表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

婚約破棄の場で追放を受け入れ、辺境で定時退社することにしました

作者: 夢見叶
掲載日:2026/02/08

「――レティシア・ヴァンデル。貴様との婚約を、ここに破棄する」


 王宮の大広間。見慣れた豪奢さが、今日はやけに寒い。

 王太子エドワルドは聖女セシリアの肩を抱き、私を見下ろした。


「聖女をいじめ、民を欺き、王家の名誉を汚した。弁明はあるか」

「ございます」


 私は一歩前に出て、深呼吸した。

(来た。テンプレ婚約破棄イベント。……でも、ここで泣いたら負ける)


「まず確認します。『いじめ』の具体的内容と、証拠の提出者、証言者。記録は残っていますか」

「……は?」


 ざわ、と空気が揺れた。貴族たちが目を丸くする。

 王太子は眉をひそめた。


「反省の色もないのか」

「反省は、事実確認の後にします。事実が違えば、反省する対象がありませんので」


(前世で学んだ。感情の嵐の中こそ、手続きを握った者が勝つ)

 ブラック企業の人事担当として、揉めに揉めた退職交渉を百件以上さばいた私には、こういう場面のコツがある。


 セシリアが涙をにじませた。

「レティシア様……どうして、私を……」

「その質問の前に、あなたの発言は何時何分、誰の前で、何を根拠に? 整理しましょう」

「ひっ……」


 王太子が机を叩いた。

「黙れ! ここは裁判所ではない!」

「では、これは感情による処分ですね。承知しました。処分書をください」


 沈黙。

 王の側近が慌てて口を挟む。


「レティシア嬢、王太子殿下の御意向で……」

「御意向なら、なおさら文書化が必要です。口頭は揉めます」


(口頭は揉める。真理)

 私は淡々と言った。そう、淡々と。ここで冷静な悪役令嬢を演じ切る。


 王太子は顔を赤くし、言い放った。

「よかろう! 貴様は辺境へ追放だ。二度と王都の土を踏むな!」


「ありがとうございます」

「……は?」


 礼を言われると思っていなかったのだろう。王太子は言葉を失った。

 私はスカートの裾をつまみ、礼をした。


「辺境。衣食住の自己責任。人間関係リセット。最高です」

(前世の終電帰宅に比べれば、追放なんて有給みたいなものだ)


 ざわめきの中、私はひとつだけ告げた。


「なお、私の管理していた王宮会計の帳簿と契約書は、すべて私の執務室に整理してあります。無断で触れないでください。触れた瞬間、数字が噛みつきます」


 聖女セシリアがぴくりと肩を震わせた。

 その反応だけで、私は確信した。


(当たり。あなた、帳簿をいじってる)


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 追放の旅路は、拍子抜けするほど静かだった。

 馬車の窓から見える雪原は白く、空気は澄み、胸の奥の重しが少しずつ溶けていく。


(……この世界に転生して、十七年。ようやく私の時間が来た)


 前世の私は、都内のブラック企業で人事。残業、クレーム、胃薬、過労。

 最後の記憶は、深夜のオフィスで退職届のテンプレを作りながら倒れたこと。


 目が覚めたら、悪役令嬢レティシアだった。

 物語の中では、聖女をいじめ、婚約破棄され、追放される役。


(つまり今、筋書きどおり。……ただし、私は追放=罰と感じない)


 私に付き添う侍女のミーナが、不安げに言った。

「お嬢様、本当に大丈夫ですか……?」

「大丈夫。むしろ、王都より安全かも」

「え?」

「王都は、噂と権力で人が死ぬ場所よ。辺境は、雪と狼で死ぬだけ。分かりやすい」


 ミーナは泣き笑いした。

「……お嬢様、変わりましたね」

「元々こういう性格よ。たぶん」


(たぶん。前世の私は優しく見せるのが仕事だった)

