙が出なかった。多分、家から市内に引っ越す日、泣くかもしれないなあ。


 ああ。1年、遠恋だ。

 ああ、1年、遠恋だ。

 ああ、1年…。卒業式の間、そればかりが頭に浮かんだ。空君と1年、離れるんだ。悲しい。

 う…。そう思うと、涙が出そうだ。


 くるくると首を振り、千鶴と一緒に学校を出た。ママとパパはさきに家に帰っていた。


「3年間、短かったね、凪」

「そうだね。千鶴…」

 千鶴は、東京の専門学校に行く。2年したら戻ってくるの?と聞いたら、そのまま、東京で働くと言っていた。


「千鶴とも会えなくなっちゃうね」

「そんなことないよ。東京なんてすぐだよ?」

「小河さんとはどうなった?」

 実はすっごく気になりながらも、聞けずにいた。


「小河さんとも、遠恋…。だけど、多分、ダメなんじゃないかな」

「え?」

「だって、小河さん、正社員にこの4月からなるし…。伊豆から離れるつもりはないみたいだから」

「…そっか」


 千鶴は、小河さんより東京を選んじゃったのか。

 

 千鶴は、早々と東京に行くらしい。もう、春休み中に引っ越して、向こうでアルバイトをすると言っている。

「寂しくなっちゃうね」

 そう私がぽつりと言うと、

「暗くならないでよ、凪」

と、千鶴に背中をバチンと叩かれた。


 そうだね。暗くなってもしょうがない。

「明日は、天文学部で送別会をしてくれるし、笑ってみんなとバイバイしたいんだ」

 千鶴はそう言ってにっこりと笑った。

「うん、そうだね」


 家に帰ると、空君が遊びに来ていた。

「卒業おめでとう、凪」

 空君は、私の顔を見るとにっこりと微笑み、そう言ってくれた。


「あ、ありがと」

 複雑。空君の顔を見ただけで胸が痛む。

「明日はまりんぶるー貸切って、天文学部の送別会だね」

「うん」


 パパは卒業式が済んで、ママを車で家まで送った後、また水族館に行ったようだ。何やら最近パパは忙しい。どうやら、水族館でのパパのポジションが変わったらしく、前より仕事が忙しくなってしまったようだ。


「研究所にいられる時間も少なくなっちゃった。早くに空、うちの研究所来て。俺のサポートしてよ」

 そんなことを、この前空君に言っていたしなあ。


 空君は相変わらず、よくうちに遊びに来る。そして、碧と雪を取り合っている。

 それに、いまだに空君は私の部屋にはなかなか入ろうとしない。二人きりになっても、なんだか照れあってしまい、私も空君もぎこちなくなってしまう。


 まったく進展のしない私と空君を見て、千鶴は不思議がっていた。でも、しょうがないじゃないか。空君のことを男として意識して以来、近づくのもドキドキしちゃうんだから。それは空君も同じで、私を女と意識しているから、なかなかそばに寄れないでいるみたいだ。


 キスはする。時々、ディープって言われるキスも。でも、それだけでも、私と空君はドキドキして、そのあと、お互い目を合わすこともできなくなる。それに、二人きりになる機会も少ないので、そんなキスは本当にごくたまにだけだ。


 デートらしいデートはしていない。私が受験だったこともあり、塾の行き帰りとか、学校の行き帰りだけだ。でも、よく私の家に空君が来るので、しょっちゅう顔は合せていた。


 そんな感じで、空君と私の間の距離は、まったく縮まっていなかった。


 だけど、遠距離恋愛になったらわからない。私は一人でアパート暮らしをするし、そこに空君が訪ねてきたら、二人きりに絶対になるわけだし。


 あれ?でも、外でデートをするだけだったら、何も起きないってことか。

 …そっか。


 はあ。遠恋か…。寂しいなあ…。



 翌日、まりんぶるーでの送別会は賑やかだった。わいわいと騒いでいると、

「あれ?」

と、文江ちゃんが、家の中へとつながるほうを向き、そのあとにっこりと誰もいないのに微笑んだ。


「空君、おばあちゃん来てるよ」

 文江ちゃんはこそこそと空君にそう告げた。すると空君も、誰もいないほうを向き、

「どうした?おばあちゃん。あ、うるさかった?」

と、小声で話し出した。


「…そっか。いいよ、もっとこっちに来ていたら?」

 空君はそう言って、小さく手招きをした。

「おばあちゃん?」

 私もこそこそとそう空君に聞いた。

「うん。賑やかだから、楽しそうだなって思って来てみたらしい」


 空君はそう言うと、私のすぐ隣を見てにこっと微笑んだ。あ、私の隣、あったかい。きっと、おばあちゃんがいるんだな。


 時々、まりんぶるーのお店にもおばあちゃんは現れるらしい。ほとんどが、おじいちゃんと一緒にリビングにいるが、おじいちゃんがいない時には、お店に顔を出す。


「おじいちゃん、今、どこにいるの?」

 私が私の隣を見ながらそう聞くと、ちょっとの間を置き、

「水族館に行ってるんだって」

と空君が答えた。


「おばあちゃんが死んじゃってから、おじいちゃん、しばらくリビングから出てこなくなったじゃん。このままだと体弱っちゃうし、おばあちゃんが、おじいちゃんにもっと外に行くようにしろって、喝を入れたらしいよ」

