プロローグ
『 巨大樹で待つ 』
天使の梯子と俗にいわれる、雲蓋の隙間から森へ差す金の装飾によってーーーーまるで、お伽話の導入に差し込まれるかのような、幻想的な早朝が演出される。
陽光は森に侵入してから放射状に袂を分かち、その分け身の一つがあらかじめ定めていたかのように、巨木の近くに立てられた木箱へと穏やかな視線を注ぐ。
一見すると秘められし宝箱とも映るそのポストには、手紙が一通だけ投函されており、それは音もなく突然と、ウチの家に届けられていた。
厚さミリ単位の手紙の中に封入されているのは、印字機で書いたと目される、だいぶ淡白で物寂しい前述が綴られた、残り香である。
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巨木の高い位置にくり抜かれた、カーテンの無い寝室の楕円窓に差し込んだ微かな薄明かりを感じ、ウチは寝ぼけ眼を擦りながら半覚醒する。
中々絶えないあくびを噛み殺しつつ、それでも忘れることはない、一時を境に”習慣”と化している郵便受けチェックをするために、肌寒さを眠気覚ましに利用しがてら外に出て……結果、ソレは必要なかったと言わんばかりにポストの中身は、ウチの頭に巣食うモヤを一気に晴らしていった。
ウチがーー今しがた鍋で温め終えた、もくもくと踊るように湯気を立ち昇らせているホットミルク入りのマグカップを持って、ちょっぴりひんやりとした木床を裸足でひっつくよう歩きながら、リビング中央にある木製の丸いテーブルへと運んでいく。
静寂にコトンと落ちた、どこか心地のいい陶器の重さが奏でる音の隣にはすでに、半熟のベーコンエッグが乗るトーストや瑞々しいサラダ、まだ全然余裕で温かさを感じるコーンスープなどが準備完了をしていた。
ギギと少し鈍い音とともに椅子を引きながら、そこに敷かれた緑色の低反発クッションの座面に足を組むようにしてようやくと座り、一息ついてから丁寧に両の手を合わす。
「ーーいただきます」
腹の空腹音に急かされるウチがさっそく手を伸ばしたのは、花咲くように色鮮やかなサラダーーではなく、まだ熱に満ちたあちちなトースト。
朝は規則正しくちゃんと腹ペコなウチは辛抱ができず、熱さなど気にも留めない様子でトーストにかぶりつく。ソレを可能に出来ている自身の手の皮の厚さに感謝をしながら、寝起きとは思えない豪快なーーおよそ四分割もないであろう、お世辞にも上品とはいえない大きな一口をもって、分を待たず秒単位で置かれていたお皿の花柄模様がまるっと顔を見せる。
次の視界に入ったサラダは呆気なく消え、その次に手をつけたコーンスープに至っても、猫舌ではないウチが先程と同様に熱さなど意に介さず、スプーンで数回掬ったのち、人よりもだいぶ早いであろう段階でカップに口をつけて、早々に中身を空にした。
そこから、ウチが軽い一息を挟んだかと思えばーーまたすぐに、出来上がり新参であるミルクが入った赤いマグカップに手を伸ばして、熱々のミルクをこれまた難なくと平気な顔で胃に流し込み、ものの数分ほどで全てを平らげ終えるのであった。
「ふぅ、ごちそうさまでした」
最後に両手を合わせてようやく、ウチが落ち着いた素振りをみせる。
……もうここまでで、充分お分かりになったことであろう。ウチという人間は、淑女なんて言葉とは、無縁かつ対極に位置しているのである。ーー”色気より食い気”を座右の銘なんかに据えちゃっている時点で、その人間性はお察しではあるけれど。
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空腹を埋める熾烈な争い(過言)のあと片付けを一通り済ませたウチは、再び同じテーブルについていた。ーー今朝に届いていた、”例の手紙”を見ているのである。
ウチはそよ風にすらならない小さい息を吐きながら、まるで距離が空いたかのようなほぼ余白のその便箋をテーブルに置く。そして、そこに書かれているあまりにも質素なその一文を……どこか、憂いを帯びたような面持ちで横一線にそっと、おぼつかない指取りで辿るように触れた。
手紙は封筒含め、”巨大樹で待つ”と書かれた文言と他は、宛先であるウチの名前だけが書かれている。……そう、肝心の”差出人”の名前はどこにも書かれていないのだ。
と、言ったものの。誰からの差出なのか、ほぼほぼ見当はついているんだけどね。
差出人は十中八九、”若旅言葉”ーーーーつまりウチ、若旅千遥の姉である。
なぜそう言えるのか、という疑問に対する回答は至ってシンプル。なぜならば、封筒に押されている”枝葉を渡る船”の印が、お姉ちゃんオリジナルのモノだからである。
ちなみに、お姉ちゃんが手紙を送ってくるのは今回が初めてではなく、ウチはもうすでに何度も、この印が押されたお姉ちゃんからの手紙をたびたび受け取っている。前回は、半年ほど前だったか。