 私は窓に額を寄せた。


 数日後、辺境伯領の城門が見えた。

 黒い石で組まれた要塞みたいな城。旗は簡素で、豪奢さはない。実用の塊。


 迎えに出てきた男は、噂どおり氷だった。


「レティシア・ヴァンデルだな」


 灰青の瞳。白い息。整った顔立ちなのに、笑わない。

 辺境伯カイ・リュミエール。魔獣討伐で名を上げた軍人貴族。


「追放者を預かるのは初めてだ。扱いに期待するな」

「期待しません。こちらも、甘やかされに来たわけではないので」


 私が即答すると、カイはわずかに目を細めた。


「……噂よりまともだな」

「噂は、だいたい雑です」

(噂が雑なのは、前世も今世も同じだ)


 城内の案内が終わり、与えられた部屋に荷物を置く。

 私はすぐに執務室へ向かった。


「執務室? お前が?」

「ええ。まず、領地の状況を把握します。予算、在庫、契約、税。全部」


 カイが眉を上げた。

「王都から来た令嬢が、数字を見るのか」

「数字は裏切りません。人は裏切ります」


 私の言葉に、カイの口角がほんの少しだけ動いた。

 たぶん、それが彼の笑いだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 辺境伯領の帳簿は、荒れていた。


(……これ、燃えてる。数字が火事)


 支出が不自然に膨らみ、納品記録が薄い。契約書の文言は曖昧。何より、担当者の署名がころころ変わる。

 これは横領テンプレだ。前世の監査で見飽きた。


 私はミーナと一緒に書類を分類し、カイに報告した。


「結論から言います。補給業者が、領地を食い物にしています」

「根拠は?」

「はい。まず、この冬季食糧契約。単価が昨年の一・五倍。競争入札の記録なし。次に、納品数が帳簿上は満額なのに、倉庫の在庫が足りない。最後に、担当官の交代が急すぎる。これは口止めが入った可能性が高い」


 カイは書類をめくり、沈黙した。

 そして、低く言った。


「……お前、何者だ」

「追放された悪役令嬢です」

「それは知っている」


 私は肩をすくめた。

「前世が、揉め事専門の人事だっただけです。契約と帳簿は、恋愛より得意」


 カイがため息をついた。

「領地は戦場だ。魔獣だけじゃない」

「なら、私の得意分野です。敵は紙ですもの」


 その夜から、私たちは紙の戦争を始めた。

 業者を呼び、契約条項を突きつけ、納品検品を徹底し、支払い条件を改める。

 反発は当然来た。脅しも、甘言も。


「奥方になるなら、こういう仕事は男に任せたほうが――」

「奥方の定義を確認しても?」

「は?」

「領民の命を守るのが当主とその配偶者の責務なら、書類仕事も仕事です。性別による職務分担の根拠、あります?」


 相手が黙る瞬間が、少しだけ好きだ。

(口で殴れるの、最高)


 ミーナが震える夜、私は湯気の立つ薬草茶を渡した。

「お嬢様、怖くありませんか……?」

「怖いわよ。でもね、前世では毎日こうだったの。しかも相手は魔獣じゃなくて、スーツの怪物」

(魔獣のほうが誠実。殴れば倒れるから)


 カイは私を止めなかった。

 むしろ、背中を守るように立っていた。


「交渉の席に護衛が必要なら言え」

「護衛がいるだけで、相手は暴力のコストを計算します。助かる」


 彼は理解した顔をした。

 不器用だけれど、合理的。だから信頼できる。


 数週間で、領地の支出は締まり、倉庫に食糧が積み上がった。

 城の使用人たちの目が変わる。


「追放者様じゃない。……領地を救う方だ」


(人は、結果には弱い。これも真理)


 ――だからこそ、相手は次の手を打ってきた。


 夜半、倉庫の方角が赤く染まった。

 警鐘。走る足音。焦げた匂い。


「火事です! 食糧倉庫が……!」


 私は寝巻きのまま廊下へ飛び出した。

(来た。物理攻撃。紙の戦争が、火を吹いた)


