第3話
ミストランサーをどう倒すか。
エルダーは言った。
――倒せば肉は食えるが、挑戦するには探知と隠密が必須となる。
――最初の頃、儂らは誰かが襲われると周囲の住人で集まって応戦していた。襲われた住人を助けるためにな。
町民だけで「倒して食ったことがある」と。
この世界では、平民は魔法を使えない。初代国王が精霊を娶って、その血筋に連なる王侯貴族だけが魔法を使える。
町民だけで倒せたということは、ミストランサーは弱いのだ。
「どうやって気づかれずに接近するか……それだけが問題だ」
気づかれてしまえば、ミストランサーの舌に対処するのは極めて困難だ。
矢のように速く、槍のように強く、その舌は革鎧を貫通する。
「さあ、行くぞ」
空気の振動を止める「幕」を作って自分を包む。
そうして僕は、ミストランサーに背後から近づいていった。
距離およそ百歩。通常なら「聞こえる」距離だが、ミストランサーに反応はない。魔法は順調に機能しているようだ。
距離およそ五十歩。通常なら「狩りに行く」距離だが、ミストランサーに動きはない。魔法は順調に機能しているようだ。
距離およそ十歩。通常なら「攻撃する」距離だが、ミストランサーは知らん顔だ。魔法は順調に機能している。
「白に近い灰色……アルビノじゃないよな? 霧の中に潜むからこその色か」
肉眼でミストランサーが見えた。
カメレオンそっくりの姿だ。
雪国でもあるまいに、体の色が白に近い灰色である。霧の中では迷彩効果を発揮し、非常に見づらい。
「さて……この距離まで来ると、もう何でもできるな」
手が届くほどの距離まで近づいた。
一撃で倒すため、僕はミストランサーの顔を窒素で包んだ。
6%以下――酸素濃度が極端に低い空気を吸い込むと、たった一度の呼吸で即座に意識を失う。脳震盪などとは違って、半日は目覚めない。
さらに二度、三度と呼吸させれば、死に至る。
「どれどれ……ふーん? これは奇妙な体毛だな」
毛と鱗の中間といったところか。扇状の毛が体表を覆っている。非常に細かい毛であり、そのため光が乱反射して白っぽく見えるらしい。触ってみると硬かった。
毛の根元には液体が見て取れる。霧の水分が結露したものか、それとも汗のように体から出したものか?
いずれにせよ、これでだいたいの生態はわかった。
「あとは、どうやって持ち帰るか……だな」
◇
町の広場に、子馬ほどもある「白っぽい塊」が転がった。大型犬よりもう少し大きい。
本来なら霧の中に隠れ、音もなく人を奪っていく死神――ミストランサーの死体だ。
静まり返っていた町に、初めて「恐怖」ではない「驚愕」のざわめきが広がった。
「……本当に、仕留めてきたのか。しかも傷一つなく……いったいどうやって?」
エルダーが震える手で、その白い体に触れる。
僕はそれを横目で見ながら、集まった町民たちを見渡した。
「研究材料としては十分だ。お陰で、奴らの『弱点』も、この町を救う『方法』も分かったよ」
それから僕は、驚きで固まったままの彼らに、淡々と「授業」を始めた。
「――つまり、この体毛で音を感じ取っている。クモなんかと同じだ。
人間の耳と違って、振動を感じる程度だから、どんな音なのかは聞き分けられない。しかし人間には聞こえないほど小さな音でも感じ取れる。
産毛でそよ風を感じるようなものだ」
毛の根元にある液体は、大きな音に対して安全弁のように機能する。毛が強く揺らされて互いにぶつかり壊れてしまうのを防ぐための緩衝材だ。
「物知りだな、坊や。
それで、それを聞かせてどうしようと?」
エンダーが言った。
「効果的な対処法は、切るのでも刺すのでもない。撫でることだ。そうすると、耳元で大声を出されたような感覚になって、すごく嫌がる。
襲われた場合、効果的な抵抗手段は撫でること。素手でなくてもいい。服でも棒でもいいから、叩くより撫でる、突くより撫でる。そうすればミストランサーは逃げ出す」
「なるほど……助かる可能性が、いくらか高まるようだ」
エンダーが納得し、それが伝播するように町民たちが納得していった。
僕はひとつ頷いて続けた。
「それから、話し声はほとんど聞こえないから、黙ることはあまり意味がない。一方で足音には敏感だから、つまり喋ってもいいが、歩くな、ということになる。
そして、どうしても歩きたい場合は、水のそばを歩くといい。水が流れる音に紛れて、足し音が聞こえなくなる」
「しかし、そう都合よく水が流れる場所を通るとも限るまい」
「まさしく。
そこで、屋根の上へ散水栓を通すのはどうだろう? 人工的に雨音を作り出すことで、どこでも安全に歩けるようになる」
「いや、濡れるのでは?」
ハンターが言った。
僕は肩をすくめた。
「死ぬよりマシでは?」
「ぐむっ……」
ハンターが濡れるのを嫌がるのは、狩りの都合だろう。濡れたままでは体力の消耗が激しくなる。山の中を歩き回って狩りをするハンターには、その影響が無視できないレベルになるのだろう。
しかし、疲れるだけなら鍛えてもらうしかない。死ぬよりマシという結論に変更はない。
「水路を作るのでもいいが、溝を掘るのは手間がかかる。散水栓なら管を通すだけだ。
そもそも、たびたび霧が来る土地なんだから、どうせしょっちゅう濡れる。
将来的には各家庭に水路も引きたい。足音を消す以外にも、調理や洗い物をするのに役立つし、野菜の保存期間も延びる。
しかし、それは安全を確保してからでいい。作業の音で襲われては本末転倒だ。」
「水をどうやって持ち上げる? 散水栓のもとに水源が必要だろう?」
エンダーが尋ねた。
乗ってくることで、話題は完全に変わった。町民たちも、濡れるくらいは問題にならないという顔だ。
「水撃ポンプを使う予定だ。
動力源がいらない組み上げ装置だから、基本的にメンテナンスフリー。いい感じの資材があれば、素人作業でもすぐに作れる。
いい資材が無ければ水車でもいいが、その場合は場所を選ぶし、作るのに技術がいる」
「水撃ポンプは音が出るぞ」
「水に沈めるか、綿で包むか……地形次第だけど、そこは工夫できる。
土器を作るのが得意な人は?」
「私が得意だよ」
「失礼、あなたは?」
「ポッター。陶芸家さ」
「グッド。では消音器を作ってもらいましょう」
道筋が見えてきた。