手紙が送られてくる期間に関しては特に定まっておらず、いつも突然に手紙は送られてくる。
ウチはそんなーーーー次送られてくるかすらわからない手紙をずっと、心待ちにしていた。
話は変わるが、お姉ちゃんが送ってきてくれる手紙にはいつも、『化粧花の種子』が同封されて送られてくる(今回はないみたいだけど)。
そもそも、”化粧花”って何? という方もいるかもしれないので、ウチが念の為ここで説明をしておこう。おさらいとして聞いてくれる方ももちろん大歓迎だ。
ーー化粧花とは端的に言えば、”人間が咲かせるお花”のことである。
化粧花の種類は多種多様で、人によってその性質は異なる。例を挙げるなら、自身の外傷を治したり、気持ちを華やかにリラックスさせたりする効果の化粧花もあれば、化粧花を咲かせる本人にも害が及んでしまう危険なモノもあったりする。
ウチたちが生きていくなかで切っても切り離せない、良くも悪くも人生を左右するそんな化粧花であるが、基本的に化粧花というモノは、この世界が人間に与えた『恩寵』というのが世間一般での認識だ。
化粧花もといそれの種子は、人間がこの世界に産まれたその時から、皆例外なく種子を体内に宿している。因るところいえば先天的な存在であるからして、恩寵なんて言われ方をされているのだ。
ここまで聞こえが良いと、多少の怖い側面はあれど、とりあえず化粧花っていいモノなんだなー……なんて漠然とした考えになるかもしれないが、感想を出すのはまだ待ってほしい。
支えあうべき人の世に巣食う、獅子身中の謀りから自分の身を守るためにも、化粧花についてはもっとしっかりとした説明をしておきたい。
まずはじめに勘違いしないでほしいのだが、化粧花がいいモノであるという感想そのものを、ウチは決して否定したいわけではない。
化粧花がーー前述したプラスの魅力に加えて、生活基盤を支える上で欠かせない必需的要素になっている実状からも、化粧花が人の世にもたらしている恩恵は窺い知れるだろう。
とはいえ。先ほども述べたように、化粧花は一概に楽観視していい概念とは呼べない。
一見すると、平穏無事そうな類の能力に見えても、自身の持つ化粧花について、ほんの少しばかりでも”知る”という行為を怠れば、いざという時に自分だけではなく、周りにも危害を及ぼしかねないのである。熟知してまでとは言わないが、己が持つ化粧花の”牙”となる部分は最低限知っておいてほしいところだ。
……さて、説明が長くなり過ぎてもいけない。次で一旦の区切りとしておこうと思う。
脅かしたいわけではないが……化粧花には他にも危険な、問題となっている事柄があったりする。
それはーーーー化粧花を、後天的に人間へ与えることもまた、出来てしまったりするという事。
どこの大陸においても禁令とされているその行為であるが、もし仮にもあなたが前記に及んでしまった場合、どうなるかというと……問答無用で檻の内側に放り込まれることになるーー内容によっては、”一生”という注釈を付け加えて。つまりはそれくらい、重い行為なのである。
化粧花が絡んだ厄介事という点に関連して挙げると、先も述べたよう、化粧花の種子は基本的に、人間の体内に宿っているものなのだが……稀に、化粧花の種子が人間以外のモノに宿り、問題を引き起こしてしまうケースがあったりする。
おそらくという注釈は付いてしまうが、お姉ちゃんはそういったモノから回収したのをプレゼントとして、過去何度もウチに送ってくれていたのであろう。どうして種子が、ウチにとってプレゼントになるのかは……また、追々わかると思う。
「さて、と」
壁に掛けてあるお花を模した振り子時計に目を遣ったウチがはっとして、朝の身支度をし始める。
振り子時計もとい、〈清浄の庇〉が示す現在の時刻は午前七時ちょっと前。いつも仕事に行く時間は七時半なので、家を出るまでにはまだ少し時間があるのだが……今日はちょっと、いつもより早めに家を出ようと思う。なぜならばーー店長に、”この事情”を早急に伝えなければならないから。
幸いなことに、いまウチが請け負っている『依頼』は一つだけで、引継ぎとかも、これといって特別なものは何もない……が。
「ーー迷惑は、どうしてもかかっちゃうよね……」
洗面所の蛇口から出した冷水でもう一度顔を洗う最中、ついそんな独り言が口走る。
本当に白々しくて嫌になる。高鳴り始めてしまったこの衝動を止められる術は存在しないと知っているくせに、妙な虚飾だけは一丁前にこびりついている。ウチは基本的に、自分を卑下したりする行為をなるべくしないようにしているが、今回ばかりは己が持つ元々の性分に、ため息という名の自嘲をせざるを得ない。本当に、何を今さらという話だ。
……とはいえ、そうやってずっとうだうだしているのもウチらしくない。我ながら中々にイイ性格をしていると思うが、こうやって、考えていても仕方がないと即座に切り替えができる自分のコト、ウチは結構好きなのである。