 カイが鎧も着ずに現れ、短く命じる。

「水桶を回せ! 兵は延焼を止めろ!」

「ミーナ、使用人を集合させて。怪我人確認。人数を数えて。混乱すると死ぬ!」


 私は叫びながら走った。前世の避難訓練の知識が、今、役に立つ。


 炎の前で、業者の男が慌てた顔で兵に取り押さえられていた。

「ち、違う! 俺じゃない!」

「じゃあ、なぜここにいるの?」

 私は息を整え、静かに問うた。


 男の目が揺れる。背後で、カイの剣が鞘から半分だけ抜けた。

 金属音が、夜を切る。


「……脅されたんだ! 王都の……いや、誰かに……!」

「誰か、では足りない。具体名を」


 男は震え、吐いた。

「聖女庁の……会計係だ。契約を切られたら困るって……!」


(ほら。線がつながった)

 私は火の粉が舞う中で、冷たい笑みを作った。


 倉庫は半分だけ焼けた。損害は大きい。

 でも、全焼は免れた。怪我人も軽傷で済んだ。


 翌日。私は城の食堂に全員を集めた。

 兵も使用人も、炊事係も厩舎番も。立場を混ぜると、最初は空気がぎこちない。


「昨夜はお疲れさまでした。まず、怪我の報告と、休養の確保をします」

 私は紙を掲げた。


「当面のシフト表です。連続勤務は二日まで。夜番は必ず交代。食事担当は二重化します。誰かが倒れても回るように」

「……そんなこと、していいのですか?」

 年配の執事が戸惑う。


「していい。というか、しないと燃えます。人も倉庫も」

(燃えたから言える。説得力って残酷)


 ざわめきの中、炊事係の少女がぽつりと言った。

「……私、昨日、怖くて手が動かなくて……でもお嬢様が『数えて』って言ってくれたから、動けました」

「ありがとう。あれは正解だった。混乱してたら、もっと怪我人が出た」


 私は全員に向けて頭を下げた。

「ここは辺境です。魔獣も、雪も、火も来る。だから根性じゃなくて仕組みで守ります」

 その言葉に、誰かが拍手し、やがて大きな拍手になった。


 カイは少し離れた場所でその様子を見ていて、私と目が合うと、ほんの少しだけ笑った。


 火が落ち着いた頃、私は雪の上に座り込んだ。

 手が震えているのに気づく。


(怖かった。……本当に、怖かった)


 そのとき、肩に重みが落ちた。

 カイの外套だった。体温が残っている。


「無茶をするな」

「……止まったら、燃えると思った」

「止まっても、俺が燃やさせない」


 彼は私の隣に膝をつき、言った。

「お前は、強い」

「強く見せてるだけ。……弱いところ、いっぱいある」

「知っている。だから守る価値がある」


 その言葉が、胸の奥の氷を溶かした。

(あ、私。ここで泣いてもいいんだ)


 私は外套に顔を埋め、少しだけ泣いた。

 カイは何も言わず、ただ隣にいてくれた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 翌朝、私は焼け残った書類箱を開けた。

 中には、私が作っていた監査用サブ帳簿があった。封蝋は割れていない。


(よし。バックアップは生きてる。これがある限り、噂は私を殺せない)


 カイが、窓際で雪を見ながら言う。

「なぜそこまで帳簿にこだわる」

「守れるから。領民も、あなたも、私自身も」


 私はペンを握り直した。


「前世では、守れなかった人がいたの。退職を申し出た新人が、上司に潰されて……私は規定上は守れるはずだったのに、会社の空気に負けた」

「……それでお前は死んだのか」

「死んだというより、壊れた。だから今度は、負けない」


 カイはしばらく黙り、低く言った。

「俺も、母を飢えで失った。補給が止まった冬だった」

「……」

「だから無駄が嫌いだ。誰かの見栄で、命が削られるのが」


 氷の人の胸にも、ちゃんと傷がある。

 私はそっと言った。


「なら、私たちは同盟ね。あなたの剣と、私の紙で」

「同盟で終わらせる気はない」


 カイがこちらを見た。

 視線が熱い。私の心臓が、仕事中なのに暴走する。


(これ、労基に相談したい。恋愛の残業です)


 その夜、王都から封書が届いた。

 王印付き。嫌な予感が、きれいに当たる。


「王都へ出頭せよ。王宮会計の不正調査に協力せよ」


 ミーナが青ざめた。

「お嬢様……まさか、また……」

「大丈夫。むしろ、こちらのターン」


 私は封書を握りしめた。

(帳簿が噛みつくって言ったでしょう。噛みつかれたのは、誰?)