 空君はそう言ってから、また誰もいないところを見た。そして、あははとなぜか笑った。


 いいなあ。空君はいまだにおばあちゃんと、会話ができるんだもん。私は、静岡市内に行っちゃったら、なかなかおばあちゃんとも会えなくなっちゃうんだろうなあ。


 なんだか、だんだんと、大学に行くのが憂鬱になってきちゃった。それも、むさくるしい男ばっかりだったらどうしよう。


 それでも、刻一刻と、市内のアパートに行く日が近づいてきた。引っ越しの準備をしながら、私もブルーになっていたが、もっとブルーになっていたのは、パパと空君だった。


「引っ越しの日は、パパ、仕事だからな。碧に手伝ってもらえよ」

 ため息交じりにパパがそう言った。

「うん。大丈夫。そんなに荷物もないし」

 家電や机、食器なんかも買い揃えたし、服と勉強道具を持って行くくらいだから、そんなに荷物はない。


「2DKのアパートだっけ?随分と贅沢だよなあ」

 碧がぽつりとそう言った。

 6畳の洋間と和室、それから6畳のダイニングキッチンがついているアパートだ。


「1年後はそこに空も住むんだろうから、そのくらい広くないとな?」

 パパがそう沈んだ顔をして言った。

「え?そうなの?知らなかった」

 碧がびっくりして、目を丸くしたまま空君のほうを見た。空君は、顔を赤らめている。


「1年間、心配だけど、まあ、俺や空がちょくちょく見に行くとして、1年後は空が凪と一緒に住んでくれたら、安心だからな~」

「安心?なんで?」

 パパの言葉に碧は不思議がった。


「女の子の一人暮らしは危険がつきものだろ?俺か空の下着を干したり、男性と一緒に住んでいるっていう感じを出しておかないと、誰かに狙われても大変だし」

「じゃあ、俺もたまには泊りに行ってやるよ」

 そう碧は生意気な口調で私に言ってきた。



 和室は寝室に、洋室は私と空君の勉強部屋にしようと考えている。和室に布団を敷いて寝ることにしたら、昼間はそこがリビング代わりにもなるし。

 なんて、そんなことを考えていると、ドキドキしてくる。だって、1年後は空君と一緒に住むことになるってことは、そりゃもう、やっぱり、一線を越えちゃうってことになるわけで…。


 いや。それだけじゃいよね。一緒に住むってことは、夜も朝もずっと一緒なんだよね。

 わあ。どうしよう。嬉しすぎる。


 …。でも、それ、1年後の話だった。そうだった。1年間は、遠恋だったっけ。

 ガク…。


 夕飯が終わると、空君が私の部屋に来た。そしてベッドに腰掛け、空君はため息をついた。

「1年後、俺も絶対に行く。行くけど…。はあ…。1年は長いよなあ」

 空君、暗い。


「会いに来てくれるんだよね?」

「もちろん」

「私もこっちにちょくちょく戻ってくるね」

「うん」


「魂も飛ばしてくれるよね」

「うん」

「でも、やっぱり、本体が来てほしいよ」

「本体?」


「体ごと来てほしい」

「うん」

 ……。しばらく二人で俯いて、黙り込んだ。


 そっと空君が私の手を握った。

「凪…」

「え?」

「やっぱり、1年は長すぎるよ」


 空君。そんな切なそうな顔をしないで。私まで胸が痛むよ。


 ギュ。空君を抱きしめた。空君はしばらく固まったまま動かなかった。でも、

「凪…。胸…」

と、耳を赤くしてそう呟いた。


「うん」

 そっと空君から離れた。でもまだ、ぬくもりを感じていたかった。


「俺、きっとしばらくの間、学校で凪、探すんだろうなあ」

 ぽつりと言った空君の言葉が、私の胸に突き刺さった。

 そうだよね。残された方がきっと、寂しいよね。


「空君、しょっちゅう会いに来るね。だから、空君も来てね」

「うん」

「魂も飛ばしてね」

「うん」


「でも、やっぱり、空君本体に会いたいから、来てね」

「うん」

 その日の会話は、この繰り返し。エンドレスで何分も続いていた。



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