思い立ったがすぐ行動のウチは、完全に冴えきった自身の若草色の瞳をより明るくして蛇口を勢いのままキツく閉め、傍の壁にかけてあるふっかふかのタオルで濡れた顔を拭く。
そして、さっきまでボサボサだった青緑のインナーが差し込む黒髪のセミロングを簡単に鏡で整え終えると、寝巻きも兼ねて着ているルームウェアを着替えに、寝室にあるクローゼットへ向かう。
足早に着いてすぐ、たぶん同年代のほかの女子たちよりも少ない収納をしている自身のクローゼットを開ける。
三月の季節に移ろい、最近少しづつ暖かさを取り戻してきた気候を鑑みて、昨日まで着ていた防寒用のものを全季用の白いライダースジャケットへと変更させる。それと、ウチ自身の体温が高めなこともあって、気持ち重ね着も減らした。
それから持ち物など、その他諸々の身支度を完了させたウチはーー場所はそのまま、自分の足元もといベッドの下にある、丸みを帯びた少し大きめの籠のベッドにいる彼の顔を覗いた。
「おはようーーーー“ハムカツ“」
ウチがうるさすぎない程度のハッキリとした声音で、産まれた頃からずっと一緒に住んでいる子龍(人じゃないけど)の名を呼ぶ。
「キュウ……」
ターコイズブルーの鱗で覆われた、体長約四十五〜五十センチほどの体躯をさらに丸めた様子から、ウチのその声を少し鬱陶しそうにしているのが窺える。
まったく、ウチのおはようボイスを聞いてこの態度とは。失礼しちゃう話である。
「ねぇハムカツ。ごめんだけど、今日はいつもより早く出るから……ほら起きて」
ウチがそう言ってから数分後。ハムカツがまるで起きる様子を見せないので、その後「起きて〜〜!」と体をさっきより強めに揺すりながら声を掛けるが、変わらず「キュ〜……」といった、未だ夢現な寝返りで彼は事切れるーー……いや、死んでないで起きて!
「……はぁ。これは当分起きないやつだな」
どうしたものかと、ウチがしばしの間腕を組んだ末ーー「しょうがない、アレを出すか」と冷蔵庫に向かい、そこからラップが張られたとある”ブツ”を持ってきて、そのお皿にかかっていたラップを剥がし、彼の前に差し出した。
「ほ〜ら、ハムカツ起きて〜」
当然、効果は的面だ。さっきまであんなに重たそうにしていた碧い瞼が一瞬にして見開かれ、そこからさらに鼻をヒクヒクとさせたハムカツが、目前の皿の上に置かれたソレに飛びつくように起き上がる。
「まったく、現金なヤツめ」
ウチはそうため息を吐きながら、お皿の上のーー特製の”ハムカツサンド”が凄い勢いで減っていく様を呆れた様子で見ながらも、朝からいい食いっぷりだなぁと感心もしてしまう。
ハムカツサンドをものの数秒で見事にペロリと平らげたハムカツの頭をウチが撫でると、彼はそれに応えるかのように「キュウ!」と元気よく鳴き、気持ちよさそうな顔をした。あざといことこの上ない。
……ちなみに、気づいた方がほとんどであろうがーーハムカツの名前の由来は、彼の好物であるこの”ハムカツサンド”から取っている。まるで捻りのないこの安直すぎるネーミングセンスはウチが小さい頃のモノであるので、センス無いといった批判はどうか収めていただきたい。今だったら、もっと立派な名前をつけてあげられるハズだから……たぶん。
ま、まぁ、今はそんなことより? ハムカツも食べ終わったことだから、早く家を出ようじゃないか!(強引)
「ハムカツの充電も完了したことだしーー出よっか!」
「キュア!」
そうして、いつもより身に気合いを入れた一人と一匹は並んで、元気ハツラツな調子で家を出るのだった。
花冷えに迫る寒さに縮こまっているせいか、寝起きのような木々の囁きが森のあちこちで木霊している。
森の外へ出ればまた暖かさも感じられるだろうが、それはまだ、ゆったりとした時間が流れているこの森には早すぎるお話。自分のペースを持っているというのは実にいいことである。
ウチも、お寝坊さんな周りとは打って変わって元気溌剌に、遥か頭上で鳴く鳥のさえずりに手を伸ばすよう、大きく伸びをする。
周囲に林立する、太く立派な木々の間から差す木漏れ日に目を窄ませながら、伸びをするとき溜めに溜めた、冷たくも自然の心地よさがふんだんに詰まった空気を気持ちいいくらいに吐きだす。
するとちょうど、さっきからずっとウチを当てている微弱な日差しが徐々に強まっていき、今日が始まりをいよいよ本格的に告げていくのを感じる。
そんな眩しくも温かい祝福に目を凝らしつつ、ウチは空に手をかざし……そして、その手を握る形へ変えて。
ウチはお姉ちゃんに届いてくれるよう、たった今ウチの髪を揺らしていったそよ風に、伝言を添えた。
「お姉ちゃん待ってて。必ず、辿り着いてみせるから」
高く伸ばした手を下ろし、さぁ行くかと思ったその時。
まるで、その言葉に応えるかのようにーーーー凪いだと思っていた風が”ポン”と、ウチの背中を押したような気がした。