 カイが言う。

「行くのか」

「行きます。逃げたら有罪っぽく見える。私は無罪でも、噂は有罪を作る」

「危険だ」

「危険の種類が違うだけ。王都は言葉の刃が飛ぶ。あなたの剣のほうが、よほど分かりやすい」


 カイは黙って、腰の剣に触れた。


「……護衛として同行する」

「辺境伯が? 仕事は?」

「お前がいないと、この城の書類が死ぬ」


 その言い方が、少しだけ照れ隠しに聞こえて、胸がくすぐったい。

(氷の人、たまに温度が上がる)


 王都への道は、来たときより短く感じた。

 馬車の中で、私は資料を最終確認する。カイは向かいで黙っている。


「緊張してる?」

 私が聞くと、彼は首を横に振った。


「緊張はしない。怒りはある」

「怒り?」

「お前を追放した。理由も確かめずに」

「あなた、王太子じゃないわ」

「だが同じ貴族だ」


 彼が拳を握るのが見えた。

 私はふっと笑う。


「怒ってくれて、ありがとう。でも、怒りは刃になる。私たちは裁く側じゃない。正す側よ」

「……お前は、本当に冷静だな」

「冷静じゃない。冷静のふりをしてる。震えてる」

「震えているのに?」

「震えているから。手続きを握るの」


 カイはしばらく私を見て、ぽつりと言った。

「……お前のやり方は、強い」

「あなたのやり方も。剣を抜かずに、抜ける空気がある」


 馬車が止まり、王都の門が見えた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 王都は、相変わらず華やかで、息が詰まる。

 大広間には、王、側近、監査官、そして――王太子と聖女。


 エドワルドは私を見るなり言った。

「戻ってきたか。罪を認める気になったか」

「いいえ。不正を認めさせる準備をしてきました」


 ざわめき。

 私は深く礼をし、資料の束を机に置いた。


「王宮会計の不正は、三つです。第一に、聖女庁への寄付金水増し。第二に、聖具納入契約のリベート。第三に、辺境補給費の中抜き」


 セシリアが顔を真っ白にした。

「な、何を言って……!」

「証拠はここに。契約書の署名、支払い記録、納品記録、そして――あなたの筆跡一致」


 監査官が資料をめくり、顔色を変える。

 王が低く問うた。


「レティシア、なぜお前がこれを?」

「私は王宮会計を任されていました。帳簿は、嘘をつけません」


 エドワルドが叫ぶ。

「でたらめだ! 悪役令嬢の復讐だろう!」

「復讐なら、もっと派手にします。私は是正です」


 私は視線を上げ、王太子を見据えた。


「婚約破棄の場で、私は文書を要求しました。ですが、あなた方は出しませんでした。手続きのない処分は、悪用されます。――今、悪用した者が露見しただけです」


 王が手を上げると、大広間は静まった。


「聖女セシリア。説明せよ」

「ち、違います……! 私は、殿下が……」

「私の名を使うな!」


 エドワルドの叫びが、火に油を注いだ。

 王の目が冷たくなる。


「王太子。お前は、監査に協力しろ」

「父上!」

「黙れ」


 王の一言で、空気が凍る。

 その瞬間、私は小さく息を吐いた。

(終わり。……いや、ここからが自分の人生)


 控えの間に戻ると、カイが壁にもたれていた。

 私は思わず笑ってしまった。


「勝ちました」

「当然だ。お前の武器は強い」

「武器?」

「言葉と、紙と、……その胆力」


 彼は少しだけ近づき、低い声で言った。


「王都はお前を傷つける。だが、俺の領地は違う」

「……私を、追放者として?」

「領地の人間として。いや」


 カイは、一度だけ視線をそらし、そしてまっすぐ戻した。


「俺の隣に立つ者として」


(うわ。氷が溶けた)

 胸が熱くなる。言い返す言葉が、ひどく不器用になる。


「……契約条件を確認しても?」

「好きにしろ」

「では、私の条件は一つ。定時退社が可能な体制を、維持すること」

「それは努力する」


 私は笑って、手を差し出した。

 カイはその手を取り、指先に口づけた。


「レティシア。帰ろう」

「ええ。帰りましょう。私たちの現場へ」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 辺境へ戻る途中、王からの追伸が届いた。

 封を切ると、短い文。


『追放は撤回する。望むなら王都に戻れ』


 ミーナが目を輝かせた。

「お嬢様! これで……!」

「……戻らない」


 私が即答すると、ミーナは目を瞬かせた。

「どうしてですか?」

「王都は、私を役に戻す場所だから。悪役令嬢、婚約者、聖女の敵。……そういう舞台装置に」


 私は窓の外の雪解け道を見た。

「ここは違う。私は、ここで仕事をして、暮らしをして、愛される」

(そして何より、定時がある)


 カイが小さくうなずいた。

「なら、俺が王に返事をする」

「内容は?」

「『彼女は俺が預かる』」

「……それ、プロポーズじゃない?」

「違うのか」


 私は笑ってしまった。

「違わないわ」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 春。

 辺境伯領の城は、雪解け水の音で満ちていた。


 調査の結果は、王都でも容赦なかった。

 聖女セシリアは聖女位を剥奪され、会計係と業者は処罰。王太子エドワルドは廃嫡こそ免れたが、権限を大幅に制限され、謝罪文を公表した。


(ざまぁ、というより正常化。でも、読者的にはざまぁだよね)


 私は執務室で最後の書類にサインし、ペンを置く。

 窓の外では、領民の子どもたちが笑っている。


「お疲れさま。今日は終わりか」

 カイが扉にもたれて言った。最近は、よく笑う。


「終わりです。ほら、ちゃんと今日中に終わる仕事だけにしたから」

「学ぶことが多い。王都の貴族は、なぜそれができない」

「できないんじゃない。やらないの。無駄が権威になるから」


 カイは首をかしげ、真面目に言った。

「無駄は敵だ」

「同意。だから、私たちは勝つ」


 彼は私の肩に外套をかけ、額に触れるようにキスをした。


「レティシア」

「なに?」

「……愛している」

「(あ、言った)」


 私は咳払いして、笑った。


「私も。あなたの合理性が、大好き」

「それは褒めているのか」

「最高に褒めてる。だって、私は合理性で救われたの」


 窓の外、夕陽が雪の名残を金色に染める。

 私はカイの腕に触れ、静かに言った。


「追放は罰じゃなかった。――私が、私になるための、異動だった」


 カイがうなずく。

「なら、俺はその異動の受け入れ先だ」

「そうね。最高の配属先」


 その数日後、私たちは領民の前で誓いを立てた。

 大聖堂ではなく、城の中庭で。派手な儀式より、温かい食事と、働く人の笑顔を優先した。


「辺境伯の妻になるのは、怖くないか」

 誰かが私に聞いた。

 私は笑って答える。


「怖いです。でも、怖いときほど、手続きを整えます。――それに、隣にこの人がいるので」


 カイが少し照れた顔をして、私の手を握った。

 その手が温かい。


 私は執務室の時計を見た。

 針はきっかり、定時を指していた。


「帰りましょう。今日はもう、残業しない」

「命令か?」

「お願い。……二人で守りたいの。ここでの時間を」

「了解した」


 私たちは手をつなぎ、廊下を歩く。

 その足取りは、少しだけ軽かった。

 外の世界は相変わらず複雑で、噂は風のように吹く。

 けれど――この城では、私の人生は、ちゃんと私のものだった。


ここまでお読みいただきありがとうございます!紙の戦争と定時退社、楽しんで頂けたら嬉しいです。『ざまぁ最高!』と思ったら、広告下の【☆☆☆☆☆】評価&ブックマークで応援お願いします。次作の励みになります!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